サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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活動内容
平成18年度の活動方針

活動報告
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平成13年度
パネル討論
『あすの「富士ブランド」戦略』
パネル討論

◆コーディネーター
青山茂氏 ((株)シード取締役副杜長)

◆パネリスト
金子和夫氏  (日本総合研究所上席主任研究員)
牧田一郎氏  (富士商工会議所副会頭)
大久保あかね氏  (富士常葉大学経営学部准教授)
林浩之氏  (林製紙(株)代表取締役杜長)
渡辺栄一氏  ((株)山大園杜長)

青山 黄色い法被を着用した地元のお三方が居並び、まさしく159品目勢ぞろいした富士ブランドにかける皆様の熱気が伝わってくるようです。第2部パネルディスカッションでは現実に富士ブランドの取り組みを積み上げてこられた方々に、その取り組みを通して実際に富士ブランドの現状、課題、これからどうしていきたいのか、そのためにはどうしていこうかというところを語り合って、富士ブランドの進むべき具体的な方向を探っていければと思います。まず、牧田さんからお願いします。


「どげんかせにゃいかん」と富士ブランド事業

牧田 富士ブランドの委員長ということで演壇に立たせていただいています。宮崎県の東国原知事の言葉「どげんかせにゃいかん」が去年の流行語大賞になりました。何とか宮崎を変えたいと。3年前に富士商工会議所が重点事業として富士ブランド事業を立ち上げたわけです。その当時、「どげんかせにゃいかん」という気持ちがあったと思います。富士市の工業製品の出荷額は、かつては静岡県下でも第2位でした。それがずるずると下がり、今や6位に甘んじている。こういう背景のもとに何とか富士の工業、商業を回復させたい。その一助になればということで富士ブランド事業が平成17年度に事業化されました。
 それ以降は金子先生の説明の通りです。このブランド事業のコンセプトは富士の恵みを生かした特産品の発掘と新製品開発ということで取り組んでいます。最終的には地域振興、ならびに富士地区の経済の活性化、これが目的です。
 現在、その中で3つのプロジェクトを立ち上げて事業に取り組んでいます。1つ目は地場産品の発掘と全国発信。これは認定制度ということで現在159品目が認定されています。どうしてそんなに多いのというご質問もありますが、富士地区の経済が何としても元気になってもらいたいという思いで、商品の選定にあたってきた結果159品目が選ばれたということです。2年ごとに更新することで、さらなる品質に磨きをかけていただき、あるいは企業の方から辞退ということも可能です。
 2つ目はイメージアップ作戦です。地域のイメージを高めることで、現在は「富士山検定」とか、「わが社の富士山運動」とか、花エコということでヒマワリの花を咲かせる運動に取り組んでいます。
 3番目が新製品開発です。これが一番弱いという金子先生のご指摘です。新製品の開発は難しいです。わが社でも毎年数十種類の商品を開発していますが店に並ぶのはその10分の1、20分の1しかないということです。現在は食と紙の2つの分野で新製品の開発に取り組んでおります。
 紙の分野で東京のデザイン展に出展しました。全国、あるいは世界中から企業が出展していましたが、商工会議所の出展はたぶん私たちが唯一ではなかったかということで、大変ユニークな「キヨラ」というテーマで出展しました。主に紙バンドを中心にしたグッズ、紙の家具が展示されておりまして、私の目には大変素晴らしいまとまりのあるデザインで、ブースも非常にコンパクトにまとまり、お客さんが大勢集まっており、特に若い女性中心に見学されていました。
 そして今年1月には台湾の見本市に行ってきました。2日間のイベントで、これは富士山静岡空港開港、あるいは富士山の世界文化遺産登録と絡めての出展で、大勢の台湾の方たちがわれわれのブースに来られました。アンケートを取りましたが、非常に友好的な意見で、「静岡は知っている」「お茶を知っている」「食べたお菓子がおいしかった」と好意的な意見をいただきました。初めての富士ブランドの海外進出ということで意義ある出展だったと感じています。新商品が簡単に出ないのが現実の世の中で、それをこれから我々がバックアップして進めていきたいと思っています。

