森田 実氏 1932(昭和7)年、伊東市生まれ。東京大学工学部卒業。日本評論社出版部長。「経済セミナー」編集長などを経て1973年から政治評論家として独立。著作を著す一方、テレビ、ラジオ、講演などで評論活動を行っている。主な著書に「森田実時代を斬る」(日本評論社)、「公共事業必要論」(同)、「小泉政治全面批判」(同)など。
静岡政経研究会と静岡新聞社・静岡放送「サンフロント21懇話会」主催の「特別講演会」が3月13日、沼津市魚町の東部総局ビル「サンフロント」で開かれ、伊東市生まれの政治評論家森田実氏が「日本再生のために、いま何が必要か」をテーマに講演した。「小泉政治全面批判」を1月に出版したばかりの森田氏の論説に対する人気は根強く、用意された席は満席で立ち見も出るほど。森田氏は日本の対米従属外交を手厳しく批判するとともに構造改革の問題点を鋭く指摘し、「摩擦を生まないために政治が存在することを忘れてはいけない」と政治の役割を説き、聴衆をひきつけた。
私は昭和7年に伊東で生まれ、今年、73歳になります。私の唯一の悔いは、沼津中学に来られなかったことです。沼津に参りますと心が疼くのであります(笑)。 孔子が人生を振り返り、こう言っています。 「吾、十有五にして学に志す(志学)。三十にして立つ(而立)。四十にして惑はず(不惑)。五十にして天命を知る(知命)。六十にして耳順ふ(耳順)。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず(従心)」と。70歳は自分の欲する所に従って行動しても道徳を脅かすことはなかろうという意味ですが、私も長年、出版社の編集者、新聞社の論説委員、テレビ局の解説などいろいろな仕事をやってきましたが、反省してみるとテレビ局で仕事をすればテレビ局の人達と協調しなければいけませんので100%自分の考え方を通すというわけには行きません。いくつかの大新聞社の客員論説委員をしたこともありますが、新聞社のたっての頼みというものがあれば、それをむげに退けることは出来ない。仕事をするということはそういうことだと思うんです。 一言論人として考えた時、それで本当に良かったんだろうかと70歳になりました時に反省しました。よし、これからはテレビや新聞社の仕事が何にもなくなってもかまわない。このごろは地方新聞の仕事が非常に増えてまいりまして、私の考えを共同通信系の地方新聞社が支持してくれているのかなあと勝手に感じるところがあるんですが、大新聞などの仕事はもうしなくてもいい。言論人として恥のない人生を送らなければならない。言うべきことは言わねばならない。国民に対して隠しているようなことがあれば、そのことはきちんと言わなければならないと、私は決意いたしまして、今やっているところです。
私は日本評論社という出版社に若いときいましたが、日本評論社は、戦後、雑誌「日本評論」を復活させ、その中でアメリカ占領軍に対する批判を載せたことがあります。直ちに占領軍から発行禁止の処分になりました。そして会社を潰されました。紙の統制時代ですから紙をやらなければ会社は潰れます。「改造」も潰されました。それを新聞社とか出版社は見ておりまして、アメリカを刺激しないで生きていこうということを決意した。事業を続けなければいけませんし、社員もいますから。 昭和27年4月28日、独立した後、私はアメリカは割合、日本に対して無関心になっていたと思います。そのことを敏感につかむべきだったと思います。独立してもなおかつ、アメリカのことについてはっきりしたことを言ったら会社が潰されるというアメリカ恐怖症が名のある新聞社、放送局にもついて回りました。 日本は戦争に負けて占領されて、その後独立をしてもアメリカの影響は巨大に残ったわけですが、日本のインテリたちは初めのお慈悲によって、その後は半強制的にアメリカにどんどん留学するようになって、アメリカに留学しなければ日本の中で学者としての地位が保てないというシステムを作り上げまして、アメリカへアメリカへと。そしてアメリカに行ったらアメリカ的論理を承認する。承認しないものは少数おりますが、社会科学分野では相手にされないということになってまいりました。 ずっとアメリカの問題については、悪く言えば本当のことを書かなかったんです。私は、それを絶えずいろいろなところで言い、書きましたらボツになりました。