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合同会議記念講演 平成18年3月30日(サンフロント)

「揺れる民主党と自民党総裁選」
共同通信論説副委員長 後藤 謙次氏

略歴

後藤 謙次(ごとう・けんじ)

共同通信論説副委員長兼編集委員
TBSテレビ「イブニング5」コメンテーター
1949(昭和24)年10月5日生まれ、東京都出身
73年 早稲田大学法学部卒
同年共同通信社入社、函館支局、札幌支社編集部
82年 本社政治部
首相官邸、自民党(旧田中派担当)、外務省、野党を担当
92年 自民党クラブキャップ
細川連立政権発足と同時に首相官邸クラブキャップ
96年 政治部次長
97年 編集局編集委員兼論説委員
01年12月 政治部副部長
02年6月 政治部長
04年11月〜 論説副委員長兼編集委員
05年3月〜06年5月 TBSコメンテーターとして出演中
・著書に「竹下政権576日」「日本の政治はどう動いているのか」など
・96年4月から2001年12月まで
共同通信加盟社約30紙に政治コラム
  「まつりごと表裏」(毎週1回)を連載
  ・週刊東洋経済連載コラム「FOCUS政治」
  レギュラー執筆(02年1月まで)
  ・評論に「液状化する総主流派体制」(雑誌諸君)
  「政官業の研究」(雑誌世界)
「連立10年の政治報道」(新聞研究)など

 政治ジャーナリストとして第一線で活躍する後藤氏は、最近注目される二階俊博経済産業大臣を軸にした最近の政治動向から自民党総裁選の行方、メール問題に揺れる民主党の状況と、今の動向を詳しく語り、聴衆をひきつけた。昨年の選挙による小泉自民圧勝の結果は、これまでの老壮青のバランスを大きく変え、永田メール問題で沈没寸前の民主党はなすすべもなく、依然として小泉首相は強力な政権を維持している現状を分りやすく語った。後藤氏は講演で「民主党は人心一新する時期が、そろそろ来ているんじゃないかと思います。それをやらないとちょっと立ち直れない」と指摘していたが、この講演後、事態は急転し、後藤氏の言うとおり、前原辞任、そして代表選における小沢一郎新代表の選出と進んだ、この人心一新の効果はめざましく、政界模様は講演時点から一変している。


本流の政治家の流れにピリオド

 新幹線で来る途中に、ニュースが入ってきました。例の日歯連事件で村岡兼造元官房長官に無罪判決が出たということで、今、永田町にある種の衝撃が走っているのかなと思います。多分、裁判は滝川俊行・元会計責任者という平成研の事務局長の証言の信用性の問題に集中していたかと思いますが、村岡さんが関与していないと無罪を主張して、それが認められたということで、ひとまずこの事件については一定の結論が出たということですが、政治的にはすでに小泉総理の立場に立てば終ってしまっている。
 つまりこの裁判過程、滝川俊行と言う人の逮捕から平成研という派閥事務所への強制捜査も含めて裁判を通じて旧橋本派、現津島派は解体の過程に入っている。その途中で小泉さん反対の論陣を張っていた野中広務さんは2003年の衆院選挙を期に政界を引退し、さらに昨年9月11日の衆院選挙の際には橋本龍太郎さんも政界を引退するということで、事実上、田中、竹下、小渕、橋本と連綿と続いてきた木曜クラブ系列の、いわゆる保守本流の政治家の流れが昨年9月11日の選挙をもってピリオドが打たれたということです。往年の、全盛を誇った旧木曜クラブ、旧経世会の流れは途絶えてしまった。そのきっかけとなったのが、この日歯連事件ではないかなと私は考えています。