学生が吉原宿名物のお弁当づくり

青山 大久保さんは吉原の宿をテーマにしたお弁当プロジェクトに関わっていらっしゃいます。

大久保氏

大久保氏
大久保 昨年度から富士常葉大学に赴任しておりまして、富士に通うようになってちょうど2年です。こんなに富士山というのがきれいなのかと。こんなに富士山の近くに毎日通えるというか、裾野の広い富士山を眺められるのは本当に幸せだと感じております。
 私が赴任した観光ビジネスコースができて、今の2年生がコースの一期生となっています。その学生たちに富士市にせっかく通っているのだから富士市のことをもっとよく知ろうじゃないかと1年間のゼミ活動をしてきました。その際に立ち寄った吉原商店街でNPO東海道吉原塾の佐野さんとミーティングをする時間をもうけました。その時に吉原宿の名物のお弁当を何か作ろうじゃないかという話が持ち上がり、先週ようやく中間報告会ということで試作品を発表させていただきました。お弁当のコンセプトは、富士ならではというところをどこに持ってこようと。どこから富士ならではというとものを見つけようかということに時間をかけて話し合いました。その中で東海道を横軸に富士山頂から駿河湾まで高低差6千何百メートルを縦軸にするとちょうど富士市がその中間の座標のゼロ地点になるんじゃないかと。それがやはり富士市であり、吉原の特長ではないのかと話がまとまり、富士山が一番美しく見えて、しかも東海道という情報流通の拠点と一致しているというところで、吉原の特長を持って来ようというのがコンセプトで、実際にどんなお弁当になるのか。これから協力してくださる皆さんと5月のデモ販売を目標に詰めていく段階です。

すべて自然にかえるコンセプトで富士山ロール

林氏

林氏
青山 目の前にトイレットペーパーがずらっと並んでおりますが、林さんお願いします。

 会社の商品のPRをしてもいいよということですので並べさせていただきました。当社が富士ブランドに応募する数年前からトイレットペーパーやティッシュペーパーのような家庭紙が非常に不況でして、何とか経営を立て直そうということで、今までのトイレットペーパーではない、違ったルートに別の価値で何とか販売できないかと。このようなトイレットペーパーを開発して販売したわけですが、まず商品を広く認知していただかないとモノは売れないと。その一環でプレスリリースをしたり、いろいろな展示会に出たりしてきました。その中で富士ブランドの公募があり、これも商品をPRするいい機会だと応募させていただき、現在159品目の富士ブランドの中で5品目、当社の製品を認定していただいています。
 業界からいいますと、こうした商品はどちらかといいますとキワものでして、われわれは1個120円から200円ぐらいで売っています。それでも消費者の方に認めていただいて、おかげで非常にいい商売をさせていただいております。
 富士ブランドとして全体でそれをどう運営していったらいいかということは非常に難しいなと感じています。とくに紙は非常に分野が広くて、私どものような一般消費者に直接届けるものもあれば、素材として2次、3次の加工を経て消費者のもとに行く商品もあって、それを一つの紙という分類の中でまとめていくことも非常に難しい作業だと思ったわけです。そんな中、今後、富士ブランドがより成果を出せるような方向でいけるように期待していますし、意見を今後も述べさせていただきたいと思っています。

青山 富士山のごみ問題の解決をコンセプトに作られた商品があるとお伺いしましたが。

 富士山ロールですが、中の紙管もトイレに流すことができまして、それが浄化槽を浄化する効果があります。一時、富士山で捨てられたティッシュが雨で流されて白い川になっているという報道がありましたが、すべて自然にかえるというコンセプトでこの商品を作りました。そして売り上げの4%を富士山基金に寄付させていただくという商品です。この商品は業界内では知れ渡った技術なんですが、一般の人に富士ブランドというブランドを使わせていただくことによって、より価値が見いだせたのではないかなと思っています。


