サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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第8回東部地区分科会 平成14年10月28日(ブケ東海)
基調講演 「地方分権問題の本質」


尾崎護氏
国民生活金融公庫総裁

高齢化、人口減がもたらすもの

 たまたま本日発売の日経ビジネスにちょっと静岡県としてはぞっとするような話が載っていた。それは各県ごとの潜在成長率を元にした2030年の各県別の個人所得の推計で、政策研究大学院大学の松谷明彦教授が行った。個人所得というのは普通にいわれる個人所得とは概念が違い、家計所得全体の中から企業活動相当分を差し引き、生活水準の目安となる数字を出している。各県別と言っても東京圏、阪神圏、中京圏は一塊とした。その計算を見ると現在、松谷先生の定義の元での個人所得が一番多いのは東京圏で、その次が静岡県。阪神圏より中京圏よりも上である。その2位の静岡県が2030年には16位に落ちるという計算になっているのだ。
 もっともモデル計算というのは前提となる条件によって答えが違ってくるが、いずれにしろ2006年から人口が減り出し、高齢化で全体の年齢構成が変わってくることが大きな要素になっていると思う。今のままにしておけば静岡県は2位から16位になる可能性がある。少なくともそういう計算も一つあるということである。
 将来を考えてみると、日本の人口の高齢化人口減少の影響は予想を上回る可能性があり、このことを常に頭においていろいろ政策を考えていかなければいけない。これは日本だけの現象ではない。アメリカは非常に移民が多いから若さを保っているが、世界の他の先進主要国は大体日本と同じようことがちょっと遅れてやってくる。やがて中国も韓国もそうなる。とにかくこの問題に日本が上手に対応していけば、むしろ日本のやり方がグローバルスタンダードになる可能性がある。そういう意味ではトップランナーである。だからどうしたらいいかという答えは世界にはなく、自分たちで考え出していかなくてはならない。


明治、昭和、そして平成の大合併

 今、合併問題は平成の大合併と言われている。こういう時には意気込みを表現するうまいスローガンがいろいろ出てくるが、これも一つの例である。ご存知のように平成の大合併の前には昭和の大合併があり、その前には明治の大合併と言われているものがあった。
 明治21年には市町村は、71,314あった。現在3,224となっているから、合併でずいぶん市町村が減ってきたことになる。明治21年、市町村制制定によって町村合併標準発令という御触れを出し、300−500戸を標準としてまとめ、町村の数は年間で71,314から15,859へと約5分の1に減った。これが明治の大合併だ。
 その数は小学校を一つ必要とする戸数ということを基に考えたと言われている。明治政府の偉いところは早々と教育問題、特に小学校、義務教育というものに目をつけて実施を図ったことである。もともと寺子屋をはじめとして教育に熱心なお国柄ではあったが、小区、中区、大区といって小学校はこの位の大きさの所でこれだけの数をつくる、小学校の区をいくつか集めて中学校を一つそこに置く、さらに大きな分類で大学を置くというような計画を明治の初めの早い段階でつくった。
 戦後になった今度は中学校設置の効率を考えて昭和の大合併が始まった。明治22年に万5千だったのが昭和20年には万に減り、新市町村建設促進法の一部が失効し昭和の大合併が一段落した昭和36年には5千を切るような数字になった。町村数を約3分の1に減らすことを目標に基本計画を閣議決定した大合併だった。戦後から比べれば半分だが、明治22年から比べれば確かに3分の1ぐらいになっている。


