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第11回富士地区分科会 平成18年2月8日(フジロイアルプラザホテル)
パネル討論:「新たな都市に向けて〜 新市合併40年を前に〜」

 

◆コーディネーター
中村 勝  (財)企業経営研究所産業経済部長
◆パネリスト
久能泰弘  富士フォーラム代表
高木敦子  (有)アムズ環境デザイン研究所代表
野田正治  (株)ナウ環境計画研究所代表

中山 テーマとしていただきましたのが、「新たな都市へ向けて〜新市合併40年を前に〜」です。非常に大きなテーマです。木村先生のお話にありましたように、まちづくりの前提が変わっていると思います。つの現象として少子高齢化があり、また団塊世代の定年が始まる2007年問題もあります。町並み条例ですとか、景観条例の制定が各地で起きています。ものの豊かさの時代から心の豊かさも考えていかなければいけませんし、経済発展と自然環境の両立も課題になっていると思います。そういうことを考えながら、議論を進めさせて頂ければと思っています。
 それでは議論に入りたいと思います。久能さんは富士市在住と言うことで、日頃感じておられるところ、富士フォーラムの代表としての活動内容などをお話いただければと思います。


富士川町と先ず合併し新しい血を入れたらどうか

久能 富士フォーラムを始めたのは、まだ私が青年会議所のメンバーの時でして、30数年前に静岡新聞、富士商工会議所が中心になって岳南構想フォーラムという名前で始めました。当時は青年会議所のメンバーが中心になって、これからの富士市の人口は、何人がベストなのか、どういう施設がいるのかなどを課題として取り組んできました。コンピューターの普及で紙がいらなくなるといわれ、製紙産業の町として、当時「紙のなくなる日」というパネルディスカッションを開いたりしていましたが、コンピューターが普及してかえって紙が売れたということが面白い現象だと思います。
 今、富士のまちづくりということで、富士市の合併を課題に取り上げています。2市1町が合併し今の富士市になってちょうど40年になります。私どもは5年ほど前に新たな合併問題として「富士川は誰のもの」というテーマで、先ず富士川町との合併問題を考えました。たまたま富士川を挟んでおり、富士川をもっと魅力ある川にしたらどうかと、フォーラムでたたき台をつくり、市民も巻き込んで行いました。富士宮、芝川との合併という課題もありますが、富士川町と先ず合併し富士市に新しい血を入れたらどうか。40年前の合併でぐっと成長したようなことが、またあり得るのではないかということが一番大きな点でした。
 昔、新幹線を作るとき駅の設置を断わったという経緯の中で、富士市に新富士駅を作ることになったとき、北は身延、東は沼津、西は由比まで寄付をいただきましたので、新駅が出来た時「富士市はお兄さんというリーダーになれるか」というテーマで青年会議所と商工会議所の青年部が一緒にパネルディスカッションを行い、その中で富士市はもう一歩進んで、兄貴という立場が出来たなら合併も早いのではないかと議論してきました。
 富士市は財政が豊かで、施設もいっぱいある。しかし、富士に住んでいる私たちは、どうしてもアラの方が見えてしまいます。高木さんと野田さんに違った見方で富士をほめていただきたいと思います。