日本文化のイメージとして残したい急須と茶筒

青山 続きまして日本茶インストラクターであり、まちの駅駅長と呼ばれるのが一番好きであるという渡辺さん、お願いいたします。

渡辺  「お茶と言葉と眼差しは心を伝える3要素」、こういうフレーズを時々使わせていただいております。
 私どもで富士山ブランドにエントリーさせていただいているのは富士山缶というオリジナル缶です。私は創業明治22年の山大園というお茶屋の4代目でして、初代、2代のころは内地向けの卸問屋をしていたようです。3代目の父の時からお茶の産地からお土産として全国へ届けたいと小売りを始めました。お茶が形として届けにくい商品だけに、それならばお茶を入れる容器をオリジナルでつくろうとオリジナルの茶筒が発足しました。当初は東京のデザイナーにデザインを頼み苦労していたようですが、今から14年前にこういう恵まれた土地のお茶を富士山と一緒に届けられないものかと、茶筒に富士山の写真を入れることを思いつきました。茶の間のテーブルの上でいつまでも送り主の気持ちを皆様に見ていただけるんじゃないかと考えたんです。
 もともと茶筒は全国的にはあまり普及しておらず、昭和30年代以降ようやくお茶の贈答が増え始めたころは関東ではプルトップ式の缶詰が主体でした。関西へ行くと袋モノが主体でした。静岡県内だけは唯一茶筒という容器で売られていました。現在でもその傾向はあまり変わっていません。
 以来、毎年富士山の写真を変えています。ようやく5年過ぎあたりからお客さんの方からぼちぼち「これ毎年変わっているんですね」というように認知される形になりました。最近では、おかげさんで「毎年新しい缶に入って新茶が届くのを楽しみにしています」という声もあり、市内のお客さんの中には「自分用にこの缶をコレクションして並べて楽しんでいます」というところまでようやく14年かかって定着してきた経緯があります。
 今、都会を中心に急須もなかなか見受けられなくなった時代になりました。茶の間自体が減少していく中で、どうしたらこのお茶を飲むシーンをお伝えできるか。やはり急須と茶筒は茶の間を演出する小道具として出来るだけ長く、日本の文化のイメージとしても残していきたいと最近特に感じていますので、これからはむしろ急須まで入れていかないと茶業界は「万事休す」(笑)というような時代になってしまうんではないかなと危惧しております。

ライフスタイルの提案を作れないか

金子氏

金子氏
青山 金子さん、アドバイスをいただきたいんですが。牧田さんから新製品開発は難しいというお話をいただきましたが、めげずに続けていくにはどういった仕組みが考えられますか。もう一つ、林さんの中にありましたまとめにくい紙というものについて。そして皆さんのご発言で何かあればお願いします。

金子 4人の皆さんのお話を伺って、各企業はそれぞれ新商品、新市場に挑戦し続けているのだということを再認識しました。渡辺さんのお話は、次はライフスタイル提案に挑戦するぞという意欲が感じられます。林さんのお話も新商品、新市場ということで、消費者に直接認識してもらったとおっしゃっています。そこで、この地域でどう取り組んでいくかというと、最後の提案は新商品を新会社で作りましょうと。やはり何かまず一つは富士ブランドのまとめ方の中で、紙と生活、富士山を守る、環境を守る、水に溶ける紙とか、そういったライフスタイルの提案を作れないでしょうか。消費者サイドの視点で組み立てる方法があると思うわけです。それを富士山のふもとで富士の人たちは富士山を大事にしながら環境、リサイクルを考えていると。その例として三条ジャパンは、金物が何でもあるという町ではなくて、刃ものが最高のもので、質の高いキッチンとか、料理が楽しめますという括りでヨーロッパで出しているんですが、そのような括り方を紙の業界か、紙とお茶という組み合わせでもできるかもしれません。そのあたりにちょっと工夫してみるといいじゃないかなと思います。

お茶の間の文化を目指す

渡辺氏

渡辺氏
青山 それでは2順目に入りたいと思います。自由闊達に次のステップ、富士ブランドをこうしたいというところをぜひご披露していただきたいと思います。今度は渡辺さんからお願いできますか。

渡辺 日本茶の入れ方を含めた日本独自の文化がどんどん狭まってきているようで、西暦2000年から日本茶インストラクター制度が立ち上がり、現在全国で2200人います。そのうち静岡県内に550人。まだ県で1人、2人しかいないところには、こちらから派遣してお茶の普及拡大、急須で入れるお茶の良さ、茶の間の、家族のコミュニケーションの図り方をお伝えしています。
 お茶も今はティーバッグ、あるいはパウダーのお茶、ペットボトルのお茶とどんどん進化しています。ただ生活の中の文化という面を考えると、楽であればいいとは考えられません。楽しいという字、楽(らく)という字は全く同じ字を読み方が違って、楽(らく)と読むと何か受け身で相手がやってくれる。それよりも楽しむという前向きな形でとらえれば、お茶の持つ効能が、付加価値が出てくるんではないかと思います。家庭で急須で入れた味をみんなで共有して味わうというお茶の間の文化、こういうところをこれから目指さなければいけないのかなと思います。それが人と人の心をつなぐ飲み物というお茶がこれから生き残る道であり、急須で入れたお茶の魅力であると確信しています。
 お茶という字をよく見ますと草と木の間に人という字を書いて成り立っているんです。ですから是非人が介在して、そのことを伝えていく方向へ静岡県の茶業もこれから向いていくと思います。お茶は美味しく入れて楽しく飲むものだなとつくづく思います。そんな方向を目指しています。

