サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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特別講演 3月19日開催
「日本経済これからのシナリオ」
講師 浜 矩子氏(同志社ビジネススクール教授)

浜 矩子氏(同志社ビジネススクール教授)
 「サンフロント21懇話会」は静岡政経研究会と3月19日、沼津市魚町の東部総局ビル「サンフロント」で特別講演会を開いた。講師は同志社ビジネススクールの浜矩子教授。「日本経済これからのシナリオ」をテーマに日本経済の現状とこれからを語った。懇話会メンバーや一般市民約180人が参加した。

そうは問屋が卸さない

 シナリオのメーンタイトルは「恐慌芝居の次のステージ」としたいと思います。サブタイトルは「1つの内憂、3つの外患」です。1つの内憂とは何か。3つの外患とは何かという事で話を進めていきたいと思います。
 2008年9月のリーマン・ショック直後は1929年の金融大恐慌と同じような状況になっていくのではないかと盛んに言われました。そういう最悪の事態は回避され、恐慌というお芝居は終わったと考えるべきではないかという方も少なくないと思います。しかしながら「そうは問屋が卸さない」ということを申し上げておきたいと思います。
 1929年、ニューヨークで株価が大暴落して金融恐慌だと大騒ぎになったわけですが、あの当時も本当に深刻な事態が顕在化してきたのは、むしろ1930年代に入ってからです。そういう歴史の教訓からもこの段階で恐慌という言葉は過去のものになったと考えてしまうのは楽観に過ぎると考えています。
 まず、1つの内憂とは何か。それは即ち「新型デフレ」と名付けるべきものです。新しいタイプのデフレです。新型インフルエンザよりはるかに毒性と感染力の強い病気ではないかと思っています。
 その内憂に加えて、外患が3つもある。外患その1は「金融再暴走」、金融が再び暴走を始めるということです。外患その2は国々がすべからく破綻するということで「国家総破綻」、外患その3は「通貨大波乱」、通貨の世界が大きく波乱を来すということです。こういうような状況がこれから展開していく。われわれはそのただ中に足を踏み込んでいるという事ではないかと考えています。


モノの値段と人の値段がどんどん落ちていってしまう新型デフレ

 経済活動が縮んでいく。これをデフレーションというわけです。ところが最近の日本の経済成長率をみてみますと、昨年12月期(10月〜12月)の実質GDPは9月期に比べて約1%強の成長を遂げたという数字が出ています。実質GDPという尺度で測る限り日本経済は縮んではいなかったということです。にもかかわらず政府はデフレを宣言せざるを得ず、菅財務大臣が日銀に対してデフレ対策の強化を求めるという場面もありました。
 これはいったいどういうことか。従来の定義から言えばこれはデフレではないのです。経済活動が縮んではいないのにデフレだと言わざるを得ない。ここに今の状況の新しさがある。即ち、新型デフレだと私は考えるわけです。
 新型デフレのもとでは経済活動が縮む代わりに何が起こっているか。モノの値段が縮んでいくということです。限りない安売り合戦という状況です。言い方を変えれば、生産水準を落としたくないために安売りをしている。安売りによって経済活動が縮むことを何とか食い止めている。このような状況にわれわれは追い込まれていると言えます。言い換えれば、出血景気といってもいいかもしれません。
 そのように出血的な安い売値を実現するために何が起こっているかというと、結局のところは人の値段を安くしている。モノを安く売るためにはコストを抑えなくてはいけない。コストの中で一番動かしやすいのは人件費ということで、モノの値段を縮ませるために人の値段も縮ませていく。結局、自分の値段が安くなった人は、より安いものを要求するようになる。そうすると人々が要求する安い値段を実現するために、ますます企業は人件費を抑えなければいけない。そうすると人々はますます安いものしか買えない。したがって企業はさらに安売りをする。こういう形でモノの値段と人の値段がイタチゴッコ的にどんどん低い水準に落ちていってしまう。これが新型デフレという現象の、今までにない姿です。
 そしてこの新型デフレの怖いところは、歯止めがかかる目途が立たないという性格を持っていることです。かつての経済活動がしぼんでいくデフレの場合は、時間はかかりますが、どこかで必ず歯止めがかかるという仕組みになっていました。どこかで底打ちの状態に到達する事が展望されました。
 ところが今のように生産水準は落ちない。その代わりモノの値段が下がっていくというこの構造ではどこまで行っても歯止めがかかる目途が立たないわけでして、無限にモノの値段と人の値段がイタチゴッコで下へ下へ落ちていく格好になってしまう。新型デフレは歯止めなきデフレであるという恐ろしさが、そこに潜んでいる事になるわけです。


