サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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第9回東部地区分科会 平成15年10月20日(ブケ東海)
パネル討論 テーマ:大詰めを迎えた市町村合併〜政令指定都市への障壁は〜

<パネリスト>
宇野 統彦 (沼津商工会議所副会頭)
大城 伸彦 (修善寺町長)
風間 重樹 (静岡市議会議員)
中山 勝  (企業経営研究所産業経済研究部長)

<コーディネーター>
大多和昭二 (県自治研修所教授)


東部における合併問題と政令市問題テーマに

◆大多和 一般的な市町村合併というよりも、むしろ東部地区の政令都市を、ということに出来るだけ焦点を絞って話し合いをしてみたいと思います。ご存じの通り地方分権一括法案が制定されてから4年になりますが、なかなか財源が移譲されない、
権限も一部に過ぎないと。おいしいものだけがまだ中央政府に残っていて、地方に本当の意味の分権は来てないのではないかと、実感されていると思います。まだ始まったばかりという解釈をすれば、一つずつではあるが進んでいるのではないかと感じます。その分権改革と同時に出てきたのが市町村、県という地方自治体に受け皿能力があるかということで、とくに市町村においてはこれから地域づくりの中心的な役割を果たすわけですので、中央政府側から見れば権限移譲先の権限を行使できる地方自治体としての能力を評価することも大事だということで、同時に町村合併を中心的なテーマにし、今までにない手厚い合併の支援策を講じているところです。
 ところが今回、合併特例法の平成17年3月31日の期限は延長しませんでした。延長するだろうという見方が強かったわけですが、中央政府の行動をみても延長しそうにない。相当覚悟して進めている感じです。ですから現段階は、今回の特例法における合併は最終段階にきていると思うわけです。そういう中で果たして、ここ東部において合併問題をどう展開していったらいいのか。あわせて政令指定都市をどういうふうに位置付けていったらいいのかを、今日のテーマに据えたいと思います。
 最初に会場の皆さんと状況の共有をしたいと思いますので、まず中山さんから東部地域の市町村合併の現況についてお話しいただきたいと思います。


4市7町1村で 10年後の政令指定都市をつくりめざす

◆中山 いま合併が議論されている地区は、伊豆半島が主になっています。具体的には伊豆長岡、韮山、大仁の3町。また下田、河津、南伊豆の1市2町、そして松崎、西伊豆、賀茂の2町1村。そして大城町長さんの修善寺、土肥、中伊豆、天城湯ヶ島の4町が合併協議会という形で、いま進めております。
 そして政令指定都市に関しては、沼津市、三島市、御殿場市、裾野市、伊豆長岡町、函南町、韮山町、大仁町、清水町、長泉町、小山町、戸田村の
4市7町1村で構成されています東部広域都市づくり研究会で10年後に政令指定都市をつくりましょうという形で進んでいることは、ご承知と思います。その10年を3つに区切り、まず3年をめどにして政令指定都市事務調査会で検討して、次の3年間は任意の合併協議会を設置しましょうと。そして残りの3年間で法定の合併協議会を設置していきましょうというのが、研究会の基本的なスタンスになっています。
 10年後に政令都市を目指そうということですので、概論的にはいま研究会が進んでいますというところですが、内部的な議論になっていると思います。
◆大多和 政令指定都市については、経済界も相当お考えになり、行動されているとうかがっていますが、宇野さんからその辺の動きを紹介していただけますか。


