サンフロント21懇話会 静岡県東部地域の活性化を考える
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基調講演 平成18年2月8日(フジロイアルプラザホテル)
「都市の魅力〜21世紀のまちづくり」
(静岡文化芸術大学学長 東京大学名誉教授)
木村 尚三郎氏

経歴

静岡文化芸術大学学長 東京大学名誉教授 木村尚三郎氏

木村尚三郎(きむら・しょうざぶろ)

1930年4月生まれ。53年東京大学文学部西洋史学科卒業。日本女子大、都立大の助教授などを経て、76年東京大学教養学部教授。専攻は、ヨーロッパ史、現代文明論。現在東京大学名誉教授、静岡文化芸術大学学長、農林水産物等輸出促進全国協議会会長、京都・迎賓館運営委員長、国土緑化推進機構理事長、2005年日本国際博覧会総合プロデューサー、平城遷都1300年記念事業協会理事長・総合プロデユーサー、財団法入トヨタ財団理事長、放送番組委員会委員長、棚田学会会長

 今回の富士地区分科会の基調講演は、静岡文化芸術大学の木村尚三郎学長。専門はヨーロッパ史、現代文明論だが、愛知万博総合プロデューサーや全国棚田学会会長を務めるなど活動分野は多彩だ。世界の潮流の変化を背景に都市のあり方が世界的に変わりつつあると、その博識さと身近な事例から説き、先人達の知恵の大切さを強調。そして商売には「相対の精神」が大事だと話し、これからのまちづくりには、「美しさ・おしゃれ感覚、動きの感覚、安心の感覚の3つが新しい都市の魅力にとってもっとも大事なことになりつつある」とし、富士山をいただく富士地区の可能性を強調した。


都市にとって大切な心の安らぎ

 確かに都市そのもののあり方が、今、全世界的に変わりつつあるといっていいかと思います。昨年、愛地球博が開かれまして、私は総合プロデューサーを仰せつかっておりました。目標の入場1500万人を8月18日に達成して最終日の9月25日には2205万人に達しました。今度の博覧会は150年の歴史の中で、画期的な面が3つありました。一つは森の中で行われた万博だということです。これ自体が実は21世紀のまちづくりを現しております。今までは森を切り開いて、そこにさまざまな交通システムを整備し、居住条件を整えていくということが大事だったわけです。
 例のニューヨークの9・11事件の直前にフランスの経済誌レクスパンシオンが、全世界の215都市をピックアップし世界の幸せな都市はどこかという特集をしました。一番はパリでもニューヨークでもありませんでした。パリは33位、ロンドン40位、ニューヨーク44位と意外とふるわないわけです。1位になったのはカナダのバンクーバーとスイスのチューリッヒでした。基準が違うんです。どういう基準で幸せを測ったか。いい土、いい空気、いい水のような自然環境と都市的な便益が、いかに上手くバランスを取っているか。それによって住みやすく、働きやすい都市はどこかと。これが幸せの第1要件になっていたわけです。
 バンクーバーなどはいい自然と都市的な便益とがバランスが取れており、暮らしと命に安心と安全があるという点が評価されているわけです。チューリッヒの場合もそうでして、あそこは金融インフラを持っているだけでなく学校と医療がよく整備されており、ここにも暮らしと命の安心と安全が確保されているところが評価されているわけです。
 安心と安全というのは、ワンセットで言われますが、必ずしも重なり合わないところがあるわけです。安全というのは数字になるものです。食品でいいますと、この食品には有毒色素は入っていませんとか、あるいはグラムはしっかり入っていますとか、このような数字になることで、近代が追求したものです。現代は、さらにその上に心の安らぎというものがある。心の安らぎは数字になるものではなく、なかなかこれはやっかいです。
 私の娘は小学校4年と中学3年の孫を2人生んでおりますが、娘自身が中学校時代に学校の給食メニューというものを持ってきたんですね。それを見ますとおでんにパンにバターと書いてある。栄養バランスは整っていたかもしれませんが、何となくこれは心が騒ぐんで安心がないんですね。昔からやっているものには安心があります。逆に鍼とか灸の類い、和漢薬治療は今でも科学的にはよく分らないところがありますが、昔から使っていて西洋医学では分らないような全身の機能失調のようなことには鍼灸とか和漢薬治療がよく効くということをわれわれは経験上知っています。長い間、先祖の知恵を生かしてやってきたところには安心があります。
 ということで、今、歴史がプラス価値になってきました。私はもうすぐ76歳ですが、われわれが若いときは過去のことなどはあまり評価しない。前へ前へ進んできたんで、昔考えているよりは今日考えていること、今日考えていることよりは明日考えていることの方が新しいと思って進んできましたが、いまそれがグルッと変わりつつあります。
 世界遺産条約が1972年、パリのユネスコ総会で全会一致で決められ、日本も各地の文化遺産とか自然遺産が登録され、この地区の富士山も世界遺産に登録しようと、今動き出しているところです。昔のものは古臭いものではない。いい文化遺産、自然遺産は全人類にとっても宝だからわれわれは保全する義務があると云う風に国連の科学文化機関が決めたわけです。今、これがあちらこちらで新しい観光の魅力を呼んでいるのはご承知の通りです。
 というわけで、昔あるものは古くて悪いもので、最近出来たものがいいものだというこの気持が変わったわけです。先祖の持っている知恵の意味が分ってきているんです。


