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基調講演 平成18年10月26日(沼津キャッスルホテル)
「いま、なぜ技能か」
ユニバーサル技能五輪国際大会総合プロデューサー
残間 里江子 氏

ユニバーサル技能五輪国際大会総合プロデューサー 残間 里江子
 沼津は久しぶりです。12歳のときに富士市に父の仕事の関係で転居してきましたが、そのころ沼津はあこがれの町でした。沼津に行くという日は我が家にとって買いものに行けるというハレの日で、嬉しい街というような印象で沼津を捉えています。そこで新しい仕事ができますことを大変嬉しく思っています。
 私が最初に就職したSBS静岡放送の専務さんから自分の会社の出身だといっていただいて大変光栄だと思っています。私はSBSに2年半ほどいまして、そのあと東京に出て雑誌の編集、雑誌の記者、あるいは30歳で今も持っているささやかな制作会社を経営して、そこで山口百恵さんの「蒼い時」とか雑誌やコマーシャル、映画を作ったり、シンポジウムや勉強会、研究会を企画したり、ホテルのプロデュースや東京湾の東雲というところに2100戸の集合住宅、公共住宅ですが、そのプロデュースをしました。成果品はその時々で違いますが、今も小さな会社3つをやっていますが、軸足はあくまでフリープロデューサーだと任じております。

熱き思いがないものは誰の心にも届かない

 今回のユニバーサル技能五輪国際大会のプロデューサーについては、フリーのプロデューサーという形で全身全霊を傾けようと思ってお引き受けしました。
 願わくばですが、自分が何か手掛けることによってこの世の中に新しい価値観が、そこはかとなく、誰かの命令でもなくて、気が付いたらそんな世界になっていたという世界を裏方として作っていきたいというのがプロデューサーだろうと思っています。いってみれば新しい価値観、新しいやり方だったり、新しい考え方を人々の心のどこかに、そこはかとなく落とし込むという、これがプロデューサーの仕事だろうと思っています。
 基本的にプロデューサーというのは、時代の流れといいますか、時代を読んでいなければいけない。時代とフィットしていない企画はやはり、いくら国が推し進めるんだとか、県、市がやるんだといっても駄目だと思っています。ですから何かをやろうかと思ったときには、私が今やろうとしていることは時代の流れの中でどうだろうということを必ず検証します。
 時代の流れというのは、もう少し噛み砕いて言えば、人の動きと、ものの動きと、ことの動きと、大事なのは数の動きです。仕事は同好会ではありませんので、必ず成果が出なければいけません。目標額、予算額、あるいは人員というような数をきちんと見据えていなければいけない。これは仕事をするときの鉄則ですが、まずこの客観的な視点、時代を見るという、そこでまず仕事をするか、しないか、引き受けるか、引き受けないかを決めます。
 もう一つ、今の時代はもっと大切なものがあります。自分の思いがあるかどうかです。熱き思いがないものはプロジェクトとしては、誰の心にも届かないと思います。一人でやっていくわけではなくて、仕事、プロジェクトみたいなものは誰れかをいい形で巻き込んでいかなければいけない。いろいろな方たちの力をお借りしなければいけないので、そのときはやはり自分に熱き思いがないと、人はこちらを向いてくれません。
 幾つかのイベントをやってきましたが、いつも自分に課しているのは「人は春風で誘え」ということです。もちろんプロデューサーですから、北風の部分も心のどこかにきちんと見据えていなければいけませんが、人を誘うときにはやはり春風に乗って、「こんなに素敵なことなのよ。きっとあなたの人生にとって実り多い豊かなものを感じるわよ」というものでないと、出演する人も、関わってくれる人もクライアント、スポンサーという名前でお金を出してくれる人も、こちらを向いてくれません。その基本にあるのが自分の思いです。


