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基調講演 平成19年9月7日

「新・新潟市の挑戦『共に育つ』政令市を目指して」
新潟市長 篠田昭氏

略歴

新潟市長 篠田昭氏
篠田 昭(しのだ・あきら)

上智大卒。昭和47年3月、新潟日報入社。編集局報道部長代理兼編集委員、編集局学芸部長兼編集委員、論説委員兼編集委員などを歴任。論説委員では、地域振興、まちづくりを担当する。平成14年9月退社、11月の新潟市長選に立候補し、接戦の末、自民党と連合新潟の共闘候補を破り、初当選。43年ぶりの民間出身市長として注目を集め、18年11月の2期目の市長選で投票総数の70%を押さえ、圧勝した。
19年4月、本州日本海側初の政令指定都市移行とともに初代政令市長に。昭和23年生まれ。新潟市出身。



成功した最大の理由は政令指定都市をつくろうという大きな旗

 上空から新潟市を見ますと、真ん中に信濃川が流れており、北側は日本海になっております。信濃川に育まれた港町です。新潟市は、昔から対岸貿易ということで、対岸との交流を盛んにやっておりました。イルクーツク、ハバロフクス、ウラジオストク、ハルピンなどと空路が結ばれており、ソウル、上海などとも空路があります。
 新潟市は15市町村が一緒になって81万人のまちをつくりました。平成の大合併の中でも最大規模ということですが、われわれは規模だけでなくて、質の面でも最高と言ってもらえるようにがんばりたいと思っております。面積は726平方キロメートル、仙台市よりは一回り小さい政令指定都市で、浜松市の半分ぐらいの面積です。
 黒崎町と新潟市が2001年1月1日に、まず合併しました。そのころ私は新聞記者をやっておりました。そして2005年3月23日、13市町村が一緒になり、最後に2005年10月10日、原発をつくるかつくらないかで大騒ぎした巻町が加わって15市町村、81万人という市になりました。人口規模は全国15位です。
 広域合併が成功した理由は、何といっても本州日本海側にこれまでなかった政令指定都市をつくろうということが大きな旗になったことが、最大の、成功した理由だろうと思っています。政令指定都市、これが出来なければ、恐らく大合併ももっと難渋したんだろうと思います。


環日本海交流の玄関口

 新潟市は昔から高速道路などの整備が進んでいた地域です。田中角栄さんのおかげだと言う人もおりますが、われわれは本州の日本海側の最大拠点であるので首都圏と結ばれるのは、ある意味では当然だと思っています。関越道、磐越道、北陸道、日本海東北自動車道という4本の高速道路を持っており、新幹線は新潟―東京を100分で結んでいます。
 新潟港は特定重要港湾になっており、コンテナの取扱量は本州日本海側では最多です。2005年からコンテナの取扱量が全国でトップ10にようやく入りました。清水港にはまだまだ遠く及びませんが、本州日本海側では最大の拠点港ということです。国際空港があり、国際線7路線があります。また、環日本海交流の玄関口ということで、ロシア総領事館、韓国総領事館の2つの総領事館があるという状況になっております。


日本一の農業都市ができた

 合併してどんな町が出来たのか。日本一の農業都市ができたということです。2004年の食料自給率は60%です。先輩の政令指定都市ですと最高の自給率は仙台市で6%、あるいは8%という数字です。浜松市はそれを上回ると思いますが、先輩の政令指定都市と比べると随分数字が違うということで、私たちの作った新潟市はこれまでの政令指定都市と違うタイプにならざるを得ないということです。
 水田の面積、水稲収穫量は全国1位、農業産出額は2004年には全国1位でしたが2005年は合併した愛知県の田原市に抜かれて2位になっています。チューリップ、切花全国1位、2位のレベルです。花木類、アザレア、西洋ツツジなどですが、圧倒的な全国1位です。1世帯あたりの住宅の延べ面積も政令市の中では一番広く、ゆったりした政令指定都市ということで、田園の持つゆったり感と高次都市機能を併せ持つ田園型政令指定都市をつくろうというのがわれわれの目標の一つでした。


