サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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活動内容
平成16年度の活動方針

活動報告
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平成14年度
平成13年度
第10回東部地区分科会 平成16年10月25日(みしまプラザホテル)
パネル討論 
  テーマ:動き出したファルマバレー構想〜高度知識産業の始まり〜

◇パネリスト
河邊拓己氏  (株)キャンバス代表取締役社長(がん治療薬開発のベンチャー企業)
エミリー・フェルト氏 米国ノースカロライナ州政府日本事務所代表
府川博明氏 県商工労働部理事(企業立地担当)
アドバイザー 矢作恒雄氏 企業経営研究所所長

◇コーディネーター
大坪檀氏 静岡産業大学学長

大坪 矢作先生からお伺いしたお話をベースにして、ファルマバレー構想の実態はどうなってきているのか、どう動いているのかを、皆さんと探って行きたいと思います。最初に大学をスピンオフして新しいベンチャーを始められた珍しい方ではないかと思います。河邊さんからお話いただけますか。


がんの研究のためやむなくベンチャーに

河邊 まず、私どものキャンバスの簡単なご紹介をさせていただきたいと思います。私たちはがんを治したいと思って研究をしてきました。がんを治したいと思って大学に入って、がんを治すための研究をしようと大学院に入りましたが、日本の大学では思うような研究はできませんでした。アメリカに行って比較的思っていたような研究が出来て日本に帰ってきて、やはりがんの研究を続けていて、がんの治療のヒントになるようなところにたどり着いたのですが、研究環境が変わらなくて予算もつかないということで、いろいろな事情がありますが、やむなくベンチャーに出たというのが実情です。
出る時点で静岡県関連の皆さんにエンジェルとしてご支援をいただいたこと、その当時エンジェルという言葉の意味も知りませんでしたが、県立がんセンター構想があったことをこちらに来ることになって初めて知ったのですが、ファルマバレー構想の話も伺い、静岡県の方々に非常に支援をしていただいて、ここまできているベンチャーです。実際に資金はベンチャーキャピタルからが主なもので研究をしていることになります。ファルマバレー構想の中で何かをしているかと言われますと、ただいるだけというのがいまの状況です。静岡県の方々から支援をいただいていますし、工業技術センターを使わせてもらっています。まだ何も成功していないのに何でこんなところに出てきて喋っているのかということですが、大学の医学部の中の研究環境が日本でベンチャーが出にくい事と非常に関係があると思っていますので、大学の中で非常に苦しんでいる研究者たちの声を届けるために出てきました。
大坪 ベンチャーキャピタルの話が出ましたが、どういうご縁からなのか、お話いただけますか。
河邊 ベンチャーとしてスタートするためにお金がいるということになった時に東部のご支援いただいている社長さんが、ベンチャーと言うのはベンチャーキャピタルからお金を集めるんだぞということで、こういうベンチャーキャピタルが出来ているとパンフレットをいただいたんですね。ライフサイエンスに特化して投資しているベンチャーキャピタルで、それまで海外にしか投資をしていなかったのがいよいよ国内の投資案件を本格的に探そうとした時期が一致しまして、そのライフサイエンス事業組合のベンチャーキャピタルの方がたくさんのベンチャーキャピタルの方を集めてくださって投資していただき、いままで3回の増資すべてにほとんどチーフファイナンシャルオフィサー的な立場としてやっていただいているということです。
大坪 なんでファルマバレーに注目されたのですか。
河邊 これは偶然なんですが、大学を出るときに研究室が必要だということで、ちょうどこちらでお世話になっている社長さんが開いた新聞の中にインキュベーションセンターが開くという情報があり、それでインキュベーションセンターを使わせていただけないかというお話で、県の方々とお話しする中で、実はファルマバレーセンター構想という話があることを伺い、研究内容としてはぴったりだなとわれわれが勝手に思っているという状況です。将来的にいろいろがんセンターと共同研究させていただいたり、そういうポジティブな面もあるのかなと漠然と考えているのがいまの状況です。ただ静岡県から補助金をいただくのに、ファルマバレー構想があったためにわれわれがいただきやすかったというメリットはあったと思います。