新聞社や放送局の仕事をやる以上、私はそのことに耐えなければならなかった。しかしながら、もうどれだけ言論活動が出来るかと考えたら、そのことははっきりと言わなければならないと。とくに後世の人たちにはそのことは残さなければならない。この60年間やってきた日本のジャーナリズム、学者の間違いは後に残さなければならないと思ってまいりました。 さらに政治や行政の分野においては、アメリカの強い影響を受けていながらそれを隠すということが行政の安定につながり、政治の安定につながるということで、そのことを隠し続けてきたと思います。このことがジャーナリズムやインテリの退廃を招き、アメリカというものについての歪んだイメージを日本の中に作り上げたんだと思います。
安全保障の問題については、大新聞も、ほとんどすべての雑誌まで日本には独自の防衛能力がない、だからアメリカに守ってもらうしかないんだという論理ですね。日本は今、人口で世界の10番目の国です。1億3000万人。その国で政治の指導者達やマスコミのリーダーまでも日本は自分の国を自分で守る力がない国なんだと。国連加盟192カ国の中で、アメリカに守ってもらわなければやっていけないと公然と政治家らが主張している国は日本だけです。 どの国も自分の国の安全は自分たちで守っていかなければいけない。小さな国もみんなその哲学を持って生きているわけです。日本は自分の国は自分で守ることは出来ないだんと。だから公然とアメリカの51番目の州にしてもらった方がいいんだということを堂々と学者が新聞、雑誌などで主張する始末です。東京ではその方が多数ですから。ともかくこれはやはりよろしくない。そういう考え方を持っていますと、安全保障も外交も経済もアメリカの影響を本当に強く受けています。
岩国において米軍艦載機移転計画の賛否を問う住民投票をやりました。自民党は住民投票は50%を超えなければ開票されないから住民投票をみんなでボイコットして投票率を50%以下にして無効にしようという運動をしました。にもかかわらず約59%の投票率があり、87%が反対でした。岩国の市民は米軍に移転は反対だという意思表示をしました。 これはアメリカ軍の軍事的再編の一環ですが、アメリカが打ち出しているのは同盟国をアメリカの影響下にさらに強く縛り付けるための再編が目的なんだとはっきり言っています。ですから今度の再編は日本の自衛隊をアメリカ軍の一部分にする。そのために第9軍団の司令部を神奈川県に持ってくるといい、そして沖縄から引揚げる海兵隊の一部をグァムに持っていくんですが、その費用約1兆円は日本政府が出すべきであるという。日本政府は新年度予算が通ったら再編成推進法を出して、それを合法化するんです。自公の状況、民主党の憐れなる状態からすれば通ると思います。しかし、私は、これは厳密に言えば憲法違反じゃないかと思うんです。 一皮むけばアメリカの体制の中に日本国そのものが組み込まれているということなんですね。まだ立法措置はされていませんが、地方自治体はすべて政府の決定に黙って従うべきであるという法律を作っても押さえ込もうという意見が政府首脳から述べられています。これはほとんどきちんと議論されておりません。 つまり軍事的に日本がさらに強く組み込まれてくる。それに対して岩国の人たちはノーと言ったんです。それが今度の意思表示ですが、もちろん政府サイドは住民投票は認めないという態度を取ると思います。安全保障において然りです。
外交についていいますと、佐藤優という旧ロシア担当の外務事務官で、鈴木宗男と一緒に逮捕されて今、外務省を休職して言論活動をやっていますが、彼が本を書いているんです。「国家の罠」(新潮社)。その本によりますと昔の外務省は、英語コース、ロシアコース、中国コース、スペインコース、フランスコースと、そういうところで派閥が出来ていたというんです。ところが今やアメリカ一色になったと。英語だけになったと。 日本の外交はアメリカだけになっているんだと外務省を辞めた人たちが次々に外務省批判の本を出しています。そこに書かれているのは、そうした恐ろしいアメリカ一辺倒の現実です。私はそういう現実について、積極的に発言をしてきましたが、大マスコミでは発言できませんでした。書いた原稿がボツになっている。そこで私は自分自身で媒体を作ってやらなければならないということで、10年間ほど努力してインターネットでかなり読者についてもらっています。去年の総選挙の時には1日に1万2000件のアクセスがありました。いろいろな団体が、森田さんのサイトとリンクさせて欲しいということで、そのリンクは無数であります。最近でも5000くらいあります。