市長選で合併の方向を転換

 合併協議で心掛けたポイントを3つにまとめてみました。2001年1月に黒崎町と合併しました。このときの合併は前の市長さんがやった合併でしたが、大変評判の悪い合併でした。黒崎町が要望することを全部丸飲みして合併しました。当時は合併に対して非常に抵抗感が強かったので、ある意味ではやむを得なかったと思います。
 合併建設計画を何でも出してくださいと丸飲みしました。在任特例という形で黒崎町の議員さんはすべて新潟市の議員さんになり、当時の町長さんも町長と同じ待遇を特別参与という形で続け、そして黒崎町役場の職員はすべて新潟市の職員並みに昇給しました。黒崎町の人たちからは、これは誰のための合併なんだと。町長、議員のための合併じゃないかと、かなり評判が悪かったわけです。
 これは呼び水効果としては大変大きな効果があったと思いますが、これと同じような方式で、さらなる大合併をやるわけにはいかないということも、また事実でした。そういう時に前の市長さんが辞めるということでお代わりになって、当時の助役さんが出馬されると。共産党の前の議員さんとの2人の選挙ということになり、それだけで選択肢はいいのかということで、市民の間から民間の意識を持った人間が市長に必要なんじゃないかという声があって、回り回って私が出馬する羽目になったということでした。
 結果は私が7万票、元の助役さんが6万5000票ほどで、私が勝たしていただいたわけですが、ある面では黒崎町との合併という連続性を断ち切ったということの意味は大きかったと思います。前の市長さんの時、助役さんをやっていた方だとそうはいかなかったでしょうが、私は平気で黒崎合併は反面教師であると言わせていただける立場だったので、その後の合併の協議については黒崎町との合併は、全く参考にしないという事にさせていただきました。


理念明示型の合併協議へ

 折角の大合併という大事業をやる時に、新潟市がどこに向かうのかということを市民にしっかり説明する必要があると私は感じておりました。もうすでに任意の協議会がスタートしていましたが、私が2002年11月から市長にさせていただき、私どもは、黒崎町との合併の反省に立って、これからは理念明示型でいきましょう、合併をして政令市を目指すんだと。どんな政令市を目指すのかということを明確にしていきましょうということが一つでした。その大前提として、われわれは市民のための合併をやるんだ。市民のための政令市づくりをやるんだということを繰り返し申し上げてきました。
 理念を明示するとともに、議員さんは在任特例というわけにはいきませんと。15市町村で在任特例となると300人を超す議員さんになってしまうということですから、これは無理ですと。そして特別職を含めた方たちも特別待遇はできませんということで、合併協議の中でご理解をいただきました。職員の方も、いきなり待遇を上げるということはしませんということで、やらせていただきました。理念としては、本州日本海側で初めての政令指定都市をつくるということですが、その政令市の形ということを、出来るだけ市民にお知らせするように努めました。