青山 もう一つ、まちの駅の全国大会があるということですが、現在のまちの駅の取り組みについてお話しいただけますか。

渡辺 まちの駅は無料で休憩できるまちの案内所で、公共施設から個人商店までが参加し、地域の情報を提供し、交流する場です。現在、全国で1500カ所以上に増えていると思います。静岡県では焼津と富士に50以上の駅が揃っています。私たちが4駅で社会実験したのが今から4年前で2004年から始まり、手を上げてくださる方が徐々に増えて今、50駅でやっています。これからの時代、一人暮らしがさらに増えていきますと、「今日はまだ誰とも話をしていない」という人が増えてくるんじゃないか。人は人と会って会話して元気をもらうところがありますので、近くのまちの駅に行って話でもして来ようかとか、あるいはウオーキングの途中でちょっと休憩したり、トイレを借りたりすることが気楽にできるところがまちの駅なんです。道の駅のような大規模な投資もいりませんので、やる気のある駅長さんさえいればできるわけです。そんな同志が集まって今年11月8日に富士市でまちの駅全国大会が開催されることになりました。富士市の特長はまちの駅がさらに地域の防犯、あるいは防災拠点としても役に立つような駅を目指していることです。市と警察とまちの駅の3者で覚書も交わしていますので、これもやはり人と人が絡むこれからの時代に必要な要素かなと思っています。

市民が楽しんでいる別府温泉

青山 大久保さん、別府の町は地元の方が町を歩き、食べ、飲む。一方、熱海は・・・というお話がございましたが、そういった地元の方が自分の町を楽しむというようなものが、そこを地域ブランドとして、その地域らしさを作っていく上で、どう作用していくのか、お話しいただけますか。

大久保 別府と熱海は高度経済成長期に多くの観光客を受け入れたかつての大観光時代のトップブランドですが、同じように団体観光が減って集客がままならないという時代が長かったのです。ところが昨年12月に別府に行きましたら本当に元気なんです。夜中まで人ががやがや歩いています。半分以上は恐らく別府の人たちなんですね。別府の市民の皆さんがご自分の足で街を歩いて自分の街がこんなに楽しいということを実感しながら、それを来訪客にアピールしている。声高に言っているんではなく、観光客も安心して、きっとおいしいのかなと店に入れる雰囲気を作っていることに非常に感動しました。
 同じ大分県の国東半島に豊後高田という町があります。こちらは街並みを作るのではなくて昭和の頃に実践していた、人がものを売っていた、この人がこういう生活をしているからこういうものがいいだろうと提案しながら売っていたりとか、そういう昭和の商人づくりということに力を入れているとお聞きしました。やはり人というものが街を作るし、その街が元気なのは人が元気に楽しんでいる。自分の町がとても好きだと。
 もう一つ、PRで申し訳ないですが、4月に富士山観光交流ビューロが立ち上がります。現在の富士市観光協会を発展的に改組していくものですが、新しい商品づくりのためのプロジェクト、企画をみんなで考えましょうというチャレンジミーティングを行います。同じ人たちの中で考えていても、知らない人たちが思いつきで考えても商品にならない。その間のギャップを埋めていきましょうというのがチャレンジミーティングという組織だと私は理解しているんですが、もし富士ブランドとチャレンジミーティングというものが融合する接点があったら、富士ブランドの商品開発にもなるかもしれませんし、現在ある商品の改良プラン、リメークしていくための企画にもつながるのかなと考えています。そんな形にしていくと市民の皆さんが地場の産品に興味を持つきっかけになると思います。

山口市の「ういろう」づくりの例
 

富士ブランド

富士ブランド
青山 金子さん、大久保さんから話がありました市民への興味の喚起といいますか、そういった部分で例えばチャレンジミーティングとのコラボレーションのようなことやっている地域はありますか。

