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全体会 記念講演

「平熱の思想家、福沢諭吉 その在野精神と時代」
講師 評論家、ノンフィクション作家 佐高 信 氏

経歴

講師 評論家、ノンフィクション作家 佐高 信 氏
佐高 信(さたか まこと)
評論家・ノンフィクション作家
1945年、山形県酒田市生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。高校教員、経済誌編集長を経て、現在ノンフィクション作家、評論家として活躍中。「憲法行脚の会」呼びかけ人の一人。『週間金曜日』発行人・編集委員。
著書に『西郷隆盛伝説』(角川学芸出版)、『昭和こころうた』(角川ソフィア文庫)、『城山三郎の昭和』(角川文庫)、『抵抗人名録』(金曜日)、『石原莞爾』(講談社文庫)など多数。
 全体会の記念講演は評論家でノンフィクション作家としても活躍する佐高信氏。慶応大学で同期だったという代表幹事の岡野光喜スルガ銀行社長が佐高氏を紹介し、記念講演に移った。佐高氏は「時代が狂えば狂うほど、その中でなお平熱を保つということは大変難しいこと」と平熱の思想家、福沢諭吉を紹介し、福沢が一番大切にしたのは「在野精神」としたうえ、官僚国家の現状と小泉、竹中「改革」の問題点などを鋭く切り込み、時に過激に論評を展開した。

佐高氏紹介 代表幹事 スルガ銀行社長 岡野光喜

 私と佐高さんとは慶応の同級生でして、彼の「福沢諭吉伝説」を読んで一番思ったのは私の知らない福沢諭吉がかなり書かれていまして、さすが佐高さんだなと思いました。
 佐高さんとは学生時代に一度もお会いしたことはなくて、というのは、彼は他大学へ講義を聴きに行かれて、私はサッカーをやっていたという関係で、ほとんど面識はなかったのですが、面白いなと思うのは彼が法学部のフランス語を取っていたのです。その時の先生が福沢諭吉の孫になる福沢進太郎さんという方で、それが佐高さんと福沢諭吉の唯一のご縁だそうです。
 私は学生時代、何回となく「福翁自伝」を読んだのですが、彼はこれを書くまであまり読まなかったということです。私は学生時代、よく福沢先生の命日に墓参りをしたのですが、彼は書くにあたって初めて墓参りしてきたということでした。
 いずれにしましても佐高さんだからこれだけの素晴らしい本が書けたのかなと思っています。そういう意味で私ども慶応に学んで、今年、慶応義塾は150年ですが、福沢諭吉の、ここに書いてあります平熱の思想家という形で、今、福沢諭吉が生きていたらどんなことを言うのだろうなということです。ちょうど、福沢諭吉が生きた時代というのは明治維新の激動期でして、そういう意味ではちょうど100年に1度の大恐慌といわれている現在ですので、もう1回先人に学ぶという意味で、お忙しい佐高さんにお願いして沼津まで引っ張って参りましたので、ゆっくりご講演を聞いていただきたいと思います。


福沢諭吉に傾倒した筑紫哲也さん

 福沢について特に知りたいという方には、本を読んでいただくということにして、今日は、それをとっかかりにして今の時代を私なりに読み解いてお話ししたいと思います。
 この間、筑紫哲也さんが亡くなられたわけですが、筑紫さんがテレビのコラムのタイトルにしていたのがいろんな議論を戦わせるのがいいのだという「多事争論」です。これがまさに福沢の言葉です。筑紫さんは自分のつくった言葉のように言っておりましたが、これは福沢の言った言葉なのです。筑紫哲也という人は、それほど福沢諭吉に傾倒していたということなんです。
 筑紫さんは、穏やかな中にも芯の強かった人です。私がいま発行人となっている「週刊金曜日」の編集委員でして、いつか広島に一緒に講演に行きました。筑紫人気というのは、とくに女性の人気はすごいものがあるんですが、堅い雑誌の「週刊金曜日」主催の講演会で、最後に質問ということになり、女子大生のような人が手を挙げて「筑紫さんはショートカットの女性が好きですか、ロングヘアーの女性が好きですか」というんです。私は脇で「こんなバカな質問には答えない方がいいですよ」って言っていたんですが、筑紫さんはちゃんと答えるんです。その辺が人気の違いなのかなと思いました。
 筑紫さんはいろんな意見というか、くだらないと思われるものにもちゃんと丁寧に答えているところがありまして、その筑紫哲也が傾倒した福沢諭吉という人を書こうということになりました。一応慶応から授業料の領収書を貰ったものとしては書く義務があるのかなと思って書こうと思ったのです。


