サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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第9回全体会 平成15年11月10日(沼津東急ホテル)
記念講演「お家繁盛、町繁盛」

永 六輔(えいろくすけ)氏
放送タレント

 今、市長のご挨拶にあった通り、寝不足です(笑)。
 お話があったように、沼津に行くというのは寂れた町に行くという(笑)、気配があります。沼津というと、われわれの世代では兵学校の沼津、御用邸の沼津なんですね。こういうレベルの他の町が何をしているかということをきょうはお話をしていきながら、なぜあそこはあんなに繁栄しているのか、観光客も押し掛けているのか、具体的にいきます。まず、北海道の富良野という町があります。観光客が一年中、押し掛けています。


黒柳徹子とは再婚しません

 ちょっと待ってください。その前に、女性が多いのでお断りしておきますが、私、黒柳徹子とは再婚しません(笑)。そういう噂が週刊誌ですとかワイドショーにチラッと出たと聞いたんです。何か暗いところを二人で手をつないで歩いていた写真が、ということですが、それは仕方ないことで、70歳過ぎた男と女が暗い道を歩くときは手をつないで歩かないと危ない。どっちがつまずくか分からないんだから。それはデートではなくて老々介護というんだと、私は説明しました(笑)。「こんな馬鹿な取材を黒柳君にするんじゃないぞ」といいましたら「いいえ、もうして来ました」というから、「怒っていたろう」と聞くと、「怒ってました。私は再婚じゃない。初婚だといって怒っていました」と(笑)。


人がどんどん押し寄せる富良野

  話を戻します。北海道の富良野という町は何にもない町だったんですが、そこに倉本聰という友達が引っ越し、「北の国から」というドラマを作る。これであれよという間に、ラベンダーの畑から東大の演習林から、いままで誰も来なかったところに人がどんどん押し寄せるようになってくるのはテレビという、ヒット番組があったからです。これは「北の国から」に限りません。今で言うと宮本武蔵のゆかりの土地に観光客がいっぱい行っているわけですが、これは今年いっぱいで終わりです。

柳田国男と曲屋と河童の遠野


 でも、テレビと完全にかけ離れているのに観光客が押し寄せているところが最近では、岩手県の遠野です。遠野はやや沼津と似ているんです。もちろん山の国と海の国との違いはあります。人が押し寄せているのは何だといったら、柳田国男と曲屋(まがりや)と河童ですよ。
 それだったら沼津にもあるわけです。いっぱい有名な人たちの別荘があったり、ここで亡くなった人があったり、お墓があったり、芸人さんにも有名な芸人さんがいたりという人脈は。沼津は、人間と人間をつないでいかない。これがバラバラになっちゃっているんです。それを何とかしようとしたのが遠野という町です。
 整理していきますと、柳田国男の「遠野物語」がベストセラーとして教科書にも載っていますから有名です。あれは高橋さんというおじいさんからの聞き書きが書いてあるんですね。ところがそれが民俗学のバイブルのような形になって、柳田国男というと遠野、遠野というと柳田国男。とても地理的に、知的に上手に重なっているんですね。でもそれでは客は来ない。その中に出てくる河童がいるというのが目玉で、観光客が来るんですね。曲屋と河童が。河童がいると思います?いないですよ。誰もいると思っていないですよ。そこをです。あそこの教育委員会と学校の先生と老人会が河童がいることにしようと。河童を見た話を作ってしまうんですね(笑)。
 観光客が来ると、「河童がさっきそこにいた」(笑)とか、いろいろなことを言うんですね。うそだと分かっていてもお客は喜ぶわけですよ。その話を聞くために遠野に行く。曲屋みたいなものが昔からちゃんと残されていますからそこにも行く。うそと分かる河童の存在と日本の民俗学の礎を築いた柳田国男の遠野物語、そして曲屋という、誰が見ても民話がそこで語られ続けていくという3点セットでそろっているんです。これをバラバラにしたら観光客は来ないんです。どういう風につなぐかということなんですね。
 とくに河童でお客が集まり、町で河童饅頭とか作るとそれも売れる。だって河童はいないんですから、せめてお菓子でも買っていこうということになるわけでしょう。子どもたちは子どもたち、年寄りは年寄りで、とにかく観光客を引っ張り回して、「あそこにいた。昨日いた」と、土地の訛りで言われると本当にひょっとするといるのかもしれないと思うところに、今、僕は立っているんだと思わせてしまうところが町ぐるみなんですよ。


対応の上手さ

 これがとても上手なところ。対応の上手さ。曲屋があって、いろりがあって、そこにおばあちゃんがいて、おばあちゃんが「昔々、あったんだとさ」と。そこにどんどん観光客が来るわけですね。観光バスがついて待っているときには短いのをやろうと。一番短いのが、あっという間に終わるんですが、「はい、いらっしてください。いろりを囲んですわってください。今からおばあちゃんが昔話をしますから」と。おばあちゃんが出てきてみんなが拍手して、でおばあちゃんが「むかし、むかし、あったんだどー。今はもうねえんだどー。おしまい」って(笑)。  対応がうまいんです。これも知恵者が一人いるんですね。役場に。だから演出家がいて、いたずらの好きな人たちがいて、教育委員会も説得して、町も説得して、町中でうわさとしては河童がいるんだということにするだけで、それに放送局が乗っかって来るわけですよ。本当に河童がいるかもしれないっていう中継をするもんだから、ますます面白がって来るんでしょ。そこで何かイベントをしたとか、何か建物を造ったとかそういうもんじゃない。昔ながらのあるものを使い、それが得意なおばあちゃんたちが語り部。そういわれると、肩書きがついたも同じですから、語り部のお話を曲屋のいろり端で聞いた感動。昔話を聞いたんだという体験を持つわけですね。そういうふうに付加価値を付けていくということの上手なところがいっぱいあるんですよ。