地方分権と合併はイコールではない

 これまでの市町村合併というのは教育問題を基準にしながら考えられてきたが、現在行われている平成の大合併の場合は学校ではないだろう。やはり一つの大きな要素としては、高齢化。福祉の水準を上げて国民全体が豊かさを享受するという体制を創らなくてはいけないということもある。環境の問題もある。明治や昭和の二つの大合併の頃にはなかった新しい財政需要がたくさん出てきていることが背景にあり、それに応えられるような地方団体でなくてはならないという考え方があるのだろうと思う。
 最近の特色は、明治以来の市町村合併の流れとは全然別の「地方分権」ということが出てきたことで、地方分権の話と合併の話が一緒になって論じられているが故に分かりにくい。地方分権の基礎となるものは住民の自治、自立であると盛んに言われる。自分たちがどういう地方自治体でやっていくかということは、住民が決める最も基本的な問題だ。小さくても自分たちはこれでやっていきたいと地域の人が言えばそれでいいのではないか、という考えが大体の人には働くのではないかと思う。そういった地方分権の趣旨とは何かという問題と、かつての学校の問題に変わるものとして出てきた福祉や環境問題といった新しい住民のニーズ、自治体が与えるべきサービスという面から考える合併の話とは必ずも一致しない。


日本は地方自治の本旨とは何かをあいまいなままにしてきた

 現在の地方分権論議は明治維新、戦後の改革に継ぐ第三の改革であると意気込まれている。それは確かに大変なことで、地方制度をどのように定めていくかはこの国の形の問題だ。小泉内閣の構造改革の中でも最も基本的な改革であると思う。しかし、その中央集権を脱して徹底した地方分権をつくることが第三の改革と言われると、よく分からないことが起きる。徳川時代には各藩がそれぞれ完全な自治制度を敷いていた。明治になって廃藩置県をし、知事を中央から派遣するという形で中央集権制度をつくった。これがアジアで最初の先進国となった一つの要素になったのは否定できないと思うが、しかしそういう体制で来て、太平洋戦争で敗れた。戦後の改革では知事が任命制から選挙で選ばれるようになった。それは確かに大きな変化だが、戦後改革ではそれ以外に何が変わったのか。今分権にするのが第三の改革だったら、第二の改革である戦後の改革は何だったのか。必然的に戦後の改革は中央集権のままであったと言わない限り、話が合わなくなってしまう。
 そういう疑問を感じて日本の憲法を見た時、マッカーサー草案に着目した。敗戦後憲法を変えなくてはならないと日本政府が検討していたが、出て来た内容が不十分ということでマッカーサーがGHQの民政部長であったホイットニー准将に命じてつくったのがマッカーサー草案である。実質一週間という大変短い期間ででき上がったもので、草案づくりに携わった民政局25名のメンバーには立派な法律家もいるがそうではない人もいて、日本語ができるからという理由で選ばれた22歳のベテア・シロタという女性もいた。彼女は「1945年のクリスマス」という本に当時の民政局の25人の人たちは皆理想国家を夢見て働いたと書いているが、そのマッカーサー草案の中に「第八章地方政治」というのが入ってきたのである。それまであった大日本帝国憲法、明治憲法には地方自治の規定がなかった。新憲法には「第八章地方自治」の規定が入ったが、それはマッカーサー草案に地方政治というのが入っていたためである。
 それでは明治の日本人は地方自治を軽く見たかというとそうではない。日本の地方制度は明治時代にかなり進んでいる。そもそも徳川時代の終わり頃から、主として幕府の関係者が外国事情を勉強する中で議会制度や地方自治が多く見られていた。たとえば官軍が江戸に向かって進んでくるときに今のままの統治機構では駄目だ、どうすればいいかと開成校の教授であった神田孝平が論文を書いた。それを見ると江戸を40−60に分け、各地域から2人ずつ入札で代表者を選んで議会のようなものをつくり、奉行は重要事項をすべてそこに諮らなくてはならない、という新制度の案をつくっている。神田孝平は幕府方だったが、後に新政府に入って廃藩置県の時に兵庫県知事となった。地方に下った知事たちには近代化の念に燃えていた者が大勢いた。知事の任命制は、そうしなければ藩主が知事に選ばれるに決まっていて、新しい日本を築こうとすれば仕方なかったと思う。
 そういう基盤にありながらなぜ憲法に地方自治が入らなかったか。議論はしたが、結果として地方自治は憲法の問題ではなくて法律で定める法律事項であるとなって、憲法の中に規定が入らなかったのだ。ところがそこにマッカーサーから「第八章地方政治」というのが突き付けられた。それでどうなったか。基本的には変わらなかった。戦後改革と意気込んでみても、官選知事が民選知事になったという以外、変わりはなかったのである。