思想のシーソーゲーム

 大分県の中津の出身の松下竜一さんが、「豆腐屋の四季」を書いており、テレビドラマになりました。松下さん役をやったのが緒形拳さんです。その松下竜一という人が「疾風の人」という、福沢諭吉の再従兄弟の増田宗太郎伝を書いています。福沢より一回りくらい下ですが、福沢を暗殺しようと付け狙っていた人です。明治維新の激動期、西洋思想を学んで封建の世の中に合理的な、理性的な考え方を持ち込もうとするのを、当時としては西洋かぶれといって、その西洋かぶれの権現が福沢諭吉と目されていたわけで、その福沢を親戚のものとして特に許すことができないと暗殺しようとして狙っていた。
 それを読みますと、戦争中は福沢諭吉という人はまさに鬼畜米英の思想家だったわけです。当時はアメリカ、イギリスに対して激しい反発があった。その鬼畜米英の権化として福沢諭吉は排斥されていました。だから福沢記念館にも石を投げられたり、独立自尊という福沢諭吉の書いたものは倉庫の隅に押しやられていた。その時代に逆に崇め奉られていたのが国学精神の増田宗太郎だったというのです。
 それが戦後になって見事に逆転するわけです。増田宗太郎という人の記念館というか神社なんかは全然、拝む人もいなくなり、逆に福沢の記念館がすごく立派になっていく。つまり、思想、考え方のシーソーゲーム、逆転というのが起こるわけです。
 だから福沢諭吉という人も今は1万円札になっていますが、ずっと日本人皆に愛されていたわけでなくて、時代によってすごい浮き沈みを体験した思想家です。だから日本があの戦争中の狂熱の時代には一番排斥されていた人だった。時代が異常な高熱、狂熱の時代になればなるほど福沢という人は逆に注目される。押しやられている少数派にとっての最後の拠りどころになる人であるということなんだろうと思います。
 そういう意味で非常に、思想というものは時代というものを反映する。時代と無関係に思想というものがあるわけではないということを、まず強調しておきたいと思います。
 私が福沢諭吉は平熱の思想家だと名付けたのは、それは福沢自身がごく普通のありふれた思想家であるという意味ではありません。平熱というものを保つことはものすごく難しいことです。時代が狂えば狂うほど、その中でなお平熱を保つということは大変難しいことで、その福沢が鬼畜米英の思想家として排斥されたのは戦争中であったということは、戦争中の方が良かったという人間がいま少なからず出てきている中で、きちんと着目しておくべきことではないかと思うわけです。
 福沢も増田宗太郎もよしということはあり得ない。増田宗太郎という国学者、天皇主義者のような人が今は完全に忘れられているけれども、故郷中津において増田宗太郎がすごくもてはやされて、福沢が石を投げられた時代というのは、まさに戦争中であったということ。このシーソーゲームというようなものを、私はやはり忘れてはいけないのだろうと思うわけです。


福沢が大事にした「民」の精神

 福沢諭吉という人を自分なりにたどっていって、もう一つやはり大事な視点、今も福沢が生きているという意味の視点として大事なのは、民間の「民」の精神です。
 朝と野という言葉がありますが、朝に対する野、官に対する民というのを徹底して主張し、その大事さを説いた。未だに日本は官僚国家という側面がありますから、未だに役人国家。私は役人の役は厄介の「厄」と書く。この人たちのとんでもなさというのは、すさまじいです。
 薬害C型肝炎の原告団の応援を私はやったりしていますが、全く変わってないわけです。サリドマイドがあり、エイズがありました。そして今度の薬害C型肝炎。全く変わっていないんです。役人たちの構造、精神構造、頭の何というか、自分たちのことしか考えない、自分たちの責任を免れることしか考えない。それは政治家がだらし無いということとも関係するんですが、そういうふうなことがあるわけです。