町ぐるみホスピスの鷹巣と浅間温泉

秋田県の鷹巣町という、沼津に比べたら本当に小さな町ですが、ここは町ぐるみホスピスという運動をついこの間までやっていたんです。ところがこれを進めてきた町長が半年ほど前の選挙で落ちた。理想的な、町全部をホスピスにしようというのをどこかが受け継がないかと。町長が変わってしまうと、方針も変わってしまいますからね。それを受け継いだのが長野県の浅間温泉というところなんです。浅間温泉がお寺さんと病院といろいろと含めて町中全部をホスピスとして対応する。  念のために、詳しく説明しておきます。

 昔、静岡県って結構、長寿県だったんです。ベストテンに入っていたんですが、今は入ってないんですよ。一番だったのはずっと沖縄県でしたが、今は20位以下に下がっています。一番の長寿県、平均寿命を超して元気なおじいちゃん、おばあちゃんが病院に行かないで元気に過ごしているのって、どこか知っています。  長野県なんですよ。男性は。女性は山梨県です。山梨県と長野県が1位、2位ということになると、なるほど自然環境じゃないということが分かりますね。考え方、生き方なんだと。長野県には諏訪中央病院の鎌田實、佐久総合病院の若月、安曇総合病院の遠藤、といういい病院といい医者がいて、30年前から医療を在宅に切り替えたんですね。医者、看護婦、ボランティアが育って、この30年であっという間に平均寿命が一位になっちゃたんです。追いかけているのが山梨県です。やろうと思うと出来るんですよ。  その中の長野県の浅間温泉が町ぐるみでホスピスにしてしまおうと。先を考えて。老後、病気になったり、或いは誰か看取る人がいなかったり、介護に疲れた人だったり、いろいろな人がいますが、お客が来ないんなら、町中全体をホスピスにしてしまおうという考え方です。


オリジナリティーを

 お客が来ないっていうんだったら熱海だって負けていないですよ(笑)。熱海で何とかしたい。いまさらお宮、貫一ではないだろうと。あそこの市長は同級生ですけど、「なんでもいいから永さん、人を集めたい」というんです。昔はいろいろなことをやっていました。
 あの、「よさこい踊り」ははっきり言いますけど、くだらないです(笑)。昨日どこかでやっていましたが。よそのお祭りをまねしてもしょうがないじゃないですか。オリジナリティーがなければ。
沼津から始めた。沼津から発信したならわかるけど、よそでやってうまくいったものを持って来るという根性が沼津の駄目なとところなんですよ(笑)。市長もいることだし、拍手しないように(爆笑)。
 念のためですが、スケートボードって知っています。原宿あたりですと若い子たちがボードを抱えて歩いています。熱海の駅のイメージを描いてください。海岸に出るのは、全部坂を下るしかないんですね。下って、下ってお宮の松のところまで行くわけですね。全部交通を遮断してしまって、熱海の駅にスケートボードを抱えてやってくると、そこからワーッとスケートボードで町を降りて行くんですね。
 モナコとか、ヨーロッパだと街中交通を遮断して中でレースをしています。それと同じ事で、日曜日のお昼から3時までとか、全部遮断して日本中のスケートボーダー、若者達を集めるぐらいは出来るでしょうといったら、それは出来るかもしれないと。それだっらたその前に芸者にもスケートボードを教えて(笑)、それでお座敷姿で、日本髪で三味線を持ってスケートボードでずっと降りれば日本中のテレビが来て映すぞと。そこまでやらなきゃ駄目だというと、そこの勇気はないんですよ。警察に了解を得てと。
 違うんです。警察に了解を得るんじゃなくて警察に了解させちゃわなければ駄目なんです。お伺いを立てたら、絶対向こうはめんどくさいことはしませんから。
 昔の話ですが、民放で「行く年来る年」をしていたときに、除夜の鐘から初詣に変わる場面で、東京銀座の服部時計の時計台が映ります、時計台の下の交差点の真ん中にピアノを置いて、それを中村八大が弾くという企画を、もう10何年前ですが、考えました。当然のことながらそんなもの、警察にいったら許可するわけがないですよ。車にピアノを積んで置いて、12時の間際にピアノを降ろして時計に合わせて演奏して中継したんです。見ていた警察がびっくりして飛んで来ました。「なんでピアノをこんなところに置くんだ」と。「ピアノだと思うからいけないんだ。ピアノの足をよく見ろ。全部車がついているんだろう(笑)。これはピアノが駐車しているんで、駐車しているピアノを中村八大が弾いただけの話だ」と言ったら、ぐうの音も出ませんでした。何でもいいから知恵なんです。 盲点というのはいくらもあるので、それを逆手に取る。


まねするのはやめましょう。

 お店一つとっても、沼津も負けずにシャッターが降りている。熱海だってそうですよ。同じように商売がうまく行かないというけれども、シャッターが降りているのを逆手に取っているところはいくらもあるんですよ。
 よそで当たっているのをまねするのはやめましょう。沼津はまねしませんって。沼津なりにここでしかできないこと、ここにしかない歴史、ここにしかない文化を、われわれの知恵で何とかしましょうというのが、多分、サンフロント21懇話会というものじゃないの。取りあえずのまねはテレビも来て成功したんですが、それは本当に成功したのにならないの。何年続くかってことですよ。続けていけば続けていくほど面白くなっていくもの。続けることが力になっていくという方向に進んで行かなければいけないんだけれど、よそでやっているから今のうちにまねをしましょうというのは、御用邸が泣きますよ。やはり沼津でなきゃできないことがどれだけ出来るかということですね。もしよそのまねをするんだったら、パロディーにしなきゃ駄目ですよ。おかしいねって、笑ってしまえば笑った方が勝ち。
 やっている方の中で良く意味が分からない方がいると思いますが、「よさこい」というのは高知のお祭りです。もう20年ほど前になるんですが、北海道大学の学生が夏休みに高知に遊びに行ったんですよ。それで「よさこい踊り」を見るわけです。こういう風に老若男女みんながやるお祭りは北海道にはないというので、それを持って帰って、ソーラン節とつなげるんですね。つなげたのは伊藤武雄です。しかもロックにしたんですね。そこへ持ってきて不登校の連中に踊らせて歌わせて、太鼓をたたかせて、それに札幌市が飛びついて、あれよという間にワーッと日本中に広まっていったんです。
 「よさこい」が付くと、派手に出来るし、メイクも出来るし、若い人が心を一つにしてっていうんだけれども、北海道の「よさこい」もどんどん人が減っています。伝統が根づいていないから。
 ここが大事なの。面白くっても飽きちゃしょうがないでしょう。伝統がないと支えるものがないから飽きちゃうんですよ。
 「よさこい」は、本当は高知のお祭りだったんですよ。高知ではこういう装束を着てこういう風に踊っていたんですよってのが、沼津の先頭で踊っているんだったら、僕は偉いと思う。なるほど、これが日本中に広がっていった「よさこい」のご本家かということをみんなに知らせてあげようというのが、沼津の「よさこい」の考え方だったら意味があると思います。