出版の世界にプロデュース機能を

 そういう言い方で言いますと、私がこれまでやってきた仕事で一番分かりやすい例では「蒼い時」があります。あれは単に当時のスーパーアイドル山口百恵の本を作ったということではなくて、間違いなくある程度は売れるんだろうと思っていたので、そこで数というものを見据えたときに何かここで新しいことができないかと思ったんです。それは出版の世界にプロデュースという機能を作るという、印税制というものを導入しようと思ったんです。出版界に限りませんが、日本ではアイデア、企画、プランというものはなかなかお金が付きにくくて企画書も枚数で勝負みたいなところがあります。出版の世界も面白い企画を持って行っても、せいぜい編集者が「あれうまくいったよ。どうもありがとう」と言っておでんやで一杯とか、すごく売れたとしても謝礼で10万円というのが慣行だったんです。
 でも誰かが何かを発案して、一緒に作り上げながら、最終的な目標、つまりちゃんと売り上げるというところに着地したならば、最初に発案した人間に対してある程度の対価が払われるのは当然だろうとずっと思っていたものですから、そういうシステムを出版界の中にきちんと作ろうと。あのとき、日本の出版界で初めてプロデュースという領域に対して印税が払われるようになりました。今は時効だから申しますと、こういう構造です。集英社は12%の印税を言ってきたんです。25%の印税でどうだという会社もありましたが、「明星」という芸能誌を持っていた出版社の方が波風を立てないだろうと思って集英社を私が選んだわけです。最終的に百恵ちゃんが10%、私が1%、最後までいらないとおっしゃいましたが、百恵ちゃんをこの世に出したホリプロダクションの社長に1%という構造なのですが、この1%が大きいとか小さいという問題ではなくて、そういう存在を認めさせたんです。そういうものをちゃんと存在として知らしめて欲しいという、そういうことが私の考えるプロデューサーというものなのです。


技の世界の素晴らしさを若い人たちに伝えたい

 ですから「今なぜ技能か」というと、これは2つの用件を十分に満たしていると思ったから、心からお引き受けしました。
 まずは、時代とフィットしている。平成のバブルというのが1981年から91年ですね。そして失われた10年となり、皆元気をなくしていたんですが、これじゃあいけないといって、経済もだんだんと立ち直ってきたと。その時、振り返ってみれば、日本ってやはり背骨はものづくりにあったんじゃないのかと、いろんなところで、いろいろな人たちが考え始めている。21世紀に入って随分時間も経ちますが、ようやく日本人もきちんと自分の足元を見つめて、これからの新しい、ふらふらしていてはいけないというような、気分というものがどうもあるような気がしたんですね。
 そこにもってきて私の思いというのは、私も高校2年の息子を持っている身でもあり、若い人たちの動向について憂慮している所もあります。もう少し日本の若い人たちの人生の選択肢が広くてもいいんじゃないのかと思っていたものですから、私は技術と技能が補完し合ってこそ日本の強さだと思っているものですから、この技の世界の素晴らしさというものを若い人たちに伝えたいなと思いました。
 客観的にみると、日本人も確たるものを欲している時代で、どこかまだ失ってはいないものづくりに対するDNAをもう一度開花させて日本人の誇りを取り戻そうというような思いがあるんではないかという客観情勢と、技というものを是非若い人たちに、自分の人生の中の1本の選択肢として捉えるに十分足りるものだということを知らしめたいという思いで、今回は及ばずながらですが、お引き受けしたというようなことです。