成功したリサーチ・トライアングル・パーク

大坪 フェルトさんは、ノースカロライナ州政府の日本事務所代表をされております。ノースカロライナ州にリサーチ・トライアングル・パークという大きな研究開発都市のようなものが誕生しておりまして、それがどんな役割を果たし、地域の発展に貢献しているのかを、お話いただけると思っています。フェルトさん、よろしくお願いします。
フェルト アジアにおけるノースカロライナの企業誘致を担当しています。ノースカロライナ州は米国東海岸のニューヨークとフロリダの真中にあり、過去30年にわたり、日系企業の進出により大きな恩恵を受けてきました。日系企業は合計万8000人の雇用をもたらしています。ノースカロライナ州政府日本事務所が98年に開設されてから50社がノースカロライナに進出しました。例えば味の素、コニカミノルタ、ブリジストン、アイシンAW、京セラ、日本たばこ、大日本印刷、日立、東芝、三菱、ホンダなどの会社です。
リサーチ・トライアングル・パークはノースカロライナ最大の産業地帯です。その歴史と設立の背景ですが、いまから45年前の959年に産学官のリーダーによりNPOの形態をとるリサーチ・パークとして発足しました。面積、従業員数ともに大きなスケールで、実際防衛関連を除くとアメリカ最大のリサーチ地帯です。
なぜリサーチ・トライアングル・パークを設立したか。第に950年代、農業を主要産業とする貧しい州の産業構造の転換を試みたのです。第2にノースカロライナの優秀な3つの大学、ノースカロライナ州立大学、ノースカロライナ大学とデューク大学の卒業生が州内に適当な就職先がなく、州外に流失していたものを引き止めるための対応策でもあったのです。シリコンバレーやボストンなどのハイテク・クラスターと異なり、リサーチ・トライアングル・パークは広大な産業地帯であり、生い茂る木々の間にビルディングがあり公園のように見えます。豊富な森林資源を保護しつつハイテクセンターを創設することを意図したのです。
現在では00以上の研究開発を行なう会社がリサーチ・パークにありますが、発足当時の959年には果たしてこのプロジェクトが成功するのか、多くの人たちが疑問を抱きました。実際最初の5年間は全く進展がありませんでした。ところが965年にIBMとNIH国立衛生研究所が進出したのです。その3年後の968年にはイギリスの製薬会社GSKが研究所を設置し、970年には国立環境保護局も研究所を開きました。現在の主要テナントの従業員数はIBM3000人、グラクソ5000人、国立衛生研究所000人、国立環境保護局400人です。これら4つのテナントはリサーチ・パークのアンカーテナントと呼ばれ、リサーチ産業パークに成功をもたらしたと言えるでしょう。
 970年には周辺の3つの大学とあわせ多数の優秀な博士号を持った人材と資金がリサーチ産業パークに集まってきました。ハイテククラスターの成功の2大要因である優秀な人材と資金が突然流入するようになったのです。ノースカロライナの辛抱強く熱心な努力が身を結んできたのです。


バイオ・ファーマ・クラスター

フェルト  これからノースカロライナのバイオ・ファーマ・クラスターについてご説明します。ノースカロライナ州はアメリカの9大バイオ・ファーマ・クラスターの一つとして認識されています。世界の主要製薬バイオ企業がノースカロライナに進出しています。これら企業の約半分がリサーチ・パークに研究所、または工場を持っています。このほかにノースカロライナには数多くのベンチャー企業があります。ベンチャー企業は製薬企業で働いたエグゼクティブ、リサーチャーなどで設立されました。またノースカロライナ大学、デューク大学、ノールカロライナ州立大学の教授と大学院生により、設立されたベンチャーもあります。ノースカロライナには50社ばかりのバイオ・ファーマ企業があり、ほとんどは健康関連のリサーチをしていますが、約4分のの企業は農業関係の研究を行っています。50年前には製薬企業がノースカロライナにはまったくありませんでした。
 それでは現在のような強いクラスターはどのようにしてもたらされたのでしょうか。ノースカロライナの大規模リサーチ施設としてノースカロライナ大学医学部、デューク大学医学部、ノースカロライナ州立大学獣医学部、環境省のリサーチ・トライアングル・パーク研究所、衛生省の研究所があります。これら施設には連邦政府より資金が寄せられています。スポンサードリサーチと呼ばれる受託研究です。研究者たちは研究成果を製薬会社に売却したり、あるいは自らベンチャーキャピタルに投資やシードマネー、エンジェルファンディングを経てベンチャー企業をスタートさせたりします。
大坪 フェルトさん、ファルマバレー構想への助言などがあったらお聞かせください。
フェルト アドバイスする経験はあまりないですが、私の短期間の企業誘致の経験では、工業団地をつくるとアンカーテナントを探すのは難しい。探しても時間が掛かりますよね。だから一歩一歩小さなステップを歩いた方がいいと思います。その時には同時にコミュニティーや産学官のつながりなど自分のインフラを作り始めた方がいいと思います。
大坪 博士号を持った人はリサーチ・パークに何人くらいいるのですか。
フェルト リサーチ・パークで働いている人は4万人くらいで、その中の2000人ぐらいは博士号を持っていると思います。それがリサーチ・パークの特徴です。50年前は地元の大学を卒業した人たちが外へ、ニューヨークとかシカゴなど大きな町に移動しました。でも今のところは、ノースカロライナ州の特徴は知識ワーカー、プロフェッショナルワーカーが外から来ています。ノースカロライナ州に引っ越している方々が全国第3位です。