市民会館がいつも満員になる「パリ祭」

 不思議なことに沼津でやっている夏の行事で、市民会館がいつも満員になっている行事があるんです。それは石井好子さんの「パリ祭」です。僕がもう10何年と司会をしています。
 司会するたびに来ていますけれど、なんで沼津はパリ祭がいっぱいになっちゃうのか。これはNHKホールでスタートしてからその次に沼津なんですよ。そこから全国を回る。なぜ沼津なのかはよく分かりません。沼津にはシャンソンの好きな人が多いとか、何かあるんでしょうね。
 どうして沼津はちゃんとやってくれるんだろうか。そういうことを行政がちゃんと把握しているかどうかです。自分の町の中で起きていることをきちんと掴んでいるかどうか。
 よそから来た人に何か言われるって、とても大事なことです。例えば御用邸があります。今の天皇陛下は私と同じ歳なんですね。同じ歳だから何だと言うんじゃないですよ。同じ歳ということは1933年、昭和8年生まれ。昭和8年というのは、とても重要な意味が別のところであるんです。ヒットラーがドイツで政権を握る年なんです。政権を握るとどういうことが起きるかというと、あの人はゲルマン民族の信奉者ですから、ユダヤ人がどんどん追われて行くんですね。いろんな人が亡命します。亡命した中に、例えばアインシュタインはアメリカに亡命して原子爆弾を作るんですね。その中に日本に亡命した人がいるんです。その人はブルーノ・タウトという人です。
 ブルーノ・タウトは哲学者で建築家。日本の建築が大好きで、いろんな古い日本の建造物を見て、一番感動したのは桂離宮なんです。桂離宮って、それまでは京都のはずれの昔のお屋敷があそこに残っていますよっていう位で誰も注目していないんです。それを見つけて「これはすごい。この建物は何という建物なんだ。庭であれ、建具であれ、壁であれ、超一級品だ」と認めて世界中に打電するんです。日本には桂離宮という日本建築を代表するそばらしい建物があるぞって。それで桂離宮は一躍有名になるんですよ。


もう一つ、庄内の刺し子を紹介

 もう一つ、彼はあちこち日本中旅をして、秋田県の庄内に行って、刺し子を見るんですよ。これにびっくりするんです。刺し子ってのは普通のおばあちゃんが冬の深い雪の中で自分で刺して行くわけです。自分で使ってきた洗い晒しの藍木綿、藍の麻を重ねて針で刺して行くわけです。ただ刺すのはつまらないから模様や柄を作っていったりし、それがだんだん洗練されてきて、ブルーノ・タウトが見てびっくりする作品になっちゃっているんですね。
 誰がデザインしたんだと。誰がこんなものを作ったんだと。なんでもない裏のおばあちゃんが作ったと。何でもない人がこんなに素晴らしいものを作れる国、そういう国の国民性がいかに優れたものかということを発表する。
 桂離宮と刺し子の半纏、これが世界中に知らされるんですよ。だから、僕が海外に行くときに刺し子の半纏を着ていると、向こうの人は知っていますから、「これが刺し子か」って触りに来るぐらい。どこに行くにも平気です。オペラ座に行くのも、大使館のパーティーだろうが、これを着ていけば、「これがブルーノ・タウトの言っていた刺し子か」と言われるぐらいなんです。日本では刺し子のものをあんまり着てないし、着ていると半纏着てなんだと。
 僕は今日、沼津を尊敬していますから刺し子の半纏を着ているんですが(拍手)、一番上に今着ているのは、100年前の刺し子なんですね。下は吉田さんの刺し子なんだけれど、この柄は刺し子の柄、全部を一枚の半纏に刺してあるんですね。ただ見せたいだけの話ですよ(笑)。
 これは手にするとびっくりする。こんなに細かい仕事をどうすれば出来るのってくらいに細かいです。これは薄い布地に、織ってある織り目にほぼ等しく針が入っている。こういうものを普段、日本人は全部やっていたの。普通の人たちが。それをしなくなっちゃったんです。ものを作らなくなっちゃったんです。