新型デフレをもたらす 恐怖の最下位争いと「自分さえ良ければ病」

 では、なぜこういう新型のデフレが起きるのか。そこには非常に厄介な力学が2つ働いていると、私は思います。新型デフレをもたらす2つの要因の、その1は即ち「最下位争い」です。最下位を達成したものが金メダルをもらえるオリンピックという様な状況に地球経済挙げて巻き込まれてしまっているということです。いくら低価格を実現しても必ずそれよりも低い値段を出してくる人が地球の裏側から出現してきてしまう。必ずその賃金レベルよりもはるかに低い賃金で働きますという人がやはり登場してきてしまう。
 地球経済をグローバルジャングルと名付けるとすれば、このグローバルジャングルにおいては誰もが最下位を争う競争に否が応でも巻き込まれ、無限に下へ下へとモノの値段も人の値段も落ち込んでいくと言わざるを得ない。グローバルジャングルがもたらす恐怖の最下位争いという現象が、われわれを新型デフレに追い込んでいくということが言えると思います。
 それに加えて、その背後にある本質的な要因といってもいいと思いますが、もう一つの新型デフレをもたらしている要因、それを何と名付けるかといえば「自分さえ良ければ病」。この病気に駆り立てられてわれわれは新型デフレ、あるいは最下位争いに追いやられているといえると思います。「自分さえ良ければ病」というのは、わが社さえ良ければ、わが家さえ良ければという事になり、これらを集約していくとわが国さえ良ければという事で国々も「自分さえ良ければ病」にかかるわけです。
 この厳しい安売り争いの中で生き残っていかなければいけないということになれば、どうしてもわが社さえ良ければ、わが家さえ良ければと、企業を守るため、家計を守るためにより安いものに手を貸していくという事に当然なっていくわけですが、この自分さえ良ければという発想がお互いをより厳しい方向に追いやっていくことになっていく。


全体を不幸にする「合成の誤謬」の力学

 この自分さえ良ければ病にせよ、最下位争い現象にしろ、この両者に共通する、これまた厄介な性癖、特性があります。これを名付けると、即ち「合成の誤謬」ということになります。合成は化学合成のことで、誤謬は過ちです。合成の誤謬とは、「1人にとっていいことは、全員にとっていいことだとは限らない」ということです。個別企業としてみれば、その企業がわが身の存続のためにどんどん安売りをしていく。そのために人件費を下げていく。これは至って合理的な選択です。
 個別の家計としては、わが家の存続のために少しでも安いものを見つけるという行動も至って合理的な行動であって決して責めることはできません。銀行が貸し渋りをするのも金融機関としての健全性を保つという意味で合理的な選択だといえるわけです。わが国の国益のために頑張る。これを個別の国々としてみれば当然の選択であるわけです。というわけで、自分さえ良ければ現象も個別的に見れば至って合理的で、それを責めるわけにはいかない。
 しかしながら、すべての人たちがこの自分さえ良ければという行動を選択してしまうと全体としては非常に不幸な状況になるということです。
 この現象を「合成の誤謬」というのですが、グローバルジャングルは「合成の誤謬」の力学が非常に働きやすい場所であるという事をつくづく思い知らされる日々だなと思います。まさにこの個々のわれわれがそれぞれ必死で合理的な選択をしている結果、われわれは全体として新型デフレという歯止めなき、モノの値段と人の値段が下に向かってどんどん渦に巻き込まれてしまっているというわけです。