地域活動が盛んなユニークな町

中山 高木さん、環境デザインというお仕事から見た富士市という観点でいかがでしょうか。
高木 私は静岡市でアムズ環境デザイン研究所という事務所をやっております。仕事は合併に関わる新市の将来構想をつくるお手伝いや公園の設計等々割りと幅が広いわけです。商店街の活性化計画や観光計画、このごろは道に関わって道を通してまちづくりをどう見るかということもやっております。
 そしてNPO法人「地域づくりサポートネット」にも参加しています。これは90年に出来た静岡地域学会の10年間の活動の中から具体的なことをやるNPOとして立ち上げたのですが、静岡全県をテーマにいろいろなNPOをつなげていく繋げ役という役割も持たせ、一昨年、「静岡道のコミュニティーシンクタンク」というシンクタンク組織を立ち上げました。静岡の中では四百数十団体のNPOがあって、それを繋げるためのネットワークステーションになることを目指しており、シンクタンクとしてはいろいろな事業に関わっております。1つとして昨年10月に静岡市の中心市街地の中で1ヵ月、社会実験を行いました。静岡の町は駅から中心市街地に行くルートは非常に分りにくい。地下通路も迷いますし。そういったところを市民側からきちんと提案をしてみようということで、QRコードを使った携帯電話からラジオとかマップをつくったり、情報ポストを作ったり、色々な案を皆さんで出して、プチメンテナンスという誰もが気楽に道とか街をきれいにする仕組みができないかということで、今色々検討しています。住民がやるならちょっとの穴は埋めてしまうとか、ちょっとさびが出たら塗ってしまうとか、そういうことが出来ないだろうかと検討しています。この頃、まちづくりの仕組みが変わったというお話がありますが、割りと市民の方から動かすようなことが事例として出てきていると思います。
 富士市についてですが、1つ目は工業の町、産業の町だ思います。これはプラスとマイナスの2つの面があると感じます。2つ目はロゼシアター等公共施設が立派で主要幹線道路など基盤整備がいいという感じがします。3つ目が、やはり富士山です。富士山が頂上から裾野までしっかり見える街というのは、やはり素晴らしいことだと感じています。それから最後は地域活動が盛んな町だということです。これは自治会レベルでは平成元年から生涯学習推進会が出来て、小学校単位で公民館が設置され、まちづくりセンター的にいろいろな活動をしていらっしゃることもありますし、NPO等々の活動も活発で、そういう意味では非常にユニークな町だと思っています。


富士が克服してきた道をいかに生かして行くかが問題

中山氏

中山氏

中山 野田さんは富士に生まれて、東京でお仕事をされています。富士の外も中も知っているお立場からお話をお願いします。
野田 私は建築設計を主にやってきました。例えば韓国のロッテワールドの企画とか、東京のいろいろな建物に関わってきました。一昨年から目白大学で社会情報学科の先生をしています。
 富士に生まれて非常に良かったことがあります。1997年、京都議定書が発効した年に京都市で京都の未来、50年から100年先の京都の街をどうしたらいいのかをテーマに国際コンペがありました。900ぐらいの応募があって、私も参加しましたが、入選してその中の15点に残りました。京都というと皆さん、保存だとか景観だとかという案を出すわけです。私は富士に生まれたおかげといいますか、公害を克服してきた街で、ゼロエミッション(資源の消費を抑え、廃棄物を最少化することにより、地球への負荷をかぎりなくゼロに近づけるという思想で、国連大学によって提唱された)というキーワードで、京都の街を語ったんです。富士が克服してきた道は、世界が克服しなければいけない道なんですね。京都であっても産業廃棄物とかいろいろ出るわけですから、市の中で循環させなければいけない。京都は水の都というか、もともと湖だったといわれます。平安京をつくった時は大土木工事をして鴨川を東山の方に寄せて、京都の街の輪郭を作ったという歴史に残っています。富士も水の都であり、そういうテーマで、共通の部分がかなりあると思うんです。それをいかに生かして行くかが問題だと思うんです。そういうようなことを考えながらやっているわけです。
中山 富士の現状につきましてお話いただいたわけですが、20世紀に発展してきたプラス面とマイナス面があって、マイナスの面でいうと公害とか、ヘドロの問題を克服してきたことがいいヒントになるのではないかという話とか、産業の街とか工業の街から今は地域活動が盛んになってきて、違った視点が出来てきたという21世紀のプラスのお話。そして最後に野田さんがおっしゃいました水ですとか、地の利というものが、富士が発展してきたキーワードでもあるし、今後も考えて行かなければ行けないポイントなのかという感じがしました。