ローソクの灯は安全の光

 例えば、ばあ様が仏壇に向ってぶつぶついいながらお経を唱えている。ばあ様は何をやっていたのか、今骨身に沁みて理解されるようになってきました。まず、ローソクに灯をつける。あれは安心の光です。あの光で心が休まるわけです。死んだ人の魂がローソクの光に誘われて家に戻ってくるとされています。今、全世界の都市で夜間照明がローソクの灯になりつつあるんじゃないですか。ローソクの灯はオレンジ色です。あの光は安心の光です。蛍光灯にはその安心がありません。明るくて経済的にはいいかもしれないが、安心はないですね。
 ローソクは洋の東西を問わず寺院全てに使われている。安心の光です。四国の愛媛の内子町に行きますと、昔からローソク作りをやっているところがあります。あそこの和ローソクは葬式のとき風が吹いても消えないというものですから、私も自分用に本買ってあります。
 昔からの光には意味があるわけです。そしてローソクの後、お線香に火をつけると何が起きるか。いい香りに誘われて、家に戻ってきた魂が、今度は位牌に寄ると言われています。ローソクを立て電気を消してみると、位牌は宗派によって違いますが、往々にして黒い漆が塗ってあって、そこに金文字で戒名が書いてある。それがローソクの瞬きによって動いて見えるわけです。何となく。確かに魂が帰ってきたように見えるんですね。
 ローソクの光というのは大変大きな意味があって、今度お正月が来たら是非、電気を消してローソクを立ててみてください。漆で塗ってあるお重は電球の光の下ではピカピカして浅薄な感じがしますが、ローソクの光にすると自然の色がふっと浮かんでくるんです。これが日本の美しさです。間接光の美しさです。日本はもともと欧米のような直射日光ではなくて、間接光での美しさを大事にしてきたわけです。
 僕らの世界と欧米の直射日光の世界とは違うんです。今度の万博の夜の照明は、世界的な照明プロデューサーとして活躍しておられる石井幹子さんにお願いしましたが、彼女の心の中にいつもあるのがローソクの光とホタルの光です。今度の夜間照明は昔の行灯、提灯、ローソクの明るさで統一され、これが安心をもたらしたんですね。安心というのは、人と人とが仲良くなり合えるということです。パリのカフェでもレストランでも適当に薄暗くなっているのは、あれは仲良くなるためです。


