サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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富士地区分科会  平成22年2月18日(木) 会場/ホテルグランド富士
基調講演
「トップアスリートが語る〜
スポーツによる青少年育成とまちづくり」

ラグビー元日本代表、タレント、香川大学客員教授、高知中央高校ラグビー部ゼネラルマネジャー
大八木淳史氏

15歳の春の出会い

ラグビー元日本代表、タレント、香川大学客員教授、高知中央高校ラグビー部ゼネラルマネジャー 大八木淳史氏

 スポーツの定義からお話しさせていただきます。スポーツはラテン語から来ています。デポルターレ(deportare)。英語に直すとキャリーとウエイ。キャリーは運ぶ、ウエイはどこどこへ。もともとは、スポーツはどこどこへ何々を運ぶという意味合いです。
 ということは日常をスポーツによって非日常化するということが大きな前提というか、スポーツの定義であり、スポーツには幅広い意味があると位置づけできるわけです。
 15歳の春。ここが私の一番の入り口でした。今年、もう49歳です。引き算したら30年前以上になります。「スクールウォーズ」というテレビドラマを覚えておられますか。もう四半世紀前です。役者は山下真司さん。あらすじを言いますと、不良の集まりの工業高校にある元ラグビー日本代表が一保健体育の教師としてやって来て、子どもたちの人格形成をラクビーによってやろうじゃないかと。不良を更生させながら全国高校ラグビー大会で日本一になる。伏見工業高校がモデルになっていました。まさしく私は当事者です。
 僕は生まれたときから体が大きかったのです。小学校時代は野球をやりましたが親友の方が上手くて挫折しました。5つ上の兄貴がサッカーをやっていました。中学校に入るとき、「お前もサッカーやれ」と兄貴に勧められました。僕は身長190、兄貴は160ぐらいでして、お袋の血筋を引いたのが兄貴、僕は親父の筋です。兄貴に連れられて紫光クラブに行きました。なんと15分で挫折です。皆めちゃくちゃ上手いんです。というわけで野球もサッカーも実は挫折した男です。
 勉強、できませんでした。5段階で3です。親父もお袋も「勉強せい」なんて言いませんでした。唯一つ、「高校だけはいっといてやー。世間体があるさかい」と。そんな程度でした。
 親父が大工、建築業をやっていまして、伏見工業高校に建築科があり、そこに行こうかと思ったんです。ラグビーをしにワルの名門の伏見工業高校に行ったわけではありません。早いところ専門職を身に付けて、月給をもらえるようになろうと思ったわけです。
 京阪電車の伏見稲荷駅を降り、下の方に行くとわが母校があります。30数年前、ちょうど3月の第一土曜日でしたか、入試に行きました。
 ワルの学校だとは何となく知っていましたが、駅を降りたら茶髪を通り越して金髪。入試なのにバイクで来ているんです。よく考えたら京都府全域の普通科に行かないワルが行く工業高校だったんです。中3で僕は身長が187センチくらい。色黒です。どこかの学校の番長と間違われるのではないかと。あまりでかい顔をして行ったらあかん。途中で喧嘩を売られたら受験どころではないと、不良をかき分けて何とか正門に行きました。
 そこからスクールウォーズのドラマが始まったのです。正門に行ったらでかいオヤジが立っていました。恩師の名前は日体大卒業の山口良治。当時、33歳だったと思います。赤いウインドブレーカーに白いスラックス。ヘアスタイルは、なんと「仁義なき戦い」の菅原文太です。どう見てもやくざです。こっちが不良で、あっちはヤクザかいなと。入試会場に関係ない人が入ってこないように門番だったんです。
 そのイカツイ先生に「ちょっと待った」と言われたんです。伏見の下町なのに関東弁です。「受験票は持っているだろうな」と言うんで、アディダスのショルダーバッグから受験票を出して見せたんです。パッと取り上げて手帳を出して「4060、大八木だな」と書くんです。「ところで大八木。先生と一緒にラグビーやらないか」。「何を言っているのか、このおっさん」です。後ろから不良たちが「早よう行け。このボケ」と。僕は「はい、そのつもりです」と言ってダーッと逃げたんです。うそつきですわ。15歳にして。
 1時間目が終わると、ガラガラと教室の戸が開いたので、ぱっと見たら、「仁義なき戦い」です。「大八木、テストは書けたか。君はラグビーボールを持ったことがあるか」と言われたんです。「いやー」。「分かった。今日の試験が終わったら持ってきてやる」と。次は2時間目と3時間目の間です。ちんまり座っていたんです。ガラッと後ろの戸が開くと背中を思い切り叩かれました。きっと不良に喧嘩(けんか)を売られたんやと思ったんです。パッと振り返ったら、また「仁義なき戦い」です。「君はきっとラグビージャージーがよく似合うと思うよ」と言ったんです。「なんやねん。このオヤジ」です。
 4時間目が終わったらランチタイムです。お袋が試験だから食べやすいようにと、おにぎり弁当を作ってくれました。特製の厚焼き玉子は弁当の最後のゴールで食べるという段取りがあるんです。食べていたら前の戸が開いて、パッと見たら「仁義なき戦い」です。ニコリともせずに僕の方に迫って来てピタッと弁当と僕の前で止まって、その厚焼き玉子を右手でつかみ、そのまま口まで持っていったんです。「大八木、君のお母ちゃん、卵焼き上手やな。ラクビー部に入れよ」と言って、行きよったんです。これがスポーツへの最初の取っ掛かりでした。