<富士市の説明>多目的施設の建設とDMVの導入

中山 ここで富士市から市が検討しているDMV等の説明を鈴木企画課長からお願いしたいと思います。
<鈴木企画課長> 市制40周年ということで時宜を得たご議論をいただくということで大変ありがとうございます。
 これからの富士市の基本理念として「人々の想いが融和し、豊かな人生を謳歌できる町」を目指しています。その中で7項目を重点にまちづくりを進めて行きたいと考えています。そのつが「足腰の強い地域経済の確立」で、従来の産業に加え、新たな産業集積により産業の充足を図りたい。経済の基盤は、やはりまちづくりの基本となるものですから。2つ目は「市民生活を優先した都市基盤の整備」ということで、ある程度中心市街地の整備は進んできましたが、これから公共交通の問題が大きな課題となっていますので、デュアル・モード・ビークル(DMV)の導入を図った都市交通の基軸を作って行きたい。もう一つは安全、安心なまちづくりを進めていくための基盤づくりです。先ほど市長が申しあげましたが、岳南広域都市圏の実現を図っていくには、やはり岳南地域の2市2町の将来に向けての交流とか、連携など絆を深めていきたいということで、こららの目標を実現するためにさまざまな事業を展開するわけですが、その中で2つのこれから取り組んでいく事業について説明させていただきます。
 1つ目については、新富士駅北側の旧大昭和野球場の跡地に建設を現在進めております産業展示施設を中心とした多目的施設で、平成20年度にオープンしたいと考えています。敷地面積が3万9000平方メートル余で、そこに床面積5800平方メートルの施設を計画しています。3800平方メートルほどの大展示場と会議室を備えた270平方メートルの小展示場、屋外にも展示場を設けて行きたい。駐車場は約400台を完備していきたいと考えています。多目的施設としては沼津市にキラメッセ沼津がありますが、富士におきましては新幹線新富士駅という公共交通機関の優位性といいましょうか、広域的な交通機関を軸とした富士地域の玄関口となり、地域の活性化とか、今後の産業の展示で活躍できる施設を作って行きたいと考えています。
 2つ目はDMV=デュアル・モード・ビークルの導入です。昭和63年3月に新富士駅が開業しましたが、東海道新幹線の中では直接在来線と結んでいないのはこの駅だけだということで、東海道線富士駅と新富士駅を結ぶことは非常に懸案でした。これらを今後どういう形で結んでいくかということで具体的な作業を進めて行きたいと。その1つとして現在JR北海道が開発を進めているデュアル・モード・ビークルを導入してまいりたいと思っています。都市計画課が担当しておりますので、映像を交えてこれから担当に説明させていただきたいと思います。


「動く公共施設」DMVで東西方向の公共交通の基軸を構築

望月氏

<都市計画課> DMV=デュアル・モード・ビークルについて説明させていただきます。富士市は自動車が多い町で、1世帯当りの自動車保有台数は1.63台で全国の都市ランキングでは22位です。自動車の増加によるマイナス面は明らかであり、時代のトレンドも自動車から公共交通への転換ということで、富士市では公共交通を「動く公共施設」として位置づける基本理念のもと、中長期の公共交通の施策として打ち出したのがDMVの導入です。
 DMVは現在、JR北海道が研究開発中で、道路でも線路でも走れる乗物で、2両連結タイプのユニットDMVも開発されました。18年度中の実用化を目指し、開発が進められています。
 このDMVのベースはマイクロバスです。これを改良して道路でも線路でも走れるようにしたもので、走る仕組みは、道路を走るときはマイクロバスのまま、そして線路を走るときには車体の前後から鉄輪が出て、鉄輪でレールから脱線しない仕組みになっています。車体の下には赤外線カメラが取り付けられ、位置を決め、鉄輪を出してレールに乗せます。そして前の鉄輪に油圧をかけてリフトアップし、モードチェンジして線路の上を走り出しますと、前のゴムタイヤは浮いた状態で後ろのタイヤが駆動します。DMVはレールの上をゴムタイヤで走りますので非常に加速性能が良く、すぐにスピードを出せます。線路を走るときには前のタイヤは浮いていますので、運転手さんはハンドル操作は要りません。線路から道路に出るときは、鉄輪を引き上げ、油圧を解除して前のゴムタイヤを地面につけ、数秒でモードチェンジ完了で、今度は道路を走れます。
 富士市におけるDMVの利用方法ですが、富士市東南部に岳南鉄道があり、富士駅のところに貨物線という既存の線路があります。試作導入の基本的なスタンスとして、なるべくお金をかけないで今あるものを有効に活用しようということで、これらの既存の線路を活用し、コストを削減し、さらに利便性の向上も図るというのが、今回のDMV導入の狙いです。
 例えば、新富士駅から貨物線の一部を利用して富士駅まで行き、ここでモードチェンジして道路に出て、岳南鉄道ジャトコ前駅まで行き、モードチェンジして鉄道に乗り入れ、終点の岳南江尾駅まで行き、そしてモードチェンジしてバスとして東田子の浦駅まで行くというように、頻繁にモードチェンジする形でDMVの利用を考えております。
 長年の懸案であります新富士―富士駅間だけでなく、分散している吉原、富士の中心市街地、それから岳南鉄道を乗り換えなしで、継ぎ目なく繋いでいって、東西方向の公共交通の基軸を構築するというコンセプトが、富士市におけるDMV導入構想です。
 富士市では、この構想をベースに具体的な検討を進めています。今後、マイカーとともに育った世代が高齢化していく中で、高齢ゆえに車の運転をあきらめざるを得なくなる時が必ず来ると思います。その時の受け皿、都市基盤というものがDMVであり、公共交通であると考えます。車社会からの脱却、公共交通の構築という大きな目標に向けまして今後取り組みを進めて行きたいと思っています。