国民の皆さんの多くは、日本は独立国家と信じています。それは当然のことだと思います。第2次世界戦争の終結のもたらした一番大きなものの1つは植民地がなくなったということですね。インドも中国も独立をします。次々と独立し、国際連合も出来、独立した各国も参加し、基本的に植民地の時代は終りました。その点で日本が独立国のように振舞えることは間違いないし、多くの人がそう思っていることは不思議ではないんですが、本当にそうなのかと問われれば、私はイエスとは言えないのが現実だと思います。 私は1昨年5月の連休に目黒の書店に行きましたら、関岡英之著『拒否できない日本』というタイトルの本が眼に入ってきました。すぐ買って読みました。 関岡さんは、東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に14年間勤めましたが、建築家としていきたいという希望を抑えがたく、早稲田大学大学院理工学研究科に入学し、99年に教授に連れられて北京で開かれた世界建築家協会の大会に出席しました。そこで愕然たる事実に直面するんです。米国の建築基準を世界基準にするという決議を何と中国が提案し、可決されてしまった。あっという間に建築大国日本は世界から置き去りにされてしまった。アメリカの建築基準が日本の建築基準の中に入ってくるんです。これが最近の偽装事件につながっている大きな原因であると私は考えています。 探究心旺盛な関岡さんは、すでにWTOの協議が中国と始まる時から中国は1999年に、北京で世界大会を開かせて欲しいと。そしてアメリカにはもう一つ北京オリンピックに賛成して欲しい。この2つの条件が満たされるならば、中国の建築業界はアメリカの建築方式を今後世界の基準にしましょうと言っていた。アメリカは、こんなにうれしいことはありません。中国はその瞬間から建築の教育基準を変更してアメリカの建築基準に中国の建築基準を合わせる努力をしました。この間、10年間。そして自分たちもいつでもそれに応じられる体制を作っておいて、世界大会でどんでん返しを演じた。 皆、ショックを受けたのですが、それをちゃんと調べて探求しようと動いたのは、私は関岡英之ただ一人だろうと思います。この人は調べました。何が起こったんだと。確か阪神大震災のときに震度7の地震でバタバタと建物が倒れました。犠牲者の大半は建物が倒れたためですから、それを直そうと。震度7程度の地震ではびくともしない建物にしようというのは基準法見直しの発端でした。そこで協議が始まったんです。しかしながらその途中からアメリカの建築基準が入ってきて、気がついた時には日本の建築基準は形だけのものになったと。 他の法律はどうか。彼はずっと調べました。例えば司法大改革。司法大改革はアメリカの司法制度という本を翻訳して日本の法律にしたに等しいと。そいうものが次々と出てきたんです。独占禁止法の談合禁止法、大店法の問題等、すべて日本の法律改正はアメリカからの要求に基づいていることがほぼ明らかになると。しかしながら、その文献がどうにも明確に見つからなかった。ところが灯台下暗しですよ。彼がアメリカ大使館のウエブサイトにスイッチを入れたら、そこから全部出てきたんです。1994年以来の成文で、英文と日本へのサービスのために日本語に翻訳しております。アメリカ大使館は、アメリカ政府は情報公開しなければいけないですから、全部、それを公開している。彼はそのことを本に書いて、文芸春秋の編集部に持ち込んだんです。何カ月か放っておかれたそうです。あるベテランの人が、多少は売れるでしょうということで、翻意してくれたそうです。ところが私の目に留まって私はそれを推薦し、勢いが出ました。今は10万部です。 ともかく関岡英之さんの名前は全国区になりました。「拒否できない日本」は多くの人に読まれましたし、アメリカ政府の日本政府に対する「年次改革要望書」というものが、日本の経済政策を、この10年以上にわたって規制してきた指令書であるということは分りました。ただ日本政府と朝・毎・読などの大新聞記者は認めていません。 日本政府は昨年の解散総選挙を行った8月8日の6日前に、参議院の総括質問で民主党議員が「年次改革要望書を知っていますか」と質問したのに対して、竹中大臣は「読んだことがありません」と答えた。実は竹中氏はその前年の11月の審議において同じく民主党議員の質問に答えて「年次改革要望書は知っております」と答えているんです。
