地域の発展というのは歴史と非常に深い関係があり、一朝一夕では発展できないという感じがする。本県でいくと、静岡は木工の機械が多い。駿府城ができ、浅間さんや久能山が造られた後、仕事が終わった宮大工が失業して箱物を作り、さらに箱物から下駄を作って下駄がやがてファッションサンダルになり、現在、この工場はインドネシアに移っている。漆器ができ、そこから雛具ができ、オルゴールができ、鏡台ができ、この鏡台から村上開明堂のような自動車のバックミラーのメーカーが生まれた。飛行機のグライダーを造り、やがてプラモデルメーカーができ、田宮模型など静岡のプラモデルは世界を制覇している。
浜松は昔から大変面白い所で、静岡・清水は天領で藩学校がなく寺子屋もなかったので教育水準が極めて低く、あまり立派な人が出ていないと言われているのに対し、浜松は名藩、出世城で、新しい藩主が次々にやって来る。よそ者を快く受け入れるような体制が出来上がり、代わった藩士が持ってきた綿花の技術が定着し木綿ができ、木綿から繊維産業が発達し、幕末には日本の綿織物業の中心になった。やがて豊田佐吉が織機を発明し、明治の終わりに浜松は繊維工場の街から機械工場の街に変わった。また山葉寅楠がオルガンの製造を始め、浜松は楽器の都市にもなった。戦後、織機のメーカーはオートバイのメーカーになって世界を浜松のオートバイが制覇し、ここから自動車メーカーができた。ホンダ、トヨタ、スズキ、ヤマハなど世界の巨大企業がこれだけ出たのは世界の奇跡である。
そのような基盤があるから大正の初めに鉄道工場を誘致して000名の技術者が来、同じ時期に浜松高等工業ができて、浜松は技術者の街になった。現在はハイテク製品で世界で圧倒的なシェアを持つ30−40社の中堅企業がある。金を貸す人もいた。今も新しく企業を興す人には信頼によって金が集まる気風がある。この気風は天竜川から東に行くとバッタリとなくなり、ごく狭い範囲で産業、技能が形成された。
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