サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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基調講演 平成18年7月4日(ホテル伊豆急)
「活力ある伊豆をめざして」
(静岡新聞社常務取締役) 原田 誠治氏

略歴

静岡新聞社常務取締役 原田 誠治氏

原田 誠治(はらだ・せいじ)

昭和15年生まれ。焼津市出身。1965年早稲田大学卒業と同時に静岡新聞社に入り、政治記者となる。支局勤務を経た後、東京・共同通信に出向し国会記者となる。この間に金脈疑惑、ロッキード事件による田中内閣の崩壊、続く三木内閣の誕生など一連の政変取材にあたった。その後、静岡新聞社に戻り、政治部長、報道センター所長、編集局次長、取締役編集局長などを経て、現在、常務取締役。政治、国際問題が専門。中国の天安門事件、連邦崩壊下のソ連、民主改革下のカンボジア、ベトナム、軍政下の中南米各国など海外取材をしている。SBSテレビ『土曜メッセ』で国際問題の解説を担当した。

 きょうは静岡県市町村合併推進審議会の委員の立場で伊豆をどう考えているのか、なぜ今合併を考えなければならないのかを、僕なりにお話させていただきたいと思います。
 僕は自分のふるさと静岡の将来をどう考えていったらいいのか、そんな思いで40年余り新聞記者を続けてきています。本音をぶつけ合って一歩でも二歩でも県民の幸せにつながって行けばという思いで今日もお話をさせていただこうと思っています。


伊豆は1つか

 きょう、実はこちらに来る伊豆急にほとんど貸しきり状態で乗ってきました。もったいないな、本当に伊豆の振興というのは切実な願いだなという思いがしてきました。
 伊豆の将来を考えるとき、伊豆は1つということがよく言われます。そのキャッチフレーズが強く叫ばれるという事はなかなか1つになれないということの裏返しだと思います。伊豆は1つというキャッチフレーズにのっとっていろいろなイベントが行われてきています。いくつか直接参加させてもらったものもありますが、伊豆縦貫道の建設であるとか、車の伊豆ナンバーの創設、ペリー来航に絡んださまざまなイベント、天城高原の全国植樹祭、あるいは伊豆の温泉祭りと、お金とエネルギーが投入されている。しかしその割に思い通りになかなか行かない。
 伊豆温泉博を思い出しても、21世紀を見つめた新しい観光の方向性を見つけ出したい、あるいは人と人の交流を実現する、住民主体の地域づくりを始める契機にしたいということをうたって、目標を掲げました。伊豆を1つにしたいと、伊豆の全22市町村が参加した試みでしたが、果たして結果はどうだったんだろうか。、あれだけのエネルギーを使ったにもかかわらず、本当に一歩でも二歩でも前進したんだろうか。率直に言ってそんな思いがします。何度も伊豆は1つというお題目を並べて人とお金を投じながらなかなか前進しない。これはなぜだろうか。何が原因だろうか。そういうことを考えます。


住民のエネルギー、志を食い散らかしている

 率直に言って僕は今の政治や行政など、公という世界は、一般市民の志、あるいはエネルギーを食べ散らかしているんじゃないか。そう思います。いろいろな意見を市民から募ります。しかし現実にそれを吟味して活かすというところまでつながっていかない。今の公の仕事の足りないところはそこではないかと思う。
 民俗学者の中根千枝さんは農耕民族である日本人は力を合わせて農耕を行い、それでこそ自分が生きることを約束された民族なんだということを言っています。しかし本当だろうか。もしこの中根千枝さんの言っていることが正しいとすれば、もっと地域社会というのはまとまりのある1つの方向に向けていくことが出来るんじゃないかと思う。しかしそれが出来ない。だから僕は、この中根さんの教えにも疑問を抱いています。もしかするとヨーロッパの狩猟民族よりもずっとわれわれ大和民族というのは勝手気ままな民族ではないか。そんなふうにも思います。


地域の将来、未来に対して責任を

 先日、県が公表した高齢化率の県内上位10位までに伊豆南部の1市5町が全て入っています。3人に1人が高齢者という時代がこの地域にやってきている。ものすごい速さで高齢化の波が押し寄せているということだと思います。
 町や市の予算を見れば歳入のトップが国からの補助金で、自主財源はほとんどない。そういう中で果たして将来、地域を維持できるのかどうか。予算は社会保障や継続事業、あるいは職員の給与といった義務的経費で消えてしまい、ほとんど投資的経費に回すお金がない。そういう中で今、地域は運営されているのが実態だと思います。社会資本の整備というものをきちんとやっていけない。それでいいのかということを考えます。
 ここまで来ると、いろいろなことを言ってもしょうがない。伊豆は1つになる。そういうことしかないだろう。もうあれこれ議論するまでもないことだと思います。
 そういう時代になっても、わが町はまだ独自にやっていけるんだと言っている首長さんたちがいっぱいいます。本当にそうでしょうか。予算を解読すれば明らかに、あと5年もつか、6年もつか、そういう時代に来ていることは明らかだと思います。
 首長さんも議員さんも未来永劫に生き長らえるわけではありません。当然、今の社会に責任を持たなければなりません。しかしそれ以上に責任を持たなければならないのは将来、未来に対してだと思います。これをよく考えることが必要じゃあないかなと思います。
 特に首長さんは選挙によって市民の負託を受けたわけですから、政策の決定責任がある。しかもそれは市民、有権者の幸せのための選択でなければならない。自分のための選択ではない。そういうことをきちんと弁えてもらわないと市民の最大幸福というものは期待できないんじゃないか。そんな感じがします。
 残念ながらわれわれは人間ですから、時々忘れる。合併がなぜ必要かということを忘れる。あるいは意識して否定しようとする。首長さんや議員、あるいは市民までが突然身勝手なことを言い出して、まとまりかけた合併を崩してしまう。


