サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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平成14年度総会 平成14年5月23日(沼津東急ホテル)
小泉構造改革の行方と地域経済の自立


 私は98年に発足した第二次行政調査会、いわゆる土光臨調の時に土光さんの秘書をした。やっているうちに行革とはもうちょっと面白い話ではないのかという気がして、当時勤めていた経団連をやめ独立し今日に至っている。約20年見続けた行革の流れを踏まえ、今の小泉改革あるいは今後の戦略について、考えていることの一部を申し上げたい。


■講師略歴

並河 信乃氏
行革国民会議事務局長

昭和16年、神奈川県生まれ。昭和39年東京大学経済学部卒業。同年、経団連事務局に入り資本自由化に対する理論武装などの仕事をし、56年臨調発足とともに土光経団連名誉会長秘書となり、臨調・行革審の活動に参加。57年民間人によって設立された“行革推進フォーラム”結成に参加、58年フォーラムと有識者、民間労組などが連携した“行革国民会議”を結成。61年産業部次長を最後に経団連を退職し、有志と“行革フォーラム”を再結成しその代表となる。


土光臨調20年の総括−成果の挙がったもの、挙がらなかったもの−

 『増税なき財政再建』を掲げて今で言う構造改革の議論をした土光臨調のアウトプットは何であったか。国鉄の分割・民営化はやったがその他目に見える形での行革は進んだのか、という批判がある。その通りだと認める。しかし、20年前の土光臨調の功績は、初めて行革と財政改革を結び付け、行革など関係ないと思っていた普通の人々にも関心を呼び起こしたことにあったと思う。『行財政改革』として考えたことで、政府と民間の仕事の境界線を明確にし、政府の膨張を防ぎ、財政赤字やその他の問題を解消しようという議論が初めて政治課題となった。大型間接税の導入の是非に対して「増税なし」とくさびを打ったことで、国民の間に行革に対する関心が出てきたのだと思う。
 80年代後半には、NTTや国鉄の民営化という土光臨調のアウトプットが具体的になり、その一方で87年、消費税が導入された。消費税については評価が分かれるところだ。同時に地価が高騰し、バブルによる税収増で90年の初めには赤字国債がゼロになった。しかし、その陰で財政構造は全然改革されなかった。他方、政治資金などで様々な問題が持ち上り、もっぱら政治改革の議論の方が行われた時代だった。
 90年代はよく空白の0年と言われるが、行革に関しては実りの時期だったと思う。90年、第3次行革審が発足した際、『国際化』と『暮らし』の部会をつくり、暮らしの方は当時熊本県知事をやめたばかりの細川護煕氏を部会長に引っ張ってきて、政治においては『地方分権』、マーケットには『規制緩和』を打ち出した。選択肢を増やすことで人々に豊かさを実感してもらおう、という論理だ。その後、細川さんは首相となり、地方分権も規制緩和も以後の政治の課題となっていった。『情報公開』の議論等も含め、90年代の前半には色々な種がまかれ、それが後半になって花開いたと言える。同時並行して細川内閣の時に小選挙区制の導入が決まった。景気はよくならず、度重なる減税が行われたのと裏腹に財政支出が伸びて、財政赤字は急膨張した。さらに挙げるべきは橋本行革。行革は中央省庁再編、数を半分にすることだとし、財政構造改革は別に切り離したのが特徴で、橋本さんはアナクロもいいとこと野次ったものだった。
 実は今日、本棚を見ていたらこんな本が出てきた。『構造改革のための経済社会計画−活力ある経済、安心できるくらし−』、95年2月、村山内閣の時に閣議決定した経済計画だ。言ってみれば構造改革なんていう言葉はもう手垢にまみれていて「経済は活性化せねば」「老後を含め暮らしは安心できるものでなくては」ということは誰でも考える。でもそれをまさにドンピシャに書いたこの経済計画は、何も実現していないのである。構造改革、その中身について、今の段階できちっと議論してみる必要があるのではないか。


