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富士地区分科会 パネル討論 平成22年2月18日(木) 会場/ホテルグランド富士
「富士山を生かしたスポーツコンベンションの可能性」
富士地区分科会 パネル討論

◆コーディネーター
影山 武司氏 ((財)静岡総合研究機構研究部長・サンフロント21懇話会TESS研究員)

◆パネリスト
小池 智明氏 (富士市議会議員)
安藤 肇氏 (富士商工会議所青年部会長)
佐野 文洋氏 (ナチュラルアクションアウトドアツアーズ代表)
渡辺 正志氏 (富士吉田市陸上競技協会長)

影山 富士山は年間30万人が登る世界でも例がない山です。いわば大衆型登山の世界的メッカと言えるのではないでしょうか。富士山周辺ではいろいろなスポーツが展開され、単に見る、眺める対象としてだけでなく、スポーツのフィールドとしても非常に魅力ある存在だと思います。きょうは富士山の魅力、ロケーションを生かしスポーツを通して多くの人が集まる地域にしていくためにはどうしたらいいか。皆様方と考えていきたいと思います。まずは、パネリストの皆さんから現在取り組まれている具体的な活動内容についてご紹介いただきたいと思います。


ソフトの部分が誘致につながった

安藤 私はホテルを経営しておりまして富士市ホテル旅館業組合を中心に10年ほど前からフライングディスクのアルティメットという競技を中心としたスポーツを誘致しています。マイナースポーツという分野に入りますが、現在富士ではアルティメットの大きな全国大会が4つ年間に開かれ、本年度はさらに2つ増えまして6つの大会が予定されています。スポーツの内容はフライングディスクをメーンにしてアメリカンフットボールとバスケットボールを足して2で割ったようなスポーツです。アメリカの大学のアイビーリーグで生まれたスポーツだと言われています。
 このゲームには審判がいません。セルフジャッジで、それぞれが自分たちのジャッジで決めていくところに大きな特徴があります。当初、日本では競技人口が3千人ぐらいしかいませんでした。富士でドリームカップを11年前から始めているんですが、いまではおかげさまでオリンピックの候補の種目になると同時に日本チームもミックスでは世界チャンピオンになっています。
 富士地域の宿泊客はビジネスユーザーの方がほとんどで、土・日曜日、祝日がガラガラという状況が続いておりました。何とか組合として業界を活性化できないかということでスポーツ観光に着目しました。20面、25面のコートを使う大きな大会を運営して2日間ないし3日間滞在をしたいという合宿や大会があることも分かりました。その中で特にマイナースポーツは受け入れ先が少ないことに気づきました。そんな中で私たちはアルティメットというスポーツに出合ったのです。今の富士川緑地公園は大変素晴らしく、グラウンド整備もしていただいているんですが、当時は芝の状態も大変悪く、組合のメンバーで石拾いをし、刈り込みをしながら大会の誘致をしました。われわれは、おもてなしはもちろん、宿の手配もグラウンドの整備もします。いい設備やグラウンドを持っていることが勝負ではなくて、大会の運営をわれわれも一緒にやりますというソフトの部分が誘致につながったと考えております。われわれは一緒になって主催者側を盛り上げていくんだということで、つながっていったと考えています。