小泉さんに質問すると演説を始めるんですね。「そんなことは問題じゃない」と。1995年のアメリカ政府の日本政府に対する年次改革要望書の中に初めて郵政民営化を要求するという事項が盛り込まれました。その後、繰り返し要求され、去年12月7日に郵政民営化法案が成立した後の年次改革要望書においてすら確実に運ぶことを求められています。 それまでずっとこの問題は年次改革要望書の中心でした。つまりアメリカ政府が執拗に要求してきた。このことをわが国会においてはきちんと議論しておりません。何と新聞もそのことを報道しませんでした。私は、朝日新聞をずっともう60年以上読んでいます。他の新聞も全部読んでいます。朝日新聞には知り合いもいましたし、アサヒニュースターという番組には時々出ておりました。何を君たちはやっているんだと。こんなに重要な国際文書を、しかもアメリカは公開している文章を新聞に載せないとは何事であるかといい続けたんですが、昨年3月に朝日新聞社はオピニオン欄で関岡英之にそのことを書かせて、自分の新聞社の言葉としては書いておりません。私は、そのことを執拗に批判を続けましたところ、東京総局の若い記者が去年の解散総選挙の前々日に電話を寄越しまして、3時間ほどインタビューを受けました。 私をインタビューすると首になるよと。覚悟は決まっているのかといいましたら、「私もへそ曲がりだから新聞記者になったんです。是非書かせてください」と。私は心意気で取材に応じ、何と8月12日の東京版に私のカラー写真を含めて大きな記事が載りました。「郵政民営化はアメリカの国益に」という見出しが付けられました。いろいろな人がいるもので、九州の朝日はそれを転載しました。ですが、そこで終りました。 私はこの例を言ったのは、他の新聞は全く取り上げなかったということを言いたいためです。つまり年次改革要望書は日本の経済政策を10年以上にわたって決定してきた。それを調べてみれば何と司法の大改革も全て書いてあるんです。要求の後1年半か2年あとに、日本の制度となって確立されて来た。その数は何十本です。 政府は私が先ほど指摘したことを間違っていると一人も言いません。反論できないんです。事実だからです。アメリカ政府の日本政府に対する年次改革要望書の英文と日本文を私も全部持っています。これほどはっきりしたことをみんなで隠している。これで民主主義国家なのかと私は問い続けているわけです。 最近やっと、いくつかの雑誌がそういうことを取り上げました。これからどんどん広がってくると思います。
財政再建も必要です。ですが、私は財務省の職員に対して「やり過ぎだ。君たちは」と言っています。なぜやりすぎかといいますと、財務省に寄生している学者が多い。新聞記者もほとんど、5大紙の経済記者たちは審議会の委員になって寄生しています。彼らはなんと言っているか。「日本はアルゼンチン並みの財政破綻国である」と。 どれぐらい借金率が多いかというと、他のサミット参加の先進国はGDPに対する国の借金率は50〜60%に過ぎない。日本は150%、160%だと。日本はもうおしまいなんだと。これほど日本はひどいんだということを、公然と新聞は書いているでしょう。ですがこれは違うんだと、私は言っているんです。 私と同じ様な主張をしている菊池英博という学者がいます。文京大学の教授をされていますが、もともと東京銀行の海外駐在でずっとアメリカにいた人です。定年退職され先生になった方で、この人もそれは違うんだといっています。 GDP比率ですから、必ず分母にはGDP、国民総生産がきます。他の国が分子に持ってくるのは政府の純債務です。借金の総額から資産を引いたものが純債務です。この純債務をGDPで割ったから50%、60%になっている。日本は分母にGDP、分子には粗債務ですよ。総債務です。日本の総資産を引いてないんです。 政府が持っている金融資産はいろいろあります。年金だって100何兆円あるでしょう。