制度いじりから脱却し、市民セクターを主役にするための改革を

 何の構造をどう改革するか。色々考えがあるだろうが、仮に政治、行政、国民の3つを三角形とした、俗に言う鉄のトライアングルの話をしたい。国民の中には企業も入ると単純に考えると、既にそれなりのことは行われてきた。政治と国民との間は政治資金規制法の改正などとして手が付けられ、国民と行政との間も規制緩和や民営化、情報公開などが目指された。政治と官僚との間も、一応橋本内閣の中央省庁改革の時に内閣機能の強化その他が図られた。今日のムネオハウスの話を見るとうまくいっているとはお義理にも言えないが、制度論としてはそれぞれに一応鍬が入ったと言えるだろう。
 問題はこれから構造改革と言ったとき、今までと同じ発想で、もっと規制緩和をしよう、選挙制度をいじくろう、ということだけでいいのか。多少青臭い議論だが今後の構造改革は、市民セクターが政治、行政、経済をコントロールするという仕組みを作ることだと思う。ベースに市民を置き、市民のエンパワーメントを図る。そのための仕組みを考える。これまでのアウトプットを活かし次の段階に入るには、そういう発想が必要ではないか。
 この発想は政治で言えば地方分権になる。市民のコントロール権、特に政治に対する権限を強めるには、『地方主権』の具体的な制度設計をせねばならない。国と地方の関係を見直し、税や財政も含めた分権をやるのは当然。それに留まらず、官僚、行政が持つ権限を市民が奪い取るべきである。国と地方の関係は所詮役人同士の権限争いとも言え、そうではなく市民が主権を持つんだ、という議論は最近多い。政府部門、経済部門に続く第三のセクターとして市民部門を考え、それが動く仕掛けをつくらなくてはならない。単純に言えばNPOの問題などもそこに入る。


中央・地方の枠組みを根底から変えなければ改革はできない

 今財政の大赤字が問題となっている。財政再建は土光臨調もやろうとしたが見事に失敗した。役所の中を一番知るのは悔しいがやはり役人だから、追い込めばきっと中から改革が進むだろうと総枠を縛ったが、結局ガスがたまって大爆発し吹っ飛んだ。内部改革の議論を待とうするのでは改革は進まない。同じ失敗をしたのが橋本内閣。地方財政の圧縮、何年度で目標はこうという赤字削減の計画。土光臨調で失敗したんだと言ってもそれをただ単純に繰り返し、財政構造改革法は年で見事に潰えた。
 そして小泉改革。30兆の赤字国債発行枠は一つの手法にすぎない。確かに一度口に出したら守るのは政治の信頼のために必要だが、どうやって実現するかという方法を考えるべき。旧大蔵省的手法ではなく違う考え方でなければ駄目だ。国鉄の分割民営化が実現した直後フランスから経済学者が日本に調査に来て、こんなことを言って帰って行った。「国鉄改革の話は面白かった。出発点は赤字問題から入った。それを単に財政システムの話にせず、国鉄を分割し民営化するという全然違った発想を持ち込んだところがすごく面白い。何でそれを日本全体の話にしなかったんだ?」 やはり、と確信を持った。今の中央・地方の財政の基本的なフレームを維持したままでは、もはや単純な割削減とかその手の話しか出てこない。それも一つの手法だが、おそらく政治的な反発などで不十分になるだろう。土光さんも失敗した。土光さんの時には中央・地方の枠組みの維持が問題、という発想はなかった。橋本さんにもなかった。


みんなが期待した意味での小泉改革は挫折した−日本をめぐる暗いシナリオ−

 小泉改革だが、あの人はスローガンだけで頭の中がないとか最近はそんな話ばかりで、それでは困る。小泉改革には我々の20年の経験、失敗、反省が、ちっとも活かされていない。もう一つ問題なのは、改革を痛みだと言うやり方が本当にいいのか。むろん改革に痛みは伴う。痛むから我慢しろ、その手の話は財政当局が20年来やっている。しかし改革とは、本来我々一人ひとりの暮らしが豊かになり明るくなるはずのものではないか。少なくとも納得できるものでなければ。国民は一方的に痛みを甘受するだけの存在ではない。
 いまやみんなが期待した意味での小泉改革というものはとっくに挫折している。構造改革なくして成長なしが売り物のはずが、今では目先の景気だとか端的な話の方に完全に軸足がシフトしている。
 暗いシナリオを一つ出すならば、国民の間に鬱積したものがたまって、強いリーダーを求める風潮が強まる。小泉が駄目なら石原だ、石原が駄目なら…はっきり言ってファッショにならないようにしなければいけない。そういう危険が日増しに深まっている。一方で財政は差し迫った状態。さらにグローバル化と言えば聞こえがいいが、中国などの製品がさらに入ってくるのは止めようがない。政治経済が大混乱に陥れば、日本の状況は極めて深刻になる。問題は若年層で、若者の失業は社会不安の原動力となる。今フランス、オランダなどでいわゆる極右政党ができているのは、社会や経済の不振による若者の失業が主たる原因だ。今の話を総合すると、中国やアメリカに強くものを言い、国内にも強いリーダーシップを取る人物が出てきて、日本全体がアレレというコースに行くかもしれない。