不安感の中で

 仲良くなり合うということが、今どんなに大事かです。みんな淋しい思いで生きているわけです。とくに若い人ほど。
 証券会社のゴールドマンサックスは2050年には経済大国の1位は中国だとはっきり言っています。年間総生産は44兆ドルと。2位がアメリカ合衆国で30何兆ドル、3位がインドで25兆ドル。その後に日本は来ており、4位で一桁少ない6兆ドルになっている。今、4兆ドルくらいですから後、半世紀経って2兆ドルぐらい増えるというわけです。同じ6兆ドル台にブラジルも入っていますし、その下に5兆ドルのロシア、さらにドイツ、フランス、イギリスの3兆ドルもある。EUとして政治統合まで2050年にはいくかもしれない。そうなると3兆ドルずつ合わせて9兆ドル、あるいは10兆ドルぐらいになるかもしれない。これはゴールドマンサックスが考えたことで、本当にそんなことになるのか分かりませんが、或る日ドルが急落して人民元が急上昇することも考えられないことはない。2030年頃、そうなるかなという暗い予感があって、そうなると中国とヨーロッパとが、広い意味では同じ文化圏ですから、だんだん結び合いを強化するかもしれない。
 そのような何となしの不安があって自分の子どもや孫の時代は大丈夫だろうかという不安感が今少子化を招いているということは疑いない所であります。そのような不安の中で友達が欲しいんですね。みんなそう思っていて、若い人ほどその気持ちが強くて、今、ぺちゃくちゃ喋っていても、本心で言っているのかどうか分からなくて、さようならと言って別れた途端からメールをやり始めるといわれています。不安感は若い人ほど強いですよね。友達が欲しいというのが心底の願いです。安心のある町、あそこの町に行けばお互いに友達になり合えるとなれば、都市の魅力の中では最大のものです。


セカンドルネッサンスの時

 今、若い人ほど香りには敏感です。冷酒が流行るようになったのは、あったかいお酒よりもいい香りがあるからです。私は邪道だと思っているので飲みませんが、若い人が冷酒を好むのは、まさにいい香りのせいであります。
 逆にいうとタバコの臭いなんかは嫌いという気持ちが強くなっていますね。したがって嫌煙権運動が非常に一般化したということです。嗅覚が非常にするどくなったと。要するにこれは女性化したということです。男も若い人を中心に女性化が始まっている。いい香りが非常に大事です。そうなりますと、弘法大師の知恵って大事になってくるわけです。弘法大師が中国から持ち帰った「枕仏」というのがあります。ビャクダンの20センチくらいの方形の板であって、そこに仏様が彫ってある。周りからそれを覆う板があって、旅行用で持ち歩くわけです。「念仏」といいます。このポータブルの仏様を旅先で枕元に置くと、いい香りがして、しかも仏様に見守られて休むわけですから、安眠間違いないわけです。
 全世界的に今、みんな安眠できなくて困っているわけです。この富士に来れば安眠できると。そういういい土産があるとなったら、これは絶対に受ける。昔の人は知恵がありました。それを掘り起こして今日に生かすことをルネッサンスといいまして、第一回のルネッサンスが14世紀、15世紀のイタリア、16世紀前半の西ヨーロッパでしたが、今、セカンドルネッサンスの時が来ていて、昔のいい知恵を掘り起こして今日に生かす時代です。