環状交通担うルートが大事

中山 今、今後の富士市が考えています施策をお話いただきましたが、この点について野田さん、いかがですか。
野田 東京の路面電車は昭和43年ごろ廃止されています。同じ頃、全国的にも廃止され、現在残っているのは非常に少ないです。東京では縦横無尽に走っていたわけですが、なぜやめたかというと、そのころちょうど車が増えて邪魔だということでやめてしまった。今から考えると路面電車があった方が良かったんじゃないかと思うんです。
 DMVの導入にはいろいろの条件の整備やルートも大事だと思います。田子の浦港から東名まで南北が大体5、6キロ、富士川から浮島までの東西が約10キロあります。ちょうど東京の山手線内と同じ大きさなんですよ。東京は山手線の内側に環状線がありますが、富士は環状道路が全然ありません。そうするとどこに行くのも直線で、混んでしまうんですね。ですから、DMVを整備するとともに、どこを通っていくかルートが非常に大事だと思っています。
中山 久能さん、富士フォーラムでは市に対してご提言をされていらっしゃるそうですが、このDMVについては何かありますか。
久能 新富士駅と富士駅を結ぶ方法として高架をつくる方法と、今はお金を出すとJRも駅を作ってくれますので、富士駅と吉原駅の中間に新駅をつくってもらう方法、そして貨物線が旧大昭和のところまであるので、それを使いますと、新富士駅の近くに行きます。レールのところから新富士駅までは浜松のアクトシティーの動く歩道と同じぐらいの距離ですので、そこから動く歩道で結ぶことが出来ると提言させていただいたことがあります。野田さんのおっしゃるように富士市には環状線がありません。新富士駅〜JR富士駅の利用がどれくらいあるのかということで、そういう点では岳南江尾まで結ぶことで、少しは利用が増えるのではないかと思います。


産業館の中に富士山をどれだけ取り入れるかが勝負

高木氏

高木氏

中山 こういう時代でもDMVとか多目的展示場を作れる富士市の財政力はすごいなと感じています。高木さん、ルートの選定とか、導入についてどう市民参加して行ったらいいのか。いかがでしょう。
高木 暮している人が一番、どういうルートが一番使われるのか分っていますから、その辺の意見を聞くということは基本になってくると思います。新富士駅と富士駅を結んでどれだけ需要があるかという問題もありますが、私の友達で「新富士に降りて富士駅につながっていると思ったらつながっていなかった。あれはサギだ」といってきた人がいるんですね。やはり皆つながっていると思って来てしまうということがあり、分りやすい町をつくっていくというのは、これからの都市の責任だと思うんですね。そういう意味ではDMVのようなものを作って、どういうルートにするかというのは、やはり市民と行政が一緒になって検討するべきだと思います。
映像を見ると乗ってみたいというのが一番最初に思ったことです。連結するときに乗った感じがどうなのか、動いている姿を見てみたいとか、多分このニーズもあるので、社会実験的にとりあえずカ月だけやってみようとか、そういう実験期間などの段階を踏みながらやってみて、それで皆さんのニーズの把握とか、私のように外から来た人たちが乗ってみたいと思う人たちの要望を満たすにはどういうルートなのかも、あわせて検討されたらどうかと思います。
それから産業館のことですが、沼津にキラメッセがあって富士に出来るとなった時に、どうやって富士にしかないものにしていくのかというと、やはり富士山をどれだけ産業館の中に取り入れるのかが勝負だと思うんですね。やはり企業が展示をする時に富士山とうちの企業、富士山とうちの製品というのがセットになって、ここで展示をしたことが、ある意味製品イメージや企業イメージのアップにつながるような写真が撮れたりとか、後々に営業活動に関われるといったら、すごく魅力だと思うんです。いかに展示施設が富士山を主役にして、脇役になれるか。要は名脇役は地味だけれどきらりと光るセンスがなければいけないので、施設のデザイン、色とか形とか、いかに富士山とその関わる企業とか、製品が上手く映って邪魔にならなくて、なおかつ調和が出来るかというところを確かめるため、実施設計が出来たとしても、1回皆で検討する機会が必要かなという気がします。
中山 実は、サンフロント21懇話会が最初に提案させていただいたのが「キラメッセ沼津」です。建物はどうするか、施設の広さはどれくらいがいいか、コンセプトはどうしたらいいか。私たちも参加させてもらって沼津市と検討したことを思い出します。
 8年くらい経つわけですが、まだ施設利用や運営について運営推進協議会を設けて、年に2回は現状と課題について意見を交わし施設運営を研究しています。富士市でも同じような仕組みをつくられたらどうなのかなと感じたわけです。