出来るだけの情報開示で効果

 もう一つは情報開示型でいこうということで、合併協議の中身、どんなことが協議されているかを、出来るだけホームページやマスコミへの情報開示で十分にやっていこうということで、努めたつもりです。
 やはり合併協議のとき、いろいろなわがままといいますか、自分たちの地域への思いというものが熱いわけですから合併建設計画についても、「うちは、これは欠かせません」ということで、どんどん膨らんでいきます。新潟市の場合、合併して新市の一体化を図っていく、そういう大きい合併建設計画は大体1000億円程度で収めたいと思っていたわけですが、各市町村が出してきたものを全部まとめると2000億円程度になりました。
 これはもうとても出来ませんということで、2000億円の合併建設計画を並べて市民に見てもらいました。テーブルに載せた上で議論した中で、お互いが歩み寄り、最終的には1000億円程度という、最初の枠に収まったということも、情報開示の一つの効果だったと思います。そして議員さんも在任特例は無理、駄目だと。首長さんも特別扱いはしないということも情報開示をしていって、これは市民感情として通らないということで、議員さん、特別職の方に腹を切っていただいたということだと思います。
 情報開示は成功したと言いたいんですが、新潟市に次いで大きい新津市は任意の合併協議会から今度は法定の合併協議会に進む議案を審議する前に地区の住民アンケートをとりました。その結果、合併反対の方が半数以上占めてしまいました。合併すると大変なことになる。除雪も出来なくなりますよというような一部勢力のデマ合戦に負けてしまったわけです。
 これをどうするかということで、結局新津市は一旦、市議会が法定の合併協にいく提案を否決し、その結果、新津市の市長さんは辞職をされ、住民の方たちから合併是か非かの住民投票をやろうということで、2004年2月29日、ダブルで選挙をやりました。われわれはその時には徹底的に正しい情報を伝えようということで、相当新津地域の方たちにがんばって情報をしっかりと市民に伝えていただき、その結果、3分の2が前の新津市長、合併賛成が3分の2ということで、はっきり黒白つけていただきました。これは曖昧な形で市議会でごまかさずにやっていただいて非常によかったと思います。しかし、情報開示が非常に不十分であったということを反省して、その後さらに情報開示に努めたということです。


市政改革並行型を重視

 それからもう一つ、大変に重要視したのが市政改革を並行してやらなければ駄目だということです。私も選挙に出た時の公約が合併政令市づくりを市民のためにやると。そのためには新潟の市政改革が欠かせないということを申し上げて最大の公約にしました。というのは黒崎町との時もそうですが、合併をすると大体お役人天国になるんじゃないかという疑念が市民には必ずあります。そして役所が遠くなって市民の声が届かなくなるんじゃないかという疑念も必ずあると思います。
 もう一つ、われわれは周辺という言葉は絶対に使わないようにしていましたが、周辺部が寂れるんじゃないかというようなことは、懸念としては当たり前なんで、徹底的につぶしていく必要があるということです。
 お役人天国にはしません。徹底した行財政改革をやることをお示ししました。そして寂れるという懸念に対しては「われわれは分権型の政令市をつくるからそういう懸念はありません。地域それぞれに大きな裁量権を持った行政権をつくりますから、周辺が寂れるということはありません」とお話しし、また実績を上げながら進めていきました。この市政改革並行型というのは、非常に大きかったと思います。


マニフェスト「政令市を開く40の扉」をつくる

 2005年3月21日、新新潟市が誕生する13市町村の合併の時ですが、この時に合併マニフェストをつくりました。合併した中で一番小さい村は人口4000人ぐらいでした。それがいきなり、今度は81万人だよと言っても、どんな町が出来たのか、どんな方向でまちづくりが進むのか、想像しなさいと言っても無理なのでわれわれがそれを出来るだけ示す必要があるということで、「政令市を開く40の扉」というタイトルで、新潟市はこれから政令市になるまでの2005年度、2006年度、こういう施策を間違いなくやりますとマニフェストを作りました。
 この中で新潟市はどこを目指すのか。新潟市は15市町村も集まった大合併をやったんだから、それぞれの地域、それぞれの世代が共に育つ、そういう政令指定都市を目指しますという理念を掲げました。合併から政令指定都市までのお約束がマニフェストなのですが、2005年に合併して10月10日に巻町が加わることも分かっていましたので、新しい新潟市、81万都市というのは一体どんな町なのか。それをまずしっかり市民で確認しましょうと。安心、安全なまちですよと。日本一の農業都市ができましたよ、ゆったりした住環境がありますよと、データもいろいろ作ったわけです。


