サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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 静岡県東部、特に伊豆地域は、古くから文人墨客が多数訪れ、心を癒し、そこから多くの作品を生みだしている。まさに鎌倉、軽井沢と並び、日本の近代文学のふるさととも言える場所だ。太宰治しかり、川端康成しかり、それらの文学作品から読書の楽しさを教えられた人も多いだろう。
 1月の「風は東から」は、東部に埋没する貴重な文学資源を掘り起こし、広域的な地域振興に結びつける「井上靖文学散歩研究会」の取り組みを通じて、新たな文化資源、観光資源の開発手法と、そこから見えてきた伊豆観光のあり方について考える。
風は東から
現在作成中の、井上靖文学散歩案内「洪作少年の歩いた道」

丁寧な解説で、ガイドマップとしてだけでなく、読み物としても楽しめる。A4判・カラー22ぺージ。2月から県東部の各行政センター、市町村窓口、市町村観光協会、学校、主な駅、旅行代理店で配布予定。


●問い合わせは東部県行政センター
 沼津市高島本町1-3 静岡県東部総合庁舎 (055-920-2181)
[サンフロント21懇話会企画]
シリーズ10
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キーワードは地食健身のまちづくり 食文化創造のカギ握る市民参画革
地域に眠る文学資源を発掘する広域的な取り組み
 『洪作は今まで彼が知っている場所では、ここが一番美しいところではないかと思った。あるいは日本で一番美しいところかもしれない。
 めったにこれほど美しい景色を持っている場所はないだろうと思った』(井上靖「しろばんば」より抜粋)。
 この「日本で一番美しいところ」がどこだかおわかりだろうか。これは、県道伊豆長岡―三津線沿いの藪の中に今も残る隧(ずい)道を抜け、洪作少年が見た三津の集落の様子だ。現在も石積みのトンネルがあり、旧天城トンネルより8年古く、同じアーチ型の美しい工法で作られている。重要文化財級のトンネルだが、今は訪れる人もなくひっそりと落ち葉に埋もれている。
 東部県行政センターは、東部地域に数多く存在する、魅力がありながら知られていない文学資源に着目。それらを掘り起こすことで、多くの人が訪れ、感動し、楽しむことができるような地域振興に結びつけようと、平成15年度から2年にわたり伊豆文学散歩事業を行った。
 きっかけは、県立静岡がんセンターの山口建総長が発案した「ファルマバレー構想観光産業活性化プロジェクト」。がんセンター総長就任を機に沼津に住むことになった山口総長は、長年愛読している井上靖の「しろばんば三部作(※1)」を改めて読み返すうちにこの構想を思いついたという。(1)団塊の世代の愛読書である井上文学に光を当てる(2)付加価値の高い新たな観光施策を考える(3)広域行政実現の素地を作る(4)ファルマバレー構想のウエルネス戦略に寄与する―を目標に、平成14年にアイデアを東部県行政センターに提供した。
 以前から文化資源の活用を通じた地域振興を考えていた同センターは、関連市町村の職員や、井上靖文学にかかわりのある文学館職員、井上靖に詳しい民間団体などで構成する「井上靖文学散歩研究会」を発足。今回、知名度があり文章が平易で、読者数が多いことなどから、井上靖の自伝的小説で、主に県東部が舞台となっている「しろばんば」「夏草冬濤(なつぐさふゆなみ)」を取り上げた。作品にかかわりの深い63カ所を選定し、その一つ一つについて現状や魅力、活用方策を調査・研究、その成果を「洪作少年の歩いた道」として1冊の報告書にまとめ(15年度)、市町村、図書館、学校などに配布した。これは各方面から高い評価を受け、一般の方からも問い合わせが相次いだという。