田中角栄の流れを継ぐ二階俊博

 では、今誰がこの旧橋本派、あるいは田中角栄の流れを継いでいるかというと、私の見るところ、こちらにも縁のある議員ですが、二階俊博さんであります。かつてこちらの地元の遠藤三郎さんの秘書から和歌山県議に駒を進め、さらに国会議員になった人です。今は経済産業大臣です。私も20年ぐらい付き合わせていただいていますが、その政治手法、あるいは行動力で二階さんの右に出る政治家は今、いないのではないかと考えております。
 二階さんは83年のいわゆる「田中判決選挙」で初当選しています。田中角栄元総理にロッキード事件で実刑判決が出た直後の選挙で、田中判決選挙と言われているんですが、ここで初当選を果たすわけです。自民党全体は非常に後退する中で、木曜クラブ、田中派だけが伸びる。「一将功成りて万骨枯る」と言われました。
 最終的には中曽根さんが当時の田中六助幹事長を使って新自由クラブ河野洋平さんとの連立に向かうというのが、この選挙だったんですが、ここで二階さんが初当選しました。当選同期に今の防衛庁長官の額賀福志郎さんらがいます。
 田中直紀さんが当選した時に田中角栄さんが政治の指南役として「お前は直紀を育ててくれ」と、言って指名したのが二階さんです。二階さんは田中派、木曜クラブに入ります。その直後に竹下登さんの創政会ができるわけですが、創政会には田中角栄さんと関係が強いということで参加をせず、やや竹下さんと距離感があったんです。ただその竹下さんの兄貴分である金丸信さんには非常に重用され頭角を現し、リクルート事件などのスキャンダルで自民党が窮地に陥った93年に小沢一郎さんらと組んで新生党を結成する。新生党は後に新進党になり、さらに新進党を小沢さんが解体して自由党になる。この自由党の選対委員長として辣腕を振るったのが二階俊博さんです。


二階さんの存在に注目した竹下登氏

 この二階さんの存在に注目したのは竹下登氏です。そして98年ですが、橋本内閣が参議院選挙で大敗して小渕政権が誕生します。この時に参議院では自民党は大きく過半数割れをする。当時、今と同じことが起きていますが、防衛施設庁の資材調達疑惑事件がありました。ここで今と同じ額賀防衛庁長官が参議院で問責決議案を可決されてしまうんです。そしてもうこれ以上問責が出ると政権が立ち行かない、ここは連立政権を組まねばならないということで、自自連立政権というものが誕生します。これが99年1月でした。自自連立は、その年の10月5日に自自公連立政権に形を変えて、ここで改造が行われるわけですが、この時に竹下登氏が小渕恵三総理大臣に「二階俊博を使え」と密命を出しました。この改造内閣で二階さんは運輸大臣兼北海道開発庁長官に就任するわけです。
 そして運命の3月31日が来るわけです。この日は北海道の有珠山が大爆発しました。二階さんは北海道開発庁長官ですから飛行機で北海道に向かい、その日の夜、首相官邸で小渕さんに有珠山の被害の状況を報告する。その小渕、二階会談の席で、小渕さんが「実はあしたの夜、君のところの小沢一郎党首と会談する。この席をもって自自連立は多分解消すると思う。しかしあなたは北海道開発庁長官で有珠山の復興に尽力してもらいたい。そのためには閣僚として残ってもらいたい」と、二階さんは小渕さんに懇願されます。翌4月1日の小沢一郎さんとのトップ会談の夜、首相公邸に戻った小渕さんは脳梗塞で倒れて、そのまま意識を取りもどすことなく5月14日に他界してしまいます。こうした激しい政治の流れの中で二階さんは閣僚に残る決断をし、保守党の結成という新しい道を歩み始めます。この保守党と行動を共にしたのが野田毅さん、扇 千景さんです。扇さんはあの時点で移っていなければ、今、参議院の議長席に座っているということはなかったでしょう。
 さらに二階さんは、その後、これは静岡とも関係があるんですが、熊谷弘さんと保守新党を結成して、2003年の衆議院選挙に臨む。しかし、ここで大きく後退という事態を受けて小泉さんに「自民党にもう一度戻ったらどうだ」といわれ、復党を果たすわけです。
 その前の人脈としては自公保政権の間に山崎拓、冬柴鉄三という自民、公明の幹事長と深い関係を築き上げ、その縁がもとで多分自民党に来たことになるんですが、その後、二階さんを取り巻く環境が、自民党に入れば当然変わるわけです。
 小泉さんは盟友の山崎拓さんが2003年の選挙で落選をするという事態に遭遇します。この時に福岡2区で山崎さんを破った古賀潤一郎さんのいわゆる学歴詐称問題が起きます。一昨年9月の自民党の党役員改選で小泉さんは戻ったばかりの二階さんに総選挙の全ての差配を任せる自民党総務局長に就任させます。そして二階さんは小泉さんの意向に沿うような形で昨年4月の福岡2区補欠選挙で山崎拓さんを復活させます。
 この腕力を見た小泉さんは昨年の通常国会で設置した郵政民営化法案の衆議院の特別委員長に起用する。そして見事に、その後の解散、総選挙に至る中で、例の刺客騒動の一役も買うということで、今日に至ります。