沼津だったら何が出来るか

 それでは沼津は、どうなんだというふうに考えていくと、長い歴史があって沼津には沼津のもの、人がある。例えば若山牧水という人は、日本中にあんなに地名を作った人はいないの。北海道から九州に至るまで。ここは何々岳です。ここは戦場ケ原と。日本中の地図に勝手に名前を付けてきた人なんですね。その人が沼津で眠っているわけですよ。何か出来ないか思うんですよ。
 今、噺家の小朝は、間もなく正蔵を継ぎますよ。先々代の正蔵は沼津の人なんですよね。人脈ってたどっていくと意外なところで意外な人につながって行くわけですよね。当然、正蔵を襲名すれば沼津にお墓参りにくる。いろんな情報、誰が出ましたとか、三島から冨士真奈美がとか、ね。
 僕が、いま言いたいのは、遠野のまちが明治の遺物に近い柳田国男を生き返らせたように出来ないかということなんですよ。たて横十文字に情報が流せないかと言うことなんです。
 もう1回いいますよ。鷹巣というまちでやれなかった街中をホスピスにしよう、居心地のいい、年寄りにやさしい、介護して疲れた人、その人達にそこで休んでもらおうというところがうまくいかなくなったんだったら、それをこちらに持て来ようというのは、「よさこい踊り」がはやったからそれをこちらに持ってこようというのとわけが違うんですよ。
もう一回言っておきますが、長野県が平均寿命が1位です。いま。県知事が替わってからではありません(笑)。今の知事は何にもしてません。寿命に関して。やったのは、優れた病院と優れた医者とそれを支えたボランティアの皆さんたちが県民の寿命を一気に日本一にしてしまったんです。では、沼津だったら何が出来るかです。
 今、二つのことを言っていますよ。よそから来た人が見つけて、当人達は何とも思っていないんだけれども、「ええ、そうだったんだ。この町は」というようなことっていっぱいあるはずです。
 ええ、あの人がご縁があって、つながって来るんだという有機的なつながり方、つながることによってプラスアルファーが出てくるようなつながり方をみんなで考えないと。多分、つながらないと思うかもしれないけれど、そうじゃないですよ。だって、僕と沼津をつなげているのは石井好子さんですよ。今日、ここに僕と沼津をつなげたのは黒田桃子さんですよ。俳句の。そういうふうに考えてくると、何かに何かがつながる。
 だって沼津には別荘がいっぱい並んでいたんだもの。今、河童が面白いのは、後に柳田国男がいるからですよ。柳田国男は明治・大正の学者で、昭和まで生きましたが、それを上手に生かす。付加価値を付ける。あるものをどう上手に使うか。川にしろ橋にしろ山にしろ、何でもいいんです。あるものを上手に使って、どう付加価値をつけて、若い人たち、力が一番あるのは女性ですから、女性達が飛びついてくれて、ボランティアをしてくれて、にぎやかにするものは何なのかということ。


いいおかみさんが並んでいる町が繁盛する

 はっきり言いますけど、「お家繁盛、町繁盛」って、こういうタイトルはいいんですけど、お家が繁盛するためにはおかみさん、旦那じゃないんです。ご主人は寝てていいんです(笑)。おかみさんが頑張ると繁盛するんです。いいおかみさんが並んでいる町が繁盛するんです。
 僕がここで黒柳徹子と再婚しませんというとドンと笑う人と、何この話、という人の二手に分かれて、分かってないのがおじさんなのですよ(笑)。情報にうといんです。アンテナがないの。発信するアンテナも受け止めるアンテナもないんです。ちょっとこれ、大事なことなの。沼津が置き忘れられた淋しい町になるか、ならないかっていうのは、あなたが置き忘れられた人になるかどうかの話でしょう。


デジタル、多チャンネル、多機能

 12月からNHKがデジタル地上波というのに切り替わります。知っています。デジタル地上波、多チャンネル、ハイビジョンと並ぶわけですよ。多機能って分かります。機能が多いんです(笑)。多チャンネルはチャンネルが多くなる。取りあえずは百何十チャンネルになるでしょうね。アメリカでは千チャンネルいっていますから。その辺、どのくらい分かっています。皆さん。どう変わっていくかについて。
 NHKも馬鹿じゃない。世の中がどんどん変わっていくのについていけない人たちがいっぱいいるに違いない。どのレベルでついていけないのか調査しているのです。
 例えば、今携帯電話を持っている方、手を挙げてください。半分近く持っていますよね。僕、持ってません。では、写真の撮れる携帯を持っている方。結構いますよね。
 そうすると、街を歩いていても電話を向けられ「撮りまーす」なんて、何が撮りますだと言いたいぐらい勝手に撮るんです。マナーもへったくれもないの。フッと思うのは、それは電話機でしょう。電話機で写真を撮っているわけでしょう。そうすと写真機で電話もかけられるわけでしょうと。それを自分に納得させるのにすごい時間が掛かるんですよ。


新しい時代についていけるかどうかの10項目

 野坂昭如さんが脳こうそくで倒れる前に、NHKがちょっとお3人で協力していただけますかっていう。新しい時代についていけるかどうか、10項目を学者が作ったので、それを今から言いますから、そうだなと思ったら指を折ってくださいと。
 これを今から皆さんにやりますから、手をテーブルの下に隠してください。人に弱点を見せることはないです(笑)。10項目言います。
1つ、「体調が落ちてきた」。全員、指を折ってください(笑)。体調のピークって15、16歳。オリンピックの水泳の選手の年頃です。あとは落ちてくるんですよ。
2つ目、「好奇心が無くなってきた」。これは折らないでください。好奇心がなければここに来ませんよ。
3つ、「もの忘れが増えてきた」(笑)。今、笑った人は折ってください(爆笑)。
4つ、「涙もろくなってきた」。木の葉が散ったりすると急に胸が熱くなって泣いちゃう。なんでだろうという、涙もろさ。
5つ、「自責の念が強くなってきた」。全部、自分の責任にしちゃうんです。沼津がこんなになっちゃったのは俺のせいだって。そんなことを思っていたらやっていけませんが、自責の念が強くなった人は折ってください。
6つ、「悪口が増えてきた」。
7つ、「無理に若々しく振る舞う」。何人かいます(笑)。
8つ、「トラブルを避ける」。もめ事はもう嫌なの。めんどくさいことには近づかない。
9つ、「若者を妬む。相手が若いとそれだけで妬む」。
10、「意味もなく焦る」。今日、1時半からだというのに、お昼前には来てたりするんですね(笑)。ちょうどいい時間に沼津の駅なら駅に行って電車に乗ればいいのに、妙に早く出掛けていって、イライラ待っているっていうのは、こういう兆候なんですね。
 今、10項目言いましたけど、5本以上指の折れた方は、BS地上波はあきらめましょう(笑)。念のために、野坂、永、小沢の3人は、ほぼ10本折れました。調査の担当者が笑って、「皆さん、現役でお元気にご活躍のようですが、駄目ですね」といったんで怒ったんですね。一番最初に怒ったのが野坂、「誰が作ったんだ。この10項目は。一人ずつ歳の取り方は違うんだ」と。こんなにはっきりは言いませんよ。あの人はぼそぼそ言うだけですからね(笑)。調査員は冷静なんです。「ええ、今のようにすぐ怒るのが11番目に入っています」(笑)。「この野郎」って、今度は僕が怒りました。そうしたら小沢昭一が「待って。待って。けんかしたってしょうがないんだから」って。われわれが歳を取った人間として、小沢さんは77歳に近いですから、どういう時に歳を取ったか考えておいていってやろうと。