健康保険だってあるでしょう。アメリカの国債だって相当持っています。そういうものを合計しますとGDPに匹敵するぐらいの金融資産を日本政府は持っているんです。総額で480兆円です。そうしますとGDPが500兆円です。借金は750兆円、最近出たのでは780兆円ですが、750兆円であれば、そこから約500兆円引きますから、500兆円分の250兆円になりますから約50%になります。780兆円にしても約60%です。アメリカよりいいんです。 アメリカも他の国も財政的に自分の国はおかしいなんていってません。5、60%は当然のことですという考え方です。ですから日本だけが別の尺度で計算して大騒ぎしているんです。 つい最近、「エコノミスト」は菊池英博のインタビューをのせました。財務省の発表はインチキだと。日本はそんなにめちゃくちゃな国ではないんだと。それに対して慶応大学の助教授が反論しています。日本人は財政についての感覚がないんだと。日本人に危機意識を持たせるためには、総債務で高めに出すのが当然なんだと。国民をだませというんです。 ともかくわが日本国はそんなにひどい財政破綻国ではないんです。財政破綻国であるということを繰り返し宣伝し続けることによって、ほとんど全ての新聞、雑誌の記事も、エコノミストもダイヤモンドも東洋経済も、皆、政府、財務省の広報機関に等しいです。私は彼らに言っているんです。恥を知れと。何を君たちはやっているんだと。誰も反論しません。黙ってやっていますよ。 そんなにひどい国じゃないのに、ひどい国にして地方財政はどんどん削る。公共事業はどんどん削る。地方の経済はどんどん冷え切っています。最近北海道電力の研究所が発表した北海道経済については、これから破綻が来ると。政府発表の景気回復、これから全て上手くいくというのは北海道とは逆の現実であると発表しています。九州がそうです。地方に行けば東京で大合唱しているところの景気回復は、われわれとは関係ないんですねと。われわれは日本の国として認められているんですかねと言うほどです。
そうした現実の背景に何があるか。アメリカの財政の問題なんです。第2次世界大戦は植民地時代を終らせました。アメリカのように第2次世界戦争の王者になった国があの小さなベトナムと戦争をやって負けるわけです。1971年ですね。屈辱的な引揚げです。なぜ負けたか。それはアメリカの世論が勝ったからです。なぜアメリカの世論が勝ったのか。戦争のための増税にアメリカ人はついていけなかったからです。どんな国家も戦争を単独で続けることは不可能になっています。それは結局は国民に増税を強います。そしてどんなに優れた国民であろうと増税を長期間やられたら働く気がなくなります。そしてその国は衰えていきます。これは例外のない法則なんですよ。 アメリカが70年代のピンチから立ち直るためには「強いアメリカを」とレーガン政権が登場します。強いアメリカ復活の敵は2つです。1つはソビエト連邦という強大な敵を圧倒するためソビエト連邦が戦っても無駄だと思うぐらいの強大な軍事力を整えようと。10年後にソビエト連邦を叩き潰すことに成功しました。もう一つは経済に生き残った日本です。ただこの敵は日米安保条約がある以上、抱きかかえようと。抱きかかえて日本の持っている富をアメリカに輸血しようと。同盟で一体化しよう。経済も一体化しようと。 それが、85年9月22日のプラザ合意です。 当時の竹下大蔵大臣は世田谷の家からゴルフバッグを抱えて、いったん千葉のゴルフ場に行って消えます。やがて裏口から成田空港に入ってニューヨークに飛び、ザ・プラザという200年前に建てられたホテルでアメリカ側と協議し、短時間の間に日本の円の価格を倍にすると。そして倍になったら日本は通貨を大量に発行してアメリカのドルを買う。買ったドルでアメリカの国債を買うということを合意した。 これがプラザ合意です。半年間で1ドル240円は120円になりました。その円が高く、強くなった背後で、公定歩合を下げられるところまで下げた。そしてドルをどんどん買って、そのドルでアメリカ国債を買いました。日本のお金はドルを通じてアメリカ国債に替わっていて、今や何百兆の資産が日本からアメリカに移転し、アメリカ財政を支えてきたんです。 つまりアメリカは現在の植民地がない時代においては巨大なる軍事費を投入し、同時に国民に対して巨大な減税をやってと、滅茶苦茶なことをやったんです。その財政を日本が担ったんです。日本は高度成長で皆一生懸命働いてお金を貯めた貯蓄大国です。貯蓄性向はどこの国より強いです。その金が移転しました。アメリカを支えられたと日本政府の方は喜んでいます。何事も過ぎたるはなお及ばざる如しです。400兆円ものお金をアメリカに送って、日本では不況政策を取り続ける。公共投資はやめてしまう。地方への交付金や補助金もやめてしまう。中小零細企業への融資はどんどん引揚げる。そういう形の行為を行ないながら、他方では湯水の如く、日本の資金がアメリカに移転しているわけです。