金融再暴走が始まっている

 それに加えて3つの外患もわれわれに迫り来ているわけです。その3つの外患の1番目に挙げました「金融再暴走」ですが、そもそもリーマン・ショックが発生し、われわれが新型デフレの深い淵に突き落とされている、その諸悪の根源は金融の大暴走でした。
 アメリカの投資銀行を中心にして誰よりも早く、誰よりも危ない橋を誰よりもたくさん渡ることが、生き残り、勝ち残りにつながるというような行動を世界中の金融機関がとってしまう状況の中で、サブプライム問題なども起こり、金融機関が非常に危ない投資で高収益を目指し、危ない橋を皆が渡っているうちに、木から皆落ちて大恐慌に至ったというプロセスをたどったわけです。その衝撃で世界中は大いに痛み、新型デフレの淵にたたき落とされることになったわけです。
 ですから金融の大暴走は問題の発端であったわけです。その金融の大暴走が今また再び始まらんとしている。あるいは始まってしまっているという現象を、外からやってくる危機の筆頭と私は考えています。
 これは何も私が勝手に言っているわけではありません。金融再暴走の証拠はいろいろなところで見られるようになっています。その事を端的に示す出来事が年明け早々にありました。国際決済銀行、BISはグローバルな金融の総元締めと位置づけてもいいような組織で、別の言い方では中央銀行のための中央銀行とも言われている国際機関でスイスのバーゼルに本部があります。その国際決済銀行が今年の年明けに世界の主要な民間金融機関の経営責任者たちを本部に呼び寄せて非常に強い警告を発するということをしました。警告の中身は「あなたたち、また暴走を始めているではないか。のど元過ぎて熱さを忘れたのか」と。
 この警告を待つまでもなく、リーマン・ショックから1年経たない昨年秋ごろから大手の投資銀行がものすごい高収益を上げるようになっています。リーマン・ショック以前と全く同じように危ない橋を渡る事による高収益で、それによって高額報酬を手にしていたわけで、金融の再暴走は現実となっているという事です。
 そうなれば国際決済銀行が警告を発した通り、いまや彼らの暴走によってわれわれはリーマン・ショック直前のあまりにも高すぎて、あまりにも足場が悪すぎて、あまりにも危なすぎる山の上に、いままた押し上げられようとしているわけです。もしまた、高すぎて危険すぎる山の上に押し上げられ切ってしまえば、その結果はまた同じ深い谷底に落とされるに決まっているのです。
 こんなことを何度も繰り返していたのではわれわれの体力が持たないことになるわけで、これはやめてほしいと思うわけですが、彼らは必死でそっちの方に突っ走っているという事ですから要警戒の状況になってきました。


金融再暴走の背景に世界的な超金余り、超低金利状態

 金融再暴走を考えることが、外患その2として挙げました「国家総破綻問題」に直結していくテーマです。
 金融再暴走になっているのは、アメリカの投資銀行たちがもともとのど元過ぎればすぐに熱さを忘れるという体質を持ち、ちょっとでもタガが緩めばハイリスクの方向に走ってしまうという性癖があることは間違いありませんが、それだけではないのです。今、彼らが再暴走に向かっている背景には世界的に超金余り、超低金利状態になっているという経済環境の問題があります。
 こういう金余り状態の中で高収益を上げようと思えばどうしても危ない橋を渡らざるを得ないという側面があります。
 リーマン・ショック以前にまさに世界的に金余りだったが故に投資銀行は暴走したわけですが、今なぜそういう金余りが再現されているのか。端的に言えば世界中の国の政策が意図的に金余りを作り出しているというのがその実態です。世界中で財政も金融も、いわば大盤振る舞い状態になっているというのが実情です。
 まさにリーマン・ショックがもたらした経済的な大打撃で深い谷にわれわれは落ちている。少しでも引っ張り上げようという世界の財政は次々に大型の経済対策を打ち出していく。金融政策もなりふり構わず現金を市場に流し込んでいく。世界中が挙げて、かつての日本のゼロ金利政策、量的緩和政策と同じことをやっているということで、これは当然超低金利、金余りが世界的に広がる状況になっているわけです。
 かくして政策が作り出した金余り、低金利によって金融は再び暴走の方向に追いやられている現象があるわけです。これは誠に厄介な状況です。国々が大型の経済対策を打ち出していく。中央銀行たちがゼロ金利、量的緩和を追求する。これは今の国々の経済実態を見ればやむを得ない対応です。何にもせずにデフレの淵にわれわれを放置すれば、これは犯罪的なおさぼりだということになるわけですから、こういうことをやらざるを得ないわけです。
 しかしながら財政と金融が大盤振る舞いをすればするほど金融を再暴走の方向に追いやる金余りを自ら作り出してしまう。当面の危機に対応すべく、政策が動けば動くほど危機をまた発生させる。金融の暴走を煽ることになる。きわめて厄介な現象のさなかにわれわれは落ち込んでしまったわけです。
 こういう問題があるために世界の政策責任者たちは出口戦略を一生懸命考えているわけです。