どういう時に歳を取ったと自覚するか

それで3人のおじいさんが、どういう時に歳を取ったと自覚するか、項目を作ったんです。これを今日は特別に沼津のためにご紹介します。
 まずテレビです。
1、「テレビを見ていてあいづちを打つようになる」(笑)。「おい、土井たか子が落っこちゃった。ああ、無くなるねえ。社民党は」とか、どんどん言葉をかけちゃう。テレビとお話をしちゃう。
2、「ちゃんと見ているのに何のコマーシャルだか分からない」(笑)。「何だったんだ、今のコマーシャルは」って。ついでにスターとか、アイドル。これも分かりません。
3、「食事については何も言わない。柔らかであればいい」(笑)。これは、3人のうち誰が言ったかは名誉のためいいませんからね。
4、同じく食事。「食事をしていると何かこぼすか、ひっくり返す」(笑)。はっきり言うけど、笑っている人は体験があるんだよ(笑)。
5、これは女性には分かんないと思う。男性ですよ。「トイレに行って、ズボンのチャックを下ろそうとしたら、下りていた」(爆笑)。これはあるんです。いつから下りていたかなって急に不安になるんですね。
6、「無意味なせきばらいが増える」。
7、これはよくあるでしょう。「新聞を読むときに死亡記事から読む」。死亡記事から読むんだけど、同じ歳の人が死んでいると勝ったと思うって(爆笑)。これがよく分かりませんね。知らない人ですよ。
8、「固有名詞が出てこない」(笑)。今日、東京駅で山川静夫にあったの。「どちらへ」。僕は「あのほら、あの、ね」って(笑)。この間、小沢昭一夫婦の会話を聞いて感動しましたね。小沢昭一が奥さんに「おいあのー、あれは何したか」(笑)って言ったら、奥さんが「あれですか。何してあります」って。なんだかそばで聞いていて、全然分かんない(笑)。ああいうのが夫婦でしょうね。
9、これははっっきり言っちゃいます。小沢昭一です。「駅などの階段のあるところでは若い女性が来るのを待ってから昇る」(爆笑)。

10、これは男性です。「突然女房に優しくなる時がある」。若いときは何か悪さをすると奥さんに優しくなったり、プレゼントを持っていったりしますが、もう還暦過ぎで急に奥さんに優しくなるのは、この人に看取ってもらうんだな(笑)、この人がおむつを取り替えてくれるんだなと思ったら、その面倒を優しく看てもらうために今優しくしようという、そういう、悲しい話です。これは(笑)。
11、「理由なくみのもんたを信じるようになる」(笑)。よくわかりません。
12、「たいらで何でもないところでつまずく」。
13、「会うと病気の自慢をする。重い方が勝つ」(笑)。これがよく分からないんですよね(笑)。勝つとか負けの問題ではないと思うんですが。重い方が勝つんですよ。
14、これは皆さんもあるんじゃないでしょうか。「冷蔵庫を開けて、開けてから何を出すのか分からない」。

10年先の沼津は

皆さん、笑っている場合じゃないですよ、本当は。沼津をどうするかという話なんだから。本当のことを言って僕の知っている沼津。先程、ご挨拶の中にもありましたよね。箱根、伊豆という本当に観光でトップのところが並んでいて、こんなにいい環境のところなのに何故沼津は元気が出ないんだろうって。
 本当は箱根も熱海も大変なの。三島がちょっと違うかなという感じがしますが、大変なんです。合併の問題で言うと清水が静岡に合併されちゃったでしょう。清水の人は不満で、不満でしょうがないんだよね。清水の次郎長と言いにくくなってしまって、静岡でも次郎長は活躍しますが、やはりそこの土地の地域性、特有性、そこにしかないものっていうのが、ひとまとめにされていくとどうなっちゃうのか。
 僕はちょっと関わって反対したんですが、うまくいかなかったのが例えば佐渡です。佐渡島は来年3月で佐渡市になります。全部で今10町村あります。両津とか小木、相川とか。それが佐渡市になってしまうんです。全国で島という字が消え、村も、町もどんどん消えて市になっていく。そのことが、もちろん役人を少なくするとか、予算の配分がその方が有利だとかありますが、今こそ地方の時代だとか、この辺に誤魔化しがいっぱい入っていて、それをみんなで見抜いていかないと。合併がいいとか、悪いというんではないんです。いい合併もあるんです。悪い合併もあるというふうに分けていかなければいけないんですね。そこがどうもうまくいってないのがこの国で、一番分かりやすくいうと沼津がどうなっているか、商店街がどうなっているか、商店街はどうすればいいんだというようなことは、流通の問題、産業機構の問題、道路の問題、全部関わってきて、なるところになっているのです。誰がこうしたんではなくて、気がついたらこうなっていたというところから、スタートしなければいけなんですね。
 そうなってくると、じゃあ沼津は今、どうなっているか。10年先、こうなっていよう、そこに歩いて行こうっていう考え方が、あるかないかは、自分が情報を発信できるか、同じように情報を受け止めることが出来るか、です。
 10年前にこんなに携帯電話が流行ると思いました?思わないでしょう。今、バスに乗ろうが電車に乗ろうが、半分ぐらいが携帯メールをやっていますよ。昔は半分ぐらいが本を読んでいました。その人達が電車の中で携帯のメールを読んだりしている。こんな予測は誰もしていません。携帯でもって写真が撮れるようになるという話は2年前にあったけれど、こんなに早く普及するとは誰も予測していません。予測できないんですよ。経済も、流通も、産業も、あらゆる部分で予測できないんです。
 だから経済評論家が何を言ってもみんな信じなくなるんですね。だから本来、経済評論家が来るところを仕方ないから永六輔を呼んで、話を聞こうということになるんです。
 だったら10年後の沼津はこうなっていようというビジョンというか、哲学というか、美学というか。誰がそういう方向に歩いていけるだろうか、この町は、というふうにしていかないと商店街が寂れていく。
 寂れていくのはともかく、その商店街を寂れさせてしまったショッピングセンターが潰れてしまったケースがいっぱいありますよね。例えば、木更津の駅前は廃虚に近いですよ。巨大なショッピングセンターが出来たために商店街が全部潰れちゃった。商店街が潰れたら後を追うようにショッピングセンターが潰れちゃった。どうするのっていうのは、木更津に限りません。日本中にあるんですよ。沼津もそういううわさがあったりする。みんなそうなるとは思わなかったんだけれども、なっちゃった。