ゼロエミッションと文化性を

久能氏

久能氏

中山 富士市は今年10月で新市40年ということです。パネリストの皆さんに、これから新しい都市像を作っていくために必要な視点などをお聞きしたいと思います。久能さんからお願いします。
久能 新富士の駅にも富士山を見る展望台を作ったんですが、わざわざ行く人はいないんですね。富士山はどこからも良く見えますから。やっていることは非常にいいことをやっているけれど、最後になると市民に無視されて終っている。そんな感じの場合も多いのです。次の40年は、市民がともに進める「まちつくり」ということでやっていただければありがたいなと思います。やはり町は1つひとつつくっていくことにして欲しい。今日参加された皆さんが先頭に立って高い市民意識で取り組んでいただきたい。
 山あり、森あり、農業ありということで、富士というのは恵まれております。公害から脱却したということで、私たちはゼロエミッションを考えたらと提言させていただきました。
 私も60歳過ぎると、車も嫌になってくるなということを思いまして、先ほどの公共交通は絶対に必要になってくると思います。もう一つはうちも孫がこの間できたんですが、新しい子どもたちのための町、町と田舎が両方ある町、ロゼで素晴らしい音楽を聴いて、その余韻を楽しみながら歩ける街、語らいのある、潤いのある街、文化的な香りがある街を考えていただければ、ありがたいなと思います。


美しい風景、美しい景観をどう作るかが、これから非常に重要なキーワード

中山 高木さん、外から見て富士市にはこういういいものがあるんじゃないかというところを含めながら、新しい都市をつくっていく時に、お考えいただけるものがあればお聞かせください。
高木 木村先生のお話にもありましたが、大移動の時代が始まっております。総合計画を作るとき、住んでいる人の人口も大切だけれども、交流する人口もこれからの都市にとっては非常に重要だということで、「交流人口」という言葉も総合計画の中で位置づけられています。人が交流するということはどういうことなのかを考えると、やはり自分の住んでいるところよりもちょっと魅力がないと人はそこに行かないんですよね。ですから、それぞれの街がそれぞれ持っている資源などをうまく使って、他の地域にはない魅力をつくっていかない限り人ってやって来ない。その中で私も常々思っていますが、美しさというのは重要なんです。美しい風景、美しい景観をどうやって作っていくのかということが、これから非常に重要なキーワードになってきます。国も景観みどり三法をつくったり、美しい国づくり大綱、観光立国行動計画など制度も整ってきました。後はそれを生かして、住民と行政が一緒になってやっていくしかないんです。
 富士市の場合は、富士という名前がついていることをもう一度みんなで認識して、いかに富士山をきれいに見せられる街になるのかというところが1つの視点だと思います。富士山が真正面に見える道路もここにしか持ちえない道です。そういうものを上手く景観の中に生かしていく必要があると思います。
 それからいい景観をつくるために必要なものがコラボレーションなんですね。来年度から本格的にスタートしますが、新しい国の道路行政の中で「日本風景街道」=シーニックバイウェイというのがあります。シーニックは風景、バイウェイは寄り道で、経団連の奥田さんが委員長になって来年度から全国20ヵ所ぐらいモデルルートを設定して、日本風景街道ということで、いい景観を持つ道作りをやっていこうという施策です。私たち、富士宮のワークショップなどをやりながら富士山一帯、静岡県側と山梨県側も含めてぐるりと回る道路をモデルルートに指定できないかと思っています。それには昔の古道も入りますし、それぞれの市町村がやっているお祭りとかイベント、清掃活動など全部ひっくるめて魅力的な富士山の街道、風景を作っていく「環富士山風景街道」(仮称)を考えております。国も県も市町村も各市町村の住民も入ってやっていくというような仕組みで進めていけたらと思っています。伊豆の方でも同じ様な動きで、道からまちづくりをしていこうということで「伊豆の道会議」が立ち上がっています。これも県土木部が募集し、国土交通省の後押しとかありますが、民間が絡むと国とか県とか市の境がなくなって、いろいろな事業が出来るわけですね。シーニックバイウェイのモデルになったとしても、こういう事業が出来ますよというようなプログラムがあるわけではなく、地域の中でこんなことがしたいという提案があれば、実現できる可能性が出来てくるということで、随分まちづくりの仕組みも変わって来た感じがします。
 富士市は、ものすごく高度なコラボレーションをやっているところなんですね。NPO富士環境クラブが田宿川の清掃活動をしているのをみますと、PTA、自治会、行政など全ての団体が関わりながら1つのものをつくりあげており、コミュニティー活動の中でもハイクラスな活動を実績として持っている町なんです。ですから、皆さんも参加して、それをもっといろいろな分野に広げていくと、何かいろいろのものに化けて来るかなと、非常に期待しているところです。