健康関連産業が集積する静岡県

大坪 静岡県の関係者として参加いただいています府川さん、お願いします。
府川 私は担当が企業誘致でしてフェルトさんとライバル関係です(笑)。私の方は日本へ、静岡へ企業を持ってくるということで外資系の企業が県内に57ぐらいですかね。そのうち00社がアメリカから来ています。静岡県は外資系企業の工場の立地は非常に高くなっています。私がなぜここにきているかといいますと、矢作先生に打たれ強い奴が行けということでして(笑)、静岡県は総力を挙げてこのファルマバレー構想をやっています。矢作先生のお話にもありましたように、戦略がから5まであり、医療の高度化もありますし、企業の振興もありますし、都市基盤の整備もありますので、なかなか私が人で代表してものを言うわけにはいかないんですが、この構想は平成年に基礎調査を始めまして、2年度に基本構想をつくりました。それを実現する段階に今入っているわけでして、先生から鋭いご指摘がありましたが、いろいろな問題がありまして、なかなか一足飛びには行かないところもありますが、ステップは着実にしています。
 先ほどファルマバレー構想の基本理念というお話をしたいただきましたが、「世界的レベルをめざして住民ニーズに応える高度医療、技術開発を進める研究開発の促進と健康関連産業の振興、集積により日本一の健康長寿県になる」と言う目標がありまして、世界の健康に貢献しようという高い目標を掲げています。これをやはり忘れてはいけないと思います。
 実際に健康関連産業といいますか、こういった企業の概要を調べてみますと、県内に相当の集積があります。医薬品の生産は、静岡県は大阪府についで全国第2位です。医療器具の生産は栃木県、東京都についで全国第3位です。おおよそ1兆円の産業規模になります。県内の自動車産業が約4兆円、機械が3兆円ですから、相当な規模のものです。ざっと企業のリストを作ってみても500社ぐらいあります。薬事法の製造所の承認を取っているところだけでも443あるんですね。ということは生産に関してはすごい集積がある。研究所も三島とか長泉とかに相当ある。県立大学に薬学部があり、今度がんセンターができ、研究所ができた。ただ惜しむらくは、それらがクラスターになっていない。これを何とかしていかなくてはいけないというのがPVCファルマバレーセンターの役割になってくると思うんですが、そこがいまいち十分に機能していないと言う先ほどの矢作先生のご指摘なんです。これはステップを踏んでいる最中なんでして、おいおいこれはよくなっていくのではないかと思っています。
 医薬品業界の装置型でやるものについては、東京工大と早稲田、農工大などを集めて医工連携をしたりという形で、研究費が掛かるというネックをクリアーしていこうということでやっていますが、大事なのは中小企業へのアプローチをどういうふうにしていくのか、今われわれが一番苦心しているところです。これもいろいろな形で、これから作戦を練っている最中ですが、結論からいいますと医薬品より医療機器の方が向いているかなとか、医療機器の中でも中小企業向けのところがあるのか。自分で開発するより、後発の医薬品とか医療機器ということで、過去に研究されて医療承認をとったものを攻めていった方がいいのかなとか、いろいろな考えを持っています。
大坪 東部地区の、ファルマバレーを活用して産業をつくろうという実例などがありますか。
府川 私、伊豆に居て伊豆の経済を見てきたんですが、昔は天草で大儲けをしたんですね。その天草の価値を知っていたのは大阪の商人で買い付けに来て持っていって商売していた。だから伊豆の方は浦売りってそのまま海岸の天草の権利を売ってしまったんですね。これはおいしいと言うことがあとで分かって町営にし、下田の白浜なんかは明治20年代ぐらいから30、40年税金を取らずにいたんですね。もう一つは伊豆急の開通です。伊豆の観光が素晴らしいのは皆分かっていたんですが、伊豆急が開通した伊豆の町を全部一変させたというようなことがあります。ですから伊豆の魅力とか、そういうようなものに気がついてビジネスモデルにしてくれるものがあったらいいなと思います。そういった研究会を作ってもいいと思います。