もう一つのテーマ「2007年問題」

 この2、3年、私にはもう一つテーマがありました。今日も該当する方々が結構いらっしゃるなと思っているんですが、50代以上の方々の人口がただ今、5323万人になりました。成人人口の51.4%です。過半数を超えたんです。
 これも技の世界と関係ありますが、来年から団塊の世代のリタイアが始まるといわれます。2007年問題です。団塊の世代に代表される50代以上の人たちの動向が、どちらに歩みを向けるかによって日本国の経済も歩み方も違ってくるというふうに思っていまして、2000年から2005年までいろいろなことをやったり、考えながらきました。その一つとして栗原はるみから小泉純一郎さんまで、119人を集めて「大人から幸せになろう」という、10日間に33のセッションでシンポジウムを東京でやったわけです。
 このことは技能五輪とも大いに関係のあることですが、これから先はやはり50代以上の人たちが主役になってこの国をきちんと大人の国にしていかなければ、大人がまず自分の人生を全うしないで子どもたちにあれしろ、これをしろといっても聞くはずはないわけです。大人から先に幸せになっていかないと駄目ではという思いに駆られています。
 一方では歳をとっているということから何かどんどん発言力を失って、若い人を怒ってくれる年寄りもいなくなった。これはある種、ITの影響もあるのではないかと私は思っているのです。コンピューターをすぐに指で使いこなすようになった若い人たちに対して中高年の人たちが何かモノが言えなくなったということもあるんじゃないかと。
 だけどやはり、あくまでも人間が中心で、主体は自分だということに、もう一度今帰りついたという、これも時代の今の流れだと思うんです。その中でシニアというものを、まだまだ力もある、まだまだエネルギー、思いもある。特に団塊の世代は戦後の民主主義と男女平等の洗礼を一応受けていますから、新しい思想や新しい文化に対しても非常に敏感であると。
 60歳で定年といわれていますが、今年の春に高年齢者雇用法が改正されて65歳までは希望があれば働けるという時代にだんだんなっている。その中でこの団塊の世代を牽引役にして新しい大人のライフステージとかライフスタイルとか、モノとかコトとか場とかを作って行きたいと思って、大人たちが生き生きと輝いている時代に何とかできないかなと思い、昨年は「クリエイティブシニア」という新しい会社を立ち上げ、9月には団塊の世代の、特に男の人たちに活を入れたいと、「それでいいのか、そば打ち男」という本を出版しました。
 ようやく2007年を前に一つの動きとして、もしかしたら団塊の人たちに代表される50代以上の方たちが新しいライフスタイルを作るんじゃないかというところまで、今来ているような気がします。


若者の人生の選択肢がなさ過ぎる

 ここで私は自分の歩みに一応のコンマを打って、今度は技能というもの、若者というもの、それから体の不自由な方と雇用というものを近づけ、体の不自由な方たちが社会からも認められて、ちゃんとひとりの人間として生きていくことを目指したユニバーサル技能五輪国際大会に関わることにしました。
 技能五輪とアビリンピックの2つの大会を史上初めて同時開催する大会を静岡県が誘致しました。これまでは東京と大阪でしかやっていない。これが静岡県に来たということは、青春期を静岡県で過ごした人間として私は誇らしいことだと思っております。
 先般、静岡新聞が特集を組んでくださるということで、石川知事と対談しました。今になっていろいろな県が「何で国際大会を静岡に持っていかれてしまったんだろう。悔しい」と言っているんですが、「知事はどういう思いで誘致したのですか」と聞いたら、やはり知事も80年代から人々の心がざわざわとものづくりとは逆の方向に行っていると思って心が痛んだと。
 技能と技術について、アメリカでは長い間自分の経験で身につけた特定の人に身に付くものを技能というふうにいっている。その人だからその技があるというのが技能だと。これは素晴らしいと思っているんですが、これに対し技術というのは具体的なものづくりとか、プロセスとか、システム構築に、学問や知識を応用する専門家のことをいうわけで、通常成果をきちんと出さなければいけないというマネージメントが絡んでくる。
 日本では何となく技術者の方が上位概念で、技能者の方が現場の中で技術者がいったものをただ作っているように見える。これが勢いバブルの頃は3Kのようなイメージで言われたと思うんです。
 これからは新しいイメージになっていかなければいけないのです。企業のマネージメントをするときにも自ら試作ができるぐらいの技能を持った方が本当はいいわけです。技術と技能を補完しあって。日本はアジアに工場を持っていきましたが、今もう一度国内に戻ってきているというのは、この技術と技能が両方融合された形で、高度な技の世界を日本が築いているから、もう一度チャンスが今巡ってきているんじゃないかと私は思うんです。
 閉塞感がいっぱいの若い人たち、高校で世界史の授業をしないで受験のためだけの授業をしていたということが話題になっていますが、なんでもいいから大学に入って、それから会社に入ろうみたいな風潮は子ども達のためにも良くないし、あまりにもその子たちにとって人生の選択肢がなさ過ぎると。これを何とか是正しようとしても、私ひとりの力や、あるいは皆さんと一丸となったとしても急に世の中が変わるわけがないんですが、気が付いたらあのユニバーサル技能五輪が静岡県で開催された辺りから徐々に日本の若者たちが技の素晴らしさに目覚めたよと。あるいは彼らに対する尊敬とか尊厳という想いが日本人の中に生まれたりしたよねと、10年先とか15年先に日本がそうなっていたら私は今度の仕事をお引き受けした価値があるなと思えるわけで、そんなことを夢の中に描きながら、可能性を追求して、この仕事をさせていただこうと思っているわけです。


