今、合併問題は平成の大合併と言われている。こういう時には意気込みを表現するうまいスローガンがいろいろ出てくるが、これも一つの例である。ご存知のように平成の大合併の前には昭和の大合併があり、その前には明治の大合併と言われているものがあった。
明治21年には市町村は、71,314あった。現在3,224となっているから、合併でずいぶん市町村が減ってきたことになる。明治21年、市町村制制定によって町村合併標準発令という御触れを出し、300−500戸を標準としてまとめ、町村の数は年間で71,314から15,859へと約5分の1に減った。これが明治の大合併だ。
その数は小学校を一つ必要とする戸数ということを基に考えたと言われている。明治政府の偉いところは早々と教育問題、特に小学校、義務教育というものに目をつけて実施を図ったことである。もともと寺子屋をはじめとして教育に熱心なお国柄ではあったが、小区、中区、大区といって小学校はこの位の大きさの所でこれだけの数をつくる、小学校の区をいくつか集めて中学校を一つそこに置く、さらに大きな分類で大学を置くというような計画を明治の初めの早い段階でつくった。
戦後になった今度は中学校設置の効率を考えて昭和の大合併が始まった。明治22年に万5千だったのが昭和20年には万に減り、新市町村建設促進法の一部が失効し昭和の大合併が一段落した昭和36年には5千を切るような数字になった。町村数を約3分の1に減らすことを目標に基本計画を閣議決定した大合併だった。戦後から比べれば半分だが、明治22年から比べれば確かに3分の1ぐらいになっている。
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