「国家総破綻問題」を引き起こしつつある

 しかし一度こういうことをやり始めるとなかなか止められません。一度着けてしまった生命維持装置は怖くてなかなか外せない。分かっていながら蛇口を閉められないで状況は深まっている。蛇口をなかなか閉められないという事は実は外患その2の国家総破綻問題を次第に引き起こしつつあるという流れになるわけです。
 多くの国々が財政の大幅な赤字を抱えていたわけです。そこにもってきて大盤振る舞いをやらざるを得ないとなったわけで、一段と借金が増える。ない袖を振っているというのが国々の財政の状況です。国が大きな借金をさらにまた膨張させる状況が金余りを作り出す。
 この国の借金問題が非常にどん詰まりのところまで来て、いよいよ借金が返せないかもしれないという問題が出て来てしまって、今注目されているのがギリシャの問題です。
 ヨーロッパではギリシャの国家破綻問題をどうするか。果たしてヨーロッパの仲間たちが彼らを救うのか。見放すのか。救うのと見放すのとどちらが怖い結果をもたらすのかをめぐって欧州連合、EUが非常に頭を悩ませている事態になっているわけです。国家破綻問題が、さしあたりギリシャにおいて集約的に現れているということです。


一番心配すべき国々はアメリカと日本

 1つの国の破綻問題ということで考えるのであればギリシャよりももっと重い存在は他にあるということは誰もが思うところでしょう。今一番心配すべき国々は、第1にアメリカ、第2に日本になると思います。より正確に言えば1に日本、2にアメリカでしょう。日本政府の債務残高は、計算の方法によりますが、対GDP比は180%から200%に達しております。日本国経済のほぼ2倍の規模の借金を抱え込んでいるわけです。同じGDP比で見た債務残高はギリシャが113%。そのギリシャがこれだけ心配されているという事であれば、もっと心配されるべきは日本の問題でしょう。そして次にはアメリカという事になるわけです。国家総破綻問題は非常に大きな問題としてわれわれの目の前に迫ってきているわけです。
 そういうふうに言いますと、「日本の場合は他の国々と違った事情がある。だからそんなに心配しなくても大丈夫だ」という方々が多いです。その根拠は日本の国債を持っているのはあらかた日本人だからというのですが、私が考えますに、この言い方ほど日本国民を愚弄している言い方はないと思います。国民は決して借金を返せとは言わないだろうと言って開き直っているに過ぎない話で、それ以外に頼れる材料がないとすれば、そのような国は事実上破綻していると同じ事だと言えるわけです。


統制経済の可能性が

 国が破綻の危機に瀕するということは国民にとって恐ろしい事です。その恐ろしさをギリシャがわれわれに示してくれているようです。ギリシャでは高齢者たちがデモに繰り出さざるを得ない状況になっている。つまり明日から年金を払えませんというふうに言われてしまっているわけでして、われわれが当たり前の事だと思っている行政サービスが突然明日から行われないようになる。そういうことが国家が破綻に向かう中では起こってきます。
 さらには、そういうことが嫌だということであれば、そういう場面で国々が何を言い出すかというと「皆さん、国家破綻が嫌ならば、年金を払ってほしいのであれば国は頑張りますが、その代わり明日から国民全員から愛国税を徴収します」と言われてしまうかもしれません。あるいは追加発行の国債を強制割り当てで皆持たされるということになるかもしれません。
 こういうふうになれば、それはもう統制経済です。国家が破綻に瀕するという事はわれわれの生活が国家統制のもとに置かれる可能性を秘めていることで、笑い事ではない問題であります。そういうことが今まさにわれわれの目の前にぶら下がってきたという事があるわけです。これも要警戒要因だということです。