日本人のものづくりのDNAは残っている

 文化的、情緒的に過ぎる表現なので、そこにこだわり過ぎるのがいいのか悪いのか、これは気をつけなくてはいけないとは思うんですが、私は日本の若い人たちの中に紛れもなく日本人のものづくり、技を大事にする、尊ぶというDNAがまだまだ残っているなという確信を持ってヘルシンキの国際大会から帰ってきました。
 例えば建築大工部門に畑山君という20歳の青年が出ていました。選手団というのは皆様も来年目の前でご覧になれますが、茶髪ありピアスありで、これが技の若い者かとちょっとびっくりなさるかもしれません。でも、ひとたび技と向き合うと本当に真摯な態度というか、なかなかいい味を出し、金髪も茶髪も何も皆忘れさせるぐらいの技の競演振りでした。
 国際大会は4日間、22時間という限定の時間の中でやることになっており、その種目によって疲れ具合が違うので初日何時間、2日目何時間というふうに時間配分がそれぞれ違うんです。30数カ国の若い大工さんの卵たちが混じってやっているわけですが、最初の日に行ったら畑山君の作業台だけは無数の線がひいてあるんです。他の選手の作業台の上は真っ白い紙が置いてあり、全部数式を使っている。
 でも畑山君だけが線が引いてあるんで、「何で線なの」と言ったら見えない透視線みたいなものを引き導視線とかいい、測る尺を使いながら自分でその数値をあみだすというのが宮大工の工法なんですね。
 ところが他の選手たちは全部方程式だったり、数式で出す。1ミリの誤差もない数字で出すというんです。実際のところ数式の方が作業も速くて、初日で畑山君は2時間の遅れを取ってしまいました。
 三角錐の立体のようなものを作るんですが、平面図から自分で起す。これで驚いたのは、韓国は前の大会から全て国際標準に合わせて、それまでは日本と同じやり方だったらしいんですが、数式に全部変えましたのでとても速くなっていたんですね。日本だけ違うやり方だったと。
 4日目、最終日、タイムアップ、もう終わりですよと言った時に見たら畑山君は1.5センチくらいでしょうか。釘がまだ打ち終わっていなかったんです。未完のものというのは評価の対象としては非常に不利なのですが、彼が一生懸命作っていたんです。
 彼が3日目にフィンランドの新聞の一面を飾りました。真っ白い鉢巻に真っ白いティーシャツ、真っ白いパンツ、真っ白い地下足袋です。その姿で一生懸命線を引く畑山君が新聞の一面を飾ったんですね。写真入りで。私がヘルシンキの町に行ってちょっと買い物をしていたら在留邦人の人がすごく嬉しいと。日本の若い人はフィンランドの新聞をこんなふうに飾ってくれてとても誇らしいといっていたんです。それぐらい彼の姿は素晴らしかったんですが、仕事の仕方としては遅れをとってしまったと。
 技能五輪と言うのは実は大変に審査が厳しくて厳正で、自分の国の選手の側に日本のエキスパートといわれるかつて金メダルを取った人が概ね審査員をやっているんですが、近づいてもいけない。目配せしてもいけない。話しかけてはもちろんいけないということで、緊張するシーンでしたが、終わった瞬間に外国の審査員の人は日本の彼の、多分特別なことだと思うんですが、このカンナ削りは世界一だと。まるで人の肌のように美しい。すべすべしてこんなに美しいカンナ削りは見たことがないと審査員の先生が言ったんですね。
 次の瞬間一緒にやっていた選手たちがビニールの袋に、甲子園の土を持ち帰るように、畑山君の削ったかすを貰っていったんですね。抱き合いながら。
 厚生労働省の技能五輪の女性室長と2人で見ていましたら、側に一人の初老の人が立っていて、誰だろうと聞いたら彼の棟梁でした。そこに畑山君が歩いてきて、すみませんみたいな感じで一言いったときに、棟梁が頷きながら一筋涙を流したんですね。それを見ていて自分でもこういうことってあるのかとほど、隣にいた室長と2人で、号泣はできないんですが、感激して涙を流しました。その雄姿たるや、やはり日本人の中には何か素晴らしいDNAが潜んでいるなと。まだまだ日本の若い人は捨てたものじゃないという思いに駆られました。未完でしたが彼は8位でした。
 実は彼の地下足袋が競技を始める前に問題になりました。危ないと。釘を踏むので厚底のスニーカーにしなさいとワールド・スキルズから言われましたが、日本の代表団が1時間半説得しまして、いかに日本の地下足袋が清潔で安全で、これだけ敏感にきちんと道具に関して感じているのは日本の伝統なのだと交渉して認められた末が、上から下まで真っ白い彼の姿だったんです。