沼津、三島、長泉、清水町、函南の2市3町で研究会

◆宇野 県東部の北は小山町から南は韮山、伊豆長岡町までを含めた2商工会議所、9商工会で組織しています駿豆地区商工振興懇話会があります。その活動の中で合併論議をしてきたわけですが、基本的にはこの地域が一体化していることは皆さんも、箱根の上からこちらを望んでいただきますと当然富士山の裾野から田方平野、駿河湾を控えて一体化しているのが十分お分かりいただいていると思います。
 そういう中でキャンパスに絵を描こうとすれば非常にきれいな絵が描けるわけです。表現が悪いかもしれませんが、そこに行政というメスが幾つか入っていて、どうもその辺の行き来がうまくいっていないんではないかと感じています。
 また、平成11年から商工会議所の中の議論が始まっております。そういう状況の中で、いろいろな形で合併についてのご意見をうかがいしてきたわけですが、各地域の合併に対する温度差が非常にあるわけです。
 例えば小山町と御殿場市、裾野市は非常に財源も豊かですし、合併について「が」の字もないという状況があります。またある地域では合併を真剣に考えようということがあります。しかし一括して政令都市を目指していこうと一気に進めることは非常に困難であることを会合の中でも確認をさせていただきました。
 それならば出来るところからやっていったらどうかという議論が始まっています。そういう中でとりあえず「核」を作ることが一番大事かなと思っています。三島、沼津を中心に清水町、長泉、函南、その辺を核として、まず核を作ることをワンステップとして、次のステップで政令都市を目指して行ければという状況があります。
 その中で議論が進んでいたのですが、今年に入りまして函南町で2市3町で行こうという決議をさせていただきまして、研究会が発足しました。沼津、三島、長泉、清水町、函南町の2市3町でいくというのは、各地域の温度差が非常にある中で、まず2市3町の合併を先行させたうえで、次に広域行政の方に進んで行こうという確認をさせていただきました。その中で沼津の合併を推進する会を設立しました。サンフロント懇話会を含めて合併に対する考え方が一致している団体の方々と一緒に考えて行こうという会で、沼津の場合は31団体が参加しまして、目的は住民の合併に対する意識を高揚していこうということです。
 いま現在は、沼津に次ぎ三島も設立しまして、その後も清水町と函南町で準備を進めているところです。出来れば推進する会も一体となった状況で今後も活動して行きたいと思っております。


一部事務組合を土壌に 合併の話がスムーズに

◆大多和 合併協議会を立ち上げ、新しい伊豆市の誕生にご苦労いただいている修善寺町長の大城さんから、伊豆市の合併協議をここまで持ってきたことと、いまお話のあった伊豆市の北の方の様子等を比較しながら、どんな感想をお持ちになるかお話いただきたいと思います。
◆大城 後ろの方は見えないと思いますが、これは静岡県の地図です。真ん中のブルーのところが新静岡市で、緑の部分は合併を決議したところでして、浜岡町と御前崎町、私ども修善寺町ほか4町です。橙色に塗ってあるところが法定の協議会を設立した、あるいは設立すると決めたところです。何も塗ってないところが、まだ決まってないというところです。西高東低という天気予報の言葉がありますが、これも西高東低ですね。動きは東部が少ない。
 合併特例法に期限が平成17年3月31日までとなっております。私どもは、当初は6町村で合併を討議しましたが、それぞれの町の都合がありまして、最終的には4町で合併することになりました。人口が3万8千人の規模ですから17年3月では市制が敷けません。特例の特例で「3万市の特例」が認めてもらえる16年3月31日合併で協議を進めてきましたが、9月に法律が変わりまして若干のびましたので、年度変わりの16年4月1日に合併しようということで、先般4町の議会の承認を得まして静岡県知事に届け出ました。
 合併する目的とか、意義は皆さん方ご存知だと思います。私は3つあると思います。日本の産業構造が変わってきたということです。経済状況が思わしくない。それが1番目の理由。2番目が少子高齢化、働き手が少なくなる。やはり将来の地方自治体の運営等にも財源的な問題が出てくる。3番目が地球環境だと思っています。
修善寺町は天城湯ヶ島町と30年くらい前から一部事務組合を作り、衛生センターを運営して来ました。1町ではとてもやっていけないわけです。郡下ではいま、新施設の建設をやろうと話し合っています。数年前に介護保険を始めましたが、それも一部事務組合でやっている。そういう土壌があったために16年4月1日の合併がスムーズにいったんじゃないかと思っています。
伊豆は一つという言葉がございます。どこからどこまでが伊豆か、ちょっと分かりませんが、田方郡と賀茂郡、合わせても人口20万人に足りません。到底、政令指定都市にはいかないわけです。東海道筋の人口の多いところが政令都市の盟主になっていただいて、いくつかの段階というお話が先ほどありましたが、そういう時点で伊豆市としてはどうするか考えてまいりたいと思っています。
10年先ということは、過去の10年をみますと経済が停滞してあまり変わってきていないようですが、これからの10年は社会の構造が相当変わるんではないかと思います。人々の意識も変わってくるだろうと。そのためには前もって物事を考えておかなくてはいけないだろうと。現下の足元のことだけで決めていったら、やはり間違ったという部分があるのではと思っています。将来のことをやるわけですから100点満点ということはないと思います。でも、皆さんと一緒になって自立する新しい市を目指していけば、何かそこに新しいことがあると信じて合併に踏み切ったわけです。
◆大多和 それにしても町長がおっしゃるように政令市の条件である最低70万の人口になるのは大変なことです。平成の合併ということになると全国のトップランナーだった静岡、清水の合併を清水から仕掛けて政令市も手に届くところに来たという現状があるわけですが、これについて生き字引のような風間さんに来ていただきましたので、新しい静岡市について触れていただきたいと思います。