「通貨大波乱」に繋がっていく

 このような形で国々が破綻の危機に瀕するとなれば、これはほとんど必然的に次の問題として「通貨大波乱」に繋がっていくことになります。
 今は言ってみればアメリカの国債と日本の国債のどちらが先に紙切れになるかという事をみんなが心配している。その途中でイギリスの国債が先に紙切れになるかもしれない。どこの国の国債が先に紙切れになるか争いをしているという状況です。
 明日倒産するかもしれない国の通貨などは誰も持っていたくないわけですから、どの通貨から先に来るかということが為替市場を非常に神経質にさせている状況で、今、不気味な小康状態と言えるのかもしれません。これが第3の外患として通貨大波乱を予見させる一つの要因ですが、それだけではありません。
 現状において通貨大波乱を展望させる要因というのはもう1つあります。それは為替戦争要因です。為替戦争というのは、言い換えれば「為替切り下げ競争」ということになります。わが国の通貨の価値を他のどの国の通貨の価値よりも低いところに持っていくことによってがんがん輸出を伸ばし、輸入品はなるべく入ってこないようにしようと。これが為替切り下げ競争というものです。これも一種の安売り合戦といっていいでしょう。


末期症状に出てくるのが為替切り下げ競争、為替戦争

 国々が「自分さえ良ければ病」にかかったときにどういう症状が出てくるかというと、保護主義です。わが国の市場を外から守るということで、輸入品が入ってくるのは許さないというのが典型的な姿です。
 この「自分さえ良ければ病」の症状である保護主義は、その初めの段階ではどういう格好を取るか。それは国産品愛用運動という形を取ります。今、アメリカではバイ・アメリカンということで、それをやっています。中国もバイ・チャイニーズ政策を展開してきましたし、多くのヨーロッパ諸国も大なり小なり国産愛用というのをやっております。これは初期症状として必ず出て来るのですが、この国々の「自分さえ良ければ病」の最後の段階、末期症状に来た時に必ず出てくるのが為替切り下げ競争、為替戦争というものです。
 1930年代の半ばが一番大変な時期でしたが、その局面で出てきたのがこの為替切り下げ戦争でした。当時の3大主要通貨はイギリスのポンド、フランスのフラン、アメリカのドルでしたが、この3大通貨国の間で熾(し)烈な為替切り下げ競争が展開され、それがどんどん高じて行く中で、結局、最終的には第二次世界大戦に向かう鍵を開けてしまったという展開でもあったわけです。


今日の3大通貨国が、それぞれのやり方で為替戦争の宣戦布告の状況

 果たして、ここに来てそういう姿がかなりはっきり出てきました。ごく最近のことですがアメリカ政府が向こう5年間でアメリカの輸出を倍増させると輸出倍増計画を打ち出しました。5年間で倍増させるという事はものすごい大変なことです。それを目指すという事は、アメリカはかなりアグレッシブなドル安政策を追求していくということを宣言していることに他ならない。
 相当に安売りをしなければ輸出倍増はできない。ですからこれは事実上のドル安宣言に他ならないと思いますし、その返す刀で中国の人民元が安すぎるから切り上げろという事をいっています。それに対して中国は大いに怒って人民元を切り上げさせてたまるものかと相当力を入れて人民元高を阻止する格好になっております。
 日本では菅財務大臣が円はもう少し安い方がいいという事を言って物議を醸したりしました。ということでアメリカは輸出倍増宣言、そして中国は人民元高阻止、そして日本は円安追求ということですから、いまや今日における3大通貨国いずれもが、それぞれのやり方で為替戦争の宣戦布告を行ったといってもおかしくない状況になっていますから、これから熾烈な為替戦争が展開するといってもおかしくないだろうと思います。


1ドル50円の覚悟も必要

 この為替戦争が行き着くところ、その先にどれぐらいの円ドル為替相場の水準が待っているかを考えておかなければいけません。アメリカが5年間で輸出倍増させることを考えるとなれば、それを可能にする円ドル為替レートの水準とは、私が考えますに1ドル=50円という辺りでしょう。今の価値で言えばドルの価値が半減するというぐらいまで行く可能性を覚悟しておく状況だという感じがします。
 世界経済として全体的にバランスを取り戻すには、それぐらいの相場が妥当なところではないかとも思います。確かにアメリカはドル高をいい事に世界中から借金してモノをがんがん買っていたわけです。その結果として借金漬けの経済になり、そういうアメリカに金が集まりすぎたがために世界中の金余り、リーマン・ショック、金融暴走というふうになった面もあるわけで、ドルが安くなるのはそれなりに妥当な流れではあると思います。
 しかしながら1ドル=50円はなかなか厳しい。しかし行き着くところはそれぐらいのことを覚悟しておかないといけない世の中になっていると考えておいた方がいいと思います。