富士山周辺の自然体験を提供

佐野文洋 氏

佐野文洋 氏

影山 芝川町を拠点にアウトドアの体験教室の活動をされている佐野さん、お願いします。

佐野 富士川でラフティングという急流下りのツアーが行われているのをご存知でしょうか。われわれナショナル・アクションは1998年7月に「人と自然の平和的なつながりを創造し、より多くの人の幸せに貢献する」というミッションを掲げて芝川町で始めました。現状はラフティングがメーンですが、富士山周辺の森の中をマウンテンバイクで走るとか、芝川の源流の滝を下るキャニオングというツアーをメーンに活動しています。
 ラフティングは6、7人のグループに1人のガイドがついて下っていくツアーで、修学旅行生たちが時には落ちたり、ひっくり返ったりする。そんな時、仲間でどうやって助け合っていくか、伝えていきたいことです。そして急流を乗り越えたときの彼らの笑顔は、かけがえのないものです。
 お客様はゴールデンウイークや夏休みの行楽シーズンには家族連れや友達同士のグループ、会社仲間のグループなどが体験に来てくださいます。もう一つは5月のゴールデンウイークから6月までがメーンになりますが、東京のディズニーランドと富士山周辺で自然体験をするという中学校の修学旅行のコースに何とか入り込むことができました。修学旅行で来るのは関西とか中国地方の学校が多く、修学旅行生と一般のお客様、合わせて4月から10月いっぱいまでのシーズンに9千人から1万人ぐらいの方に富士川の自然を楽しんでいただいております。
 私は学生時代からウインドサーフィンの選手をやっていました。20代前半のころ何社かの企業にスポンサーになっていただき、芝川に戻るまで世界最高峰のワールドツアーに参加させていただき、世界中いろいろなところで大会に出ながらいろいろな国の仲間と旅をして、いろいろな自然を見てきました。温かい心にもたくさん触れました。そんな旅を続けるうちに自然と比べたら自分の存在って何とちっぽけなんだろうと思いました。地球上にはいろいろな人たちが暮らしているんだなということを旅で気づきました。
 プロ選手をやっていく上で契約金とか賞金とか一番大好きなものがお金と直結してしまうところが何かあまり気持ち良くなく、一生ウインドサーフィンをやっていくために選手を引退しようと決意しました。
 僕が次にやることは決まっていました。それは人と自然の間に上手にいい関係をつくるためのきっかけづくりということです。あらためて生まれ育った芝川はいいところだと気づきました。週末、わざわざ1時間、2時間、電車や車に乗って来てくれ、1日遊んで、「いいところですね。また来ます」と言って帰っていく。ここで育ったことに日々感謝の気持ちが深まっているところです。
 子どもができてしばらくしたころ、僕はどんなときに幸せなんだろうと考えたことがありました。最後に思いついたのは川の水がきれいなのが一番うれしいと思ったんです。川の水はどこから来るのかというと、森から来るんです。水も空気もみんな森がつくってくれるんです。そういう当たり前のことに気づきました。
 もともと家業が林業で、僕で5代目になるんですが、シーズンオフの冬のスタッフの雇用のことも考えて、森づくりをもう一つの仕事にしていこうと思っています。また、サクラエビの船を持っていまして、実際に春と秋には僕が舵(かじ)を持ってサクラエビ漁にも出ているという、そんな1年を送っています。
 山とか川とか海といった自然のフィールドの中で静岡の気候にあった季節ごとの仕事を仲間と汗を流しながら、そのつながりをいかにつくっていくかというのがわれわれのミッションというか、これからの課題です。


日本で一番大きなヒルクライムに

渡辺正志 氏

渡辺正志 氏

影山 山梨県から富士吉田市の陸上競技協会の渡辺さんにお越しいただいています。取り組みを紹介してください。

渡辺 私は富士吉田市の陸上競技協会の会長をしておりまして、その中で富士山にまつわる競技、イベントを主管しているものが6つあります。63年間続いている富士登山競走、火祭りロードレース、24時間リレーマラソン、富士五湖を網羅して117キロを走り込むチャレンジ富士五湖、一昨年から瀬古さんと一緒に始めた富士山5合目までの富士山チャリティー駅伝、富士吉田市の麓から富士山5合目まで自転車で走るマウント富士ヒルクライム、この6つの競技を主催しています。最後のマウント富士ヒルクライムは自転車レースなんです。何で陸上競技協会が自転車なんだというと、やはり富士山です。マラソンをする方と話し合いをしたときに、これは夢だろうが、この素晴らしい景色の中で自転車をこげたらすごいなという話がありまして、「では、やってやろうじゃないか」ということで、みんなを扇動しまして24キロあるスバルラインでやろうと。1年かけてレースに漕ぎつけたわけです。
 まず、有料道路ですから午前中しか使えないということでスタートは朝の7時です。では前日受付にしようと。家族を合わせると8千人ぐらいになると思いますが、すべて泊まってもらおうと私たちは前日をメーンに徹底的なおもてなしを計画しました。今、リピーターが約70%あり、第1回大会が2千人、そして第4回大会で日本一の4千人を超え一昨年は5千人を超えました。これが何と27時間でいっぱいになってしまい、とうとう抽選会をさせてもらいました。5千6百人応募され、当日走ったのが5千60人です。今まで日本では乗鞍の大会が1番でしたが、4年間で圧倒的に抜きまして、このマウント富士は日本で一番大きなヒルクライムになりました。