市内の河川全部に桜を植え日本一の桜の町に

野田氏

野田氏

中山 野田さん、建築の立場からいかがでしょうか。
野田 具体的な例で言うと、この町にはかなり立派な市民文化会館ロゼシアターがありますが、例えば東名のインターから降りてくるとロゼが真正面にあるわけです。最初、私は工場がもう一つ出来たかなと思いましたね。景観はやはり文化だと思います。そういう視点で景観を選ぶ見識眼というものが大事かなと思います。
 それともう一つ、点から面へということが大事だと思うんです。例えば、ロゼと中央公園が向かい合わせで出来ましたね。道路の整備もしてかなりきれいな道路ができました。でも、食事をしてから演劇でも見たいとか、文化というものはそういうものだと思うんですが、ロゼというのは点だけになってしまっています。もっと面的な整備を行い、面として活用しなくちゃいけないと思います。
 今度、展示施設を作るということですが、新幹線の北側は工業地域です。ホテルも学校もできないわけで、面的整備からいうと欠けるところがあるわけですね。そうするとやはりコラボレーションとか、いろいろのことが出来る企業を連れてきて、展示が出来る人材が必要だと思うんです。そういう人をヘッドハンティングで連れてくる感じで運営しなければいけないと思います。
 最後に、これも夢なんですが、富士は水に恵まれていまして、15ぐらい川があるんですね。その水辺に桜を植えれば、多分日本一の桜の町になると思うんです。新幹線からも東名からも見えますね。そんなにお金も掛からないんですね。そういうことが出来ればすごくいい町になるんじゃないかと思っています。


<富士川町民から>富士川町の文化遺産などを富士市民に見てもらいたい

中山 今日議論したいのはもう一つありまして、皆様ご承知のように、県の合併推進協議会の作業部会から将来的には岳南地域2市2町の合併だが、当面は富士市と富士川の1市1町の合併の枠組みを提案しています。今日は富士川町からもご参加いただいているということですので、どなたかご発言いただけますでしょうか。
<会場から> 富士川町から来ました。私たちもこの何年間か、合併問題を考えてきました。本当に富士川町は小さな町で、富士市の人口から見れば本当に1割にも満たないということですが、非常に素晴らしいものを持っています。そのつに去年の12月27日に国の重要文化財指定を受けた「古谿荘」という建物もあります。これは富士川町の真中にあるんですが、こういった歴史的な文化遺産を一度富士市民の皆さんに見てもらいたいと思っています。こういうものを生かしていただくと、きっと富士も魅力的な町になって行くだろうと思っています。
 いろいろな河川に沿って桜を植えたら素晴らしい町になるというお話もありました。私も素晴らしいなと思って聞いておりました。今、富士市にあるもの、それから富士市の周辺にあるもの、これはとくに富士川という大きな自然もありますので、考え合わせていくなら、より合併を通して魅力的な町が出来るんじゃないかなと思っています。