閉鎖的な医学界の研究環境

大坪 河邊さん、がんを治したいと思って医者になったといいましたよね。お金儲けしようと思ったわけではないですね(笑)。ですからベンチャーの基本って意外とそういう世の中のためにがんを治してやろうとか、そんなところが結構あって始めると聞くんですが、どうですか。

河邊 そうですね。われわれの場合はただ無謀だけで、ただがんを治したいという一点を突き詰めたらたまたまベンチャーと言う出口に来てしまったということです。矢作先生のお話を伺っていて、偉い先生でも僕たちの思っていることをいってくれる人がいるんだと、今日はちょっと感動したんですが。
矢作 偉くないですよ(笑)。
河邊 ベンチャー育成は、小泉さんが問いかけした大学発が全国で600社あるという話で、神戸にもリサーチパークがありますし、横浜にもあります。もともとわれわれががんを治したいと思って研究していて、でも、それにはお金がつかなくて、ベンチャーしか方法がなかったと言うことです。今までの日本の、少なくても医学部の研究に関しては国が研究費を出して研究をしている。その補助金の評価はいつも決まった先生が評価をして、いつも決まったところにお金が行っている。今回、われわれも補助金の申請をしました。評価に最近はコメントがついてくるようになったんです。コメントに「アイデアはすごくいいと思いますが、実績を積んでからもう一度出してください」というのがあったんですね。実績を積んだ時にはもう薬はできていますというのがわれわれの考えなんです。大学にすごく若い人で優秀な研究者はたくさんいるんですね。ところが大学教授が昔から抱えてきたテーマをやらせて、相撲部屋と呼ばれているんですが、他の研究室には移れない。すごく閉鎖的な環境なんです。そういう中で唯一の研究費は国からのもので、その予算は、その相撲部屋の偉い人たちが決めている。そういう環境の中にあって、あちこちでいいリサーチパークが出来て来ていますが、旗を振っているのは当然のことながら有名な先生であり、偉い先生が旗を振ってお弟子さんたちを集めてきている。大学発ベンチャーといってもその教授が今まで文部省でもらっていた予算を、今度は科学技術庁からもらうとか、予算枠が広がりましたというだけで、結局変わっていないんですね。


静岡県に魅力を感じている

河邊 静岡県にすごく魅力を感じているんです。例えばがんセンターのときに大学の学閥をなくすといっていろいろなところから医者を呼んだということ。それから静岡県には浜松医大はありますが、大きな医学部の系列というものがなくて、こちらに来て感動したのは子どもの夜間とか休日の救急のシステムがしっかりしている。開業医さんたちの連携が取れていて、毎日輪番になっていて、普通に考えたら当たり前のことなんですが、僕が今まで住んでいた愛知県とか京都にはそういうものはありませんでした。静岡県にはすごくいいシステムがあるんだと思って感動したと言うのが一つ。
 プロ野球全盛の日本の中でサッカーを一生懸命やっていた県だというだけあって何となく開放的な雰囲気があって、サンディエゴとか西海岸にちょっと似たようなところがあるんじゃないかと思うんです。先ほど矢作先生がおっしゃっていたベンチャーをやるのに住環境が大事ということでしたが、まさにそうで、住むところが例えばサンディエゴのようなところであれば、進んで来ると思いますし、研究する場所と多少のお金さえいただければ、そういうことをしたいと思っている若い研究者はすごくたくさん全国にいると思うんです。有名な神戸のリサーチパークなり、そういうところでは、今の仕組みだと僕はそういう研究者たちのエネルギーは生かせないと思っています。それを静岡県の皆さんがやっていただけたら、日本の医学の研究環境を大きく変えると思うんですね。日本人の研究者は、すごく優秀な人がいっぱいいて、アメリカに行ったらすごくいい研究をするんですが、日本に帰ってきたらいい研究をしないんですね。明らかに環境は悪いんです。それを何とか静岡県を先頭に前に進めていただいたらこんなにうれしいことはないと思います。