良い音、良い声は心と心を結び合わせる

  お仏壇には、良い音があります。良い音がどれだけ人の心を慰めるか。お経を唱えますが、声は人の心と心を結び合わせます。茶摘み歌がそうですし、「よいとまけ」の労働歌もそうだし、田植え歌もそうだし、お経もご詠歌もそうだし、人の心と心を結び合わせるのが、声というものです。例え見ず知らずの人でもお互い心が1つに結び合うんですね。
 子守唄もそうなんですね。赤ちゃんとお母さんは確実に心が1つに結ばれていました。今は誰も子守唄は歌わないんですね。お母さんは黙って赤ちゃんにミルクをやっている。あれでは金魚に餌をやっているのと同じで、そうなると母親と子どもの心の結び合いは起きない。お母さんの育児ノイローゼとか、育児不安感の増大になってくるんですね。誰が作っているのかというと自分自身です。良い声がなくなってしまった。ということで、井上ひさしさんの前の奥さんの西舘好子さんという方が、今、日本子守唄協会をつくって日本中飛び歩き、昔からの子守唄を集めてCD化したり、獅子奮迅の努力をされ、昨年の愛地球博でも発表会をやっていただきました。
 富山の高岡は大伴家持ゆかりの土地ですから万葉集を10月のはじめに市民が2首ないし3首ずつ歌い継ぐ。3日2晩がかりで誰かが歌い、誰かが聞いているわけです。これは大変、評判です。市民同士の連帯とか、高岡市民である誇りとかが自然に生まれてくるんですね。私の住む横浜には能楽堂がありまして、ずっとやってきたのが「高砂や」の大合唱祭です。中高年になると結婚式で「高砂や」をやってみたくなるんですね。北は北海道から南は九州まで習いに来る。日本ではなぜか12月25日前後にベートーベンの第9の合唱をやりますが、その向こうを張って1月の末に「高砂や」の大発表会をやるんです。こういうのは人の心と心を自然に結び合うんです。理屈ではないんですね。理屈を言っていたら今都市の発展はありません。


美しさと安心と分り易さがまちづくりの基本

 理屈を言って世の中が上手くいくんだったら万々歳ですよ。宇宙飛行士になったら本当に幸せになれるのか。来るべき食糧危機に備えて百姓をやった方がこれからの子どもや孫の幸せにつながっていくのか。そこを今、誰も教えてくれない。国も大学の先生も誰も教えてくれないのが現代なんです。若い人ほど不安になります。
 そうすると、昔からの安心の知恵ってのは非常に大事になってきます。そこに良い声があり、あるいは良い光があり、良い香りがあり、あるいは良い音があり、亭主が好きだったお花や酒が供えてあったりする。これは感性に属する部分ですが、これが大事になってきました。感性に属する部分、美しい光、美しい香り、美しい音という意味で言えば、まさに女性的な感覚が大事になってきたわけです。いままで若い男が評価しなかったもの。これが3つある。女性にとっての美しさ、老人にとっての安心、もう一つが外国の人にとっての分り易さ。この美しさと、安心と分り易さ。これがこれからのまちづくりの基本です。
 世の中、全世界的に先進諸国が今、成熟社会に入って、かつてのような行け行けどんどんではいけなくなってしまったわけです。その時、今まで評価されなかった女性の感覚と年寄りの感覚と外国人の感覚が表に出つつあるということは確かです。若い男性もそうなりつつある。
 女の人は男と違う面がありますね。コミュニケーション能力が発達しています。男はすぐ喧嘩になるところを女の人は喧嘩にならない。それは定年になってみれば分ります。定年になると男は今までのビジネス関係の付合いが全部切れて年賀状が来なくなってしまう。女の人はずっと来るんです。あれはコミュニケーション能力があるからです。
 今取り戻すべきは、都市の魅力の中で、コミュニケーション感覚であります。旅人と生活者の区別がなくなった。今まで生活者というのはその土地に住んでいる人、旅人とはよそ者で、やって来てパッと楽しんだらパッと帰っちゃう。こういうふうに理解してきました。しかし今、新婚旅行に行く人たちはどういう格好をしていますか。ジーパン履いて汚い格好をしているんです。普段着の格好で、例えばパリの町をぶらぶら歩くんですね。それでもって朝市などをのぞき、土地の暮らしをほんの一時だが、自分も味わいたいと。これが今の旅の魅力です。ここのところが今までとは違うんですね。例え一時でもその土地なりの生活者になりたいと。生活者と旅人の区別がない。よそ者用の施設を作っても今は人が来ないんですね。土地に暮らしの魅力があれば人は自然にやって来ます。