美しさなどが重要になってくる

中山 最後にキーワード的に今後考えていく時にこれは重要だよというものがありましたら、野田さんからお願いします。
野田 先ほどいいましたように桜が植えられれば、20年ぐらい先にはいい町になるんじゃないかという夢はあります。
高木 女性と男性の違いと言ってしまうと語弊があるんですが、男性ってすごく一発大逆転ホームランのようなものを望むような気がするんです。でも女性は、とにかく塁に出ればいいよ。それがフォアボールでもゴロでもなんでもいいというぐらいの、わりと気楽さがあるような気がします。これからのまちづくりってホームランというのはないんですね。どんなに望んでも、それはもう時代的には望めない。とに角、塁に出ることが重要で、そのために社会実験的なものを国から制度を引っ張ってくるのもいいし、皆さんが自主的に何かをやるのもいいし、もし駄目だなと思ったらやり直しというか修正して、間違ったところを直していけばいいぐらいな形になりながら、富士は富士なりの上手くまちづくりを進めるやり方とか、仕組みとか、色々なネットワークをつくられるということが需要だと思います。
久能 高木さんのおっしゃる通りだと思います。やはり住民がともに進めるまちづくりであって、このまま自然を残していって、より交通が便利というか車社会からの脱却を進めていけばもっと住み良くなって、いまに沼津、富士が合併されるような、広い町になっていくじゃないかと思います。
中山 富士市は、新市になるときの人口16万5000人でした。40年たった現在は24万人。そして、このまま富士市単独でいった場合、2035年ですと、約20万人という推計になっています。となると、拡大よりも美しさなどが重要になってくるという感じがします。
 野田さんは桜を植えて美しい街にしたいとおっしゃっていました。木村先生のおっしゃる女性的な美しさということでしょうか。ホームランは望めなくてもヒットということになればやはり女性的なものの考え方が大事だというイメージなのかなと思います。地域磁力というようものを富士市さんがたくさん持っていただくと、どんどん人が集ってくる形になるのかなという感じがいたしました。長い時間、ありがとうございました。時間がまいりました。これでシンポジウムを終らせていただきます。


中山 勝(なかやま・まさる)
1989年慶応義塾大学大学院経営管理研究科修了。81年スルガ銀行入行、82年財団法入企業経営研究所出向。研究員、主席研究員を経て2000年から産業経済部部長。97〜00年静岡県広域行政推進研究会委員。01年富士山麓先端健康産業集積構想戦略委員会委員。03年富士市補助金交付制度調査研究事業などに参画。04年静岡県観光交流懇話会委員。サンフロント21懇話会シンクタンクTESS研究員。

久能泰弘(くのう・やすひろ)
1982年(社)富士青年会議所理事長、80年富士市社会教育委員、2000年富士市第4次総合計画審議会委員、02年富士市商業振興ビジョン策定委員、富士市観光基本計画策定委員など。久能電気代表取締役、富士情報ビジネス専門学校理事長、(社)静岡県専修学校各種学校振興会副会長、静岡県東部電気工事組合理事、同富士支部長、富士フォーラム代表幹事。

高木敦子(たかぎ・あつこ)
武蔵野美術大学造形学部卒業、(有)アムズ環境デザイン研究所代表、NPO地域づくりサボートネット副代表理事。静岡県地域づくりアドバイザー、静岡県地方港湾審議会委員、静岡県都市公園懇話会委員、静岡県社会教育委員等歴任。SBSラジオ「しずおかビジネスダイアリー」コメンテーター。環境デザイン、地域づくりの専門家として、県内のまちなみ修景・景観計画、観光等の計画づくりや公園等の環境整備計画に実績を持つ。

野田正治(のだ・まさはる)
1947年富士市生まれ。70年東京理科大学工学部建築学科卒業。87年丹下健三・都市・建築設計研究所取締役、96年(株)ナウ環境計画研究所設立、同社代表取締役、現在に至る。2004年目白大学入間社会学部社会情報学科教授、日本建築家協会登録建築家。国際連合大学本部施設、都庁舎、新宿パークタワー、香川県庁舎(新)等を担当。新富士駅周辺地区整備懇話会委員、静岡県街づくり懇話会委員。



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