沼津っていう町の魅力はいくら

 念のために、100円ショップに入ったことのない人手を挙げてください。あ、みんな買っているんだ。ということは、商店街にいくわけないじゃない。町の人が100円ショップで頑張られちゃったら。それは安いのは確かに魅力ですよ。魅力だけれど、ものの値段というものは、例えば、この刺し子は値段の付けようがありません。こちらは付けられる。ここに1つあるコップはいくらならいいのか、というのを沼津と置き換えてください。沼津っていう町の魅力は100円もしないのか、あるいは1000円なのか、1万円なのか。いや、あの沼津だったら10万円払ってもという魅力がどこにありますか。
 どこにでもあるものを持ってきて同じようなものを売っているんだったら、それは質の悪いお土産屋と変わらないじゃないですか。そこのところを歩いていってでも、車が止めにくくっても、買い物をすることが家は代々そうしているんだからと、向こうにも代々のお客様だから大事にしようというつながりがどれだけ弱いものかということが目に見えているわけでしょう。安ければやすい方に行くんですよ。
 何で100円ショップが当たっているのか。理由をみんなで分析し、主婦の感覚でこれはおいしい、これはまずい、これは便利、これは意味のないもの、これはあった方がいいもの、これは買っておくとちょっと気持ちが豊かになるもの、いろいろあるじゃあないですか。それを売る方もちゃんと売っているかということですよ。野菜一つ、魚一つにしても。あの店だから買うという魅力をどれだけ店の一人ひとりが持っているかということですよね。
 あそこのおじさんの話し方はうまい、あそこのおばさんの声はとてもいい声っていう魅力はどこかから探してこないと。それで対応して行くより仕方ないわけですね。

まず、あなたは元気ですか

 流通の機構も庶民がどうにも出来るもんじゃない。道路もそう。そういう状況の中でどうしていけばいいかというと、沼津の町の情報を仕入れる前に、ご町内、自分の住んでいる町の情報をとらえる。もっというと家族ですよ、妻はどう思っているか、夫はどう思っているか。子どもたちは何を考えているか、おじいさん、おばあさんはどうしているかという情報も、われわれは的確に手に入れているか。家族の情報が手に入らないと、家の情報は入らないですよ。そうすると町の情報は入ってこないでしょう。商店街の情報も入って来ない。市の情報も入って来ない。
 そういう状況の中で、さらにそれを突き詰めていくと自分なんですよ。まず、あなたは元気ですか。お家繁盛の前に、あなた元気ですか、にこにこしていますか。でなければ、お家は繁盛するわけがないんだから。

行政の作った医者に掛かるための10カ条

 これは医者を見つける方法の10カ条です。行政が作ったものです。僕は読んでいて腹が立ちました。「医者に掛かるための10カ条」。
(1) 「医者との対話の始まりはごあいさつから」。馬鹿かって感じしない。幼稚園ではないんだから。相手は大人ですよ。
(2)「伝えたいことはメモしていきましょう」。
(3) 「よりよい関係づくりはあなたにも責任があります」。
(4) 「自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報です」。
(5)「これからの見通しは聞きましょう」。それを聞きにいってるんだよね。
(6) 「その後の変化も伝える努力を」。
(7) 「大事なことはメモを取って確認しましょう」。
(8) 「納得出来ないときは何度でも質問しましょう」。
(9) 「医療にも不確実なことや限界があります」。
(10) 「治療方法を決めるのはあなたです」。最終的に医療ミスが起きても平気なように、あなたがいけないんですよって言えるように、これは行政がつくっているんですよ。行政の市民に対する態度って、沼津市は違いますよ。よそは大体こんなものです。愚かな連中が集まっているのでご挨拶からさせようと。こういうのが国の基準として通ってしまうのがとても恐ろしいと思います。

鎌田医師のつくった医師10カ条

 僕は諏訪中央病院の鎌田實さんと会ったときに、「これひどくありません」と聞いたら、「医者から見ても恥ずかしい」って。彼がこっちの方がいいですよって作ってくれた10項目を紹介します。
(1)「話をよく聞いてくれる医者を探す」。分かります。暇な医者を捜すんです。医者の方も今日、だれも来ないなという医者を捜していくとたっぷり話を聞いてくれるから(笑)。
(2) 「分かりやすく説明してくれる医者」
(3) 「薬に頼らないで、暮らしの注意をしてくれる医者」
(4)「必要があれば専門医をすぐ紹介する医者」
(5)「家族の気持ちが想像出来る医者」。家族のことにまで気を使う医者
(6)「地域の医療・福祉を熟知している医者」。沼津はこういう施設があってこういうディサービスがある。こういう先生がどこにいるということを詳しく知っている沼津の医者
(7)「医療の限界を悟っている医者」
(8)「患者の痛み、苦しみではなくて、悲しみを理解してくれる医者」。痛いとか苦しいとかは、薬で何とかなるじゃないですか。悲しいというのは何とかならないでしょう。
(9)「セカンドオピニオンを快く紹介してくれる医者」
(10)「本当のことを教えてくれる医者」。