逆転現象

 この間の厚生労働省の次官の連続襲撃事件はテロじゃないかと騒がれ、昔殺された犬の為に復讐したなんて、あれもちょっと分からないんですが、あの事件で思うのは、政治家を襲っても何ていうことはないというふうに、あの人でさえ考えたということです。とんでもないことですが、官僚の方が力を持っているということが分かっているということです。
 あの事件で一番、変な意味で反省しなければならないのは政治家だと思うんです。「俺たちは外されているんだ。当てにされていないんだ」ということが分かったということです。極端なことを言うと、狙う価値もないということです。
 役人というのは、政治家が自分の考え方のようなものをピシッとやれば、それに従うわけです。今は政治家が役人に従っている。だから狙う方も、テロなんてとんでもない話であることは言うまでもないことですが、政治家を狙おうと思わないというところに一番大きな逆転現象があるんだろうと思います。


国民の片思い

 それともう一つ年金問題です。こういう事件になったから厚生労働省に対する批判を差し控える状況になっているという。私は敢えて「サンデー毎日」のコラムに「それはおかしい」と書いたんです。年金問題のスペシャリストといわれるジャーナリストの岩瀬達哉という人と対談して、そこまでひどかったのかとびっくりしたんですが、年金がスタートするのは確か戦争中の昭和17年ごろなんです。大蔵省と軍部の反対に当時の厚生省の課長は「払うのは40年後なんです。その間は使えるんですよ」と説得したという。それが厚生省の回顧録にちゃんと残っているというんです。
 それからもっとびっくりするのは、年金が議員年金、国家公務員年金、それから一般の国民年金と分かれていますね。これがなぜ一元化できないのか。岩瀬さんが大蔵省の課長にインタビューに行った時、国民年金でグリーンピアとか余分なものを作る、こんなことをやっているんですよと言ったら、その課長がびっくりしたというんです。そんなことをしたら加入者が不安になるんじゃないですかと。皆さん方は、役人というのはそこまで変なことは考えないだろうという片思いをするわけです。何かいい学校を出て成績優秀でと。ところが彼らの方は思ってないんです。片思いの特徴です。
 一番ひどいのは大蔵省です。今の財務省の官僚。バブルの時の問題を振り返っても一番ひどい。大蔵官僚というのはすごく優秀で何か考えているだろうと皆さん錯覚するんですが、実は大蔵官僚というのは何も知らない。だからバブルは起こってしまったんです。
 そのことを証明してくれた事件が2つありました。一つは民主党の議員の偽メール事件です。あんな子供だましに騙されるわけです。そういうものをきちんと判別するのが知恵というものですから、知恵がないということです。
 彼が政治家になる前に何をやっていたかというと東京大学工学部を出て大蔵官僚をやっていたんです。それからついこの間、自民党で宮崎県から出た議員がいたでしょう。あれも元大蔵官僚です。世の中を知らなさ過ぎます。つまりあの程度の人間が大蔵省官僚に集まっているんです。それに皆さん方はやはりいい学校を出て世の中の事を考えているんだろうという錯覚を持っている。