影山 大変迫力のある自転車競技ということで感動しました。


水泳の合宿のメッカとして一歩ずつ階段を上がっている

影山 小池さんは、もともと地域づくりのコンサルタントとしてもご活躍で、市の観光振興計画にもかかわっておられました。

小池  私が市議になる前ですが、富士市で向こう10年間を長期目標に観光交流まちづくり計画を作るお手伝いをする機会がありました。そのとき国体を前にして水泳場ができ、国際大会ができるプールが誕生したわけだからぜひ生かしていこうということで、観光計画にスポーツ・メッカ・プロジェクトとして水泳と、安藤さんからお話があった富士市の河川敷公園のアルティメットとクリケットの取り組みの2つを柱に位置づけてきました。
 水泳場には飛び込みのプールもしっかりあり、指導者もいました。一般開放して使えるプールで飛び込み台があるのは全国で5つしかないそうですが、大都市圏がほとんどで地方では富士だけではないでしょうか。国体の後、管理者が頑張りまして、水泳連盟やシンクロの団体などと信頼関係をつくりながらスポーツ合宿のメッカということでかなり利用度が高くなり、シンクロと飛び込みについては日本のオリンピックチームが毎年合宿をしております。施設の管理者が、朝早く、昼間と夕方、3回ぐらいに分けて練習する水泳の選手のために朝早くからプールを開けたり、食事の面でもホテルなどで随分配慮していただくということで、選手、コーチにとって富士市に行けば安心して選手を育てられるという環境ができたと思います。そういう意味では水泳の合宿のメッカとして一歩ずつ階段を上がっているという状況です。
 隣の富士宮市ですが、平成19年3月から向こう10年間、ソフトボールの春の全国大会を県営雨宮ソフトボール場を中心にやっていこうということで、誘致に成功しました。全国選抜大会ですから各県の代表が集まって大会を行うということで、かなり盛況になってきています。
 私が所属している富士環境倶楽部では、富士山麓の森が育んだ水、田宿川という湧水の川ですが、ここでカヌーをやっています。沼川も水質もきれいになり、富士地域ならではの水辺を生かしたスポーツにも取り組んでいきたいと思います。


1億3千万円の経済効果をもたらす

影山 皆さんからいろいろな映像を見せていただいて、実際にこの地域でどんなスポーツが展開されているのか、良くご理解いただけたかなと思います。次にスポーツコンベンションの地域にもたらす効果、メリットについて、まず渡辺さんからお願いします。

渡辺  私たちが、なぜ自転車競技に取り組んだのか。陸上競技協会は小中学生の記録会などお金のかかるものが多くあるんです。バブル崩壊以降、私たちのような小さな団体では小中学生、高校生まで面倒が見切れなくなってきて、行政からも寄付をいただくことができなくなった状況があったのです。そこで私たちは自分で事業を起こし、その利益で運営していこうと考えたのです。協会を存続させるためにやったのです。
 やってみてびっくりしました。マウント富士ヒルクライムは前日集合です。参加の皆さんにお泊まりいただく。そうしますと宿泊代だけで6千100万円ぐらいになる。その人たちが食事をしてお土産を買う。アンケートを基に計算しますと1億3千万円の効果をもたらしたんです。
 このほかに河口湖で1万4千人、山中湖で1万5千人の大会があり、年間にすると6万人ぐらいの選手、家族を含めると7万人ぐらいの方々が富士山の麓に集まっているということにびっくりしています。大変な経済効果をもたらしているなと。
 どうやってそんなに集めるのか。宿泊はどうしているのかなどの問題が起きます。これは大変です。7千800人ぐらいの宿泊ですが40%が、宿泊施設が少ない富士吉田市に泊まったということでびっくりしました。そういう意味では本当にいい大会をしたなと。経済効果を考えながらやっていく事が必要かなと思いました。

影山 波及効果を考えますと1.7倍から1.8倍あるとよく言われますので2億円を超える経済効果を地域にもたらしたと思います。ポイントは前日の受付にして泊まっていただく、できるだけお金が地元に落ちるという工夫ですね。地域への貢献という面で大きなポイントになっていると思います。