原動力になったのは、閉塞感と危機感だった

◆風間 大多和さんは高校の先輩で合併協議でもいろいろとお世話になりました。もっとも印象深いのは大多和さんの1票で名前が静岡市になってしまったことです。今、東部地区も枠組みの問題でいろいろなことをお考えになっていると思います。清水、静岡の合併も当初は5市5町で行こうかという話がありました。5市5町ですと人口も100万、即政令市です。しかしこれはなかなかまとまらなかったですね。清水、静岡が一番人口もあるのだから本気にならなければわれわれは動かないとか、いろいろなことをいわれました。時間がどんどん過ぎていく。清水の市長も一人で講演する時は合併しなくてはいけないというのですが、静岡、清水の両者が一つのテーブルにつくとはっきりした話がなかなか出てこない。そういう状況の中でアクションを起こせば、そこが一つの風穴になって周りが動いていくに違いない。その一つのプロセスとしてJCで住民発議をさせていただきました。
 その原動力になったのは閉塞感と危機感でした。清水は人口24万人ですが、人口はどんどん減って、政治風土がなかなかスカッとしないんですね。市長も多選ということで議会も総与党化していく。財政状況も決してよくない。これを打破するのは、相当大変なことではないかなという危機感がわれわれにありました。
 そして外的要因は、国家の財政的要因です。官僚と国会議員は相当危機感を感じていないと地方分権という言葉を言わないと思うんです。やはり権限を握っていますから。それを口にした。これは国が大変な状況になっているなと。この内的状況と外的状況によって、もう猶予がないと思いました。
 合併問題で、一番大事なことは危機感といいますか、緊張感だと思います。地域間競争が始まって久しいと言われていますが、本音を言いますと、この東部地域の空白は、僕らにとっては非常に有利なんですね。その間にわれわれのところはいろりろ進めることが出来る。出来ればこのまま混乱していていただければ(笑)、2、3歩先にいけるんじゃないかなと思っています。
 そういった危機感などから生まれた新市ですが、ご存知の通り決してうまく行っているとは言えません。歴史のある静岡と清水ですので、まず職員同士が非常に対立構造の中にあって角突き合いながらやっている状況です。これまで清水市政がやってきたトップダウンのやり方にも批判が出ています。また議員に関しても定数の削減問題が出ていますが、多くの議員は定数削減せずに56でといっています。合併で2年の在任特例を使いましたから平成17年には20数名一気に議員が減るはずです。経済界はさらにそれから減らせといっている。私も減らすべきだと思うんです。そうしないと市民に対して説得力はないだろうと。しかし議会の大半は56でいいじゃないかといっている。
結果的に合併して良かったと思います。いろいろなことが顕在化してきました。これまでは秘密事項はなかなか外に漏れることはなかった。ところがお互いに交流したものですからぼろが出てくるわけです。これはすごくいいことだと思っています。確かにこの混乱はしばらくは続くかもしれませんが、これからの繁栄のためには必要不可欠なもの、これがうまい状況でまとまっていけば、われわれが期待している通り素晴らしい地域になると思っています。
◆大多和 合併後、必ずしもうまく行っていないが、非常に実態が分かってきたというお話がありましたが、大城町長さん、その辺は、合併の話がまとまったばかりですが、いかですか。