避けて通れない合併問題

 合併を避けて通れないということは、お話したとおり、借金財政、あるいは少子高齢化で高額行政需要の時代が目の前にやってきているわけです。今、国だけでも借金は827兆円。恐らく地方を合わせると1000兆円を超すだろうと。そういう借金を抱えた中で果たしてどうやってこの国を維持していくのか。
 夫婦に子ども2人の平均的な世帯が1世帯当たり4000万円も借金を背負わされている。一生懸命働いて納めた税金が本当に生かされていない。借金になって返ってくる。こんな馬鹿なことが許されるわけがないんです。孫子に付けが回る。
 日本は世界一の長生きの国になった。そして高齢化率も世界一になってしまった。女性は子育てが楽しくない。だから子どもを生まない。児童手当や不妊手術の治療費を支援する政策が急ごしらえで打ち出されている。それで子どもを生む人も増えてくるだろうと政治家も役人も考えている。そんなことで簡単に少子化は改善しません。子育ても進学も、そして就職にも、こんなに不安ばっかりの世相の中で女性が子どもを産むわけがないじゃないですか。
 最近、腹が立っているのが介護保険制度です。自分の老後は自分で考えろと。そういう政策ですよ。僕も今、95歳の母親が介護保険制度のお世話になっています。老々介護でかみさんが倒れる体験もしましたが、介護保険はありがたいなと思います。しかしちょっと違う思いもある。介護保険制度というのは税金の二重取りだと思います。国は税金で福祉政策として公的介護をやれなくなってしまった。じゃあ、昭和34、5年、われわれの若かりしころに、本県選出の神田博さんが厚生大臣の時に「福祉元年」を提唱し、必ず将来豊かな老後を皆さんに約束できると、そういう社会をめざしていました。真面目に税金を払っていけば、必ず将来は豊かな老後が約束されると思ってきました。それがどうですか。高度成長の終えんを境にだんだん福祉財政は枯渇してきた。とうとう高齢化率が4分の1くらいになりそうだという時代になり、国はギブアップし、国民の皆さん、皆さんのお金と相互扶助の精神で公的介護をやってくださいと言いだした。
 そんなバカな話はない。しかもその介護保険だって、市町村の財政力によって保険料が違う。介護サービスの中身にも格差がある。敗戦から日本をここまで復興させ、ひたすら休むことなく働いてきた老人たちの余生を差別化するような制度になっている。繁栄を導いてくれた恩人に感謝するという意味の社会保障制度であってほしいなと思います。


国から見捨てられたら地方は自ら道を探るしかない

 平成の大合併は窮乏の時代を生き残るためです。歴代の政権は国家財政を粉飾決算してごまかしてきた。それを正直に話した方がいい。国民に白状した方がいいぞと。そして国民に求めるところをきちんとした方がいいじゃないかと。2001年6月に、小泉さんは竹中平蔵さんに「骨太の方針」第1号を作らせた。皆さん、覚えていますか。われわれメディアもその扱いが非常に粗略だった。
 地方自治といいつつローカルな公共事業まで国が口を出し、仕組みや基準を決めて補助金や地方交付税で全国一律の行政を続けて来た。その結果全国で同じような町並みが出来て、地方は個性を失い、やる気さえなくしてしまった。歳出の抑制が働きにくいシステムだから国も地方も財政赤字に苦しむ結果になった。何とかしないといけない。だからもう国に依存せず、自ら立っていく地方になってほしい。そのために市町村合併マニュアルによって市町村の再編を進めてほしいと、2001年6月の「骨太の方針」第1号にきちんと書いてある。
 今の合併の流れが進んでくる根っこはここなんです。国が地方を切り捨てる。地方支配を断念したと。これが今の合併の根っこなんです。ですからやらなくちゃならないんです。国から見捨てられたら、生き残るためには、自ら道を探るしかないじゃないですか。
 特例法による合併は、ある程度成功したかなと思います。地方を合併に追い込むために飴と鞭をこれ程駆使した例はないですね。大正とか昭和の大合併もそこまではやりませんでした。これは国も生き残りをかけているからです。どうしても地方に自らがんばってほしい。これが国の願いです。
 特に地方交付税交付金は三位一体改革の先取りで、もう5年前から減らし始めているんですね。4分の1以上、国から来るお金が減っている。苦しくなるのは当たり前じゃないですか。人口の少ない市町村に厚く配分する段階補正は一番先に外されてしまった。その中でまだこれまでと同じような財政運営をしている市町村がある。


