このような形でお話できることを大変嬉しく思っている。というのは、竹中チームというものがあったころは、このような場に出ようものなら「お前は外資の手先」と罵詈雑言を浴びせられ、おちおち外も歩けない状況だった。その時と比べると世の中も多少明るくなってきた。
振り返ると確かに皆さんの怒りも分からなくはない。竹中大臣が2002年9月30日に「金融もやるぞ」といった瞬間に株は9,500円割れして9,383円、竹中ショックと呼ばれた。1日後の10月3日にプロジェクトチームのメンバーが発表され私が入ったと伝えられると、9,000円を割って8,936円となり、木村ショックと言われた。竹中プランが出た10月30日の翌日、8,640円となり、木村・竹中ショックで「いいことは何もない」といわれ、昨年の4月末には8,000円も割り込み7,607円をつけて「木村・竹中は日本を滅ぼす」といわれた。
最近は株価が上がって、今日も1万1,000円前後と聞いている。底値から約5割回復した。 竹中さんが大臣になった時と比べても約2割の回復。私がチームに入ってからと比べても25%くらいの回復だが、世の中は冷たくて誰一人として竹中リカバリーといってくれない。ましてや木村リカバリーなんて言う奇特な人もいない。
静岡県東部は景気がいいようだ。有効求人倍率も1倍超えていると伺った。東京だけではないのだという感じがしている。経済全体でみても良くなって来たと思う。これは当たり前のことを当たり前にやったからだという感じを持っている。
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