永六輔作「いい患者の10項目」

 鎌田さんが、いい患者の10項目を、永さん、作ってくださいといわれました。患者にもいい患者と悪い患者がいる。嫌な患者もいる。別の言い方をすれば沼津市にとっていい市民もいるけれど、嫌な市民もいるというのと同じですよ。沼津市という体のことを考えてください。その例えとして医者の話をしているんです。
 いい患者とは、どういう患者かというと、これは僕が作りました。
(1)「医療ミスや誤診ごときで驚かない」(笑)。そんなもんで驚いていたら患者は務まりませんよ。毎週、どこかの病院で謝っているんだからね。
(2)「学者ふうの医者より職人ふうの医者を選ぶ」。まかしとけと言ってくれた方が安心するじゃありませんか。そして大事なこと、職人は失敗するとお金を取りません(笑)。医者は取るからね。
(3)「同じ病気の医者を探そう」。自分と同じ病気の医者を。同じ病気を持つと理解の仕方が全然違ってきますから。お酒でもそう。酒飲みはお酒の好きな医者を探すのが勝ちです。
(4)「医者の前では気取らない」。患者は裸のままぶつかっていく。気取らない。黒柳徹子さんがこの間、ちょっとしたことで病院に行きました。医者が最初に言った言葉、病院に来るときは付けまつげを外しなさいと(笑)。まつげなんかつけていっては駄目ですよ。素顔でいかなきゃ。顔色を見てもらうんだから。
(5)「看護士、看護婦を味方にする」。大体の看護婦さんが自分の病院には入院したくないと思っていますから。病院のことは全部知っていますから、それを味方にする。
(6)「医者の弱みを掴む」。
(7)「いのちの終わりを考えない」。いつまで生きられるんだろうなんて考えては駄目。死なない。楽しいと思ってください。沼津の町をこのままにしては死ねない。頑張ろうというふうに。この間、周防大島の医者のところに遊びに行っていたら、そこにおばあさんが来て、「孫が結婚するんですけど、後2年くらいは生きていかれますかね」と言ったの。先生がね、「2年、おばあちゃんね、200年大丈夫」って。普通そこで馬鹿なと思うでしょう。そのおばあちゃんは、「ええ、200年も。ああ、ありがたい、ありがたい」と言って帰っていきました(笑)。そういうもんなんですよ。医者のセリフってものは。
 これは沼津ではあわないと思いますが、
(8)「遠くの医者より、近くの獣医」(笑)。これは北海道辺りだと、まともにこうです。2つ向こうの駅に医者がいるって時に手前に獣医がいると獣医の方に行っちゃうの。ただ、治してもらったってあそこの獣医で治したと言っちゃいけない。医師法違反ですから。人間って、「どうしました」。「ええ、頭が痛くて」とか言うでしょう。動物って言わない。だから獣医さんって全体から見るんです。こういうことを最近、人間の医者がやってくれない。どこが痛いと言うと、そこだけ治す。全体を見る医者を探してください。
9番目、「奇跡が起きたら奇跡です」。この頃新聞だの見ていると、末期がんから奇跡の生還とかあるでしょう。ぞくぞく生還するのは奇跡ではないの。滅多に起きないから奇跡でしょう。末期がんから生還したって、そういうのはインチキだと思ってください。本当に奇跡が起きたら奇跡です。
 最後です。これは鎌田實が一番好きなの。理想的な患者ですよ。こういう患者がいたら手を合わせてしまうって鎌田實が言ってました。
(10)「医者がご臨終ですと言ったら、死んだふりをする」(笑)。

米軍基地を病院を入れたまま返せと先頭に立つ医師

 あちこちに面白い医者がいっぱいいるんですよ。いろいろユニークな人が。僕は旅が多いので、今日、沼津で倒れると熱海駅前の病院に、頼むというと、ほい来たとやってくれる先生がいる。どこで倒れてもいいからあちこちに先生がいるの。その先生を訪ねる旅をしてくれとNHKが言ったので、10人選んだんです。10人のうち3人が、「とんでもない。テレビなんか出たくない」と言って断ってきました。4人が出たくないけど永さんならしょうがないと。残りの3人が喜んで出たいと言ったんですね。
 出たくないといった先生の一人が沖縄の平田先生で、平田先生も出ない。そんなことをやっている暇はない。テレビは見てても不愉快なことが多いから、不愉快なテレビになんか出たくないと言うから、しょうがないなと思ったんですが、どうしても出て欲しかったんです。
 この先生のものの考え方は、僕は沼津には大事なことだと思うんですね。医者なんだけれど、病院にいないです。いつもデモの先頭にいるの。沖縄はデモの多いところなんです。それを全部チェックして、必ずデモの先頭にいるんです。なぜデモの先頭に医者が立つかというと、沖縄には基地がいっぱいありますね。あの基地の中に、いい病院がある。いっぱい機能を持った、それも戦争から持ってくる患者を扱いますから、全部あるんです。その病院を基地ごと返してもらいたい。基地も返還、病院も返還。そうするとジェット機が着きますよね。アジア全体の患者を運んでこられる。それを沖縄の医者が治療する。
 だから米軍基地を病院を入れたまま返せというデモの先頭に立っている先生。患者達も「先生、行ってください」って押し出されて行っちゃう先生なんです。
 僕は、この先生大好きです。世の中に関わる関わり方が。先生は先生で「いない」と言うことは存在がないことと考える。それがどうも残念なので川柳をたくさん作って廊下や治療室に張ってあるんです。それを盗んで写して来ましたので、紹介します。
 「ちゅら海も」、「ちゅら」って沖縄の言葉で美しいです。「ちゅら山もみんな基地の中」、「人生は紙おむつから紙おむつ」、「百薬を飲み、万病で入院中」(笑)、「カロリーを説く保健婦が太りすぎ」、「待合室、患者同士が診察し」(笑)、「平成の子どもは一姫半太郎」、こういうのを張ってあるんです。