永田町一の人物交差点

 二階さんの特徴は、そういう小泉、山崎拓などという旧経政会とはやや距離を置く人たちとは別に野中広務、あるいは古賀誠といった、小泉さんがこれまで敵視していた人たちとも非常に強いパイプを繋いでいることです。これが今日の例えば東シナ海のガス田の開発問題でも、それまでの中川昭一経産相時代はいつも中国側と角を突き合わせていました。それが二階さんに代わってからは中国側も話し合いのテーブルについてきた。まだまだ溝は大きいですがパイプは太くなりつつあります。今年の3月にも二階さんは中国に行きました。同じ時期に中川秀直自民党政調会長が訪中していましたが、中川政調会長が会ったのは唐家王族国務委員という前外務大臣です。ところが二階さんは温家宝首相と会談しました。中国にも太いパイプを持ち、恐らく、現状では永田町一の人物交差点は二階俊博その人ではないかと考えております。
 この後の自民党の総裁選の動きの中でも、私は二階さんの動き方、二階さんの嗅覚というものをかなり注意深く見ていく必要があると思います。つまりこれだけ激しい抗争、あるいは合従連衡が行われる永田町の中で、男一匹生き抜いてくるにはそれなりの嗅覚、辣腕ぶり、才覚がなければ、今日までに至らなかったわけですから、二階さんの動きを見ることによって逆に総裁選の行方も見えてくるんじゃないかと、そんな感じを持っております。是非皆さんも注目していただきたいと思います。


戌年は政権の主役が変わる年

 新聞紙上では自民党総裁選一色になってきていますが、どうも永田町の現実を見るとあまり面白そうな総裁選ではないなと思います。武部自民党幹事長が国民参加型の総裁選としきりに言っていますが、要するに盛り上がらない総裁選をどう盛り上げるかというのが、多分、武部さんの描いている総裁選かなあと思っています。
 総裁選の見方ですが、一つは主役たる候補者の顔ぶれから見る見方と、もう一つはその候補者を担ぐみこし作りに参加している人から見ようと言う見方。それともう一つは政策的に次の政権はどういうことが必要なのか。この3つの要素が絡み合った総裁選ということですが、どうも出演者の数も増えないし、パッとしないというのが、私の率直な印象です。
 これは政界に伝わるジンクスといいますか、戌年は政権の主役が変わる年だといわれます。ちなみに12年前の戌年、94年のちょうど今頃です。細川護熙さんが総理を辞めるか辞めないか。佐川急便からの1億円借金問題というのがありました。結局、4月初旬に細川さんが退陣を決断する。小沢一郎さんたちがその前の年の93年8月につくった7党1会派による非自民政権というものが、ここで一度終って、この後に羽田孜さんという政権が出来ます。
 この時に熊谷弘さんが官房長官になりましたが、わずか65日でこの政権は終ります。そして6月30日に村山富市さん、われわれは"眉毛怪人"と呼んでいましたが、村山富市社会党委員長を首班とする自社さ連立政権ができました。つまり今から12年前の戌年には首相が3人も出てきたということです。