快適な暮らしができる要素のある静岡県

大坪 魅力ある都市と言われたが、ノースカロライナのリサーチ・トライアングル・パークのあるローリーという町は全米で一番住みたい町のナンバーワンに入っているんですね。昔はあまり住みたい町ではなかったんですが、歴史を重ねていくうちにそうなり、森の都市といわれているんです。私もローリーにしばらく居たんですが、飛行場に降りるときは何か森の中に来たのかなという感じがしたんです。住んでとても住み心地のいい、食べ物もいいし、一番いいのは日本よりも安全なんですね。こんな町があるのかなと思いました。やはり住環境、住んでいる環境がいいと言うのは確かにリサーチ産業をつくる上では大変重要な要素の一つではないかなと思います。さっきサンディエゴとおっしゃったでしょう。そういった点ではこの辺はどうでしょう。
河邊 アメリカのセントルイスに5年いたんですが、セントルイスだとお金を使わないで家族がすごく楽しめるんですね。動物園もただだし、お祭りがよくあって行くとただで馬に乗せてくれたりして、子どもたちはすごく楽しい思いをして帰って来たんですね。名古屋に帰ってきたんですが、日本はどこに行くにも相変わらずで2000円、万円とお金がかかってしまうし、あまりどこも行けないと思っていたんですが、静岡県に来て、ついこの間もあしたか運動公園の子ども祭りに行ったら皆ただでいろいろなことをやらせてくれて、あれ、アメリカと一緒だと思ったんです。静岡県にはそういうところが結構あって、アメリカに居た時の快適な暮らしぶりというのができる要素がそろっている県だなと思いました。


実績主義を取り払わない限り日本の新しい進歩はありえない

大坪 矢作先生、ここで3人の発言について何かありませんか。
矢作 とくに河邊さんのおっしゃられたことを私も痛感しています。河邊さんがおっしゃったことは結論的にも全く正しい事実だと思うんですね。一つは実績主義ということに対する問題。皆さんもご存知だと思いますが、COというプログラムを、毎年文部科学省が何百億円という予算を投じて全国の大学から申請を受けて選んでいくんですが、一昨年、たまたま私もそのお手伝いをしている時に感じたことは、いまの文科省のルールにのっとれば結局論文の数、実績があるかどうかがきわめて重要なポイントになってしまうんです。例えば私の世代はわれわれの経営学の分野では、過去の理論はもうほとんど使い道がないというくらいの段階に、今いるんですね。ところが、COを選ぶ段階になると結局実績主義ですから、いまや白紙に戻して変えなくてはいけない研究をした人たちが選ばれてしまうんですね。ですからその人たちが悪いわけでもなんでもないんですが、実績主義を取り払わない限りは全く日本の新しい進歩はありえないと私は思っているんです。
 ただ、それは文部科学省の制度が悪いといったようなことを私どもは言いますが、民間の側にも、リスクに対する減点主義がまかり通っている限りは、結局実績主義を乗り越えられないと思うんですね。ですから今の研究に対する資金に対しても、私もいろいろなその研究財団の審査委員会に出させていただいたりしていますが、お金を出す人たちも、この若い先生、まだ実績がないからやはりこちらの方にというふうになってしまうんです。そうじゃないんだ、この人の時代は終わっているんだといっても、しかし万が一のことを考えるとこちらの方が安全でというのが、まず99%がそうです。やはり官だけではなくて、われわれ民間の側も評価ということを、社員の評価も含めて、やはり減点主義を乗り越えない限り、日本は常に欧米の後を追って行くという明治以来のパターンを乗り越えられないと思うんですね。
 ですからさっき、河邊さんのおっしゃったように、私どもも慶応大学の医学部でいろいろな研究とかありますが、それとの闘いですよ。馬も食わないような論文を書いている、その人が常に、研究費なんかを持っていってしまう。ですからあれを変えない限りはどうしようもない。河邊さんはじめ、私も懸命になっていますが、そういう意を同じにする人たちが、いろんな場面で闘っていくしかないと思うんですね。ですから、そういう人を人でも増やしていくということが必要だということです。