勲章を拒否した福沢諭吉

 そういう役人国家というふうなものになってしまうということを福沢はすごく恐れていた。だから福沢諭吉という人は勲章というものを最後まで拒否した。残念ながら慶応の出身者でも、今は喜んで勲章をもらうような人間ばっかりになってしまった。
 勲章というのは皆さん、ご承知のように日本では政治家が一番偉いことになっています。政治家の次に役人で、そしてその下に民間人がくる。こんな階層的なものをどうして貰うんだと私なんか思うわけです。
 ある時、東京電力会長で経団連会長をやった平岩外四さんが勲一等をもらったんです。勲一等もいろいろある。同じく勲一等を貰ったのが、私たちが思い出したくない滋賀県出身の首相だった宇野宗佑です。この人が同じ勲一等でも平岩さんより上なんです。それで私は「週刊東洋経済」のコラムで「平岩さん。宇野以下の勲章を貰ってうれしいか」と書いてしまったんです。そうしたら平岩さんからお呼びがかかったんです。平岩さんは城山三郎さんとすごく親しい。私も城山さんと親しいということで、城山さんを通じてのお呼びでした。
 平岩さんが「佐高さん、私は勲章を拒否するほどえらくないんです」と言うんです。それも一つの答えかもしれないなと思いました。なぜ私が平岩さんにそういうことを望んだのかというと平岩さんの親分は木川田一隆という人で、木川田の親分が電力の鬼といわれた松永安左ヱ門です。松永安左ヱ門は勲章拒否です。官僚というのは人間のクズだと言い放った人です。その弟子の木川田さんも勲章拒否なんです。だから平岩さんも親分を見習って勲章を拒否したらどうですかということを言外に込めながらやったんです。
 私の郷里は山形県の酒田市というところです。土門拳という世界的な写真家が生まれたところです。土門さんは晩年、脳溢血かなんかでほとんど自分の意思を表わせない。土門さんがちゃんとした精神状態だったら私は勲章を拒否したんだろうと思うんですが、その土門拳に日本の政府が勲何等を贈ったと思いますか。世界の写真家に勲四等です。恥ずかしくないのかと。宇野宗佑が勲一等ですよ。いかに文化を知らない国であるかということでしょう。
 もう一つ言えば、あの勲章というのは、電力会社は通産省、今の経済産業省、銀行は大蔵省でしょう。そこを通じて貰うわけです。つまりトップが勲章を貰いたい電力会社の人は通産省に対してものが言えなくなるわけです。あの勲章というのは見事に民間をコントロールするための道具になっている。ですから、少なくとも福沢の弟子なら勲章なんか貰うなと、この間慶応大学でしゃべって来たんです。
 そういうふうに民間というふうな、要するに官とか政治家というのは民間があっての存在でしょう。逆に彼らは考えている。政治家や役人あっての民間だと。逆でしょう。民間があっての官です。


勘違いをしている

 自己責任というわけのわからないものが言われたことがあるんですが、あの時、私は本当におかしいと思ったんです。イラクで日本人が人質になった時、今の首相を含めてみんな自己責任と言ったんです。
 でも、自己責任を国民一人ひとりが全部果たしたら政府はいらないんです。自己責任で国民がやれない部分があるから税金を出して役人や政治家を雇っているわけです。雇われている方が自己責任というのは、自分たちはいりませんということを言っているという、とんでもない話なんですね。それが二世、三世の安倍や福田には分からないわけです。
 自己責任と彼らが言うのは最大の矛盾なんです。繰り返しますが、国民が自己責任を果たしたら政府や役人はいらないんです。
 麻生首相にしても、麻生という人が首相になってしまう日本の貧しさということなんだろうと思いますが、今の政権というのは自公政権です。自民党と公明党の連立政権です。一説には公自政権だという人がいます。そういう中で役人や政治家が全く勘違いをしている感じがいたします。
 勘違いをさらに大きくさせたのが、残念ながら、私は小泉純一郎と竹中平蔵だと思っているわけです。小泉という人は、幸か不幸か同じ年に同じ大学を出ているわけです。岡野さんのような人は別として、この年の卒業生には小沢一郎もいる。
 小泉という人は首相になる前は何度か一緒に食事もした間柄ですが、本当に何にもない人です。小泉純一郎の純は単純の純であると私がテレビで言ったら怒られて、違うと。純粋の純だと。似たようなものです。見事に何もない。何か考えるということはしない人ですね。私は、小泉純一郎は入口に入るとすぐ出口の人だと、奥行きゼロの人だと。奥行きゼロの小泉があれだけもててしまったのは国民の方も入口をはいるとすぐ出口になってしまったということです。そしてそれ以上に現実を知らない竹中平蔵に全部、丸投げで任してしまったんです。
 経済についての考え方についての流れに端的に言えば、主に2つの流れがあります。1つは城山三郎さんの流れ。昭和2年生まれです。もう1つは同じく昭和2年生まれに長谷川慶太郎という人がいる。考え方が全く違うんです。
 長谷川慶太郎という人は「株価は間もなく5万円になります」と言った人です。今、幾らですか。8千円を割ったとか言っているんでしょう。あるいは間もなく金本位制になりますと言った人です。いつなるんですか。金本位制に。経営者の集まりで、最初に長谷川慶太郎のでたらめを見抜けないようでは経営者をやめなさいと言うと、半数以上が目を伏せるんです。
 それで城山三郎がいて、内橋克人さんがいて私がいると言う正しい流れがあるわけです。その反対に長谷川慶太郎がいて堺屋太一がいて竹中平蔵がいる。これはバブルの流れです。
 経済というのは、いうまでもなく一人ひとりの個人の購買力、ものを買う力が根っこでしょう。そこを考えないのが長谷川慶太郎の流れです。何か会社を何とかすればいいと言うような話なんです。でも、会社を何とかすればいいというふうに言って、派遣を製造業まで及ぼしてしまったでしょう。そうすると年収2百万円いくかいかないかという人たちがダーッと出たでしょう。この人たちにものを買う力はないわけです。だからいくら景気を刺激したってどうしようもないでしょう。一人ひとりの個人の購買力というものをきちんとしなければダメなんだということは城山、内橋、佐高が一生懸命言ってきたことです。