朝食付きだけで夕食は地元の町へ誘導

影山 富士のアルティメットの効果はいかがですか。

安藤  富士ではアルティメットのほかにもさまざまなスポーツ大会、スポーツ合宿を誘致しています。アルティメットは3月に富士川の緑地公園で行われるドリームカップが日本で一番大きな大会で、延べ4千人に3日間泊まっていただきます。参加人数でいうと千5百人から2千人ぐらいです。これは最も大きな大会で他のスポーツですと、小さな大会で3百人から5百人、あるいは1千人規模の大会まであるということですが、ホテル旅館組合で把握しているのは年間2万5千人ぐらいです。富士、富士宮は宿泊施設が少ないといわれるんですが、清水のホテル、旅館組合さんと連携しながら大会の規模に合わせて配宿できるような体制を整えています。
 特にアルティメットの経済効果ですが、アルティメットの大会はすべて朝食だけで対応しています。しかも朝食は5時半とか6時とか非常に早い時間ですが、全ホテル、旅館さんに対応していただいて、朝早いトレーニングに耐えられるようなフットワークと、夜はぜひ富士の街に出てくださいというようなご案内をして、地元に経済効果があるようなビジネススタイルをとっています。まだまだ課題もいっぱいありますが、地元富士市民やお客さまに見に来ていただく努力が足りなかったので、これからは観光交流ビューローとか富士の行政の皆さんにご協力をいただきながら、経済効果を図っていきたいと考えています。


人が本質的に幸せだなと感じられるのは心の部分

影山 スポーツの持つ力として人と人をつなぐ力とか人格形成に与える影響とかの観点からのご指摘が大八木さんからありましたが、佐野さん、いかがですか。

佐野 アメリカ・オレゴン州のフットリバーという小さな町で、1997年にウインドサーフィン、スノーボード、マウンテンバイク、カヤック、ラフティングなど10種目のオール・ナチュラルスポーツ・アンド・ミュージックフェスティバルという大会があり、僕はウインドサーフィンに出ました。コロンビア川という川幅も想像できないくらい大きな川で、30キロぐらいの長い距離の大会があり、たまたまブロンズメダルを取りました。この大会が僕の転機になった大会でした。いろいろな種目をやっていて、僕のラフティングとの出合いもそこだったんです。中央公園で毎晩パーティーがありました。いろいろなスポーツの人たちがそこに集まってビールを飲みました。
 僕はいつか富士山でこんな事がしたいなと思ったのが、こちらに帰ろうと思った原点です。その大会はいろいろな分野の雑誌に紹介され、さまざまな人がそこを訪れるようになりました。大会が根づき、季節を問わず人が訪れ、みんながそこに行くと幸せになれるんです。
 経済も大事ですが、結局、人が本質的に幸せだなと感じられるのは、心の部分だと思うので、そういう心の温かさに触れられるとか、すごく気持ち良くなれるとか、そういう場所になっていったら、ここは富士山も一つしっかりしたブランドになるんじゃないかなと思います。それができたとしたら1%のミラクルだと思います。それをやる過程には自転車の大会もそうだったと思いますが、99%の部分が絶対あったと思います。その99%の部分でアウトドアのスポーツというのは自然のこととか、これからの地球の環境のことですとか、自分の生き方とか、たくさん大切な事に気づくんじゃないかと思っています。皆がこれをすることによって幸せになれるという可能性を秘めたものではないかなと考えています。

影山 スポーツコンベンションというのは一つ大きな効果として経済効果があると思いますが、そうした地元の人たちと選手たちの交流を通じて、地域のファンになっていただき、繰り返し来ていただける。そういう人たちが増えていく。まさに渡辺さんのところの富士ヒルクライムというのは、そういう好循環を果たして、今は世界的な非常に知名度の上がった大会になっている。そんなふうな情報発信力というものが、スポーツコンベンションの持っている大きな力だという感じがします。


ソフトを重視するコトづくりが重要

影山 皆さんの取り組みも富士山の大きな魅力があって初めて成り立っているかと思いますが、さらにそれを生かして「環富士山」という静岡と山梨の連携のようなところで取り組んでいくアイデアを含めてお話しいただきたいと思います。