金子 それは牧田さんが大変お悩みの点だと思います。各地で全く同じケースが起きていまして、幾つかの役割がジョイントして初めて何か殻が破れるかなと思っています。山口市の「ういろう」はワラビ粉を使っていて西日本では大変人気があり、この「ういろう」を特産品として全国展開しようということになり、私とフードコーディネーターが入ってミーティングを行い、フードコーディネーターから「ういろう」を素材として若い女性が普段食べるような「ういろうスイーツ」という形にしてマーケットを広げましょうと提案したんです。その時、職人型の菓子製造組合の皆さんは素材は提供するがそういうのはどうしても自分たちは踏み込めないというんですね。それで商工会議所が女子高校生のレシピ開発をしてみましょうということになったんですが、まず若い人が「ういろう」を食べてないんです。だから食べる機会を作ることが大事で、食べたらどんどんレシピが出てきた。この時、ういろう組合の1社が「やはりこのままでは駄目だ」と「手作りういろう」を企画して、旅館と組んで旅館に泊まったお客さんに夕食まで時間がありますから「手作りういろう」を作って食べましょうと。これがヒットしたんです。そういう流れの中で、ういろう組合は素材を提供する。市民応援団がレシピを開発する。それで有志のういろう直営店、カフェ、旅館がういろうを使ったデザートとか、新メニューを提供する。この3者がタッグを組むことで何とか回り始めています。こういうスタイルがいいのかなと思いました。

富士山をもっともっと利用して商品開発を

青山 ありがとうございます。林さん、次のステップ、私はこんな事をやりたいというようなことをお話しいただけますか。

 富士ブランドだから当然といえば、当然なんですが、お配りした認定品カタログの商品の中で富士、ないし富士山という名前が付いているものが30品目以上あります。やはり、富士山はわれわれ富士市が持っている世界に通用する一番のブランドだと思います。そのブランドをもっと使うべきじゃないか。例えば富士ブランドの認定品もすべて富士山の名前を付けた商標にしたらどうかと。そうすれば業種が違ってもみんなで統一感を持つような形ができるような気がします。
 われわれが例えば他の地方にお土産に持っていく時には、やはり地元ものを持って行きたいと思うわけですね。お中元やお歳暮を贈る時にも何か特産品を贈りたいと。ただそれぞれいろいろな趣向があっていろいろな商品を選ぶと思うんですが、やはり富士山を生かした商品を贈った方が多分もらった方も富士市の方からもらったよというイメージが残っていくと思います。うちの富士山ロールもそうなんですが、是非、富士山をもっともっと利用して商品開発をしたらいいのかなと思います。

次のステップに移行する時期がやがて来る

牧田氏

牧田氏
青山 ありがとうございます。富士山というのは実に偉大なる名前ですね。さて牧田さん、次のステップ、私はこういうことをやりたいんだということをお話しいただけますか。

牧田 昨年から食品の不祥事が多発しまして、私の業界を直撃して辛い思いを日々していました。そういう中で、もし私のところがそういうような問題を起こした時に富士ブランドの長として全体に迷惑をかける恐れを持っておりました。そこで私は一つの事業に取り組む姿勢として、まず最初に正しい商売、これは自分の企業を防衛するという意味でも正しい商売に徹する、そして絶対にウソは言わない。この2点を肝に銘じて取り組んできております。正しい商売とは何だといえば、今の食品の問題でいえば、不必要に添加物を使わない。あるいは不必要に日持ちを長くさせない。そういうことを徹底して商品づくりをしていこうと取り組んでいます。
 ブランドの委員長として今後どうしていくかでは、金子先生からいつまでも商工会議所におんぶにだっこではいけないというお話がありましたが、まさしく次のステップに移行する時期がやがて来ると思います。私はこの富士については、110社の認定企業がありますが、必ずその中でリーダーシップをとれる企業が何社か出て、そしてそれがそれぞれの分野で富士ブランドを引っ張っていってくれる。そういう時期が早い段階で来たらもっと活性化するのではないかなと感じています。
 それから私は零細の企業の認定品、とくにそういう企業に全面的にバックアップしてあげたいなと思っています。要するに一生懸命取り組んでいる企業の商品を何とか世に出したい。家族で一生懸命生きている、そういう商店のバックアップのお手伝いができないものかなと。そこからいわゆる会議所の活性化という方向に進んでいくのではないかと考えております。
 また、常々私が感じていることは、いわゆる企業の活性化が言われておりますが、企業と商工会議所は表裏一体でして、商工会議所の活性化も富士地区の活性化と同じく大事な課題だと。そういう意味では会議所内の活性化が強く感じられております。これは企業の経営者として逆に大変参考になることが会議所内で多々見受けられます。大変、一メンバーとして嬉しく感じています。