結局のところ何が起こっているかといいますと、日銀は毎月幾らドルを買っているか発表していたんですが、2004年4月1日以降、その額を発表しておりません。この問題が政治問題になることを恐れたんでしょう。2003年4月1日から2004年の3月31日までは記録は残っています。私はその数字を新聞のべた記事で切抜きを作り、計算しますと32兆5000億円。それだけの金額を使ってドルを買い、その大部分をアメリカの国債に換えてアメリカに移転しているわけです。 それは、名目は貸してあるんじゃないかというんですが、私はみんなに言うんです。アメリカの承認なしに売れるんですかと。アメリカはパニックを起しますから、アメリカの前日本担当責任者のアーミテージ氏は自分の名を隠して「そんなことをやる政府は即刻崩壊するであろう」と発言しています。 保険会社も銀行もアメリカ国債を持っています。それらを売れるのか。金融庁の承認なしには出来ません。昔の大蔵省銀行局よりも今の金融庁の方がずっと恐ろしいといいます。下手に反抗したらつぶされますといっています。ともかくそれくらい強くなったわが日本国の金融庁の承認を得ずにやれないんです。 小泉純一郎首相は2002年2月18日、東京における小泉・ブッシュ会談の席上、アメリカ政府の承認なくして日本及び、日本の企業はアメリカ国債を手放すことはありませんと、ブッシュに約束したということをブッシュは帰国後、ホワイトハウスで演説しています。アメリカ外交の大勝利であると。 チェイニー副大統領、私は彼が本当のアメリカ政府だと思っていますが、彼のもとで働いている人間がよく日本に調査に来て私のところにも会いに来ていました。最近、私の言論を知って会ってもしょうがないと思ったのか、ここ数ヵ月来なくなりましたが。私は、国債のことを問いただしましたら、アメリカでは常識ですと。ブッシュ大統領は対日外交で大勝利だと演説しているんだと。では、ある時払いの催促なしということを約束したんですかと聞くと、アメリカにはそんな曖昧なことはありませんと。そんな言葉もありませんと。では、どう解釈したんだと聞くと、「いただいた」と。アメリカ人はそのことをいささかも疑っていません。だからブッシュ大統領は小泉さんの一番欲しがることをやっているんですよと。「小泉さんは素晴らしい政治指導者だ。日本の歴史の中でこんな優れた政治指導者は初めてだ」とブッシュ大統領が言っていますと。「ただ、小泉さんをほめるだけが400兆円の代償か」と言ったら、「それでいいと日本も言っているんじゃないですか」と。ともかく、そんな感じです。 アメリカの政府はレーガン以来、巨大なる軍事力によって世界を押さえることに成功しました。アメリカに対して立ち向かえる国はありません。経済力も旺盛だと言われています。しかしながら日本がアメリカの財政のピンチを支え続けてきたと言う事実、アメリカの巨大資本家がどんどん資金を動かしているのは日銀の発行するゼロ金利のお金ですよ。私がそれを言いますと、「森田さん。アメリカに喧嘩を売れというのか」と。東京の官僚や新聞記者は居直るんです。 そうじゃないんだと。はっきり言うことが日本の考え方を相手に理解させる方法なんだと。論争に次ぐ論争を私は続けているんだと。君たちだってそれくらいの事をやってみろよと言っているんですが、今の諸君は、おとなしいですね。役人もそうらしいです。ある時期までは日米交渉でも役人がそれは出来ませんと言っていたそうですよ。ところが97年ごろを最後にそんなことをやっても無駄であるということでやめてしまったというんですね。私は、最近そういうかなり厳しい言論をやっているものですから、政治家が敬遠しましてあまり来なくなりました。