21世紀はまさに徒歩の時代

 生活者は旅人、旅人はまた生活者、こういうことであります。生活者が旅人というのは散歩によく現れています。普段通らない道を歩くと思いがけないいいショップがあったり、そこに小さな驚きを覚えるんですね。まさにこれが小さな旅であって、散歩が非常に盛んになってきたと同時にウオーキングも盛んになってきました。
 この不景気な世の中にウオーキングの愛好者は右肩上がりに伸びています。まさにこの富士山なんかを見ながら歩きたいですね。刻々の景色の変化を楽しみたいと。こういうことです。
 20世紀は車に代表される時代でした。21世紀はまさに徒歩の時代です。自分の足で歩きたい。街も表通りだけではなく、裏通りも歩きたい。裏通りには生活の臭いがあるからです。そこに暮らしの臭いが充ちているはずだからです。そのような歩くいい道が街の中にないとつまらない。いい歩き回る道があると、それは今は街の魅力です。したがって歴史的なところ、車には不自由なところが、今人気が出ているんです。これは車には不自由だが、人間にとっては安心のある街だからですね。かつてのカメラの名人木村伊兵衛が撮っていた東京の街中というのは、まさにそういうところを撮っていたのです。裏道で子どもが遊んでいる姿なです。そのような昔からの街の魅力が、また今、復活しつつあるというわけです。
 まさに21世紀は徒歩の時代なんです。これはアメリカも同じです。太い道路しかないようなところでは、わざわざショッピングセンターを作って、その中に曲がりくねった道を作っている。歩くためです。そのようなショッピングセンターがあれば魅力です。
 見通せることがいいようで、良くない。かつては良かったんです。それで失敗したのが、もう10年ぐらい前になりますが、横浜博覧会です。なぜ失敗したかといいますと、ほんの2、3秒ですが、高速道路の上から全部見えた。見えると分った気になり、分った気になると人はもう行かないんですね。ディズニーランドはその点上手くできていて、舞浜の駅からチラッとしか見えない。そうなるとやはり見たくなりますね。全然見えないのも、見えすぎるのも具合が悪いんですね。


動くもの、楽しいもの、これが欲しい

 安藤忠雄さんが設計した淡路島の花博がなぜ成功したかというと、下から上に人々を上らせたんです。要するに全貌が見えなかったんですね。上に行けばもっと良いものがあるんじゃないかと、結局上に行ってしまうんです。上には希望があります。
 その点、富士山を控えているこの地区は幸せです。かつて、「坂の上の雲」という司馬遼太郎さんの小説があって、あれは坂の上にぽっかりと白い雲が浮かんでいる。それをめがけて坂を一気に駆け上がっていく明治の、国家形成期の人々の気持ち、戦後の私たちの気持ちを、題にして小説にしたものですね。また、そうしたいいものが欲しいんです。そのような明るい希望の持てる仕掛けが是非欲しいと思うわけです。
 奈良の大仏様で足元を見つめる人はいません。皆、お顔を見るわけです。そちらに救いがあると思うから。観覧車は昇る時に魅力があるんで、降りるときが魅力ということはないですね。
 動くもの、楽しいもの、これが欲しい。自分も動くし、人も動く。とくに今のような世の中、お互いにそのような動くものの中に気の紛れ、楽しさを味わいたい。自分も歩くし、周りも動くと。ここのところに大きな魅力があります。
 もともと日本人は実に動くのを好む民族です。日本人ほど動く民族というのは珍しいです。新幹線は5分おきに右往左往しているし、回り舞台を発明したのは日本人ですよ。18世紀、大阪の角座から始まりまして、それがいち早く江戸の中村座に飛び火しまして、そこから全世界の回り舞台になりました。これが縦に回りますと、いまや回転寿司となっているわけです。これも今、全世界的に広がりつつあるわけです。今度の万博では80メートルの回転寿司が出てきたわけですが、今までで一番大きいのはロンドンのソーホー街にある60メートルの回転寿司であります。松任市に2つのメーカーがあります。この回転寿司、今は出張サービスをいたします。会社の宴会などにトラックでやって来て、そこでグルグルまわして見せてくれる。私どもの大学でも万博に入れたすし屋に2度来てもらいました。謹厳実直な先生達が、普段見せない笑顔を見せると、こういうようになりまして、教授の本当の顔がはじめて分ったような気がしましたが、あれを老人ホームに持って行きますと、身体がろくに動かなかった人が急に目が輝きまして自分で寿司を取って、しょう油を注いで自分で食べるようになる。すごいもんですよ。
 森林セラピーというものもドイツから始まったんですが、小鳥と話をする。木と話をする。それによって疲れた心を癒すと。これも大事で、この辺りはそれも可能で、もう一つ科学とか技術の力を借りて、そして人々が元気になれれば、これに越したことはないわけです。元気になるタネは、幾らでも転がっているんです。ぼーっとしていなければ、次々と生まれてくるはずです。