合併が1年早まり、職員たちから猛反対が出た

◆大城 最終的に4町になりましたので、合併が一年早まりました。総務省の話では準備に22カ月かかるといわれたのが、決まったのは昨年12月ですから16カ月ないわけです。選択肢は
(1)合併しない
(2)合併するが17年3月で町のままする
(3)もっと仲間を増やして17年に合併する
(4)4町で16年3月末に市として合併する―
  この4つを考え、一番困難なのが4番目の選択で、職員たちから猛反対が出ました。22カ月かかるというのに、15カ月でどうやってやるんだと。「決めたんだから出来るだけやってくれ。あとは4人の町長が責任を取る。合併できる最低のラインでいいから協議を成立させてくれ」と。そういう条件でした。
 協議が成立しまして、サインをしましたから町長としては一応格好はついたわけです。ところが実際はこれからが生々しい話が出るわけです。
水道料をどうする、国保をどうするなど・・・。きょうも補助金を何とかしてくれとか、まだ市長でもないのに言ってくるわけですよ。調印してから生々しい話がいっぱい出てきているわけです。しかし悪いことばかりはないですね。4町の職員がそれぞれの町を背負って協議会に来ました。僕は時間がないから、問題点は各町に専門委員会があるので協議会から投げてくれ。その答えを24時間以内に協議会に出せという指示をしました。その通りになったかどうか分かりませんが、協議会は夜遅くまで頑張ってくれました。1年前と比べると役場が大変活性化してきた、目の色が変わってきたと。ですから楽をするとどんどん楽になってしまうんです。苦労するときは思い切って苦労する。最後の責任は上が取る気になれば出来るんじゃないかと思います。半分以上意気込みでここまで来たわけですが、そういう気持ちでやってきた。一部事務組合が土壌になっていますからやりやすかった面はありますが、これはいい効果だと思います。
◆大多和 宇野さん、東部に関しては政令市が10年がかり、核づくりの2市3町の合併はいつごろなのか。どういうタイミングでやっていくのか。きょう会場には関係の首長さんや議員さんもおられるので言いにくいかも知れませんが、どういう工程を積んでいったら仕上がっていくというふにお考えなんでしょうか。


大きなビジョンを掲げることがまず第一

◆宇野 合併特例法は平成17年度に期限切れとなります。基本的にそれを目指した活動をしていたんです。なかなかクリアが出来そうもないという感じがしております。ただ10年後の政令都市を進めようと沼津市長さんはじめ行政の方々が検討されているということも承知していますが、10年後、修善寺町長さんがおっしゃっているように非常に制度が変わるんだろうと思っています。その状況の中で10年後を目指して今進めていくことは空文句になるんじゃないかと思うところもあります。
基本的な考え方として合併ありきと考えているのではなく、この地域をどういう状態に持っていきたいか、大きなビジョンを掲げることがまず第一かなと。そのビジョンをどう実現していくかということから合併があると考えるわけです。少子化の問題もあり、財政の問題等いろいろありますが、そういう状況の中で考えたらやはり大きなビジョンを実現するための合併はすべきであるというのは、商工会、商工会議所の立場に立った考え方です。
それを実現するために、まず一つの期限はあるにしても、それをあまり念頭におく必要性はないかもしれないと思っていまして、ここに政令都市をつくるための核をつくるべきだと。そして伊豆市や田方東部の3町、しいては富士、富士宮も含めて政令都市をめざすことを次のビジョンとして掲げるべきだと思っています。期限的にはいつだということはなかなか返事は出来ませんが、目標としては特例法の期限もあるということを十分頭に置きながら考えていかなければいけないと思っています。
◆大多和 大城さんから先ほど出ましたが、この東部に合併を考えていない地域がたくさんあると。全体としては県内の中、西部などの動きに比べて動きが鈍いというか。中山さん、なぜなんだろうかというところを分析されたことがあったらお願いします。


裕福であるために 空白の部分がある

◆中山 なぜかということは非常に難しいことなんですが、3年ほど前にこのサンフロントの関係で大多和さんと政令市の実現を目前にしていた旧の大宮市、与野市と浦和市に行かせていただきました。その時に出てきたのが、3つありまして、1つは地域というのは複眼都市であってはいけないと。複眼都市だと何を目指すのか分からなくなるので、ちゃんとした顔を持ってほしいというのがありました。もう1つは、どのような手順でいついつまでにやるんだと。その障害になっているものはどういうもので、どこを削っていったらよいのかをしっかりしろと。最後に強いリーダーシップがないと実現はしないといっておられました。 
皆さんご承知のように東部には不交付団体が極めて多い。今、財政的に裕福であるために、そういうような空白の部分があるのかなと思います。お話がありましたように足元しかまだ見ていないと。将来どうなるんだということを考えたときに、今すごく人口が伸びているところが30年後に、その人たちが否応なしに歳を取っていくんですから、その方々の面倒をどういう形でみていくんだという部分をしかり考えていかないといけないと思うのですが。
 もう1つ、歴史的な背景がありまして、この地域は今まで努力しなくても成長してきた地域なんです。東京100キロ圏といわれますように非常に地理的に有利な地域だったんですね。何もしなくても、東名はできた、新幹線も引かれた。後は肋骨道路だけをつくってしまえばいいという話になってしまいます。首都圏のパイが大きくなったとき、何をしなくてもこの地域が潤ってしまった。風間さんがおっしゃるように、何もしないでねと、そうすれば静岡は伸びていくからというような話になっていくかと思います。
◆大多和 風間さん、お三方の東部分析を聞いて、清水、静岡の合併経過から見ますと、どういうふうな差を感じますか。