新しい夜明けに必要な経済活動の形と心の変化

 内憂だけでも厳しいところに、この3つの外患が迫ってくるという話ですから、こういう中で恐慌芝居が終わったとは言えない訳でして、今のような形で1つの内憂と3つの外患がどんどん極まっていく事になれば、その結果として何が起こるかといえば、これはもうわれわれは「永遠の暗闇」に突入するしかないだろうという感じになってきてしまうわけです。
 何をどうすればこの暗闇を回避する事ができて、新しい夜明けに向かってわれわれは扉を開く事ができるか。新しい夜明けに向かって扉を開くという観点から言えることは、2つの変化が起これば、新しい夜明けも来るかもしれない。2つの変化はどういうものかというと、変化その1は「経済活動の形の変化」ということです。その2は「経済活動の心の変化」ということです。経済活動の形と心の変化ということです。


分配の強化が必要

 経済活動とは「成長」と「競争」と「分配」を3点とする三角形であると考えると、一番均整が取れた三角形は正三角形です。経済活動の理想的な姿というのは、即ち成長と競争、分配の3点の長さが等しいという状況になっているとき、われわれは黄金の正三角形というものを手に入れる事ができる。
 今、日本経済の経済活動の三角形はどんな形になっているかといえば、これは非常に歪(ゆが)みの大きいものになってしまっています。成長の辺が強制的に引っ張り伸ばされている。ところがグローバルジャングルという環境の中で成長のベクトルを引っ張れば引っ張るほど、それに伴って最下位争い、自分さえ良ければということに煽られ、競争のベクトルもくっついて引っ張り伸ばされてしまう。その結果として成長と競争の2辺が異様に長くなって、その両者の挟み撃ちにあうような格好で分配の辺が非常に惨めなものになっている。
 そういう歪みを抱え込んでいるのが今の経済活動の三角形の姿であるといえるのではないかと思います。
 したがってこの三角形の姿を正三角形に近づけていくためには分配の辺を強化していくということが必要だということになるのではないかと思います。


分配のベクトルに直接に働き掛けていかなければならない状況

 鳩山政権は半年がたったわけです。彼らに対する批判はたくさんあると思いますが、「彼らには成長戦略がないから問題だ」という批判は的外れだと思っています。なぜかというと、冒頭で申し上げましたように今、日本経済は成長していないわけではないのです。実質GDPで測る限りプラス成長は続いているわけです。むしろ成長しているのにデフレに悩まされなければならないというところに問題があるわけです。
 さらに言えばリーマン・ショック問題が起きる以前、2002年から2007年という時期、「いざなぎ超えの景気拡大」という事が盛んに喧伝されました。いざなぎ超えの景気拡大ということは、その間、日本はずっと成長していたわけです。では、長い成長期に日本経済は飛躍的に豊かになったのか。人々の富は増え、われわれは全員がハッピーになったかといえば、全然そんな事はなかったわけです。
 むしろそれとは逆に、まさにいざなぎ超えの景気拡大のさなかにおいて格差問題が急激に浮上してきたわけですし、ワーキングプアなどという言葉が日本の経済用語の中に市民権を得るということになってしまったわけです。そして非正規雇用者が非常に辛い思いをし、ついには貧困問題というような格好で議論するところまで行ってしまったわけです。これらの事はすべて日本経済が成長している間に起きたことです。成長しても人々が豊かにならないところに問題があるのです。分配のベクトルを強化していくという事が今、非常に必要になっている。
 グローバルジャングルの中においては、いくら成長を実現しても競争のベクトルが非常に強く力を発揮するために、その競争によって成長が食われてしまって、分配が減り、人々が富を手にする事が上手く働きにくくなっているゆえに分配のベクトルに直接、働き掛けていかなければいけない状況になっているだろうと私は思います。
 そういうふうに考える限り鳩山政権が打ち出した「コンクリートから人へ」「人間のための経済」というのは極めて時宜を得ている。今の問題状況をよく把握した言い方だと思います。ですからその言い方にもっと忠実に、成長戦略がないからだめだと言われてもビビらずに、まともに分配の強化というところを追求していってしかるべきだと思いますが、残念ながら腰が据わっていない。
 そういうことを含めて今は経済活動の形を分配強化の方向に矯正する。その正三角形を求めていく事が求められていると思います。