「麻垣康三」

 それからちょうど12年経った今年、戌年がめぐってきたということです。ところが、自民党総裁選候補の「麻垣康三」という名前を聞いただけでもあまり重みを感じない。その前は「三角大福中」「安竹宮」といわれました。「安竹宮」について、田村元・元衆議院議長は「大体、安倍ちゃん、竹ちゃんなんて言われるようにちゃん付けで呼ばれるような政治家は総裁の器ではない」と当時よくおっしゃっていました。そして田村さんは中曽根さんの後に二階堂政権を作ろうと二階堂擁立劇を昭和59年にやるんですが、田村さんは「三角大福中」はさん付けなんです。その前の佐藤、池田になると呼び捨てのゴツゴツの男の争いになるんです。
 こういうのを見ますと「麻垣康三」というのは何となく空気が抜けたような感じです。これも、いわばマスコミ先行で候補者が絞られたこともあるわけです。ところが「乃公出でずんば」というような気概のある政治家が1人もいないために「麻垣康三」が定着していってしまったというのが、この1年ぐらいの動きです。しかも小泉さんが昨年10月30日に内閣を改造して、この時に福田康夫さんだけを入れずに、あとの3人については次のポスト小泉を狙う総裁候補だということで小泉さんが入閣をさせる決断をしたわけです。


麻生太郎さん

 麻生さんは外相ポストで総理大臣に飛躍せよというのが小泉さんの1つのメッセージだったはずですが、麻生さんは外務大臣に就任した途端、外交をめぐって失言を連発してしまう。外務大臣になったが故に逆に総裁の座が遠くなっているのが現実ではないかなと思います。さらに竹下流に言えば小泉さんに「尽くして尽くして尽くし抜いて政権の座に就く」という戦略もあまりうまく作動していない。麻生さんの前には厳しい現実が横たわっています。麻生さんの所属する河野派は国会議員が11人なんです。ご承知のように自民党総裁選の出馬の要件は20人の推薦がいります。自分の派閥と同じ人数の国会議員の支援を受けなければならないというのが麻生さんの置かれている状況です。この人数を果たして集められるかどうか。つまり本選に出る前のまず予選を勝ち抜くという非常に厳しい試練を乗り越えなければなりません。麻生さんは小泉さんにとにかくサポートしてもらわなければならない。


谷垣禎一さん

 もう1人谷垣禎一さん、この方も財務大臣2期目です。しかも去年の選挙を経て財務大臣になったということでポジショニングとしては非常にいいわけですが、新聞、あるいはテレビを見てお分かりだと思いますが、党内的な支持の厚みが増さない。国民的な支持も広がりも起きてこない。ここまで重要ポストを長くやっていて広がりが出ないということは政治家として、あるいはリーダーとしての資質の問題を問われざるを得ないということです。
 2000年11月に「加藤の乱」がありましたね。壇上で加藤さんが森内閣不信任案のための本会議に出るか出ないかとホテルでやっていました。そこで加藤さんに「あんたが大将だから」といって大泣きをしていたのが、この谷垣さんです。
 これが総裁選の渦中になるとテレビの映像は、多分、繰り返すわけですね。確かに去年の衆院選挙の自民党のマニフェスト(政権公約)の中で2007年の通常国会で消費税率アップを盛り込んだ税制改正法案を国会に提出すべきだとの意向を谷垣さんは一貫して唱えているわけです。そこを去年の暮れの予算編成の段階でガンガン言えばよかったんですが、あの時は小泉さんに「ちょっと調子が外れている」と言われた途端にトーンダウンしてしまう。ところがここに来てまたピッチを上げてかなり消費税率を上げると言っている。しかし、客観情勢を見ると小泉さんは「議論はしてもいいが、自分の政権の時には税率を上げないんだ」と繰り返し言っているわけです。2007年の通常国会に法案が提出できるという状況は、全くないわけです。このため谷垣発言が明らかに総裁選向けであるのではいうことが透けて見えてしまうんです。「強気の正論」を言っているように見えても、現実の流れからは大きく懸け離れた印象を与え、ここに来て永田町内の評判が下がっているというのが谷垣さんの現状です。