成果を活用し、伊豆を文学のふるさとに
特別インタビュー
作家井上靖の長女で、井上文学の研究活動をしている浦城幾世さん(町田市在住)に、井上靖と伊豆の魅力について伺った
「父は伊豆が好きでした。温かい、濃いかかわりでした」と話す浦城さん。
人間関係にこそ、
地域の魅力がある
 ■ 井上靖と伊豆
 井上靖にとって伊豆の魅力とは、そこに住んでいる人の魅力だと思います。単に育った場所というだけでなく、幼少から少年になる過程で人格形成がなされた場所。そういう意味で特別な地域です。私も父から天城湯ケ島や沼津の話をずいぶん聞きましたが、それは伊豆の自然についてというよりは、父をめぐるさまざまな人々の話でした。周囲の大人や友人、先生の持つ温かさ、やさしさ、ちょっとした意地の悪さ、そうした他の地域にはない面白さがあったのだと思いますし、父自身にもそれは色濃く残っていました。
 ■ 残念な「あすなろ忌」終幕
 私のように外側から見ている人間にとって、伊豆は宝の山だと思います。天城湯ケ島町で行われていた「あすなろ忌(井上靖をしのぶ会。読書感想文コンクールや町民劇団しろばんばによる劇などが上演されていた)」が、合併で昨年限りとなったのは大変残念なことでした。あすなろ忌に限らず、地域の伝統文化が町の発展の陰で消えていくのは、時代の流れで仕方ないことかもしれません。しかし、そうしたものの中にこそ、他をひきつけてやまない魅力、地域の独自性があるのではないでしょうか。これは一つの案ですが、活字離れが進む今日、作品を軸に伊豆の自然や人々の営みを巧みに織り込んだ、映像を使ったPRが有効かもしれませんね。
 現在、同研究会は報告書をもとに一般向けガイドブックを作成している。物語の重要な舞台となる天城湯ケ島地区、三島・沼津地区、大仁地区、土肥地区に、新たに下田地区を加えた。わかりやすい解説と詳細な地図、作品の本文やあらすじが掲載された充実の内容だ。
 これと並行して16年度は、文学を地域振興に生かしている先進地の視察や、東部の関係市町村、観光関連団体へ個別にPRを行った。
 こうした中から、井上靖文学館では踏査ポイントの写真をパネルにした企画展が開催された。沼津市はことし開かれる第2回文学祭で井上靖を取り上げることを決定、昨年8月には中高生を対象に、沼津と三島のゆかりの地を歩くプレイベントを行った。また、三島市は3月の伊豆箱根鉄道・三島田町駅改修にあわせ、「井上靖と伊豆箱根鉄道」をテーマに、文学散歩や映画上映を企画している。
 さらに、同研究会は今回の成果の活用法として、天城湯ケ島の井上靖旧居前の小径(みち)に、「しろばんば通り」の愛称をつけることを伊豆市に提案。井上靖の生誕地である北海道・旭川を視察した際、「井上靖通り」と名付けられた通りを見て、お金もかからずイメージアップにつながるとのヒントを得たという。前出の三津のトンネルについても、現在沼津市に保存と周辺整備を働きかけている。
 同センターは今回の取り組みをモデルに、東部地域に存在する文学資源の潜在的な魅力と活用の可能性を再確認し、地域振興、観光振興につなげたいとしている。報告書を中心となってまとめた同センターの佐藤れい子主査は「東部を広域的に楽しめる作家や作品は多い。井上靖を皮切りに、第2弾は牧水、3弾を芹澤光治良と続く息の長い活動にしたい。そうした魅力が重なって、静岡県東部・伊豆が”日本の文学のふるさと“になれば」と期待する。


伊豆観光に足りない総合力
 もともと文学碑めぐりは各地の市町村や教育委員会などがルート整備を行い、それを観光振興に活用するケースが多い。しかし、その範囲は大きくても市町村単位、通常は非常に狭い範囲に限られる。今回は主な物語の舞台だけでも、沼津、三島、伊豆長岡、大仁、天城湯ケ島、土肥、下田に広がる。県がリードすることで、市町村の枠を越えた伊豆全体の取り組みに高めることができた。
 複雑な海岸線と半島を貫く山々で集落が隔てられている伊豆は、古くから地域間、温泉場間で競合してきた。しかし、これからは個々の力を束ねた伊豆の”総合力“、つまり、国際観光市場に通用するブランドとしての伊豆の魅力づくりが求められている。
 同センターは今回の文学散歩事業に先立ち、伊豆の新たな温泉のあり方を探る「新しい湯治場づくり事業」を行った。ファルマバレー構想のウエルネス戦略と位置づけられる「かかりつけ湯構想(※2)」も、伊豆全域をくくる新たなキーワードとして伊豆のブランド化を後押しする。こうしたキーワードをどれだけ多く見いだせるか。山口総長は「首都圏に近い、多様な自然、豊富な温泉という、伊豆の三つの特性を前提条件とした上で、ターゲットとする世代を決め、新しい観光についてのニーズを汲み取ってはどうか」とアドバイスする。
 グローバル化、旅行形態の多様化が進んだ今、ドラマチックな、一点豪華主義の海外リゾートに太刀打ちするには、数多くの魅力が複雑に絡み合い、こっちの魅力からあっちの魅力へ、ネットサーフィンのように容易に移行できる多面性を持った地域づくりが必要だ。切り立った壁が幾重にも続く入り組んだ岬、澄んだ渓流と緑深い山々、南の島を思わせる白い砂浜と穏やかな波、心が震えるような黄金色のサンセット、情緒あふれる鄙(ひな)びた温泉街・・・伊豆の魅力の本質は、まさに地域の多様性にほかならない。こういった多様性をいかにブランドとしての魅力づくりや観光商品そのものに生かせるか、そこが最大の課題といえるだろう。
 「かかりつけ湯に行ったら、近くに文学碑があり、新鮮な食材を楽しみながら、ウオーキングもできる、そういう局面を早く作るべきだ」(山口総長)。伊豆全体の魅力を再認識し、それをマーケティングに生かす時代がすでに来ている。

※1
「しろばんば三部作」
井上靖の自伝的小説「しろばんば」(天城湯ケ島)、「夏草冬濤」(三島・沼津)、「北の海」(金沢)を指す。(カッコ内は作品の主な舞台)
※2
「かかりつけ湯構想」
ファルマバレー構想の一環として進められている、健康・癒しを重視した伊豆温泉の新たな取り組み。


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