大事な「相対の精神」

 商店街がよくシャッター通りになっているといいますが、それは誰が悪いかといえば、それは商店街が悪いんです。例えば、皆さん、イタリアの街を歩かれますと、靴屋が沢山あります。そうしますとお連れのご夫人があの靴を買いたいと。店にお入りになると、たちまち求める靴が出てまいります。向こうは1000年以上の経験がありますから、パッと足元を見ただけで、靴の大きさが分って出してくるんですね。
 それをお買いになるんですが、これだけでは話は終らない。靴屋は今度は奥からハンドバッグを出してきます。モダンな靴にはモダンなハンドバッグを、クラシックな靴にはクラシックなハンドバッグを。色も同じ。つい、ご夫人はお買いになるんですね。さらに、今度は帽子を出してきますよ。この靴とハンドバッグには、この帽子がよく似合うと。しかしその時靴屋は単に3つの品を押し売りしたんではないんで、その人の背丈とか、髪の毛の色とかを勘案しながら、その人に一番合う美しさを提供しております。
 ここには価格破壊はありません。女性が欲しいのはものではなく、美しさが欲しいんです。お店に入ったときと出るときと全然違う自分になって出てこられればハッピーに決まっているわけです。お金が掛かろうと掛かるまいと、自分はハッピーです。男でも女でも美しさとかおしゃれ感覚が求められているんですね。
 ここには目利きが必要です。相手に対してどういうものが一番合うのか、どういう組み合わせなら一番その人を幸せにするのか。人間に対する研究が必要です。新しく人間研究の時代が今、始まりつつあるんですね。
 昔の反物屋などは、すぐ着物や生地を売ったんじゃないんで、世間話をして、どういう好みなのか、懐具合はどうなのか、いろいろと察知した上で、その人に合いそうなものをお勧めした「相対の精神」、相対で売る精神、これは今、一番大事なことのつです。
 昔の行商人の知恵をもう一度思い起こすべきです。蜘蛛のように巣を張ってジッとしていれば良いというものではない。やはり動かなくてはいけないわけです。富山の薬売りは、どうやって今日の基礎を築いたか。とくに18世紀、19世紀に今の基礎が出来たんです。江戸の中期から後期です。大変に悪い時代でした。人口が3000万人分しか米が取れないと決まってしまったのは18世紀始め、享保年間、8代将軍吉宗の時です。あの時から後、ちょっと凶作になりますと食糧不足になり、たちまち農民一揆が起こる。間引きが起こる。都会では米騒動になると。19世紀の後半、明治になるまで恒常的に農民一揆は続きました。その悪い時に人は動いたわけです。