人生の99%は出会い。
それを真っ向から受け止めてそしゃくしたならば1%のミラクル、まさかが起こる

 「邂逅」(かいこう)という言葉があります。最大の意味は出会い。人が生きていくとは99%、邂逅、出会いと違うかなと。人間同士の出会い、ラグビーという競技、スポーツに出会うのもそうです。本との出会いもまた邂逅です。旅行に行っておいしい食べ物、風景、酒、すべて出会い、邂逅です。49年生きてきまして、99%出会い、邂逅やった。スポーツが出会いの枠を広げたと思うんです。
 いい出会い、人生の中で何回あるでしょうか。悪い、辛い、涙する出会いが人生にはいっぱいある。スポーツは実はその人生のいい出会いと悪い出会いを、言うならば人生の縮図のように味わわせてくれるのと違うかなと感じるわけです。
 99%の邂逅で、いい出会いも悪い出会いも、人間以外との出会いも、すべての出会いを真っ向から自分自身が受け止めてそしゃくしたならば1%のミラクル、奇跡、まさかが起こる。オリンピック選手になった。あのタイムを切れた。あそこでシュートしたらゴールした。逆転トライで優勝できた。目をつぶって打った球がホームランになった。メジャーリーガーになれたと。1%、良いも悪いも全部自分で受け止めてそしゃくしたならばこの可能性があると思うんです。
 今の世の中の風潮、大人の世界、当然教育界の一番大きな問題は、勝利至上主義、成功を重んじる。こればっかり言い過ぎました。
 プロセスなき成功はあり得ない。札幌オリンピックの笠谷選手ら日の丸飛行隊は金銀銅メダルを取ったんです。あの選手たちの生まれたのはどんなところやろう。雪深いところで冬のスポーツといったらジャンプ台です。小学校からずっと教えられてきて、それで飛距離を争うんです。その怖さを克服して残った人間がひょっとしたらメダルを手にする。ここの過程が最も重要なんだと。


中央高校ラクビー部のGM

 実は私は大学院に戻って何を血迷ったか今、博士論文を書いています。その前の修士論文で「スポーツによる青少年の育成」を取り上げ、行政も企業もスポーツの多面的な効用によって青少年の育成に取り組んでいますが、実際に成功した事例があるだろうかと問題提起していました。
 一つの事例研究で、私、高知県の中央高校というところでラグビー部のGM、ゼネラルマネジャーをやっています。これは端的に言いますと教壇に立たない。学校の先生ではないんです。ラグビーを指導する。これをトップアスリートができる可能性があることを実証したかったのです。
 中央高校は昭和38年にできた学校です。看護学科は有名なんですが、普通科は偏差値がほんまに低い方です。そんな学校が少子化という問題を抱えると募集人数が集まらないんです。中央高校はブランド力アップのためにスポーツを選んだ。それもラグビーがいいのではと。今から3年前にラグビー部をつくりました。