とどの詰まりは安部か福田か

 そして、とどの詰まりは安倍か福田かという選択肢になるのかというのが、非常に単純化した見方ですが、これがほぼ間違いない永田町の現実ではないか。
 安倍さんはもう恐らく後に引くことは出来ないでしょう。私のみるところ、安倍さんはなろうと思えば比較的簡単に内閣総理大臣になれると思います。むしろ難しいのは出馬を取りやめることと当選をして総理大臣になった後をどうするかというのが、安倍さんの大きな課題ではないかと思います。
 こういう中で同じ森派の福田康夫さんに東アジア外交の立て直しという大義名分のもとにスポットが当たってきている。ただ一番肝心なことは安倍さんがどうしても出るといったときに本当に福田さんは出るのかというところで、いまだに結論が出てないんです。これは青木幹雄さんとこの前食事した折にも、われわれは福田さんでチェンジオブペースだと。流れを若干変えた方がいいと。外交もそうだし、あるいは小泉内閣で地方も疲弊をしていると。一回一息つかせてくれよという空気が国民全体に横溢しているんだから福田さんがいいと自分は思う。安倍さんは経験が足らないからもう1回ぞうきん掛けをした方がいいというのが青木幹夫さんの持論ですが、その青木さんでさえ、最後は「俺、やめたよと、言うかもしれないんだよな。福田さんは」と。
 この福田さんの心の中というものは非常に読みにくいし、今は非常にやる気になっているように見えているんですが、本当に最後の最後、安倍さんと刺し違えてもやる気概があるかとなると、これはまたわれわれにも分らない。これが現状であります。


小泉さんは必ず勝負しろと

 そして一昨日、森さんがモスクワで内政懇談というのをやりました。森さんの本音というのは森派候補の一本化という趣旨と理解していいと思います。安倍、福田、この両氏を自分が調整の上、一本化をする。そしてその心は長幼の序ということもある。福田、安倍でつないでいこうと。つまり話し合い調整で、福田政権を実現したいというのが森さんの考えなんです。
 小泉さんは、怯んだら駄目という事を絶えず安倍さんにいっている。神輿でいえば、喧嘩神輿でガンガンやれというのが小泉さんです。小泉さんはガチンコ勝負させても何ら損はしないんです。どっちが勝ってもいいわけですから。
 しかもそのガチンコ勝負となれば森さんの一本化調整が失敗するということを意味します。結果として森派の実権を森さんが握れなくなる。「政局の人」である小泉さんは多分、こんな計算をしているんではないかと思います。そして自分も戦い抜いて勝って来たことへの自負もあります。
 去年の選挙もそうです。私どもは7月27日にかつての政治部長経験者の会で小泉さんと食事する機会がありました。ちょうど郵政法案が衆議院で議決されて参議院で審議が始まっている。7月27日の時点で小泉さんは、いまの国会の参議院における攻防というものは小泉内閣の倒閣運動だとの認識を示しました。その上で「郵政民営化法案を否決することによって俺を葬り去ろうとしているのが亀井静香さん。それを察知して守ろうとしてくれているのが青木幹夫さんだ。この2人しか、今の政局を正しく理解していない」と力説していました。
 つまり法案だけに反対するといっても結果として小泉内閣倒閣運動に手を貸しているのだから、法案に反対した37人のうち2人は政界を引退しましたが、35人についてはいわゆる「刺客」を送った。静岡県では片山さつきさんが、非常に有名です。最近はすっかり二階さんの下で経済産業政務官として活躍しています。
 小泉さんにとっては政権は戦い取らなかったら、その後はどうしようもないよというのが口癖です。現に、森内閣の誕生劇というのは、小渕さんが倒れて青木さんに「後を頼む」と言ったか、言わないかというところがずっともやもやしたまま、そして森さんの「神の国」発言などの失言も重なって、ずっと支持率が低迷して、退陣を表明する2001年3月始めには支持率は7%まで落ちてしまったんです。私の記憶する最低の支持率というのは平成元年3月の竹下内閣の4%で、当時の小渕官房長官は「これでは消費税率と同じになってしまう」と思わずいったことがあるんですが、それに比するぐらい非常に超不人気内閣で、話し合いをやってしまうと、そういう批判がつきまとうから小泉さんは必ず勝負しろと。こういう状況です。