お自衛手段としての分権−自己循環できる経済を地域につくる−

 そうならないようにするには、結局“自衛のための分権”を目指さざるを得まい。自分たちの生活は自分たちで守るんだという仕組みを作っていくことでしか、中央の混乱から身を守るすべはないのではないか。もう一つはグローバリズムという流れに対し、経済的な面で何らかの対策を打たなくては地域の生活は守れない。まさに自衛手段としての分権を、これからの地域の戦略として考えなくてはならない。
 分権の必要条件は地域が経済的に自立できること。自分たちの考えで動かしていけるという意味での自立だ。そもそも経済的自立自体、定義が難しいし、このグローバリズムの中で自立というものがありうるのかという議論もある。あなた任せの時代は終わり、まさに我々はある意味で未知の領域に乗り込んでいるわけで、どこにも答えがない。
 情緒的な言い方になるが、自前のエンジンを置き自己循環をつくるという方向に、地域の目指すべき姿があるのではないか。20世紀は大循環の時代で、みんなビッグサイエンスだった。しかし最後に出てきたパソコンが集中処理から分散処理という形を導入し、意思決定も自己完結できる世界がだんだん出てきた。むろん大循環を全面的に否定するのではないが、2世紀には同時に小循環、小さなエンジンをいっぱい持たねばならない。大エンジンが止まっても、この小エンジンは動いている。そういう考え方が必要と思う。
 たとえば税金は、全部東京に集めてそれを役人がほら補助金だ、交付税だぞありがたく思えと言って、自分の金みたいに地方に出している。金融も中央集権の最たるもので、一番の典型は郵便局。全部東京に運んで財政投融資にする。まさに税と同じ形、むしろ根こそぎ持って行く。ほかの金融機関だって大差はない。お金の流れが全部東京を中心に回る形を変えることが先決だ。郵貯の改革も公社にするかはどうでもよく、ここで集めた郵便貯金はここで使うということが肝心。しかめっ面をする方が出てもそれが本来だ。アメリカには地域再投資法があり、日本でも導入の議論がある。地場に役立っている金融機関を評価し、そこに預金をしようという良い循環が生まれるようにすることが必要だ。


地場に重層的なマーケットをつくれ−馴染み、義理人情、共感の世界がカギ−

 税、金融の問題以上に重要なのは、その基盤である経済自体の地域循環をつくり出すこと。地場のマーケットをどうやって強くするか。マーケットには世界市場からうんと小さな地元まで色々な段階があることをまず認識し、それに応じたビジネスや企業を育てる必要があるだろう。市民セクターは身の回り、地回りの話には大企業にはない強みがあり、市民セクター経済が成り立つ余地はある。リージョナル、ローカル、さらにはコミュニティベースのマーケットを相手にしたビジネスやNPOを、地域の地盤につくること。そのために金融の道をつけマーケット開拓の手助けする方策を考えることが、求められてくるのではないか。重層的なマーケットを地域につくらないと、横波一発で倒れるような不安定な経済になろう。
 現実には、リストラで企業がいなくなったら即ひっくり返ってしまう地域はごまんとある。来たものは帰るのが原則と割り切って、いる間は頑張ってもらおうと考えるのも必要だ。むろん企業頼みの部分を否定するのでなく、それと共存する形でその間を埋めるような色々なタイプの経済単位をつくり、それが動いているのが強い経済と言えるのでは。一番グローバルなマーケットは利潤、利子率といったまさに数学的な世界で、短期資金が世界的に動いてパーッと行ったかと思うとパーッと引き上げてくる。こうした極めてサラサラした世界も現実にあって、これを否定しては駄目。と同時に、もっとねちっこい粘度の高い世界もある。馴染みだとか義理だとか、人情、共感、連帯だとか、実際の我々の生活ではしょっちゅうそれを意識している消費行動、投資行動があるわけだ。要するにマーケットが違えばそこに流れる原理原則も違う。ごちゃごちゃしたレベルでの経済単位を掘り起こすことに、これからの経済政策、地域政策の基本があるのではと思う。