地方分権基本法の必要性

 結局、中央集権の形のままで来た日本において、自主自立、個性の発揮というような分権制を徹底しなくてはいけないとなると、律儀に憲法を読むと実は分権制は憲法に触れるのではないか。
 第92条に「地方自治の本旨に基づいて」という救いがあるからここに着目すればいいのだろうが、国民の総意といってもいいようなことならば、本来ならば憲法を改正して分権制を前提とした憲法に変えればいいのである。もっとも、日本では憲法改正というのはやってはいけないことのようになっていて、なかなか実情は大変である。
 そこで私は地方分権基本法をつくり、地方自治の本質とは何かということをきちんと書いたらいいと思う。合併問題がその中に入るかどうかは分からないが、それをつくれば地方分権というものが非常に国民の間にはっきりとしたイメージで残り、何を基準として物事を考えていったらいいのかという大きな拠り所ができるのではないか。地方制度、地方自治のような大切なものに基本法がないのは疑問だ。


税・財源問題への反応に見える地方自治体の認識の甘さ

 自主自立には、権限だけでなく責任も大幅に拡大する。昨今の地方分権の話を聞いていると、財源問題として考えたときに基本的な考え方がどうもごちゃごちゃになっていると思うので、それを皆さんにご説明したい。地方公共団体の財源にはまず一般財源と特定財源がある。一般財源とは地方団体が自分の判断で使えるお金で、特定財源というのは何らかの理由によって自由に使えず使う目的が決まっているもの。典型的なのが国庫支出金だ。故に一般財源は非常に結構でこれを増やさなくてはならない。一方、誰に負担を求める財源か、住民に、求める財源か国に負担を求める財源かという裏側からのまとめ方がある。地方税、地方債、手数料収入などは住民に負担を求める財源。地方交付税や補助金などの国庫支出金は九人に求める財源である。先程の「骨太の方針」を考えると、この二つの地方の収入の分類のうち住民に負担を求める財源か国に求める財源か、というのが判断基準になる。国と地方が互いに関与・依存しあう仕組みを改めて自分の判断と財源でやっていくとういのだから、国に求める財源は圧縮して住民に求める財源を増やすという結論になると思う。
 今一番大きな問題は、地方交付税が国に求める財源として圧縮される方に入ってしまうということで、これをよく認識しなければいけない。国から地方に税源移譲されるというと、何か降ってくるような感じがしていい言葉のように思うが、これは地方交付税のように国がくれるものではないので住民に求めなくてはいけない。国から地方に税源移譲し地方税が増えるということは実は、身も蓋もない言い方になるが国は減税しなさい、地方は増税しなさいということなのである。
 増税をするからには住民が納得してくれるような地方行政をしなくてはいけない。固定資産税とか住民税とかを上げる話だからだ。ところが国の補助事業を減らすことしか言っていない現状は、分権の議論として非常におかしい。だからか、地方の自治体の方々のお話を伺っていると、自分で増税をしなくてはならないこと、自分たちの行政を一生懸命見直し、行政サービスの質を落とさずに住民負担を抑え歳出のカットを考えなくてはならないことに、ピンときていないように感じる。そこが非常に心配なところである。


「骨太の方針」が進める地方分権の姿

 小泉内閣の平成13年6月26日の閣議決定、いわゆる「骨太の方針」第1弾の地方の関係のものを抜き出すと、「個性ある地方の競争−自立した国・地方関係の確立」が書かれている。これが分権の基本である。国土の均衡ある発展の時代は終わり、次の時代は個性ある地域の発展である。むしろそれが均衡ある発展という本来の考え方も生かすのだと言われている。次にセルフヘルプ、自分でやるということが強く謳われている。これは現在の地方自治法第10条第2項に、「住人は法律の定めるところによりその属する地方公共団体の役務の提供を等しく受ける権利を有しその負担を分任する義務を負う」という規定があり、「その属する地方公共団体」とあるのでみんな一律ではなく特色があってもいいわけだ。「その負担を分任する義務を負う」とはまさに自助と自律の精神で、別段骨太の方針が新しいことを言ったのではなく既に自治法にあることを強調しているのである。
 平成14年6月25日の閣議決定「骨太の方針」第2弾には、国庫補助負担事業の廃止・縮減について年内を目途に結論を出す、とあり、これを踏まえて来年の6月25日までを目途に国庫補助負担金、交付税、税源移譲を含む税源配分の問題について取りまとめを行うことになっている。このように地方分権改革というのは相当差し迫った問題になっている。どのようになるか大いに注目していただきたい。