安藤 観光という大きな流れの中で、われわれはかなり尖ったコンセプトをつくっていかなければならないと考えています。北関東の宇都宮、福島、信州長野の菅平ですとか、非常に素晴らしい設備やグラウンド、仕組みを持った場所がいっぱいあります。そんなところとわれわれが競合して打ち勝っていくには何があるかといいますと、先ほどの心を込めたおもてなしをすること、あるいはソフトを重視するコトづくりが非常に重要だと考えています。
 そのコトを作っていく時に富士山を生かしたということが大切だと思います。皆さん、富士山のあるところで大会ができて一生の思い出になると感動してくれるんですが、それだけではなくてこの富士山のエリアに住んでいる私たちが何をもっと提供できるかというとやはり心だと思うんです。
 具体的には長いスパンのものと、直近でやっていかなければならない課題がいっぱい残されていると思いますので、われわれはニュースポーツ以外にメジャースポーツのハブ大会、例えば高校生で言うと国立競技場に行けなくて負けてしまったチームの受け皿大会とか、そういうニッチな部分を狙っています。そういうコトを起こす事によって、われわれが手を上げてマーケットサイズに合った誘致ができると考えています。あるいは高地トレーニングという富士山の中腹までを生かした合宿が考えられないだろうか。そんなものも今、標榜しています。

佐野 富士山は人をひきつけるすごく大きな力を持っていると思います。どんな切り口でもいいと思いますが、富士山という象徴的な山を中心にここに来てもらって、楽しんでもらえるようになり、環富士山ということでネットワークを組んでやっていければいいんじゃないかと思います。


富士山は日本有数の高地トレーニング場になる

影山 渡辺さん、いかがでしょうか。

渡辺 今日、こんな機会を持たせていただいて大変うれしく思っています。私たち、山梨県側は静岡県の皆さんが富士山でどんなイベントをしているのか。まったく分からなかった。だから環富士山といわれてもどうしたらいいんだろうと戸惑うところもあるんですが、こういう機会を持っていただくと、われわれがいまやっていることを皆さんに訴えて、それが静岡側でもできればいいんじゃないかと思っていますが、陸上競技を主体にすると難しい問題がいっぱいあります。
 確か山梨県と静岡県の県同士で富士山1周駅伝はどうだろうという話が出たことがあると思いますが、知らないうちに頓挫してしまっているような状況です。特に陸上競技は道路を使いますので警察との調整という問題があります。これができれば富士山の周りをぐるぐる回る駅伝やマラソンができ、それこそ日本一の大会になるわけです。
 私たちの住んでいるところは標高約1千メートルです。高地トレーニングを考えれば日本有数の高地トレーニング場になるんではないか。現実に日本短距離陣、末次、為末、朝原は外国に行く前に富士北麓の競技場で10日間の合宿をしていきます。静岡県側だって日本のトップアスリートの運動施設、走れる自然、こういうものを考えていただければ、富士山北麓側を巻き込んだ大きな事業ができるんではないか。
 私はいつも富士山を見ていますが、富士山ほど素晴らしいブランドはない。これを利用しない手はないといつも思っているんですが、利用するには大変難しい問題もあります。しかしそれを引き受ける私たちがいれば、できない事はないと思っていますので、是非、私どもと話をしていただいて、富士山を取り巻く素晴らしいスポーツ、観光をやっていければいいのかなと思っています。


これからは環富士山という枠組みの中でこそ地域の情報発信ができる

小池智明 氏

小池智明 氏

小池 インターネットで調べてみたところ、京都府にある旅行会社がサイクリングの愛好者に向けた富士山一周ツアーをPRしていました。連休を使って3泊で富士山をぐるっと回る。富士山一周駅伝とか、途中でつぶれてしまいましたが富士山一周ドリームウオーク、これも民間サイドではどんどん動いている。早く動かなければ置いていかれてしまう時代ですから、ここにこうして渡辺さんに来ていただいたのは非常にいい事だと思います。
 市長が先日、平成22年度の施政方針を示しましたが、その冒頭に出てきた言葉は環富士山の地域づくりです。これからは環富士山という枠組みの中でこそ地域の情報を発信できる。人を呼び込むとか、いろいろな機能の集積が成り立つというのが前提にあると思います。当然そういう考えでこれからはやっていかなければならないし、そのためのリーダーシップを取っていくのは先に言い始めた富士市がやるべきだと考えています。ぜひ、この場で富士市がそういうことをしていくという宣言をしたということで理解していきたいと思っています。