カテゴリーごとの品質基準、選ぶ基準を

青山 金子先生、これから地域ブランドとしての富士ブランドをより特質を発揮していくためにどのような基準を規定していったらいいのでしょうか。アドバイスをいただけますか。

金子 今、地域ブランドを作っていくのは、一つはつけるべき「富士の物語」をしっかり作りましょうというお話だと思います。林さんがおっしゃるように富士山に徹底的にこだわるとか、まずつけるべき物語を一つ整理する。2番目は商品群を整理していく。私はさっきハイエンドのものを浮かび上がらせたらという話とカテゴリーを分けたらという話をしましたが、それにもう一つ渡辺さんがおっしゃったのは文化だと。そういうものを前面に出す。広島県の熊野町の筆の話は大変有名ですが、書道の筆がダメになっている中で彼らは化粧筆に転身して今やフランスのシャネルなどの化粧品の筆はみんな広島の筆なんです。そういう形で新分野に出ていく。さらに彼らはジャパンブランドで欧米人に筆で絵手紙を描かせようとしているんです。つまり文化創造があると思うんですが、そういうカテゴリーが決まって富士の物語とか特性がライフシーンとかストーリーで描けたらカテゴリーごとに品質基準、選ぶ基準ができるのではないでしょうか。
 食品は安心、安全ということは当然でありますが、富士らしさであるとか、富士ということで東京の人がポンと響く。例えば日光水物語のようにひと固まりとして見えるかどうかが大事ではないでしょうか。そういう物語、商品のカテゴリー分け、その中から品質基準を設け、かつその品質基準を作る場合は第三者機関がいいと思います。地元の方ではなくて学識者とか外部の方にも入っていただいて基準を作っていかれたらいいと思います。

店は劇場づくりだ

青山 会場でご質問等ある方、挙手をお願いできますか。

会場1 私が提案したいのは、お茶消費を考えるならば、戦略的に「三つ子の魂百までも」ではありませんが、外食産業なんかは子供の時から餌付けをしてしまうんですよね。ですから学校給食の中で米飯給食をもっと取り入れて、お茶を飲ませることをやっていかないと、大人になってからもお茶を飲む習慣がなくなってしまう。やはりコメ消費の拡大と連動してお茶も消費の拡大になると私は思っています。是非、そういう立場で市に対しもっと給食の中に取り入れるとか、そういう活動をしたら将来的に消費の拡大につながるんじゃないかと思います。

会場2(遠藤会頭) 最後になりまして一つ質問やらお願いやらということですが、私も立場上、街づくりの活性化についていろいろな形で皆さんのお話を聞く機会があります。今日は富士ブランドについて一生懸命にお話を聞きしましたが、もう少しネットワークづくりといいましょうか、横の結びつきをしてみたらどうなのかなと思います。先ほどのお茶の話ではないですが、楽をするのではなく、楽しむ場所を考える必要があるなと。そういう意味で脱商店街ということを私は最近言い始めています。私は自分の店を作ったときには、店は劇場だと。劇場づくりだと。そこで働く人たちはエンターテナーでなければ、ということをしきりに言っているし、今もそうであって欲しいなと願うわけです。新商品という話が出ましたが、そのプロデュースを外部の人たちにお願いするケースもあろうかと思います。個々でやっているとプロデュースもしたり、実行したりと、1人何役もやっているんですね。ところがどうしても我田引水のような形で、自分が、自分がというようなケースが多分にありますので、そういう部分も含めながらプロデュースしていただき、またサポートもしていただくような方が外部にいることが必要じゃなかろうかと感じたものです。皆さんで研究してまいりたいと思います。