平成17年3月31日を境にして 日本の地図って変わる

◆風間 そもそも本気になって静岡、清水の合併をすべきだという意見を言ったときに、ある方が今回の合併というのは人口1万人に満たないところを一緒にするのが国の狙いなんだと。やせても人口23万ある市が合併なんかとんでもないとおっしゃいました。こういう考えの方も役所にはいるんだと思ったんです。その時、僕が言ったのは、周りが何にも変わらなければ、もしかしたらしばらくの間、安定するかもしれませんね。ただ平成17年の3月31日を境にして日本の地図って変わるんですよ。で、県内の地図も変わるんです。その時にアッと思っても手遅れかもしれませんね。責任が取れるんですか。もし責任が取れるというならどう責任を取るのかお話ください。われわれは子どもたちに責任を取るために少なくとも合併したらこの町はどうなるのか、議論だけはする必要があるのではないかと。そしてもしも合併するという結論が出ても、合併しないという結論が出ても、その理由を説明する責任があるんじゃないですかというのが、そもそもの合併協議の始まりなんですね。やはり議論を避けて行ってはいけない。
 何のための合併か、市民の将来のため、子どもたちの将来のためであるんならば、多少の事務の煩雑さとか、そういうものを別にして、やはり間違ったら退却するということも含めて、勇気を持って動くということが、まずは大事じゃないかと僕は思うんです。
 先ほど、打ち合わせの中でこの地域はやはり危機感がないという話をしたんですが、間違いなく平成17年の3月31日に危機感が生まれますのでぜひ楽しみに待っていてください(笑)


危機感をきちんと 住民の方々にお知らせすることが大切

◆大多和 ありがとうございました。平成17年3月31日、合併特例法が期限を迎えると、初めて危機感が生まれると。私も中部の人間なんで、風間さんと一緒に考えれば東部はゆっくりしてくれればいいということになるでしょうが、県職員の立場ですから違いますが、それについては宇野さん、いかがでしょうか。ゆっくり10年掛ければいいんだと。あるいは2市3町もいまからですと特例法の期限までに15カ月、相当厳しいですね。そういう状況の中で、豊かな東部地区の中では特例法は意識しないと。もう自力で、自分のテンポで10年後を計画すれば大丈夫だというふうな認識をお持ちなのかどうか。ちょっと突っ込ませていただきましたが、いかがでしょうか。
◆宇野 そういう意味で大丈夫だという認識はないんですが、危機感というのは、私は持っている積りでおりますし、出来れば特例法の期限内に合併すべきだというふうに思っております。しかしいろいろ議論をする中で、時間が非常に必要な部分もあるんですね。そして先ほど温度差があるという話をさせていただきましたが、会合をいくつか進めてですね、おたくの町はどうですかという話をしていく間に、みんなその気になっていく。その危機感をやはりきちんと住民の方々にお知らせすることが大切なことだというふうに、いま思っておりますし、またそれをするための手段として市町村の合併を推進する会ということで、最初は考える会としたんですが、積極的に推進しようと推進する会としました。その市町村の中で積極的にこれからの現状を訴えるという必要性を感じています。そういう中で、決して10年、自分達がいままでいろいろな形で何もしないでもこの地域は何とかなったよということでは、行かないということを十分にいろんな意味での情報を住民の方たちに提示をしていくことは絶対に必要だと思っていますし、そういう啓蒙活動をきちんとしていくと。本来ですと、自治体にそういうことをしていただけるといいんですが、どうもそういうことをなかなかやっていただけないと。
それではやはり、地方分権という形で誰がこの地域を作るんだと。われわれが作らなければいけないと。その作る側がきちんとした資料をもって将来の展望、また現在も含めて将来の展望をきちんと掌握していき、理解をするということを考えなければいけないというふうに思っています。そういう意味で合併を推進する会も積極的にやっていかないといけないと思っています。


