― 富士山世界文化遺産登録から3年が経過し、まちづくりにどのような変化がありましたか。
須藤 世界遺産登録は大きなチャンスになりました。市民挙げての「おもてなし」の心、そしてまちの品格を磨くことができました。ハード面では、富士山にふさわしい景観整備に力を入れています。特に、遠くからお見えになるお客さまにとって一番のおもてなしは清潔なトイレだと思っていて、構成資産にあるトイレもすべて改修しました。案内所も併設して、土日はガイドが常駐しています。
市民向けの構成資産巡りバスツアーは年に5回行っていますが、非常に関心が高く、毎回満席になります。また、市民や民間が行う文化イベントにできる限り世界遺産という冠をつけてもらっています。
防災面の意識も大きく変わりましたね。今まで「噴火」はある意味禁句でした。しかし、万が一噴火が起きた際に、富士山を見にいらした観光客をどう避難させるかも市の大きな責務。噴火の危険性を開示するとともに、きちんと対策を立てて実行できる状況を示すことも「おもてなし」だと考えています。そうすることで、安心して来てもらえるようにしています。
― 来年秋頃に、浅間大社に隣接して県の富士山世界遺産センターが完成しますね。
須藤 当市にとって歴史的な提案で、まちづくりの起爆剤になると思っています。センターには教授が常駐しますので、富士山の文化的価値の研究がますます進むと考えています。坂茂さんの斬新な設計デザインは建築物としても多くの人を魅了することになるでしょう。
センターの開設に合わせ周辺整備も進んでいます。南側にはバス20台、乗用車100台収容の神田川観光駐車場が完成し、大きなトイレも今後整備します。また、浅間大社境内地内ふれあい広場は芝生を植え、湧玉池の水を引いた親水空間を造りました。夏には涼を求めてたくさんの親子連れでにぎわいます。これから、伊勢神宮のおかげ横丁のようなまちなみの整備や食の商業集積も整備する予定です。
― 今後、この世界遺産登録の意義をどう次世代に引き継いでいかれますか。
須藤 長い間人々が培ってきた富士山に対する思いは、多くの人の心の中だけでなく、ものの形や文化になって現在も残っています。今あるものの把握はもちろん、文化的価値の調査研究を深めていきたいと思っています。中でも出前講座や富士山学習を通して子どもたちに文化的価値を正しく伝えることに力を入れたいですね。当市は子どもたちが富士山に関する知識を学ぶ「富士山学習」を実施しています。それをまとめた冊子を作っているのですが、すばらしい出来です。こうした取り組みが将来にわたって富士山を守ることだと思います。
また、富士山の景観を後世に活かすため、独自の条例を作りメガソーラーの規制をしています。これを全国の世界遺産のある自治体の長に訴えるとともに、法整備を国にも働き掛けています。地道な活動ですが、京都市をはじめ賛同してくれる地域が増えてきたのはうれしいですね。 |