懇話ということが町を作ることのポイントに

 医者が医療で町を支えるのではなく、こういう人がいてくれると、町が、あるいは沖縄という県がこの先生が支えている気持ち、ただ基地反対ではなくて、基地を返してもらえれば、そこにある医療施設を使って、アジア全体の病気が診られるから、だから返してくれって言っているんだという言い方…。沼津で同じ事をして下さいと言っているんじゃないですよ。沼津でなら出来ること、沼津でなきゃ出来ないことというのを、どれだけ町の人たちが作っていくか。商店街なら商店街の中で作っていくか。それがシャッターが降りたままなら、シャッターが降りたままで何か出来ないか。
 あるものをあるまま、付加価値をつけて面白くする。付加価値をつけてみんながホッとする、そんなことが出来れば、静岡放送が取材に来る。地元の局が同じように町おこししていくことに参加するという意味合いで静岡放送と言っているんですよ。
 町をにぎやかにしていく、商店街を活気づける時に、静岡放送は静岡放送で何が出来るかということを考える。町の人は町の人で自分たちが元気になることも大切だけど、静岡放送に何をしてもらいたいかってことを多分サンフロント21懇話会の中で言い合えばいいんですよ。両方が気を使いあっちゃ駄目。放送局も仕事は仕事ですから、それは出来ませんと、残念だけど出来ないということも出てくると思う。でも、それなら出来るからやりましょうかということも出てくると思う。
 どちらにしろ、話し合わなきゃ。ここに書いてある懇話ということが町を作ることのポイントになっていく、多分そのことをイメージして今日の会も開かれているんだと思います。会員だけでなく、市民の皆さんにも声を掛けてお出でいただいたというということは、どこで何が話されたかを開放していこう、発信していこうということですよね。
 沼津は、まず受信機能をたくさん作って、沼津と同じレベルの、例えば人口、環境の同じような町は、日本中にいっぱいあります。その町がどうしているか調べていく。今はインターネットも含めて、何だって出来るわけですから、それをまとめて行きながら、切り口を変えていく。ああ、こういうことが出来るんだなってことを、是非、なさってください。
 ここからここまでを大事にしましょうというのを歴史的な背景も含めて、よその町が何をしているか、どうやって生き返ったんだ、ということはやって行かなきゃ。

アーケードを外した人形町

 例えば何でもないことだけど、僕が最初の関わった問題の一つで、東京に人形町という町があります。人形町は日本の商店街の中で最初にアーケードを作った町です。最初にアーケードを作った時の人形町の売り言葉は、「雨の日もお買い物をどうぞ」でした。そこから始まって日本中がアーケードだらけになった。アーケードになったことで町の個性がどんどん消えていったんですね。そのことに気がついた人形町はせっかく作ったアーケードを外したんです。外した時代はちょうどものが豊かになってくる時代で、雨が降ってもおしゃれのレインコートも、雨靴もそろっている。豊かさの中で、何をキャッチフレーズにしたかというと、「どの店でも雨宿りのできる商店街です」と。雨宿りをしてください、お茶を出しますという、それだけで全然活気が違ってしまう。

そろばんの音が聞こえる町と小諸の試み

 もう一つ、東京の中井というところが西武線にあるんですね。商店街の中に山田さんという呉服屋さんがあり、そこのおばあさんが、箱そろばんって知っています。その箱そろばんで倅と計算していたんです。フッと気がつくと、店の前に何人も立っているんですよ。そろばんの音で。そろばんの音で客が止まるんだったら、みんなでそろばんを使おう、そろばんの聞こえる町にしようって、そこの店の旦那が提案し、そろばんの聞こえる町にしたんです。それだけで放送で紹介されて、あっという間にお客がどんどん集まってきました。
そろばんの音って懐かしいんです。ランドセルの袋の中でカチャカチャいっていたでしょう。その辺まできちんと掴んでいかないと。名物があるわけではない。イベントがあるわけでもない。ただ立ち止まったお客がいた。何で立ち止まったんだろう。あそこのばあさんがそろばんを使っているからだっていう、そこから話が始まるんです。
 そういうことを沼津の町で見つけるのは、やはり皆さんです。小さな商店街だったらそれで息を吹き返してしまうんです。
 ついでにいうと長野県の小諸というところがあります。新幹線で行くと、なぜか軽井沢から佐久平に曲って小諸に寄らないで上田から長野に行っちゃう。小諸は新幹線が寄らなかったことで沼津と同じですけれど、とっても淋しい町になっちゃったんですね。
 ここは商店街のおかみさんが向かい合わせの店と日にちを決めて替わるんです。魚屋さんのおかみさんが薬局にいたりするんです。来る人はとても新鮮なのね。売る方も新鮮。そういう遊びをする、つまりお金は掛けられない。大事なことは、おかみさん達が、みんなでやろうか、やってみようか、やったら面白かったからこれやろうっていう話になって行くことです。

まず、あなたが繁盛を

 町の人たちが、隣の人のことを知らない、お向かいの人のこと知らないじゃなくて、沼津の町が、まず、会えばあいさつが飛び交う町であったり、よその店の紹介をどんどんしていく。自分のお店だけじゃなくて、今お隣では何を売っています。お向こうでは何を売っていますというようなことを、商店街全部でやっちゃう。沼津が最初にやってそれが情報として発信されないと。
 是非、そういう、まず町が繁盛するためにも、お宅が繁盛するためにも、まずあなたが繁盛する。あなたが活気づく、あなたの元気が出るということにしてください。


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