主役は事業をおやりになる皆さん

青山氏

青山氏
青山 金子先生も腕力のあるデザイナーとかプロデューサーを入れろと提案されました。いろいろな人的ネットワークがあったり、さまざまなイベントを持ってこれたり、そういう実行力のあるデザイナー、プロデューサーを入れろという話でしょうし、また、富士ブランドを拝見したりする場というものが商店街とか駅、富士山静岡空港にも展開を考えていったらいいのではないかと思います。
 いずれにしましても、富士山という物語を持った、富士山という商標を持ったブランドをこれから考えていったらどうか。そしてその中には富士山を大切にして生活している富士市民のライフシーンというものを富士市民に向かって、そして市外に向かって提案していくようなブランド力をもったらどうかと。
 今後は次のステップに進むにあたってはカテゴリー別に取り組みを考え、前向きな積極的な気持ちを持ってブランドづくり、ブランド化に向けて進んでいただきたいと思います。
 地域ブランドの確立には時間がかかります。それを推進していくには、会頭からお話がありましたようにプロデューサーですとか、腕力のあるプロデューサー、デザイナーも入れながら、そういう体制を作って、商工会議所がバックアップしていきます。でも主役は事業をおやりになる皆さんであると。次のステップは皆さんの主体的な取り組みによって富士ブランドをはっきりと顔が見えるように、そして世の中に出て行って売れていくようにしていきたということで、今日は締めたいと思います。ありがとうございました。

< 略 歴 >

◇青山 茂(あおやま・しげる) 早稲田大学法学部卒業。(株)オリエンタルランドを経て、現在(株)シード取締役副社長。日本航空民営化イベント「NewJALレセプション」、第10回全国スポーツレクリエーション祭「スポレクおきなわ」、栃木、群馬、沖縄の観光誘客プロモーション事業、九州沖縄サミット関連事業などをプロデュース。県内では伊豆新世紀創造祭、第15回海の祭典しずおか、東海道四百年祭などに参画。サンフロント21懇話会のシンクタンクTESSの研究員として研究・提言活動をサポート。

◇牧田 一郎(まきた・いちろう) 中央大学商学部卒業。68年日本IBM入社、70年3月退社後、4月株式会社田子の月入社。82年代表取締役社長就任。主な役職として01〜02年度吉原ロータリークラブ会長、04年富士商工会議所副会頭就任。05年1月裏千家淡交会富士支部長就任、同4月富士市観光協会副会長就任。富士市生まれ、63歳。

◇大久保 あかね(おおくぼ・あかね) 奈良女子大学文学部卒業。87年株式会社リクルート入社。98年立教大学観光学部大学院観光学研究科創設と同時に社会人入学。03年博士号(観光学、立教大)取得。06年より富士常葉大学総合経営学部准教授(観光ビジネスコース)。他に日本大学国際関係学部・短期大学部兼任講師、財団法人日本交通公社客員研究員、あかねラボ主宰。社会活動として、静岡県伊豆ブランド創生事業アドバイザー、ファルマバレー「かかりつけ湯モデル施設」選考委員、富士市観光ビューロー設立検討委員会副委員長、富士市立博物館評議委員、富士市都市景観審議委員など多数。名古屋市生まれ。

◇林 浩之(はやし・ひろゆき) 県立富士高等学校卒業、83年明治大学商学部産業経済学科卒業後、東京紙パルプ交易株式会社(紙商社)入社。85年より1年間米国留学。86年林製紙株式会社入社。94年同社専務取締役就任、04年代表取締役社長就任。47歳。

◇渡辺 栄一(わたなべ・えいいち)  69年慶応義塾大学商学部卒業後、(株)山大園入社。96年同社四代目社長就任。2000年日本茶インストラクター1期生資格取得。03年同協会静岡支部副支部長、メキシコでの観光業関連見本市派遣事業参加。04年第1回インストラクション・コンクール静岡大会優勝。日本茶インストラクターとして「お茶の入れ方教室」の講師など多数のユニークな呈茶実績あり(ビュフェ美術館、永明寺にて曹洞宗僧侶・弁護士会、牛乳パック全国大会など)。SBS学苑講師、喫茶楽塾講師(横浜、仙台)、日中茶文化交流使節団。自称「謎の茶人・ノ貫(へちかん)に学ぶ茶の心の伝道者」。座右の銘は「人の往く裏に道あり華の山 創意工夫のお茶の楽しさ」。富士市吉原生まれ、62歳。



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