伊豆市はどれくらいまでの イメージを持っているか

◆大多和 現状がある程度充足されている、あるいはそれなりのレベルにあるとなると、将来への危機感は、知識としてはあっても感情としての危機感は生まれにくいというのは人情だろうと思うんです。例えば、佐久間、水窪の職員が今は広域合併で動いていますが、最初のころに2町で合併の検討をしたときに彼らは緊急避難的合併であるというレポートを出したんですね。その頃、講演したり話をしたことがあるんですが、他に声を掛けてくれるところもないと。しかし今のままではジリ貧になりやっていけなくなる。しかし特例法があるならば、最小限として時流に乗ってやるべきことをやって、次なる戦略に、あるいは広域化に備えるんだというレポートがあって、そのレポートを実施するかどうかというときに「浜名湖市」の話が始まって広域に動いているわけですが、伊豆市の場合、北は3町の動きが始まっていますし、南も東の伊東とかも旧田方のはずですし、高等学校の学区も同じ時代もあったし、一つの地域性もあるだろうと思いますが、そういう面では将来、伊豆市は、自ら伊豆市を名乗るくらいですから、どれくらいまでのイメージをお持ちなのか。


まずは、4町の合併が一番の課題

◆大城 大変難しい質問ですね(笑)。まずは4町の合併をきちんとすることが、一番当面の課題だろうと思っています。その先何年後か分かりませんが、さらに広域ということは十分考えられると思います。ただ、本庁の位置までの交通の時間が30分と言うようなお話があったわけですが、現在伊豆市の本庁の位置というのは修善寺の役場ということに協議会で決めております。そうすると現在の土肥町の役場から来るのにトンネルを使って約40分かかるんですよ。ギリギリだと思っています。 さらに縦貫道など交通機関等が整備され、下田―沼津が1時間でいけるようになれば、考えられると思います。それと同時に現在ITという情報通信の技術が、人や物が動かなくても出来るような世の中になりつつあり、相当進んでおります。そういうものを使えば、さらに広域というものは考えられてくるんじゃないかと思いますが、もう少し時間がたってみないと。今答えるのは大変難しいと思います。
◆大多和 風間さん、政令市とは、そもそも目標なのか、手段なのか、その辺はどう理解していますか。


政令市は道具として 絶対に手に入れておいた方がいい

◆風間 合併も同じだと思いますが、魔法の杖のように町は政令市の一振りですごくよくなるよというものではないですね。ただ道具としては、手に入れておいた方が絶対にいい道具ですね。いま国があって県があって、市町村という大きな括りがある。今回、清水、静岡の合併の中で市役所の部長さんたちは合併に反対の方が多かった。職員の中にも反対をする方が多いですね。しかし僕の同級生も市役所に大勢いるんですが、やはり政令市になるんだったら合併するべきだよ、自分たちも大きい土俵で勝負したい、大きい土俵で自分たちの町をつくり上げたい。どうせやるなら国と直接話し合いたいと言う職員がいるんですよ。これって、僕は大事なことだと思うんですね。行政サービスと言うのは、議場の大きさだとか、庁舎のきれいさではなくて、そこに働いている職員のハートだと僕は思うんです。そのハートは、今の制度下に照らして考えると、政令市の持つべきハートは、そこに住む人たちにとっていいスピリットではないかなと思っているんですね。


ファルマバレーをキーワードに 自分たちでグランドデザインを

◆大多和 合併いついて、そもそもなかなか住民の皆さんに伝わらない障壁は何があるのか。情報はいっぱい出ているのですから、合併が必要だ言うことになるとすれば、誰がどういうふうにその障壁を除去して、合併を推進したらいいのか。その辺をそれぞれに伺いたい思います。中山さんからお願いします。
◆中山 サンフロント懇話会とか、合併を推進する会だとか、広域合併の研究会だとかが、何かを出す時期に来ているんだろうなと思うんです。皆様方、合併の必要性は感じていると思います。まだ熟度が足りないということになれば、その熟度は誰がつくるんだと。そしてそれを出したところで議員さんとか、首長さんが真剣に考えていくと。そういう状況を作っていくことが重要なのかなと思っています。 例えば、神戸は先端医療構想ということで、こちらのファルマバレー構想と同じようなことを進めています。事業所ですとか、あとはインフラの整備ですとか、そういうものが着実に進んでいます。東部の場合を考えますと、社会基盤の整備をどうしていくのか、広域連合でやっていけばいいという話もありますが、そこをきちんとやっていくには、やはりファルマバレーをテーマにして、民間の研究会ですとか、推進する会が一つのキーワードとして、自分たちでグランドデザインをつくってみようと。それを議員さんですとか、首長さんですとか、もしかすると一般の市民の方たちに出してみて、それで議論を活発にしていくのも一つの手なのかなと思っています。
◆大多和 風間さん、経験からいくと、障壁の除去者は誰か。いかがですか。
◆風間 非常に難しいんですが、経済界が中心になって動いても、多分、市民の共感は得られないのかもしれないと思うんですね。われわれの場合は、最初、青年会議所が走って、そのバトンを商工会議所が受け取ってくれる約束だったんです。僕らはド〜ンと走りますから、理論付け、政治へのアプローチは商工会議所がやってくださいねという話をしたんですが、途中で商工会議所は時期早しょうではないかと言い始め、地域経済団体として利害が必ずしも一致しないところがあり、完全に商工会議所の会員をまとめ切れなかった。市民が思っている豊かさと、経済界が思っている豊かさが違う場合も出てくると思います。僕はJCの出身なので、青年会議所とか、そういうところがやはり勇気を出して行動し、発言し、若い集まりですから、そこに大いに期 待していきたいと思います。
◆大多和 ありがとうございます。宇野さん、商工会議所をまとめ切れるかということですが、いかがでしょう。