なんて素敵な世界なんだろう。この技の世界

 ヘルシンキでは、レンガ積みに誰も出場者がいないということで岩手県の佐藤加奈子ちゃんという女の子が「私がやってみる」と言って手をあげたんです。ところが行ってみると、ヨーロッパってレンガの建造物がいっぱいありますので、ちょっと違うレンガだったんですね。ものすごく重くて断面にひょうたんのような形でくりぬかれている所にセメントを詰めるみたいな。で、加奈子ちゃんも初めて見るレンガ、しかも3つくらい抱えると女の子の手にはとても重い。
 屈強な他の選手たちは3つ、4つ持って動いて組み立てていましたが、加奈子ちゃんは1日目はもちろんなかなか積めない。2日目、3日目もなかなか積めない。3日目の朝は彼女の腕が赤くはれ上がっていて、泣きながら積んでいるんですね。そうするとヘルシンキの町のおじいさんとか若い人が来ては、選手に声を掛けてはいけないんですが、通路を通る人たちが「加奈子がんばれ」と言っていくんですね。
 一人そばに女の子がいたんで、「親戚」と聞いたら「親友です」と。彼女は高校のときすごく成績が良くて皆が大学に行くように勧めたのに、どうしても技の世界に行きたいといってタイル屋さんに就職したと。そして今回レンガ積みに挑戦するというので、日本で友達にカンパしてもらってはるかフィンランドまで来たんだと言う話をしていましたが、タイムアップで終わったときに各国の男の選手たちが加奈子ちゃんのところに駆け寄って、皆で抱き合いながら泣いているんですね。私はそばで見ていて、なんて素敵な世界なんだろうと。この技の世界。
 自分の可能性、自分の身の内から取り出した自分だけの技を持って、知らない国に来て、一生懸命知らない仲間たちと技を競っている20歳そこそこの女の子というのは、なかなかやはりいいなと思ったんですね。
 もう、これはあらゆる職種でそういうシーンが見受けられて、いろいろな感動、感激の連続なんです。恐らく来年、沼津に技能五輪の国際大会が来るときにそんな光景が見えるんじゃあないかなと思います。


