『増税なき財政再建』を掲げて今で言う構造改革の議論をした土光臨調のアウトプットは何であったか。国鉄の分割・民営化はやったがその他目に見える形での行革は進んだのか、という批判がある。その通りだと認める。しかし、20年前の土光臨調の功績は、初めて行革と財政改革を結び付け、行革など関係ないと思っていた普通の人々にも関心を呼び起こしたことにあったと思う。『行財政改革』として考えたことで、政府と民間の仕事の境界線を明確にし、政府の膨張を防ぎ、財政赤字やその他の問題を解消しようという議論が初めて政治課題となった。大型間接税の導入の是非に対して「増税なし」とくさびを打ったことで、国民の間に行革に対する関心が出てきたのだと思う。
80年代後半には、NTTや国鉄の民営化という土光臨調のアウトプットが具体的になり、その一方で87年、消費税が導入された。消費税については評価が分かれるところだ。同時に地価が高騰し、バブルによる税収増で90年の初めには赤字国債がゼロになった。しかし、その陰で財政構造は全然改革されなかった。他方、政治資金などで様々な問題が持ち上り、もっぱら政治改革の議論の方が行われた時代だった。
90年代はよく空白の0年と言われるが、行革に関しては実りの時期だったと思う。90年、第3次行革審が発足した際、『国際化』と『暮らし』の部会をつくり、暮らしの方は当時熊本県知事をやめたばかりの細川護煕氏を部会長に引っ張ってきて、政治においては『地方分権』、マーケットには『規制緩和』を打ち出した。選択肢を増やすことで人々に豊かさを実感してもらおう、という論理だ。その後、細川さんは首相となり、地方分権も規制緩和も以後の政治の課題となっていった。『情報公開』の議論等も含め、90年代の前半には色々な種がまかれ、それが後半になって花開いたと言える。同時並行して細川内閣の時に小選挙区制の導入が決まった。景気はよくならず、度重なる減税が行われたのと裏腹に財政支出が伸びて、財政赤字は急膨張した。さらに挙げるべきは橋本行革。行革は中央省庁再編、数を半分にすることだとし、財政構造改革は別に切り離したのが特徴で、橋本さんはアナクロもいいとこと野次ったものだった。
実は今日、本棚を見ていたらこんな本が出てきた。『構造改革のための経済社会計画−活力ある経済、安心できるくらし−』、95年2月、村山内閣の時に閣議決定した経済計画だ。言ってみれば構造改革なんていう言葉はもう手垢にまみれていて「経済は活性化せねば」「老後を含め暮らしは安心できるものでなくては」ということは誰でも考える。でもそれをまさにドンピシャに書いたこの経済計画は、何も実現していないのである。構造改革、その中身について、今の段階できちっと議論してみる必要があるのではないか。
|