商売の原点

 今、毎年、全世界的に7億人弱の人が外国旅行に出ています。地球の総人口は64億人ですから1割以上の人が出ている大旅行時代です。従って万博でも「自然の叡智」というタイトルが分りにくいので、「地球大交流」という副題をつけたわけです。
 人は不安なときに動きます。失恋するとなぜか旅に出る。心に不安があるとき四国八十八カ所めぐりとかお伊勢参りをする。爆発的に起こったのは18世紀、19世紀です。宿場町が発達し、この辺りも大いに宿場町が繁盛したわけです。他所との交流の中で繁盛したわけです。そのころ大移動が始まった。
 今また大移動が始まりつつある。その中で、知らない人とお互いに交流し合う、その商売の観念がまた今、大事になってきているわけです。コマースと、商売のことを横文字ではいいます。頭文字にCOMがついています。COMはラテン語のCUMから来ておりまして、ウイズ、一緒にということです。あなたと一緒に幸せになりましょうというのが商売というのです。お互いに幸せになるんですね。これが商売の原点です。
 三井家の始祖は三井高利ですが、彼が偉かったのは反物の定価販売を始めたことです。なぜ定価販売を始めたかというと、反物というものは素人には高級品かどうか一目ではわからない。しかも遠くから買いに来る人もいる。あるいは目の不自由な人も買いに来る。誰が買いにきても裏切らないように掛け値販売をしない。正価で販売をする。しかも現金で販売をするということです。そこには今流行のCSR(Corporate Social Responsibility)、企業の社会的責任というのはちゃんと入っているわけです。アメリカから学ばなくても日本でちゃんとやってきたわけです。是非、三井家文書を勉強してもらいたいと思います。
 そのようなことで反物屋さんは人間研究をずっとやってきたわけです。戦後、大量生産で次から次へ新しいものが出てきて値段も安くなる中で忘れてしまったと思うのです。


花と実が合わさっているのが大事

 今、誰もが、健康とか食ということに関心がありますから、「世界中のおいしいお塩を扱っています。これこれのサラダにはこういうお塩がいいでしょう」と、もし勧めてくれる店があったら、それは人が絶対来ると思いますよ。あるいは、赤ちゃんを抱っこしたり、おんぶしたりしている年寄りが荷物が持てなくて困っているとしたら、お買い物の間、アテンダントをお引き受けしますと。人情があればどれだけ喜ばれるかです。あるいは商店街にずらっと鉢植えの花を並べておいて、3000円以上お買い上げの人には一鉢差上げますと言ってくれればどんなに喜ぶか。これは皆女性の感覚であります。
 酒屋も酒を売ろうといっても売れないですよ。亭主が外で飲んだくれているのに、また家で飲まれてはかなわないというのですね。酒屋が花を売りに行けばいいんですよね。花を売ってくれれば喜んで主婦は買いますよ。仲良くなります。仲良くなれば、時たま缶ビールでも注文してくれますよ。亭主は家に花が咲いていて缶ビールを飲んでいますから、これが本当の花見酒というんです。花見酒というのは花と酒がピタと結びついているんで、18世紀初頭、8代将軍の時に出来た。花だけではない。酒だけではない。両方、ピタッと結びついたもので、これを花も実もある人生といいます。
 まさに花と実が両方合わさっているのが大事なんです。これをやろうとしているのが、私ども静岡文化芸術大学なんですね。お金のことも分かるし、美しさも分ると。そういう実務家を育てようとしているわけです。


おしゃれ感覚、動きのある感覚、安心の感覚が大事

 昨年6月に名古屋で「都市の魅力を高めるには」という大きなシンポジウムがありました。基調講演をオランダの方と私がやりましたが、私が申しあげましたのは、これからの都市にとって大事なのは、美しさ、おしゃれ感覚だと。
 居酒屋も街の片隅にあってぐちぐち中年男が女房や上役の悪口を言いながら飲む暗い酒はやめて、窓をガラス張りにしてスペインのバールみたいに街行く人を眺めながら明るく飲むと。そのような酒場になれば若い人は絶対に来ますよ。世界中、日本酒はどんどん右肩上がりに伸びているんです。伸びていないのは日本だけ。どこかが間違っているんです。あれは美容と健康にいい酒です。
 今、そのような美しさ、おしゃれ感覚と動きのある感覚、そして安心の感覚ですね。この3つの感覚が新しいまちづくり、新しい都市の魅力にとってもっとも大事なことになりつつあります。
 この富士地区は富士川を挟んで、富士川町とも一つになろうという動きもあるようです。富士宮は今、焼きそばが有名ですが、富士川町には例えば日本一おいしいソーセージメーカーがあります。グロスバルトというんです。ドイツ語で大きな森というんですよ。
 富士山に抱かれた富士地区は、まさに世界中の人が名前を知っているところであります。これから大きな発展が期待されることは間違いありません。皆様方のご発展をお祈りいたします。




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