影山 大変心強い宣言があったようですので期待したいと思います。高地トレーニングだとか、メジャー大会の中のニッチの大会とか、いろいろなアイデアも出てきて富士山のブランドを生かした可能性ある取り組みが可能かなと思います。


連携体制をどうつくっていくのか

影山 山梨と静岡との連携体制をどうつくっていくのかというお話しもありました。そのあたりが一番大きな課題なのかと思いますが、安藤さん、いかがでしょうか。

安藤 前に富士JCでマウント富士スポーツ・ゲームコミッションというものをつくらないかと提言しておりました。いろいろな観光をスポーツというコンセプトで串刺しにして連携ができないかという事で、特にきょう渡辺さんにお越しいただいて本当にありがたいんですが、自転車ですとか高地トレーニングはスケジュールの問題などいろいろな課題があって、一つの地域だけでは受けられなかったりすることが多いんです。そういう中で、いろいろな地域をそういったコンセプトで串刺しにした連携組織をつくる事によって、先に行動に移してしまおうと。いろいろやってきて、あとから解決できる問題の方が多いので、とにかく仕掛けをつくってコトを起こしていこうということを、是非、地域連携としてご提案したいと思いました。

影山 そういう意味では観光交流ビューローが現在富士地区にあるわけですが、小池さん、いかがでしょうか。

小池 スポーツ合宿一つとっても安藤さんたちの旅館組合とスポーツ施設がなかなか上手に情報交換ができない点があるのではないかと思います。両者がどこかで定期的に会合を持つような事をセットすれば上手に情報交換できる、というような事を地道に観光交流ビューローはやっていく必要があると思います。環富士山という取り組みをしていくためには、警察の問題、地域の体協だとかいろいろな組織との調整などがあります。事務的な問題もあるでしょうし、もう少し上のほうで自治体のトップたちが顔を合わせていく機会も必要だと思います。富士山観光ビューローの理事長を富士市長が務めていますので、是非、富士市長のリーダーシップを、ビューローを通じて果たしていただきたいと思います。


身近な施設、生かせるものでやれることってある

影山 最後に皆さんに富士山を生かしたスポーツコンベンションに向けて、こういう取り組みをすべきだということを一言ずついただきたいと思います。

安藤 インフラの整備などお金のかかる投資をやっていかないとなかなか観光資源の開発はできませんが、その前に今ある身近な施設、生かせるものでやれることってあるじゃないのという気概を持ってスポーツコンベンションを進めていきたいと思っているんです。いろいろなアイデアがいっぱい転がっていると思いますので、ぜひ私が提唱しましたようなマウント富士スポーツコミッションだとか、なるべく特化したコンセプトの中で連携ができるように考えていきたいと思っています。


与え合う事で地域を高めていければ大切なお客さまになってくれる

佐野 僕はいろいろなところを旅してきて、一番心に残ったのは、ああこの国の人は幸せそうで、いい生き方をしているなということです。笑顔が良かったなとか、そういうことだったんです。それがもう一度行きたいと思わせる一番の要因だったんです。
 これから子供たちが育っていく世の中を考えると、最近ブータンの首相がGNH、国民総幸福度を国の物差しにしていこうと言い出したらしいですが、この地域で自分が生きていこうと思い、観光も漁業もやっています。いろいろなジャンルがありますが、ジャンルを超えて自分が地域を愛して幸せだと思う生き方をする。そして他人にも幸せになってもらうことを考える。そうやって与え合う事で地域を高めていければ、きっと訪れてくださった方は「ここに来て良かったな。また来たいな」とリピートしてくださり、大切なお客さまになってくれるのではないでしょうか。


夢を夢で終わらせないことが大事だ

渡辺 難しい面もありますが、夢を夢で終わらせないことが大事だと思います。これをやろうと決めたら、困難にも立ち向かってやっていくことが大事ではないかと思います。富士北麓において本当に私たちは困難に立ち向かって、多くのイベントをやってまいりました。すべては皆さん方が一致団結して真正面から取り組んでいったということ。このパワーが行政を、あるいは警察を動かすことにつながっていきますから、夢を夢で終わらせないということが大事だと思います。こんな機会をいただいたわけですから山梨と静岡が本当に手を組んで、富士山にまつわる大きなイベントができたらうれしいと思います。そのために一生懸命、山梨県側で努力をしたいと思います。