安部さんの流れを止めるパワーが福田応援団にあるのか

 ですから安倍さんは引かない。福田さんは分らないという状況で、ずっと動いてきたんです。流れからいくと、安倍政権誕生の流れというものは、情勢的には、とうとうと流れている。安倍さんの流れを止めるだけのパワーが、福田応援団の中にあるのかというと、これまた疑問です。
 福田応援団にどんな人がいるかというと、山崎拓さんだとか、加藤紘一さん、古賀誠さん、こういう人の姿が見えるんですが、神輿を一致協力して作っていくかとなると、なかなかそれは見えてこない。むしろ、それぞれが別々にバラバラに動いている。
 旧堀内派は新しく名前を変えて丹羽・古賀派となりました。何で2人の名前を冠しているのかというと、古賀さんに1本化で出来なかったという背景もあるかも分りませんが、いわゆる2003年の総裁選の時に、橋本派が参議院と衆議院に支持が分れたことがありました。つまり衆議院側は藤井孝男さんを応援し、参議院は小泉さんを応援した。このことによって橋本派はかろうじて大きな枠組みだけは残ったということがある。丹羽・古賀派が2つの名前を冠したという背景には、ひょっとすると割れた場合、両方に保険をかけようと。かつて信州の真田家が親子で分れたような、そんなイメージもあるのかなという気もしますが、神輿を残した場合に誰を担ぐんですかというと、手を上げる人がいないんです。
 与謝野馨さんという名前も出ているんですが、小泉さんの後の与謝野さんというのは、やはり難しいかと思います。与謝野さんは、非常に頭脳明晰、あらゆることが分っているために、テレビなんか出ても正確に言おうとしすぎるわけです。小泉さんのようにパーンと結論を先に言ってしまうと、「ああなるほど」と思うんですが、「こうなるとああなる」と云う風に解説されると、その前提を聞いているうちに見ている方も疲れてしまうというのがあり、それからプラス年齢という問題もあるんです。


流れを変える渡部垣三さんの登場

 昨年の衆院選挙後、民主党に43歳の前原誠司さんという代表が登場しました。ジョン・F・ケネディが大統領になった同じ年です。43歳の前原さんに対抗するのは若い安倍さんじゃなければ駄目だよというのが去年までずっと流れをつくってきた感じがあったんですが、突如として渡部恒三さんという73歳の国対委員長が登場して、若さより経験ではないかと、いう話が出てきて、急に69歳の福田さんにももう一回光が当たってきた。与謝野さんは、67歳ですからまだ若いじゃなかという状況もあるわけです。
 私はTBSの時事放談に渡部恒三さんを引っ張り出した張本人なんです。それまで渡部さんの自称は「旗本退屈男」でしたが、国対委員長になった途端に黄門様になっちゃって、どうなっているんだと言う感じです。先週の日曜日に野中広務さんと渡部さんとの対談が放映されましたが、この放映の収録が3月24日にありました。その収録を前に担当のプロデューサーが「国対委員長に就任されましたが、収録は大丈夫でしょうか」と渡部恒三さんに聞きに行ったら、「国対委員長は世を忍ぶ仮の姿だ」と答えが返ってきたそうです。こういう巧みな恒三節が登場して民主党は確かに和んできているわけです。
 渡部恒三さんが登場してやや還暦を過ぎた人たちも元気になってきたということはつ言えると思います。


最後まで政権を全うしようという小泉戦略

 小泉さんは4回選挙をしています。衆議院2回、参議院2回。中曽根さんも4回なんですが、1回は昭和61年の同日選挙ですから、選挙の回数で云うと中曽根さんは3回。小泉さんは4回の選挙をやっています。この過程でいわゆる小泉純一郎の「純」に「純化」する、つまり小泉カラーに自民党を染め上げました。とりわけ昨年の衆院選で83人の新人を当選させました。自民党296人のうちの83人ですから3分の1強の巨大な勢力です。ですから安倍さんの流れというのはなかなか止まりにくい。ただ政治の世界は、永田メール事件ではありませんが、何があるか分からないのが政界です。
 そこで今後の日程をざっと見ますと、今の通常国会は1月20日に召集されて、6月18日に閉幕を迎えます。6月18日は日曜日ですから事実上6月16日が最終日ということです。当初、自民党執行部では長期延長論というものがありました。小泉さんがいわゆるレイムダックとなって弱体化しないために国会を延長した方がいいんじゃないかというのがあったんですが、もうここに来て小泉さんのレイムダック化というのはほとんどないだろうと。最後まで権力を握り続けたまま政権を全うしていく。
 小泉さんはわずらわしいことは嫌いな方ですから、早く国会を閉じて、恐らく6月18日以降は外遊三昧ということになると思うんです。7月15日はサントクペテルブルグでロシアで初めてのサミットが開かれます。そして9月10日にフィンランドのヘルシンキでアジアと欧州の首脳が一堂に会するアジア・欧州会議があります。ここが小泉政権にとって最後の外遊の舞台になる。
 この間、気が向けば例えばドイツのワールドカップに行く。そういう日程を入れて行きながら最後まで政権を全うしようというのが小泉戦略で、恐らく6月、若干の微調整があるにしても会期は終るであろうと思います。