手段の目的化が目立つ広域行政の議論−経済圏を考えた組み直しが基本のはず−

 そういう経済単位、経済循環の上にかぶさってくる自治体とは一体どうあるべきか。静岡県内でも市町村合併の話が色々議論されているのは承知しているが、考えるべきはどういう広がりを持った地方政府をつくれば、地場の様々なマーケットがバランスを取りながら地域を形成できるかということだと思う。地方政府とは本来それを政治的に表すもの。どういうエリアを一つの経済圏としてとらえ、その経済圏はどの経済圏と強いリンケージがあるかを考えながら、日本全体の地方政府の区割りを考え直すことが必要ではないか。
 逆に言えば、自治体のことを考えるときには規模を大きくするということも大事である。でもそれと同時に分割することもあっていい。とてもじゃないがあの連中とは共感が持てないから一緒にやる必要はない、ということもある。あまり悪口を言ってはいけないが、よく耳にする広域行政では駄目で、我々が議論すべきは広域的な地方政府である。00%とは言わないが広域行政と言えば既にやることが決まっていて、それをいかに効率的にやるかという発想がどうしても強く出る。どうもその辺が最近の論議では問題で、お国の立場から飴とムチで一斉に市町村合併の議論を起こされているふうだ。確かにそれはそれでもいい。けれど議論される側がそれを使いこなしながら、「まず目的があって、そのための手段として、こういう政府が必要なんだ」という議論にならないと、一緒になったはいいけどグチャグチャ、ということになりかねない。


東部は首都圏、浜松は名古屋圏−静岡県とは何か−

 また、静岡県とは一体何なんだ、という議論も当然議題にすべきである。と同時にどこと一緒に経済の循環をやっていくのかを考えないといけない。浜松は名古屋圏だ、こっちは東京だ。静岡はどっちに行ったらハッピーか。せっかく大きな市になるのだからむしろ独立して県なんて要らないな、静岡県は3つに分けよう、となるかもしれないし、いや3つ一緒で初めて静岡県なんだと言うならそれでもいい。
 市町村合併でその地域で自己決定できるシステムをつくるならば、その上の都道府県の在り方についても自分たちで自己決定して、新しく組み直していくべきだ。東京、名古屋、大阪、博多、いくつかの経済圏の中心地に傘を立て、それぞれ自立したシステムとして回していくと、かみ合って日本が回り、全体として世界経済が回っていく。そんなイメージでこれからの経済の話を考えたい。むしろ構造改革とはそういうものだと思う。
 努力したものが報われるような仕組みをつくろう、というのがよく税制の議論である。高額所得者の税金を低くするのもいいが、地域が努力したら地域が報われるようなシステムにしない限りは駄目だ。小泉内閣がある以上は小泉内閣に頑張ってもらわなくてはいけないし、次の内閣にもやってもらわねば。そのためにはその地域がどういう戦略で何をやるか決まってないといけないわけで、せっかくこういう会(サンフロント21懇話会)があるのだから提案をどんどん出していただいて、我々も大いに参考にさせていただきたい。
 最後に一言、私は調布に住んでいて、東名を使うことが非常に多い。するとここは本当に東京の一部だと思う。休日にどこか行くとこないかな、銚子に行くか沼津に行くか、となる。経済圏を考えると、ここは東京とどうやって賢く付き合っていくかが大事かと思う。東京の特に暇な人間とか、金持ちとか、そういう連中をどうやって加え込んでいくかというのも一つの手だ。実は私の知り合いから定年で三島に引っ越しますなんて年賀状が一つ二つ来たが、すごく羨ましい。やはり海あり山あり温泉も近いということで、ある意味恵まれ過ぎている。東北なんか行くと泣けるような話ばかりで、それに比べると新幹線もあれば何でも揃っていて雪も降らない。これから時代は変わる。ぜひこの地域でも自活、自立、自分の身は自分で守るという仕組みの理論をひとつ進展させていただければありがたいと思う。



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