推進する会で出来れば住民発議を

◆宇野 沼津は、商工会議所がバックボーンでやるということを皆さんの前でお誓い申し上げたいと思います。ただ、誰がどういう形で、という問題は非常に難しい問題だと思っています。最終的には首長さんが先ず第一。それから議会と、その辺をどうやっていくかということが一番の大きな問題だと思います。これは当然市民の意思というものがそこにあるんですが、先ほどのマニフェストではありませんが、これから首長さんの選挙があろうかと思います。合併ということをどの程度までお考えなのかということを、各首長さんにマニフェストを出していただいて、その判断を推進する会がどうして判断していくかということも大きな主軸ではないかと思っております。
それからちょっと踏み込んだ話になるかもしれませんが、推進する会で出来れば住民発議をしていくということも一つ念頭においておりますので、会の中に若いJCの方も、商工会の青年部の方もいらっしゃいますから、ともども一緒にやっていくことが重要であると思っています。
◆大多和 やはり首長と議会だという所に来ました。大城さん、経験から言うといかがだったでしょうか。


行政側と議会が心を合わせて 前に進めることが一番重要

◆大城 4町の合併問題を振り返りますと、議員さん方が、私が町長に就任する前から合併に対する勉強会をつくっていただいて、先進地域を視察されたり、地元に返られて話をされたというのは、ものすごい力になりましたね。やはりお話のように首長と議会というのは車の両輪だと思います。片方が止まっていれば、一カ所でぐるぐる回っているだけですから、前に進むということが大切だと思います。住民発議というお話がありましたが、私どもはそういうことはほとんどありませんでしたね。中には反対という方がお出ででしたが、全体としては情報公開がいろいろな形で出来たと思っております。何回か地域懇談会をやりましたし、途中で合併の進捗状況の報告会をやったり、そういうことで住民の方のご理解を得てまいったわけです。政令指定都市の規模になると相当人口は多いし、また、いろいろな考えの方がいますので、一筋縄ではいかないかなと思いますが、行政側と議会が心を合わせて前に進めることが一番重要だろうと思っています。


首長、議会、地域リーダーの皆さんが 将来に責任を持つ推進役を

◆大多和 ありがとうございました。皆さんのお話をお伺いし、私としては東部における政令市というのは何なのか。長期的な10年先という設定のようですが、ではその政令市はなぜ必要なのか、というところがまだこれからかなという感想を持ちました。
ある面では合併で行政の枠組みをどうするかということは、少なくともトップや議会、さらには地域のリーダーがどういう地域をつくていくかということを供給側の責任として考える必要があると思います。住民側は、とても数として衆議一決することは難しい。したがって住民からいうならば、機運を醸成してまとめていくとなるとこれはものすごく時間がかかる。やはり合併を成功させたところは、首長、議会など地域のリーダーの皆さんが責任を持つ意味で、リーダーらしい責任の取り方といいますか、先見性でまとめていくということが一般に成功例では多いようです。
 それぞれの地域の人たちが一番いいという方法を自分たちで開発して、選択して、結論を出していく。その先には、将来この地域をどうするんだという絵が描かれる必要がある。しかもそれは基調講演でお聞きしたマニフェストではありませんが、望ましい姿ではないかも知れないが、それをいつまでに、どの程度にするか、やはり段階を追ってしかるべき時期にどうするかという手順を整えていくことが、最終的には急が回れで目標に達するんじゃないか、というふうな感じがします。