もっともっと静岡の良さの発見を

矢作 それからもう一つ、住む環境ですが、私の息子も小児科なんですが、清水の病院にしばらくいて帰ってきたとき、将来は静岡に住むとはっきり言うんですね。環境もいいし、子どもたちは本当に子どもらしい。ああいうところで子どもを育てなくてはいけないと。もう人私の卒業生の弟さんもやはり小児科をやっていて、その人は何と最初から静岡に来てとても幸せな医者の生活を送っている。で、その背景には河邊さんがおっしゃったとおり、子どもが静岡にいると楽しめるところがいっぱいある。それからいろいろな催し物にいってもただで行けると。私もアメリカが長かったですが、全然お金がかからないんですよね。どこに行くにも子どもを連れて行って、一日中遊んできても、途中で飲み物を買って5ドルくらい持っていれば十分。ところが日本に帰って来ると万円持っていっても足りない。その環境は、静岡は絶対にどんどん作っていくべきだし、そういう地盤が出来ているような気がする。もっともっと静岡の良さを発見というか、そこに行ってしまうと気がつかない部分がいっぱいあるんですね。静岡の方たちがおやりになるべきことの一つは静岡の良さをもう一度、外の人たちからヒアリングして、それを伸ばしていく。これ、すごく重要じゃないかと思いますね。


コラボレーションをする仕組みが出来ている

大坪 フェルトさん、リサーチ・トライアングル・パークに3つの大学が関わっていますね。こういう大学とリサーチセンター、あるいはいろいろな産業は、どんなふうな関わり方をしているんですか。とくに大学との連携の話をしていただけますか。
フェルト まず、各大学の学長は友達で、そこからコラボレーションが生まれます。一つのコラボレーションの例は、ノースカロライナのリサーチ産業パークの中には非営利団体のノースカロライナ・バイオ・テクノロジーセンターというところがあります。ここでは50人ぐらいが、バイオ業界をサポートします。そこでは何も研究をしていませんが、研究者をサポートします。そのバイオ・テクノロジーセンターと各大学の連携は面白い。例えば、バイオセンターは大きな予算を持ってベンチャー企業にシードマネーを毎年配りますが、個人だと駄目です。他の大学と、例えば、私がノースカロライナ大学で、リサーチアイデアがあって、もしお金が必要だとすると、デューク大学の教授ら3人と一緒の共同研究だと借りられるんです。クロスフィールドの研究をすると特別なファンドもあります。だからその2つの点で、できるだけ私たちのバイオ・ファーマ・コミュニティーでは人がクリエーティブにコラボレーションをします。
大坪 大学がコラボレーションをするような仕組みが出来ているんですね。一緒でなければファンドをあげませんよという。
フェルト そうそう、そう。
大坪 なかなか面白いアイデアですね。私も今度使わせていただこうかな。コラボレーションを促進するにはいい手段かなと思いますね。