私の仕事

 いずれにしてもこの技の周辺というのは、いろいろなドラマやストーリーがあって、とても楽しいものだということを私はヘルシンキの国際大会で身にしみて感じました。ところが成田空港に着いてみると、今言ったようなことは誰も知らなかった。
 ここで私はやはり、私のやるべきことがあるなと思ったわけです。つまり今申しあげましたような、若い人たちが一生懸命、技に立ち向かっている。しかしこの国ではそういう技を競技オリンピックと違ってあまり評価する向きはない。もっと言えば、尊敬というとちょっと違っちゃうんですが、英語的に言うとリスペクトというか、その人に対してそのことをすごいと尊敬するような想いは、まだまだ日本には足りないなと思ったんですね。
 そのためには、香川大会や高松のアビリンピックでどんな人たちが来年の代表になるかということを見定めながら、スターも作っていかなければいけないと思っています。ハンカチ王子は無理でも手ぬぐい王子ぐらいは探してこようというふうに言いながら香川に行ったんです。
 一人ひとり皆とても輝いているので、金メダルを取った人たちの物語とかストーリーとか、そういうものを丁寧に聞き取りながら、この人のここをスターのコアにしよう。この人のここを、魅力の根源にしようというふうに、これから作っていくのが私の仕事だろうと思っています。


技術、技能は教育システムとも大きくつながっている

 技能五輪香川大会の前の週に東京都内の新聞社の論説委員の人たちに集まっていただきまして、私たちがこんなふうにやろうとしているんだということをお話したところ、日経新聞が技能五輪のことを社説に書いてくれました。ものづくりというのは日本の時代の気分を反映していると日経もお書きになっていますが、日本の経済が低迷した1990年代、これはやはり技能五輪国際大会の成績もどんどん落ち始めていたんです。93年に4位、95年に3位、97年には8位になってしまって、昨年のヘルシンキで金メダルだけは34年ぶりに一番数が多かったんですが、実際現場に行って誰も喜んだ方はいません。というのは、銀メダルと銅メダルは圧倒的に韓国だったり、チャイニーズタイペイだったりし、ある種の層の厚さでいうとアジアの人たちにまだまだ負けているというような現状がありました。
 そこには一つ、教育の問題があると思います。ヨーロッパは特に15歳ぐらいからものづくりの世界に行く人とマネージメントをやっていくような文科系の大学に行く人と、同等の価値をもって2本の道がきちんと開かれていますが、日本は18歳になって高校を出て、大体の人が大学に行くわけで、そうすると技能五輪への出場資格が無くなってしまうんです。22歳以下の人という限りがあるものですから、22歳以下の人で若手の熟練技能者というのは、トヨタ学園で勉強した人とか、大きな企業の付属の学校で勉強した人以外、なかなか取れないというのも現状です。
 日本は25歳ぐらいまで年齢制限を上げてくれないかということをワールド・スキルズと話をしているらしいですが、25歳だとヨーロッパ辺りでは相当な熟練の域に入っているので、若い人の技能を競うということにならないということで、今のところちょっと難しそうです。それから、どんどんコンピューターが代替していますので、本当の手先を使った、私たちが普通に考える技の世界というのはどんどん少なくなっていっている現状もあります。技術、技能は、どうも労働というところだけとつながっているんではなくて、教育システムとも大きくつながっているとヘルシンキで実感してきました。
 フィンランドでは、国際大会の開会宣言は所轄の省庁のトップがあいさつに立ちましたが、文部大臣でした。美しい女性でしたが、彼女が開会宣言して、その後に首相が出てくるという状態で、日本は厚生労働省が所轄ですが、フィンランドでは、「あっ、文部省なんだ」と。やはりこれは教育の中に青少年の技術というのが入っているんだなと思いました。これもまた、国のシステム、広い意味で言うとやはり文化の違いということなんだろうなと思います。