後悔先に立たず

 僕は行政に合併の話をしてくださいといわれると夜でも飛んでいって話すということがあります。それで南伊豆町に来たことがあります。その度にどうか合併を茶の間で家族で話し合ってくださいと、いつもお願いしています。一番本音で身につまされた話をするのが家族、家庭だと思います。
 合併は政治家や市町村長や役人、役場の話だと考えている。そういう人たちが非常に多い。そうじゃない。ふるさとへの愛情、愛着を世代間でつないで行く地域の歴史の話なんですよ。そういうことが一般の市民に分かってもらえない。
 市民が全てを市長や議員や市役所に丸投げしていたのが北海道の夕張市です。とうとう倒産です。でもそれに似た自治体がいっぱいあると思います。僕の中学生時代に自分のふるさと焼津市が再建団体になったことがある。その時の市長さんが自ら辞職をして4年かかって再建団体を脱した思い出がありますが、市長さんが周囲の言うことをそのまま信用し、その声に乗せられて、借金をどんどん重ねてしまったという結果でした。夕張市も観光、観光と大騒ぎして無茶なテーマパークを作ったり、倒産した民間リゾート施設を次々に買い取って借金の山。そして市の年間予算に匹敵するようなお金を使って国際映画祭を開催した。にっちもさっちもいかなくなったら予算書に記載しなくても済む一時借入金を借りまくって、議員さんもすべてつんぼ桟敷。市の予算規模が100億の夕張市が負債600億を超えるようなことをやっているんです。国際映画都市夕張、そういう風にはやし立てるメディアに踊らされて市民もその気になっていたんです。その結果は市の倒産です。
 そうなっちゃいけないんです。市民が無関心だったことも大きな責任ですが、後悔先に立たずです。身の丈に合ったことが何事にも大切なんです。


大事なのは孫や子の時代にどういう町にしていくかだ

 合併の失敗の裏側に市民の無関心がどこにもあります。そういう無関心につけ込まれて首長さんが「わしはまだ1期目だからもっとやりたいな。だから合併には反対だ」と、合併協議を辞退しちゃうような人たちが現実にいるんです。
 人間だから好き嫌いもあります。しかし一番考えなくちゃならないのは、孫や子の時代にどういう町にしていくかです。
 そういう人を選んでしまった市民、町民が悪いんです。あきらめるしかないんです。他に方法はありません。自分たちの意を体する人を選ぶ次の選挙までじっと耐えるしかない。


税金をモノサシに住む都市を選ぶ欧米

 どこの合併協議でも合併すると公共料金が高くなるから嫌だ。そういう声があります。反対勢力がそこに便乗して合併構想をつぶす。あるいは住民投票に追い込む。こういうことをやっています。誰だって税金や公共料金が安い方がいい。しかし程度問題です。安かろう悪かろうでいいのか。
 象徴的な話ですが、欧米では人々が住む都市を選ぶ時に重要なことをモノサシにしています。環境とか暮らしやすさもあると思います。買い物に便利だとか、教育や文化に触れやすい場所だとか、そういうところを選ぶかもしれません。しかしもっと大切なことがあります。彼や彼女たちは税金をモノサシにして住む都市を選ぶ。どのくらいの税を徴収しているかということを1つの基準にして住む都市を選ぶ。医療や福祉、公共サービスは非常にお金がかかる。きちんとしたサービスをしている都市は、そのため税の水準もそれなりに高いというのです。
 もう1つ考えてほしいことは、今の広域行政の成熟した状態をどう考えるか。これはニワトリが先か卵が先かという話になるかもしれませんが、いまやどの町でも誰も税金を納めていない町の施設を利用できます。伊豆新聞を持ってきましたが、「9月から下田市と河津町が公共施設の相互利用を、文化や温泉7施設で協定」という記事が載っています。いまや自分が税金を納めていない町の施設をみんなが利用できる、そういう時代です。広域行政がここまで深まっているのだから市町村の境界を作っておく必要なんて何にもないじゃないですか。極端なことを言えば、残っている市町村境界線は首長さんの支配圏域の意味しかない。首長さんや議員さんを選ぶための土俵でしかない。市民の生活圏というのは、もうそんな境界を飛び越えて広がっている。それなのにどうして市町村の境界が必要なんですか。合併してそんな境界を取り去ることが一番いいんじゃないかと僕は思う。


シンポジウムを第一歩に

 生活圏と行政圏の整合という問題もありますし、この地域は今、集まらなければ駄目だろうと。そういう思いで県の審議会は、南伊豆地域の1市5町の合併の組み合わせを決めました。それがいいかどうか、地元の意向もあるでしょうが。
 合併新法の適用期間の5年以内にどうしても合併を促進させたい。そしてそのための支援プログラムを検討しています。鉄は熱いうちに打てといいますが、まだ鉄を熱くするフイゴの風も起きていません。早く火をつけて、そしてフイゴをあおってもらいたいなと思います。このきょうのシンポジウムがその第一歩になることを願っています。



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