手に届くところから始めたらどうか

大坪 府川さん、何か追加することがありますか。

府川 ベンチャービジネスの育成に関して県としてもお話したいことがあるんですが、一口にベンチャービジネス、キャンバスのような優秀なところがたくさん来てくれるといいんですが、実際問題としてベンチャーの育成については、制度してはいっぱいあるんですね。補助金から融資制度から情報提供、ありとあらゆるものがあるんです。ところがそれを幾ら蒔いてもなかなか育ってこない。実際にそういうベンチャーが一番出てきてくれるのが、やはり大学ですね。
 ベンチャーに取り組む大学を出た優秀な方に定着していただくためには魅力ある地域づくりをしなければならない。よく聞く話が、まずネックになるのが子どもの教育ということです。それから奥さん方が気の利いた買い物をするところがない。ぶらっと音楽会などに行きたいのにそういう文化的なことをやっていない。そういったものを少しずつ整備していかなければいけないんですが、そう一足飛びに出来ないんですよね。とりあえずわれわれが考えているのは、薬事法の改正などがあったりし、製造業の許可と販売の許可が分かれますので、製造業の方も今までのように工場ではなくて自分たちで自主的に開発したりしなければいけない。そういう体制が多くなっています。そういったことでわれわれとしては創薬探索センターというのを県立大学につくって、化合物などから薬が出来るもとの絞込みを公の方で手伝おうとか、治験のネットワークを作って薬が出来たものを治験で、早く実用化に向けていけるように支援するとか、都市エリア産学官共同事業ということで文部科学省の研究費をもらって、学術機関とかがんセンターとか一緒になって研究して研究成果を地元に下ろそうと、こういうことをやっているんですが、中身は皆さんに頑張ってもらうしそこには補助金だとかインキュベーセンターという話がありましたが、そうした魅力あるものをそこに備えていくことが必要かなと思っています。それをやっていけば動いてくるのかなと思うんです。ここに日本製薬工業会がまとめた95年から99年に、化学化合物からどれくらいの薬が出来たかという統計データがあるんですが、これをみると40万6千の化合物から実際に臨床試験までいったのは235。730分のだそうです。それが医薬の承認申請を出して最終的に製品になったのは万299分のと。これくらい難しいところなんです。これはある意味で体制を整備することによって確率をもっと高くする、治験制度などを作って創薬の期間を短縮することが重要なんですが、もう一つ中小企業の皆さんに隙間のところを勉強してやりましょうといいたいですね。後発医薬品という過去に治験も全部やって製品として売られたものが特許が切れて誰でもある程度つくれるようになっているものがあるんですね。そういったものを、開発費が安くてすむということで、後発薬品に取り組むとか、スピンアウト組とかいろいろな形で、やっている方がいらっしゃるんで、そういう方たちとグ ループをつくってノウハウを教えてもらうとか、枝分かれしていくとか、わりと手に届くところから始めたらどうかなと。
 その時にユニバーサルデザインとか、健康保険食品とか、手近なところから皆さんと一緒に攻めていく方法がもう一つあるんじゃないか。つには高いところは、装置を作ってやっていただく。もう少し地に足の着いたところで地域全体の底上げをするために、研究会なりを動かして行きたいなと。そういうものをサンフロントや何かに呼びかけていただいてやっていただけるといいなと思います。
大坪 今、府川さんの話を聞いているとファルマバレー構想というのは難しい創薬の研究とかがんの研究だけではなくて、もっと波及的な、細かい物を拾えばたくさんあるんですよ。中小企業の方、自分に関係がないと持っている方でも何か始められる印象を受けるんですが、どうも皆さん、中小企業の方はベンチャーは関係ないよと思っているかもしれないけれど、意外と儲かるタネは、見方によってはたくさんあると思いますね。
府川 私自身も親を介護しているんですね。家に車椅子が4台あるんです。この4台の車椅子を見ると本当に使い勝手が悪いというか、こうしてくれたらいいのになあというところがたくさんあります。がんセンターでもよろず困りごと相談をやっていらっしゃるんですが、ああいうところにソースがいっぱいあると思います。私としては提案したいのは皆さんで障害を持つ方とか、病院にいる患者さんと話をする機会があってもいいと思うんですよね。そういう機会の中から次のニーズが生まれてくる。もう一点言い忘れていたんですが、静岡県で弱いのは消費者機能と言うか、販売機能なんですね。ものを作る力はあっても、どこでそれを売るかがつかめないと。ですから東京に商社機能が十分あると承知はしているんですが、それでも静岡にいくらかあるんで、そういったところと中小企業の皆さんをつなぐ、こういう現場ではこういうニーズがあるんですよというのを何か知りたいですね。
大坪 マーケッティング機能ですね。ベンチャーの方って作るのは一生懸命だけれども売ることを忘れちゃうことがありますね。
府川 作られたものが特殊な世界というか、なかなか流通に乗りにくい。いいものがいいと受けいれられない。そういったものを打ち破る方策。富士ファルマバレー型の何とかであるとか、流通への訴え掛けが必要になってくるのかなと思います。


魅力的な産業をつくって欲しい

大坪 ありがとうございます。どなたかか発言があったらどうぞ。
フェルト 静岡とノースカロライナといろいろな似ている点はあると思います。ものづくりの面で見るとノースカロライナも昔からものづくりのところです。気候も多分一緒だと思います。だからその面でこれから静岡県とノースカロライナがもっと交流した方がいいと思います。
大坪 静岡はいいところなんだけど、人材が流出してしまうのが大きなテーマなんですね。いつも残念に思うんですが、優秀な学生が全部東京、名古屋、大阪に流れていってしまう。流入してこない。また流出した人たちが戻ってこないんですよ。やはり住むのにはいいんだけど、魅力的な産業がない。だから住むのにはという方は、定年になってからの方が多いんですね。魅力的な産業をつくっていく。そういった意味でも河邊さんのような方たちがどんどん産業を作っていただけるといいんじゃないかなと思っています。
<会場からの質問> エミリーさん、新規事業でシードマネーはインキュベーターに出すのか。
フェルト シードマネーはベンチャー企業が使っている基本資金ですね。それでその考えは、このお金を使って大きくなる、植物のように。それで大体、ただのリサーチ研究者はシードマネーを使わないと思います。そのリサーチがある程度上手く行っていると、会社を作りたい人がシードマネーを使います。ノースカロライナの場合は、ノースカロライナ・バイオ・テクノロジー・センターがプログラムを管理しています。そのプログラムでは、毎年0社ぐらいが5万ドルの資金のプログラムです。
私つ河邊さんに質問してよろしいですか。これから従業員は増えるんですか。これからのニーズは何でしょうか。
河邊 しばらくは3人です。いまアメリカで臨床試験を始めようとしていまして、その結果次第でつぶれてしまうか、上に上がれるかというところで、臨床試験の結果が出るまでは人を増やすことはないです。臨床試験をするための資金調達をしなければいけないくて、それがまた大変な話で、いわゆる「死の谷」、デスバレーにいるという状態です。