「自分さえ良ければ」から「あなたさえ良ければ」へ

 経済活動の心も本質的に重要だと私は思います。経済活動の心をどういうふうに変えるかですが、これは言ってみれば非常に簡単な事でして、「自分さえ良ければ病」が人々を、国々を非常に侵しているということでして、自分さえ良ければをやっている限り互いに首を絞めあうことだという事であれば、それを止めるためには何をするかといえば、自分さえ良ければの正反対をする。即ち「自分さえ良ければ」から「あなたさえ良ければ」という方向に向かって経済活動の心意気が変わるという事が今、非常に必要ではないかなと思います。
 「あなたさえ良ければ」、それはどういう事かといえば、国々について言えば、アメリカは今、「自分さえ良ければ」ということでバイ・アメリカンを進めているわけですが、そのアメリカが「あなたさえ良ければ」の方に心を入れ替えれば何と言うか。即ち、バイ・ノン・アメリカン。アメリカ製品でないものをアメリカは買いますと言い出すことになる。企業と企業の間で「あなたさえ良ければ」をやることになれば、トヨタ自動車の従業員の皆さんが日産自動車の車を買う。日産の従業員の皆さんは全員トヨタの車で通勤すると。こういうふうになれば「あなたさえ良ければ」状態になるわけです。


経済活動の心意気を変える方向に

 まさに自分の市場はあなたのものよと、お互いに言い合うようになれば「自分さえ良ければ病」で、「合成の誤謬」でお互いを追い立て合うというような状況から解放され、逆にそこまで人々の心、心意気というものが変わらないと、なかなかこの永遠の暗闇への突入を回避する事は出来ないだろうと思います。
 まさかそんな事が出来るわけがないじゃないかというふうに思われるかもしれません。それもごもっともですが、ちょっと歴史を振り返ってみれば歴史はまさかが必ず起こるということの証明の連続です。
 タイタニック号、まさか沈むはずがないのに沈んだ。まさかあんな男が、あんな第三帝国なるものを築き上げるはずがないと思われたヒットラーがあれだけはびこってしまった訳です。これらはいずれも嫌なまさかが実現したものです。
 嫌なまさかが実現するのであれば、よいまさか、望ましいまさかも実現してもおかしくない。従って「あなたさえ良ければ」がわれわれの行動原理になってもおかしくないだろうと思います。
 経済活動は根源的に人間の営みです。経済活動を行う生き物は人間しかないわけです。従って人間の心意気がどういうものであるかによって経済活動の形も決まってくるという事であって、ここで大きな変化が起きることがないと永遠の暗闇は回避できないというふうに思うところでして、ぜひとも皆様のお力で本当に経済活動の心意気を変える方向に物事を動かしていただいて、皆で新しい夜明けを迎えたいと思います。


講師

浜 矩子(はま・のりこ)
1975年一橋大学卒業、三菱総合研究所入社。90年4月から98年9月まで同所初代ロンドン駐在員事務所長。帰国後、同所経済調査部長、政策経済研究センター主席研究員を経て、2002年同志社大学マネージメントスクール教授。04年名称変更により同志社ビジネススクール教授。
BBC、CNN、NHK、NBC、ブルムバーグTV、ロイター通信など、映像・音声メディアの時事ニュース番組にマクロ経済問題に関するコメンテーターとして多数出演。毎日新聞、日経新聞、The Japan Times, 仏Les Echos紙、毎日エコノミスト誌など、内外の新聞・雑誌にコラム執筆。金融審議会、国税審査会、産業構造審議会特殊貿易措置小委員会等委員、経済産業省独立行政法人評価委員会委員、経済産業省・外務省等関連研究会メンバーなどを歴任。


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