初めての選手村で国際交流も

 先週、香川の技能五輪を見てきました。選手同士が互いに出会えるめったにない機会なのですが、会場が3会場ぐらいに分かれていたので、あれだけ会場があちこちに散らばっていますと、ちょっと寸断されている感がありました。
 沼津では、門池の一カ所に競技会場は集約され、しかも初めての選手村もできるということですから、多分いろいろな国際間の交流も見られると思うんです。
 香川大会では、さすがに来年、国際大会だというので選手はもちろんですが、企業の人たちは競争意識をむき出しにというよりは、むしろどうですかと聞くと、「うちなんか全然駄目ですよ」と言いながら、フタを開けたら1位になっていたとか本当にすごいなと思いました。
 技能五輪国際大会がその国の経済と大きな関係があると申しましたが、まさしくそうで、韓国がそうなったと同様に、例えばずっとトヨタががんばっていたりしたところに、ゴーンさんがやって来て「日産もこうだ」といったときに、やはり日産の選手も上に来たりして、その国なり、その企業なりの、トップがどちらの方向を向いて、本当に技のことをどんなふうに考えて、想いだけではなく、それをちゃんと企業のシステムの中に落とし込んでいるかということが問われるんだなということをつくづく痛感いたします。


全国各地のお友達や親戚にも知らしめて

 先ほど市長さんもおっしゃっていましたが、沼津が主会場ですから、沼津の方たちにはとにかく地元の力を是非発揮していただきたいんです。これは国際的なことであり、日本国の国のコンセプト自体に関わることでありますので、皆さんの熱意を外に、外にと出していっていただけたらと思います。
 多分、沼津というような名前を日本中に、また国際社会に知らしめるとてもいい機会だと思います。ここで沼津の皆さん、あるいは東部地区の皆さんが一丸となって、どういうような企画とか、どういうような表情で、世界から来る人たちを迎えてくださったり、あるいはそことどんなつながりを持ってボランティアで関わってくださるのか、いろいろな関わり方があると思いますが、どんなふうになるのかということをこれから問われると思います。
 私、まちづくりみたいなものも時々手伝っていると、自分たちではあまりにも当たり前すぎていいものに気がついていなかったり、昔からいいと思っているものを今の時代の価値観にも通用すると思い込んでいたりするときに、外の人が来たときに意外なことに気付かされるということが、あると思います。
 来年はとにかくたくさんの国からたくさんの方たちが、しかも技を持った人たちが、技をもった若い人たちの周辺の関係者が、この町を訪れるわけですから、是非、片言の英語ででも何でも接触をして、自分たちの町が外の鏡に映すとどんなふうに見えるかということを、めったにないチャンスだと思いますので、外と内側を照らし合わせながら新しい沼津の第一歩、あるいは東部地区の第一歩になるという思いで、是非、接していただきたいと思います。
 ホスピタリティーって、ただ温かく、おもてなしをすればいいというものでもなくて、やはり駄目なものは駄目と言いながら、あるいはこちら側の流儀に沿ってもらわないといけないものは、丁寧に説明して、この沼津の良さ、静岡の良さ、日本の良さというものを教えていただきたいなと思います。
 話が逸れますが、京都迎賓館を見に行きました。最初のお客さんはブッシュさんでした。ものすごく立派な和室があって、そこがブッシュさん夫婦の寝室だったらしいんですが、彼らに対して靴を脱いでくれと言えなくて、ずっとみんな靴で歩いたというんですね。私はそれはちょっと違うんじゃないかと思うんです。沼津には沼津の人たちが譲れないものと、心からもてなしたいというものがきっとあると思います。
 沼津といえば、私が12、3歳の頃、あの町に来週行くんだと思っただけで心躍った、沼津というところに、たくさんの人たちが来るということですから、是非、おひとり、おひとりが誰か一人ぐらいは友達を作るぐらいな気持ちになっていただきたいと思います。
 それから全国規模の展開になりますので、もちろんこの地元が熱く盛り上がって下さるのは嬉しいんですが、皆さんもご親戚とか昔の同級生とか、友達が全国津々浦々に散らばっていると思いますので、これから年賀状やクリスマスカード、来年の暑中見舞いもありますので、必ずこの町でこういうことがあるんだよと。今こういうふうに着々と準備している。技能五輪ってこういうものなのだよと、是非、知らしめて、皆さんがそういう知らしめる担当になっていただきたいと思います。
 マスメディアとマンツーマンの草の根的なコミュニケーションと両輪じゃないと、今、人って動かないんですね。ですから静岡県の沼津市で技能五輪の国際大会が開かれるということをなんかの形でメディアで知ったときに、皆さんが友達に電話を掛けて「今度、こうなんだよ」と言えば、「そういえば何かでいってた」と重なったときに人ってはじめて認知、認識するんです。もっというと、通常これだけ情報基盤が厚い時代になっていますので、見て、聞いて、書いて、それからすごく親しい人にもう一度聞いてと、4回体験しないとなかなか人は動かないといわれています。何を聞いてもすり抜けていってしまう時代は、よほどのことがないと人は動いてくれません。
 皆さんの想いが最後のスパイスになって人を動かすことだと思いますので、是非、全国各地のお友達や親戚にも、やるんだということを教えて差し上げて欲しいと思います。