小泉政権が終わっても小泉政治は継続される?

 では、小泉政権が終った後はどうなるのか。私は小泉政権が終っても小泉政治は継続されるんではないかという気がしています。キーマンの一人が小泉さんの秘書官の飯島勲さんです。その異能ぶりは注目に値します。就任当時は携帯電話の「2丁拳銃」だったんですが、最近は「3丁拳銃」になりまして3つの携帯電話を常時持っています。私の見るところ、胸ポケットに入っている3台目がどうも一番重要らしくて、これは必ず出るんです。
 この飯島秘書官らが何を考えているかですが、1つ目は小泉政権中に来年7月の参議院選挙の候補者を全員決めると。つまり来年から参議院は6年ありますから、今から数えると7年先まで参議院の半分は小泉カラーに染まった議員が登場する。
 2つ目は6月下旬に骨太の方針というものが出る。つまり来年の経済・財政の基本理念を決めていこうと。これに少なくとも来年度予算は大幅に制約を受ける。場合によっては今、国会に出ている行政改革推進法案、公務員の削減問題をやっていますが、国家公務員5%純減を5年間で達成しようというこの法案などは、すでに5年先まで小泉政権だよということをいっているわけですから、この辺もやはり注目していただきたいと思います。
 それからもう一点注目したいのは霞が関の人事です。この通常国が終って、これまで積りに積もっていた霞ヶ関の人事が大きく変わると思います。この霞ヶ関の人事に小泉政権は最後に深く関与するのではないかと思われます。
 最近の人事でも新たな動きがありました。政府は内閣情報官というポストに三谷秀史外事情報部長(元千葉県警本部長)を抜擢しました。森内閣の時の森首相の秘書官が3階級特進しました。かつての内閣情報調査室長と同じレベルですが、警察庁長官経験者かあるいは長官同等ぐらいの人のポストと言われていました。森内閣の官房副長官をやった安倍さんと非常に親しく、安倍さんの意向が強く働いた起用といわれています。
 こういう人を抜擢しながら次の官僚にも影響を与える。ですからこれから指名して行く次官の名前は、小泉さんの名前で決まっていくとみて間違いないと思います。私はこうした動きを「羽交い絞め3本柱」といっているんですが、これも是非知っておいていただきたい。
 そういうことをやりながら、着々と小泉さんは自分の政権を乗り切っている。一度は小泉さんの手からこぼれかかった政権の求心力というのは、今再び民主党の敵失によって小泉さんの手許に手繰り寄せられているのが現状ではないかなと思います。


経験不足が露呈した民主党の前原氏

 一方の民主党は前原誠司43歳が登場したんですが、やはり経験不足が露呈したのかなあと思います。この前原さんがやはり小泉さんの手法にならってトップダウンでぐいぐい自分の主張を掲げて党をまとめて行こうとした。具体的には憲法改正問題、あるいは集団的自衛権の容認の問題、あるいは中国脅威論の展開。これらをぐいぐいやって行って、ついて来ざるを得ないという手法で行こうとしたんですが、やはりそれまでの経験、人脈、その他がなかったために窮地に追い込まれました。
 永田氏のメール問題で2月の衆院予算員会で追及を受けた時、小泉さんが首相官邸で「あれはガセネタだ」と断定しました。その時点で前原さんは「これはおかしい」と思わなければいけなかった。官邸の情報力が圧倒的に勝っていたということだと思いますが、逆に前原さんの方で質問を精査するという面であまりにもお粗末だった。
 今度のメール問題で民主党は2つの責任がある。1つは永田さんが質問をしたといういわゆる質問者の責任、それからこの事態をどう収拾するかという収拾責任です。今はむしろ収拾責任の方がはるかに大きい。