民主党なんかも、何だと。前原君は。小泉君の手先ではないのか。メール問題の永田君なんかはひど過ぎます。内閣が末期になりますと、いろいろなことが内部告発として出てきます。私も30数年、プロの政治評論家として生きてきましたから、随分いろんな人から「会いたい」「取っときの情報がありますかから会ってください」と、そういうものを持ち込まれます。ですがそこは慎重でなければ駄目です。ウソに協力したら言論人は腹を切らなくてはいけません。私は自決すべきだと言っています。政治家も同じです。しかも追求する側に、それがあったら議員なんかやっていては駄目です。 政権末期になりますとものすごい情報が出てきます。魚釣りの撒き餌ですね。その撒き餌にはほとんど毛ばりがついているんです。食いついたらおしまいです。昔、社会党でベテランの楢崎弥之助氏ですら引っかかったんですから難しいんです。それをパクッと食いつく。持ってきた人は真実を語ったことがないというような人でしょう。あらゆるところに材料を持ち込んで、週刊誌で書いたら、皆、裁判に持ち込まれて多額の賠償金を要求されていると言うんですから、週刊誌の記者もしっかりしなければいけません。それが週刊誌に相手にされなくなったら民主党の若い国会議員にくっついたというんです。 民主党は遂に謝罪広告を出すんです。武部さんごめんなさいと。謝罪広告を出したら最後ですよ。ある議員が電話を掛けてきたんで、「謝罪広告を民主党が出すなら、その前に前原君は腹を切れ。永田君も、鳩山君も腹を切れ。それしかない」と。謝罪広告を出したら、あらゆる選挙においてそれは増す刷りされ、民主党がある限り選挙区においてばら撒かれますから、民主党の国会議員、あるいは候補者は当選なんかできませんよ。永田と同じだと。だから注意しておきましたが、いったん道を踏み外すと、私のような当然の忠告も耳に入らないかもしれません。
実は、2月上旬、思わぬ電話が鳴ったんです。夜の9時半頃。「山崎拓です」というんです。元自民党副総裁、YKKのYです。私が博多港を取材に行って、博多港がアジアへの玄関口として日本を支えるであろうと書いたんです。「福岡出身の国会議員として森田さんのような方が福岡のことをあそこまで熱く書いていただいてありがたい」と。山崎氏は、そのとき、「私はポスト小泉の政策づくりをしたい。一度、森田さんの話を聞かせていただけませんか」と言うのです。私は「どこにでも呼ばれたら行きますよ。ただ、一言お聞きしますが、私を呼んだら小泉さんとの関係が悪くなるんじゃないですか」といったら山崎氏はキッパリと「そんなことは先生、ご心配なく」というんです。ですから小泉と切れていることが確認されたわけです。 私は山崎氏の会に行きました。30数名の衆参両院議員が集りました。そこで私はこう言ったんです。 世界における各国政府の外交、この根本はどこにあるかといえば、衝突を緩和し、衝突を回避し、和解をすることにある。それが国際政治の目的なんだと。つまり平和なんだと。それを今の世界政治はブッシュをはじめとして、衝突は不可避であるから、いかに勝ち抜くかとやっている。その論理は10数年前にハーバード大学政治史教授のサミュエル・P・ハンチントンが書いた「文明の衝突」、イスラム教文明とキリスト教文明は相容れないんだと。そういう前提の上に立って、その衝突の中をいかに勝ち抜くかということばかりを皆考えている。わが日本国の小泉首相もブッシュ大統領の尻を追っかけているじゃないかと。わが日本国の外交の課題はそれを緩和することにある。そのためにわが国は存在していると考えるべきだと。本当は全世界がそうなるべきなんだと―。 みんな、シーンと聞いていましたね。 文明の衝突ではなく、文明の和解を。この哲学を持って、小泉政治が終わりになったら、政治の本道に立ち返るべきである。そのことを公然と主張すべきである。日本というものを皆さんは、忘れているんじゃないですか。今の問題で言えば、伝統的な神道の国に仏教が移ってきて衝突が起きた時に聖徳太子は17条憲法の第1条に「和をもって貴しとなす」と。そこで和解を訴えたんです。平安時代の初めに再びおかしくなり始めたときに空海は神仏集合を唱え、根本は1つなんだと、和解を訴えた。日本の文化、歴史は、そうしたことなんだと。明治政府は一時馬鹿なことをして神道を仏教の上に置こうとして仏教を弾圧したことがあったけれど、大きな流れの中においては、わが日本国は文明の和解によって生きてきた国なんだと。