大坪 きょうはファルマバレー構想ということで、医療産業、あるいは健康長寿に関係ある産業に関係しますので、まだまだ宝の山であると、私は思っています。一番大事なのは起業家精神あふれるベンチャーの方々の存在です。どうしたらいいのか分からないという方もいらっしゃるかもしれません。幸いにファルマバレーセンターができてこれからだんだん力をつけていくと思いますので、自分はこういう事業をやってというものがあったら是非そこに問い合わせをして、何とかつ立ち上げて、この近辺に大きな産業クラスターが出来るといいんじゃないかと思っています。きょうは聞いておられていろいろ参考になるヒント、アイデアがあったのではないかと思います。長い時間、ありがとうございました。


<講師紹介>

矢作恒雄(やはぎ・つねお)
1942年生まれ。1965年3月慶応義塾大学工学部管理工学科卒業。同年4月三菱商事入社。974年6月スタンフォード大学経営大学院卒業(MBA,優秀賞)。1981年10月スタンフォード大学経営大学院博士課程卒業(PhD)。1982年4月慶応義塾大学経営大学院助教授。同年5月RobertTrentJonesII.IntemationalUSA上級顧問。1990年4月慶応義塾大学経営大学院教授。1991年4月財団法人企業経営研究所所長。1995年10月慶応義塾大学経営大学院委員長。1997年5月慶応義塾常任理事兼慶応義塾大学教授。1998年9月慶応義塾ニューヨーク学院理事長。2000年6月スルガ銀行社外取締役。2002年10月財団法人公共政策調査会理事。現在に至る。62歳。

大坪檀(おおつぼ・まゆみ)
1953年東京大学経済学部卒業。57年カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院修士課程修了。58年ブリヂストン入社。経営情報部長、宣伝部長、イベント推進部長、広報室総括主査、米国ブリヂストン責任者などを歴任。戦後いちはやく、バーンズ著「動作時間研究」を訳し、日本に紹介。以後、企業の第一線で活躍する一方で多数の翻訳、著作を手がける。87年静岡県立大学経営情報学部教授、学部長、学長補佐などを歴任。のち静岡産業大学国際清報学部教授、学部長を経て、2000年学長に就任。サンフロント21懇話会アドバイザー。75歳。

河邊拓己(かわべ・たくみ)
1958年生まれ。1977年3月愛知県立時習館高等学校卒業。同年4月京都大学医学部入学。1983年医師免許。同年6月京都大学医学部付属病院内科研修医。1984年6月国立京都病院内科研修医。1985年4月同循環器科レジデント。1986年4月京都大学大学院医学研究科入学(分子医学系専攻)。1990年医学博士(授与大学京都大学)。同年4月京都大学ウィルス研究所助手。1991年10月米国ワシントン大学医学部留学。1996年7月名古屋市立大学医学部分子医学研究所分子遺伝部門助手就任。1997年2月同学内講師。2000年4月同助教授。2001年2月名古屋市立大学辞職。同年3月株式会社キャンバス取締役研究開発統括就任。2003年5月同代表取締役社長に就任。2004年4月京都大学大学院医学研究科非常勤講師。46歳。

府川博明(ふかわ・ひろあき)
1947年生まれ。1971年3月京都大学教育学部卒業。1996年4月静岡県企画部学術・大学課新大学整備推進室長。1998年4月企画部大学課長。1999年4月企画部企画総室長。2002年4月伊豆県行政センター所長。2004年4月商工労働部理事就任。57歳。

エミリー・フェルト
1994年スタンフォード大学卒業。1994年〜95年 タイ・バンコク研究員。1995年〜96年米国インディアナ州プログラム補佐。1997年〜2000年ノースカロライナ州農務省(米国)貿易担当。2000年〜2001年米国カリフォルニア州広域貿易担当課長。現在ノースカロライナ州政府日本事務所代表。


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