静岡、山梨の連携を

小池 渡辺さんから力強いお話しがありましたが、こういう場に渡辺さんに来ていただき、簡単に連携といいますが、その難しさもいろいろ分かりました。静岡県側もやはりやっていこうという気が十分ありますので、その事をぜひ山梨の方々にお伝えいただきたいと思います。


大きな連携のきっかけになることを期待

影山武司 氏

影山武司氏

影山 たくさん映像を見せていただき、それだけでも満足した感じがします。皆さんから力強い言葉をいただきました。富士山とスポーツ観光、スポーツコンベンションというのは、この地域を差別化していく戦略として有効であると、今日の議論を通じて確信しました。やはり夢を夢で終わらせないという、それぞれの地域の人たちの思いを結んでいくことが必要であり、静岡側と山梨側で共有されていないスポーツコンベンションの情報、ノウハウを共有していく場のようなものをお互いに持ち合って、そのノウハウを利用し合う良い関係をつくっていく。そのために環富士山の関係を官民が連携しながら何かできないか、期待しました。山梨から渡辺さんにおいでいただき、一つ大きな連携のきっかけになればいいかなという期待を込めてこのパネルディスカッションを閉じさせていただきます。

 
 

< 略 歴 >

■コーディネーター
影山 武司(かげやま たけし)
1979年3月京都大学法学部卒業。同年4月静岡県庁人庁。1993〜1998年静岡総合研究機構に出向。主任研究員、総括主任研究員。その後県庁に戻り、企画部政策企画室、国体局式典室、生活文化部観光交流室を経て、2006年から再び静岡総合研究機構に出向し、現在研究部長。旧蒲原町(現静岡市)出身。富士市在住。サンフロント21懇話会TESS研究員。

■パネリスト
安藤 肇(あんどう はじめ)
駒沢大学経営学部経営学科卒業後、(株)協同宣伝媒体企画入社。同営業部ディレクターを経て(有)比佐志に入社し、1991年代表取締役就任。 1992年10月(有)比佐志コミュニケーション事業部フジコム設立。 1995年日本JC東海地区事務局長、1997年富士JC副理事長、1999年日本JC東海地区青年の船国際交流委員長を務める。 2003年(有)竹里館代表取締役就任。2007年(有)比佐志から(株)フジコムインターナショナルヘ社名変更。現在は富士商工会議所青年部会長、富士市ホテル旅館業組合副組合長、社団法人岳南法人会青年部理事を務める。 1959年生まれ。富士市在住。

佐野 文洋(さの ふみひろ)
静岡県立農林短期大学林業課程卒業。1992年プロウインドサーファーとなり、世界各地を転戦。最高位はワールドカップドミニカンレパブリック17位。 2002年IRIA公認スイフトウォーターレスキューインストラクターとなる。また、同年より桜えび漁船諏訪丸船長として春・秋の漁に従事している。アウトドア、レスキュー、桜えび漁がオフシーズンとなる冬は林業を営む。現在、ラフティング協会専務理事、レスキュー3ジャパン事務局長、富士宮少年警察協助員、芝川町社会教育副委員長、静岡県消防学校非常勤講師などを務めながら、1998年に設立したナチュラルアクションアウトドアツアーズ代表としても活動中。 1972年生まれ。芝川町在住。

渡辺 正志(わたなべ まさし)
1991年、1995年富士吉田市議会議員、1999年、2003年山梨県議会議員を務める。 1997年4月富士吉田市陸上競技協会会長就任。 2002年4月山梨陸上競技協会副会長就任。富士山の麓を利用した「富士登山競走」「火祭りロードレース」「24時間リレーマラソン」「チャレンジ富士五湖」「Mt.富士ヒルクライム(自転車で富士山五合口)」「富士山チャリティー駅伝大会」などを行っている。 1949年生まれ。富士吉田市在住。

小池 智明(こいけ としあき)
千葉大学大学院園芸学研究科(造園学専攻)修了後、県内のまちづくりコンサルタント((株)東日〈沼津市〉、(株)川口建築都市設計事務所〈静岡市清水区〉)に23年間勤務。この間、県内市町の総合計画、観光交流まちづくり計画などの策定に従事。 2007年富士市議会議員選挙に当選、現在活動中。 1958年生まれ。富士市在住。



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