日本海、田園型、分権型の3つが基本的理念

 世界とともに育つ日本海交流型政令市、大地とともに育つ田園型政令市、地域とともに育つ分権型政令市、この3つが基本的な姿、理念だということです。政令市を開く40の扉は、いわばこのマニフェストの本体です。2年間、どういう具体的な取り組みをやるかと。あるいは合併建設計画の期間中、どういう行財政改革をやって財源を確保するかということを、このマニフェストでお示ししました。
 工程表も作り、40項目、市民にお示ししました。まずは世界とともに育つ日本海政令市として東アジアの中で存在感を示し、貢献をしていきますと。まず一つは非核平和都市宣言をやりますと。そして新潟の誇る「食と花の世界フォーラム」をやることで世界に発信していきますと。米を中国向けに輸出しますということで、いろいろ規制がありましたが、2007年度に新潟のこしひかりが北京、上海では完売しました。こんな形で40の項目を掲げ、こういうことでやりますということをお示ししました。
 このマニフェストは部長以上が3つのチームをつくって、日本海田園分権政令市がどうすればできるかという議論を喧々諤々やって知恵を絞り出させて作りました。このマニフェストを3月に発表させていただいて、4月1日から新しい人事で部長も決まったわけですが、新しい部長、古い部長、全部あわせて「このマニフェストでおかしいことがある。できないとすればすぐに申し出なさい」と。もう一度私が本当に出来ないかどうかチェックして、駄目だったら私の責任でマニフェストの中身を変えて市民に謝ると。しかしこれはやはり出来るんじゃないかということなら、マニフェストを変えずに部長を代えるから申し出なさいと言いました。出来ないと言ってきた部長は1人もいませんでした。


10年で900億円ぐらいの行財政効率化効果を

 行財政の効率化としてどんなことをやるのか。合併建設計画のまちづくり事業費を9百数十億円に絞り込みましたが、これをどうすれば間違いなくやれるようにできるか。
 一つは合併による行財政の効率化です。端的に言えば議員さんが300人以上いたのが今56人になりました。これだけで90億円程度、10年間の合併建設計画期間中に縮減されます。特別職は15セットあったわけですが、これが1セットになったということで、これによる効果が40数億円。10年間でざっと140億円がこれだけで節減される。職員もそれぞれの町が総務課など同じような部門を持っていましたので、これについてはダブってくる。そういうものは適正化をするということで、われわれ5年間で500人適正化すると。これによって大体230億円の節減になる。また行財政の改革をこれからも続けるということで240億円。また最終的に昨年10月にやった選挙で500人適正化をもう1年前倒しするということでまた100億円と。合わせると700億円以上は必ず削減をしますということで、市民にお約束しました。
 これは最低ということで、これからさらに民間委託などの本格的な行財政改革をやりますので、気持ち的には900億円ぐらい、われわれ行財政効率化効果を出して、合併建設計画に必要な額ぐらい効果を出そうという気持ちで取り組んでいます。


改革の時代から創造の時代に

 そのために新潟市行政改革プラン2005をつくり、市民に示しました。退路を絶ってやるということです。
 基本理念としては改革の時代から創造の時代に入ったと。協力から協同へ、そして自治体も管理運営から自治体経営の時代だよということを基本理念とします。
 日経グローカルの行政改革度ランキングですと、2004年に新潟市は127番目。全国には今807の市、区があるわけですが、その中で2006年には34番目までいきました。このランキングは4部門からできておりまして、その一つが行政の透明度ランキング、これを新潟市は情報公開日本一を目指すというのが2002年の私の公約の一つでありまして、今、全国10位まで来たと。あと9つ抜けば本当に日本一になるんじゃないかということで、市の職員もかなりその気になってきました。市民参加度というランキングでは20位まで来ました。活性度ランキングでは60位台でした。残念ながら市民の利便度のランキングではトップ100には入れませんでした。2年後には改革度ランキング総体でトップ10入りを目指したいということで取り組んでいきたいと思います。