民主党は人心一新する時期

 渡部恒三さん。竹下さんなんかよく「お喋り恒三」と言っていましたが、最近われわれは"小道具恒三"と呼んでいるんです。やたら毎日小道具を登場させる。一時、民主党はどん底じゃないかと云う空気があったんですが、確かにこれで空気が和んだりしている。しかし恒三さんの次の一手が全然決まってこない。例えば、サムライなら名を惜しめと、暗に永田さんに議員辞職を求めたけれど、じゃあ具体的にはどうやるのかと。永田さんがやめれば、それで民主党に対する追及は終るのか。先があまり見えてこない。
 実質的に、これまでピラミッド型の民主党が渡部恒三さんが登場したために、前原さんの存在が急速にしぼんで、お皿を伏せたようなのっぺりした、高さのない政党になってしまった。指揮系統も全く見えない。
 その辺も含めて、やはり私は民主党は人心一新する時期が、そろそろ来ているんじゃないかと。それをやらないと民主党は、ちょっと立ち直れない。
 このままでは民主党の代表選も今年9月、自民党と同じ時期に行われるということで、将来の日本の与野党代表の顔がそろうんじゃないかと期待感があるんですが、民主党の自滅というのは、日本政治全体の沈没を招いている。非常に大きい政治的な問題で、なるべく早く体制を一新した方が、政治の再生につながると、私は考えております。


不幸なサイクルに埋まる日本か

 それから今年は、公明党の首脳人事が取り沙汰されています。神崎・冬柴体制が登場して8年です。神崎武法代表は「疲れた」といっているので、代わるんではないかという憶測が出ているんですが、こちらも太田昭宏幹事長代行にするのか、あるいは北側一雄国土交通大臣にするのか、あるいは浜四津敏子さんがもう回登場するのか。いろいろな意見が出て、いまだに収斂せずです。ただ公明党の中の話を聞きますと、9月の自民党総裁選と民主党の代表選を見た上で、こちらの顔を決めていこうということでしょう 。来年は参議院選挙も控えていますので「イカンザキ」で、もう一回行くかという声もあったりして、この辺もやや不透明なところがありますが、いずれにしても自民、民主、公明という上から3つの政党も、少なくとも1番目は確実に変わる。2番目も変わる可能性が極めて高いと。3番目は五分五分ぐらいの可能性で変わるかもしれないということで、日本の政治の顔が大きく変わるのではないかというのが、私の認識です。
 衆議院選挙は、86年の選挙で300議席を自民党が取った時に、次に行われた選挙は90年の2月です。つまり丸4年選挙はなかったんですね。その流れで見ますと、296議席取った小泉自民の選挙というのは、去年から数えて4年後、2009年の選挙ということになるということです。来年は統一地方選挙も行われます。東京都の石原さんは早々と東京オリンピックの招致というものをぶち上げて、招致運動というたいまつを掲げて、また3百万票の夢よもう一度という流れになってきました。統一地方選挙もあまり大きな波乱のないまま推移していくのかなと。余りにも去年の郵政解散の「小泉劇場」の嵐が大きすぎた。そういう中で小泉さんに意見する人も誰もいないままに、外交も含めた国際的な地盤が相対的にずるずる後退している。そういう不幸なサイクルの中に日本の政治が埋まってしまったなあと残念に思います。
 そして小泉さんは2003年に野中、中曽根、宮沢、あるいは去年の選挙で政界のドンたちを追い込み、いわゆる老壮青のバランスを取りながら日本全体が進んで行くというバランスも大きく変えてしまう結果を招いたという意味で小泉さんの功罪も注意してみなければいけない。これから総裁選でもう少し気骨のある政治家が是非出てきてほしいという気がします。
 ご清聴ありがとうございました。



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