スポーツの力

 2月の朝礼で、20分間、700人の子どもを前に「ラグビーをしよう。ラグビーはええで。ラグビー部をつくろうや」と話し、「ラグビー部に入る人は体育館に残ってください。解散」と言ったんです。言葉が悪い。解散といったらあかん。クモの子を散らすように逃げました。残ったのは7人です。1人ユニークな奴がいました。茶髪で、腰パンにピアス。制服のネクタイは曲がり、財布にチェーンしてガムを噛(か)んでいたんです。一番格好をつけていた不良です。
 「大八木さん、ラグビー部ほんまにできるんですか」と近づいてきて言うんです。「できる言ったやろ」というと、その子が「良かった」と。「実は僕、ラグビーやっていたんですよ」。身なり、服装は悪いけれど、経験者が1人いるのは大きな事です。「どこでやっとったんや」と聞くと「土佐塾」という。
 土佐塾というのは、早稲田大学の理事長がつくった塾から発展していった学校です。中高一貫で、高知県の中学でラグビー部があるのはそこだけです。土佐塾とわが中央高校の偏差値を比べたらボウリングしても追いつかない。「お前、落ちるところまで落ちたな。何でやめさせられたんや」と聞いたんです。「最初の1学期の試験を白紙で出したんです。名前も書かんと」と。アホですわ。「先生が『全部わからんのか』と、あんまりひつっこいからライターで、その答案用紙に火をつけて投げてやったんです。それで退学ですわ」と。
 「分かった。新チームのキャプテンはお前や」と言ったんです。「答案用紙に火をつけて人に投げる。そんな根性のある奴はお前しかいない。だからお前がキャプテンや」と言ったんです。「そうですか」と言って、いきなり腰パンを上げてチェーンを取って、ネクタイを締め直し、噛んでいたガムをポケットに入れて「やらせていただきます」。どんなにスポーツの力ってあるのか。その一言で彼は真面目になりよったんです。


「彼らにとっては、僕の常識は非常識や」

 実は1年目、58人の子どもを預かりました。でも残ったのは22人です。入れ替わり立ち替わり、辞めたり、停学、退学。初年度の全国大会予選まで22人生き残っていました。引くことの2人は3年生で卒業していました。11月、予選は1回戦で負けました。12月から始めようと。本来なら20人来てくれるはずです。しかし来たのは12人です。また8人が退学、自主退学です。なんやろう。この延べの人数から言ったら僕のスポーツの、言うならば歩留まり。ここまでしか救えなかったのか。
 実は、ここに大きな問題点があったんです。
 1960年代にアブラハム・マズローというアメリカの有名な学者がいました。人間が自己実現するためには5段階の欲求があるという「自己実現理論」を提唱した人です。1つ目の欲求は「生理的な欲求」だと。3食のご飯をちゃんと食べ、睡眠をちゃんと取れること。そして本当に人間が生きるために必要な事ができたら、次は「安全の欲求」、そして「所属と愛の欲求」、自分を愛されたい。自分が人を愛したい。もっと簡単な言葉で言うと集団化、コミュニティー化です。次に「承認の欲求」、そして5段階目に「自己実現の欲求」。このマズローの5段階欲求理論、考えました。自分の取り組んだ事例です。創部1年目からラグビーとは、と唱えました。彼らに言った事は、僕の偉大性をまず語ったんです。日本代表、世界選抜、日本ラグビー史上で誰も知らない奴はいない。どこの学校の指導者より僕は情熱的やし、スキル、技術を教えるのは一番うまいやろう。今、全国大会に行っているチームを半年で破れると。

 まず、強い学校に習ったらいいと、全国大会で4回日本一になった伏見工業高校に行きました。観光バスを借りていい旅館に泊まらせて。1年目は1年生に80対0で負けました。
 マズローの理論が言う僕の取り組みは、実はこれやったのではないかと気がついたのです。集団化、フォア・ザ・チーム。チームとはから始めて、ここから自尊心を植え付け、全国大会なり、自分の人生設計ができるのではないか。ラグビーだったらそれでいけると言い続けていたんです。
 彼らの家庭環境をみました。ある奴は母子福祉家庭、両親2人が首をつっている前にいたという子もいました。その社会的弱者のお母さんだけの母子家庭が生きるためのはじめのステップです。例えば幼稚園の年長さんから小学校の低学年、一番母親の愛情を受けなくてはならない年代に、おかあちゃんに何回朝飯を作ってもらったことがあるやろうかと、はたと考えたんです。そうや、彼らはいろいろな環境下で育ってきた。最初の生理的な欲求の部分がまったくできていないのではないかと感じたんです。それをいきなり、第3段階からスタートしたら、「彼らにとっては、僕の常識は非常識や」と分かったんです。