税・財源問題への反応に見える地方自治体の認識の甘さ

 自主自立には、権限だけでなく責任も大幅に拡大する。昨今の地方分権の話を聞いていると、財源問題として考えたときに基本的な考え方がどうもごちゃごちゃになっていると思うので、それを皆さんにご説明したい。地方公共団体の財源にはまず一般財源と特定財源がある。一般財源とは地方団体が自分の判断で使えるお金で、特定財源というのは何らかの理由によって自由に使えず使う目的が決まっているもの。典型的なのが国庫支出金だ。故に一般財源は非常に結構でこれを増やさなくてはならない。一方、誰に負担を求める財源か、住民に、求める財源か国に負担を求める財源かという裏側からのまとめ方がある。地方税、地方債、手数料収入などは住民に負担を求める財源。地方交付税や補助金などの国庫支出金は九人に求める財源である。先程の「骨太の方針」を考えると、この二つの地方の収入の分類のうち住民に負担を求める財源か国に求める財源か、というのが判断基準になる。国と地方が互いに関与・依存しあう仕組みを改めて自分の判断と財源でやっていくとういのだから、国に求める財源は圧縮して住民に求める財源を増やすという結論になると思う。
 今一番大きな問題は、地方交付税が国に求める財源として圧縮される方に入ってしまうということで、これをよく認識しなければいけない。国から地方に税源移譲されるというと、何か降ってくるような感じがしていい言葉のように思うが、これは地方交付税のように国がくれるものではないので住民に求めなくてはいけない。国から地方に税源移譲し地方税が増えるということは実は、身も蓋もない言い方になるが国は減税しなさい、地方は増税しなさいということなのである。
 増税をするからには住民が納得してくれるような地方行政をしなくてはいけない。固定資産税とか住民税とかを上げる話だからだ。ところが国の補助事業を減らすことしか言っていない現状は、分権の議論として非常におかしい。だからか、地方の自治体の方々のお話を伺っていると、自分で増税をしなくてはならないこと、自分たちの行政を一生懸命見直し、行政サービスの質を落とさずに住民負担を抑え歳出のカットを考えなくてはならないことに、ピンときていないように感じる。そこが非常に心配なところである。


この国の形

 いずれにせよ国も貧乏、地方も貧乏。日本は1,400兆円の金融資産を個人が持っているそうだが、国と地方と併せて600兆円を超える借金をしている。日本のGDPは500兆円だから、国民全体が稼いだものを飲まず食わずで全部借金の返済に充てても1年では返せないのだ。そのぐらい悪い財政の状況になっている。
 その中で自主自立ということを表面に立てて、その代わり国には余計な事を言わせないとしてやっていくことが本当に可能か。私は可能だと思う。そのときに考えなくてはいけいことの一つは、民間委託、アウトソーシングの活用を十分に考えること。それからNPOやボランティアの活用。我々の子供の頃には隣組があったが、そういう強制的なものでなくても自分たちの住む所のために何かやりたいと考えている住民は随分いる。そういう方々に、行政を手伝ってもらうことをお願いする。また小さい自治体の場合には周囲の自治体や府県とよく連絡を取って、助けてもらうところは助けてもらう。広域行政とか一部事務組合とかを100%利用して住民自治、地方分権を獲得する道を模索していく。それは現代のものの考え方に非常にはっていることであるし、皆で集まって考えれば地方分権の貫徹ができるのではないかという気がする。そこに夢を託していい地方制度をつくっていくことが、この国の形を決める上で非常に大切なことではないかと思っている。



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