それが日本の精神だと。もっと大きな日本の精神がある。思いやりの精神がある。自然との融和の精神がある。この日本の歴史に立脚したところの政治の路線と言うものを忘れてはいけない。 アメリカの方が立派な国で、アメリカのようなシステム、市場原理主義を取るべきだ、自分自身の能力は自分自身のために使うべきだと、アメリカ帰りの連中は公然と言っていますが、それは間違いなんです。自分に能力があれば人の為に使うべきなんだという日本精神を復活させてもらいたい。 そして、小泉構造改革の5年間の結果を冷静に見てもらいたい。皆さん方は大企業とばかり付き合っているけれども、自分の選挙区に行って苦しい人たちに会ってご覧なさいと。どんな日本になっているか。どんな情けない日本になっているか。この小泉構造改革のひずみを是正し、それを克服するのがポスト小泉時代の政治的課題である。 特に極端なのは格差。中央と地方、大企業と中小企業、貧富の差です。今や生活保護を受ける世帯数は100万を超えているわけです。犯罪は急増しています。そういう日本を正し、より安定した常識的日本に回復させることが、皆さんの役割ではないのかと。 さらに言えば、今の日本は発展性がなさ過ぎます。財務省の「押さえて押さえて行きましょう」という考え方でやっていけますか。どこの国でゼロ成長で財政再建が出来たことがありますか。この5年間が間違いであることを証明しています。5年間小泉政権が作った借金は約200兆円。財政再建といいながら借金はドンドン増えます。一内閣では、記録的な借金を抱えています。成長させないからなんです。3%も成長させれば、GDPは500兆円ありますから15兆円ずつ国の富が増えてくるんです。この5年間で15兆円ずつ増えてくればどれだけ増えているか。それを、ただ切って切って切りまくろうという病的な財政再建策がこの国をどんどん萎縮させているんだと。一番大きいのは国民から希望を奪っているんだと。政府は、3%成長をやりますという。その一言で日本の国民は、働けばよくなるという希望を持つことが出来るのに、国民から希望を奪うような経済政策をやって何になるんだと。
アメリカ人はアダム・スミスが好きなんです。その路線に従った市場原理主義が好きなんです。アダム・スミスは完全なる自由な経済を行えば神の見えざる手が働いて均衡すると言っていますが、17世紀末に書いて以来200年経つのに一度も実現したことがないじゃないですか。つまり欲の突っ張りあいの、相手を倒して不幸にしても自分だけは儲けようとういう世界に神の見えざる手が働くなんて冗談じゃないと。 私は、市場原理主義というのはとんでもない錯覚なんだと思います。強い人間がもっともっと強くなる。弱い者を倒す自由を得る。その論理にしか過ぎなんだと。経済がある程度競争的であるのは当然です。成功者と失敗者に分かれるのも当然ですが、政治がその競争を煽り立ててどうするんだ。政治の任務は不幸な人間を出さないために一生懸命努力することではないのかと。この政治論は、ぜひとも確立してもらいたい。 今はもう、小泉さんのへんてこりんな論理で「格差拡大がなぜ悪い」と演説をやっているんです。国会議員はそういわれたら誰も反論できないんです。私は率直に言って不平等を煽り立てる政治論はとんでもないと思います。完全なる平等は不可能ですが、今の日本,この5年間に起こっていることは悪平等とは逆の、強いものが勝つということです。 ある官庁のトップをやった人がいいました。能力のある人、強い人がその能力に応じて報いられないような日本だったら、そんな日本だったらつぶすと。これが小泉改革だと言う。私は「冗談じゃない。君は30何年、官庁にいたけれどそんな考え方でやってきたのか。能力があろうがなかろうが、政治、行政はこの世に生まれた人に対して、真心を持って接しなければいけない。そんな冷たい心を持ってやってきたのか」と。役人の間に人脈をつくって役人を辞めたらどんどん金を儲ける準備をしてきた。おかしくなってきているんですよ。わが日本国のエリート達は。 地方には道義があります。地方の論理で日本を作り直したい。「国家の実力は地方に存する」と。徳富蘆花の言葉ですが、これを私は訴えているところです。時間が来てしまいましたので、これで終わりといたします。