ヘルシンキでは7、8回は涙を流した

 大会の見学ですが、修学旅行のコースなどにも組み入れていただけるようお願いしていくつもりです。国際大会を若い人たちが見てくれるということは本当に大きいことだと思います。そして私としては、できればとくにお母さんたちにも見て欲しい。
 皆さんも是非、学校でも見るように働きかけてください。見ると絶対に違うと思います。会場の入り口までチャラチャラして入ってきた子が、同世代よりちょっと上のお兄さんやお姉さんが必死になって競技している姿を見ると、総じて一瞬立ちすくむというか、ハッとする表情を見せるんですね。そして関心がある子はずっと食い入るように見ています。
 斜め45度で物事を見たがる傾向のある私ですら、ヘルシンキでは7、8回は涙を流しましたから、皆さんも行かれたら、いろいろなことを思うんじゃないかと思います。まして地元から広告美術の女子高生が出るということだったら、きっと彼女の健闘振りを我がことのように思うと思います。
 競技オリンピックとは違う何か面白さというか、引き込まれ方がちょっと違うんですね。例えば、冷凍技術なんかはホースや線を一生懸命につなげて、冷凍する機械を全部組み立てるわけですが、一見するとどういうものがいいのか分からなくて、きれいに線が並んでいるのがいいのかと素人は思いがちですが、そこには秘められた技があるんですね。
 今度の大会ではそれぞれの選手がやっている種目が私たちの生活とどこがつながっているかを、ちゃんと見せようと思っています。もう一つ、選手のプロフィールもヘルシンキではドイツの選手たちが何年にどこで生まれて、何歳のときにどこの工業高校を出たというようなことが書いてあり、見学の子どもたちが僕と誕生日が一緒だとか何らかの共通項で括れるような形になっていました。そういう選手のプロフィールもちゃんと丁寧に見せようと思っています。
 技の見所というのはなかなか分からないので、そこには専門のガイドさんをつけて、どこが見どころか解説できるようにしたり、あまり会場などに邪魔にならない形で映像などを使って、折角やるんですから会場に足を運んだ人が後悔しないように、来てよかったなと思ってもらえるようなしつらえを考えております。


またとない機会を生かそう

 私は総合プロデューサーに任命されていますが、催事関係では秋元康さんに、建築などでは隈研吾さんに、情報系の通信では広瀬さんという東大の先生に、グラフィックデザインは原研哉さんという日本のグラフィック界の一番の若手のトップの人たちに、まったくのノーギャラで専門プロデューサーというのを引き受けてもらっています。
 私の仲間たちですが、彼らにもこの大会のことを知って欲しかったし、隈さんや原さんの講演会というと1000人ぐらいの大学生や高校生のデザイン系の人や設計を目指している人たちが来るという全国にファンを持っている人たちなので、彼らにもいい形で関わってもらいたいと思っています。これから地元のイベントをやるときに彼らをお呼びいただければ、時間調整をなんとかしてくるようにと私も申し添えます。
 国際大会開催は、またとない機会ですので、この機会を楽しみながら生かして、この町から新しい日本の国の基軸になるようなものを発信していただけたらと思っております。




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