教育ビジョン作成など3つの政令市効果

 政令指定都市になって、どうかということですが、3つの部分で政令市効果をいち早く市民にお届けしたと思っています。一つは拠点化、活性化が進んできたということです。幸い昨年度までに政令指定都市の前倒し効果という部分でかなり出始めました。今まで合併地域の工業団地はあまり売れなかったんですが、例えば旧豊栄市の東港物流団地は引き継いだ時に3割売れていたのが昨年度の途中で完売しました。白根地区の北部第2工業団地は2割しか売れていなかったものが、昨年度末で6割程度まで売れ、大分、企業立地も進み出した。
 新潟市も街中のダイエーが撤退したわけですが、そこが今年3月に新しい形でロフトさんとかいろいろのお店が入り、リニューアルオープンしていただきました。新潟市がやっていた駅南側の再開発ビルも非常にまずくなっていたんですが、ここもジュンク堂書店が本州日本海側で最大の書店面積の店舗を出していただき、まちづくり効果もそういう意味では出てきたと。これからは公共交通の強化などを進めたいと思っています。
 二つ目は政令指定都市になると教員の人事権が来ますので、人事権をフルに活用してわれわれは人づくり教育をこういうふうに進めたいということで、教育ビジョンをつくりました。学校をもっと地域に開いて、地域から支援される学校をつくりましょうと。今、教育再生会議がいろいろな、われわれから見るとほとんど何を言っているのかわからないというような議論をしていただいておりますが、もう少し教員のいらぬ負担感を減らして、教員が本来やるべき学力の向上とか、子どもたちの見守り、そして体力の向上にしっかり取り組める、そういう体制をつくろうと。来年度からは民間人校長も登用することで、政令市の効果を教員の人事権の面で市民に実感していただきたいと思っています。学校と地域との関係を劇的に変えていきたいと思っています。
 もう一つ、食と花を売りにする政令市ということです。新潟市はラムサール条約登録湿地もあり、コハクチョウが一番多く飛来する政令指定都市で、これは今までにないタイプじゃないかと思っています。
 お酒も、新潟は酒どころですので、酒蔵が競い合っているということです。日本一の花産地でもある。それを国内外に発信するために、食の国際シンポジウム、世界フォーラムをやっていこうと。これはまだ政令指定都市になっていないプレの段階ですが、2005年にはレスター・ブラウン博士に来ていただき、ご講演をいただきました。


東アジアとの経済交流

 地図を反対側にするといかに日本というものが対岸と向かい合っているのかがよく分かります。その中で東アジアとの交流ということで、まず、国際空港でがんばりたいと。そして今、日本海を横断する航路が非常に少ないので、新潟からロシアのウラジオストクの南にあるトロイツアー港、そして北朝鮮の沖を通って韓国のソクチョと結ぶ三角航路が今、計画されています。
 2008年にはG8サミットが日本で開かれますが、新潟市は開港5港の仲間の横浜市さんと組んで、サミット、首脳会合を横浜で、外務大臣会合などを新潟市で開こうと運動していました。残念ながらその枠組みは認められませんでしたが、労働大臣会合が来年開かれることになりました。世界の方々に新潟に来ていただいて日本海側をしっかり見ていただきたい。
 日本海というのは一番平和の面でも難しい海です。世界最貧国といわれる北朝鮮と、もっとも豊かな国日本が限られた、本当に幾らも離れていないところで向かい合っている。そういう面では世界で最も厳しい南北問題が横たわっている地域でもある。そういうところでこれからの世界の平和を考えて欲しいというふうに思っています。


これからが本当に評価をされる

 こんな形で、新潟市は共に育つ政令市を目指して今、努力をしているという状況です。私の立場からは、合併も上手くいったし、政令指定都市もいい形でスタートしましたと言いたいですが、合併していいことは一つもないとおっしゃっている人もいらっしゃいます。とくに失職された議員さんにそういう方が多いんですが、例えば水道料金などもほとんどの地域で新潟市と合併したことで安くなりましたので、それはうそだということは分かっているんだけれど、それを言いたい雰囲気があることをわれわれは重く受け止めなくてはならないと思っています。
 われわれの場合は政令指定都市になるということが大きな目標だったので、合併の時、それぞれの旧市町村の役場が支所になったわけですが、支所ではなかなか大きな活性化効果、大きな裁量権を与えることは出来なかったのも事実です。これからが本当にわれわれの取り組みが評価をされる時であるということで、大いにがんばる必要があると思っております。






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