いずれにしても首長の皆さん、議会の皆さん、お集まりの地域リーダーの皆さんが相当な意味で将来に責任を持つ推進役を果たしていただかないと、大変大掛かりな仕事ですので、なかなか難しいと思います。
通常いわれる合併の障壁の中では、先ず首長がなかなかそういう協議の議案を出さないと。次に議会がどうも抵抗勢力で否決するんではないか。大体この2つが整えばなんとかなるんだと思うのが一般的ですが、私の経験ですと第3の抵抗勢力がある。これは何かといいますと役場の職員、市役所の職員ですね。これも身分がものすごく不安定になる。政令市を進める知事がいると県の職員は「私どもは職場がなくなるのではないか」と知事に質問するくらいの危機感がある。市民以上に役場や市役所の職員も大きな抵抗勢力になる。そこが実は実務家ですので、首長がよほど責任を持って指令を出さないと、検討してくれという程度ではほとんど否定的な結論しか出ないというのが、一般的であります。首長さんなり議会なりという意思決定機関がはっきりした方向性を示しますと、職員は命令に従ってきちんとした合併協議のための資料、項目の整理をしてくれるかと考えます。
皆さんに、是非、10年先に県中部地区に追い越されてあの時やっておけばよかったというようなことにならないように、時間を見ながらきちんと取り組みをしていただくことを期待して、きょうの議論を終わりにしたいと思います。


■講師略歴

北川 正恭(きたがわ・まさやす)
1941年生まれ。67年早稲田大学第一商学部卒業。72年三重県議会議員当選(3期連続)、83年衆議院議員当選(4期連続)。任期中、文部政務次宮を務める。95年三重県知事当選(2期連続)。「生活者起点」を掲げ、ゼロベースで事業を評価し、改善を進める「事業評価システム」や情報公開を積極的に進め、地方分権の旗手として活動。達成目標、手段、財源を住民に約束する「マニフェスト」を提言。2期務め、この4月に退任。現在、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)代表。58才。

大多和 昭二(おおたわ・しょうじ)
1942年、庵原村(合併により清水市、現在は静岡市)生まれ。61年県立清水東高校を卒業し県庁入り。勤務しながら中央大学を卒業し、66年再び県庁に入る。県では財政畑が長く、企画調整課長、伊豆県行政センター所長、県立美術館副館長、清水港管理局長、総務部理事を経て静岡県自治、研究所教授。総務部理事の時には、地方分権改革や市町村合併間題を担当し、静岡県広域行政推進研究会委員静岡市・清水市合併協議会委員を務めた。61才。

宇野 統彦(うの・のりひこ)
1945年生まれ。成蹊大学政治経済学部卒業。卒業後桃中軒に入社し、85年(株)桃中軒代表取締役社長に就任。沼津商工会議所副会頭、駿豆地区商工振興懇話会広域合併検討委員会委員長。市町村合併を推進する会企画委員会委員長なども務めている。58才。


大城 伸彦
(おおしろ・のぶひこ)
1939年生まれ。62年明治大学工学部電気工学科卒業後、東京電気(株)(現在の東芝テック)入社。94年より3年間、東芝テック(株)三島工場長を務める。2000年修善寺町区長会長を経て01年修善寺町長に当選。現在、修善寺町外3町合併協議会会長。64才。

風間 重樹(かざま・しげき)
1958年生まれ。日本大学経済学部経済学科卒。ベイプレスセンター代表取締役。99年清水市議会議員初当選(合併により現在は静岡市議会議員)。静岡市・清水市合併協議設置請求代表者。2002年4月まで静岡市・清水市合併協議会委員。清水商工会議所青年部理事長の他、新するが市民大学初代運営顧間、SSシティ構想推進委員会理事なども務めている。44才。

中山 勝(なかやま・まさる)
1958年静岡県生まれ。89年慶応義塾大学大学院経営管理研究科修了。81年スルガ銀行入行後、82年財団法人企業経営研究所出向。研究員、主席研究員を経て2000年より産業経済究部長。97年〜2000年まで静岡県広域行政推進研究会委員、01年富士山麓先端健康産業集積構想戦略委員会委員、02年沼津・三島広域合併研究会などに参画。サンフロント21懇話会シンクタンクTESS研究員、キラメッセ運営推進協議会委員長なども務めている。45才。



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