人間の温かさを最大のキーワードにすれば何をやっても成功する

 スポーツコンベンション化が今日のテーマです。コンベンションとは何か。簡単なことでしてオーガニゼーション、組織化です。そこの組織、一番大事なのは環境とか現場とかスポーツをやる器具とか、箱物とか、皆そっちに走ってしまいました。でも一番大事な組織論的な話をしますと、ヒューマンオーガニゼーション、組織の一番大事なことは、原点に戻しますと、人です。いくら自然がいっぱいあって、器具がちゃんとあって、全天候型の体育館があって、お金が落ちてきても違う。一番組織で大事なのは人やんか。これありきの設備、環境と違うのか。
 ヒューマンリレーション、人間関係ということはひょっとしたらスポーツというシンボライズで、人間同士のつながりを作ることではないか。でもこれはどこでもやっている。
 では、もう一つのテーマは何か。ひょっとして、これが富士山ではないか。あるテーマと静岡県が一番強みのテーマは、マトリックス理論を縦断的に、横断的にリンクさせたら・・・。でも最終目的は人ということ。方法とかノウハウではなくて、そこに行けばいい人がいて、思いやりがあって、温かさがあって、もし母子家庭の社会的弱者の子どもがいても入っている瞬間は、親以上に、お兄ちゃん以上に、そこでは自分を出せるみたいな。人間の温かさということを最大のキーワードにすれば何をやっても成功するのではないかと思うわけです。
 アメリカ初の黒人大統領バラク・オバマさん、非常に支持率が下がっております。民主党も鳩山さん、小沢さんも支持率が下がっている。そういうのが政治ではないか。その支持率が低くなったオバマさん、非常にいいスピーチをいろいろな国でやっています。ナンバー2のヒラリー・クリントンさんが日本に来られた時、彼女が言ったオバマ政権が目指す一つのキーワードが「スマートパワー」でした。ブッシュ政権はとんでもない軍事力を持って、ITの産業技術力を持って、その権力、パワーが、世界を守る世界の保安官だという錯覚に陥っていたと。これからは違います。スマートパワーなんです。人種を越える壁、言語を越える壁、宗教を越える壁、貧富を越える壁、その架け橋になるのがアメリカ合衆国だと言っています。その人と人とのつながりを考えていく国が世界のリーダーパワーになれると言いました。もう軍事力ではないという理念、原則を言いました。
 マクロを見ている国から見ても取り扱っているのは、実はミクロのこと、人間の一番必要とされることを説いています。ということは地域、小さなコミュニティー、家族、一個体になっても一番大事なことは、人間は一人で生きてはいけないというところをどれだけ把握するかです。何度も言いますが、それを分かりやすく、10代までに感じさせるのがスポーツという装置であるということを結びにさせていただきたいと思います。

 
< 略 歴 >

◇大八木淳史
昭和36年京都市生まれ。同志社大学商学部卒。同大学院総合政策科学研究科前期過程(修士)修了。同大学院総合政策科学研究科博士課程在籍中。
神戸製鋼コベルコスティーラーズ アドバイザー、(財)日本ラグビーフットボール協会普及育成委員、関西ラグビーフットボール協会コーチソサエティ委員、高知中央高ラグビー部ゼネラルマネジャー。
京都市立伏見工高ラグビー部OB会長、京都市立伏見工高ラグビー部後援会副会長、京都市社会教育委員、香川大学客員教授、日本広告学会理事。

主なラグビー戦歴:
◇1979年 全日本高校代表として英国遠征およびニュージーランド遠征に参加
◇1984年 ニュージーランド・カンタベリー大学ヘラグビー留学
◇1987年 オックスフォード大・スタンレーカップに出場、世界選抜の一員としてオールブラックスと対戦
◇1995年 世界選抜の一員として南アフリカ選抜と対戦
・大学選手権日本一4回(81〜83、85年)
・日本選手権日本一7回(89〜95年)
・キャップ数(国際試合出場)30

○著書 『勇気のなかに』(アリス館)、『友よ〜RUGBY is RUGBY〜』(ダイヤモンド社)、『夢を活かす!』(講談社)、『ライフスキル教育〜スポーツを通して伝える「生きる力」〜』共著(昭和堂)


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