2つの疑惑

 竹中平蔵について2つの大きな疑惑というのがあるわけです。1つは税金逃れ疑惑、逃税、脱税というのは可哀想だから逃税、税金逃れです。つまり1月1日に日本にいないと住民税を払う必要はないんだよと友達に言いふらしていたというんでしょう。そして1月1日、住民票をアメリカなんかの間でしょっちゅう移していたと。国会で質問されて税金逃れをしていたとは言えないから、しかし住民票をしょっちゅう移していたと言うことは認めざるを得なかったわけです。
 これを最初に書いたのが「週刊ポスト」、2番目に私が「サンデー毎日」で書き、3番目に私の兄貴分の作家の高杉良さんが「文芸春秋」で書いた。これは普通、例えば森内閣の閣僚だったら一発で首が飛んでいます。小泉バカ人気内閣の閣僚だったから首が飛ばなかった。国民が悪いんです。小泉に9割の支持を与えちゃったから首が飛びようがないんです。そんな人間を経済の要衝に据えておいて日本の経済が良くなるはずがないでしょう。
 もう一つは株の問題です。これからはハンバーガーの時代だと言って、日本マクドナルドの藤田という人が喜んで、藤田未来経営研究所の理事長に竹中を据えるわけです。日本マクドナルドは株式を公開していない時代に、竹中に言わせれば「適正な価格で日本マクドナルドの株を譲り受けた」というんです。その後マクドナルドは株式を上場する。
 同じような話を皆さん方は知っているでしょう。リクルート事件です。同じことをやっているんです。その竹中が未だに影響力を持っているでしょう。どういうことなんだろうかと私なんかは思うわけです。


頑固な頭取

 北海道に北洋銀行があり、武井正直という頑固な頭取がいたんです。この人はバブルのさ中にバブルに乗っかった融資を断固としてやらせなかった珍しい頭取です。それは正しい経営だったわけです。そのバブルに乗っかった融資を断固としてやらせない武井さんに対して大蔵省銀行局はもっと融資を増やせと何回も言ったそうです。つまり彼らには何も分かっていなかったということの証拠でしょう。それを武井さんは断固としてはねつけるわけです。こんなバカな時代が続くはずがないと言って。だから北洋銀行は生き残ったわけです。大蔵省の銀行関連の役人たちの言うことを聞いていたら今はないです。
 ご承知のように北海道では北海道拓殖銀行が一番大きく、次に北海道銀行。北洋銀行というのは相互銀行から出発した3番目の銀行に過ぎなかった。一番大きな北海道拓殖銀行が潰れた時に、3番目の北洋銀行がそれを引き受けるという奇跡的なことが起こったわけです。
 それは武井さんが大蔵の官僚の言うことを聞かなかったからです。それが出来たのは、まさに武井正直という人がそういう経営哲学を持っていたためだと。
 今から10年ほど前に私が札幌に講演に行った時に、ある人を通じて武井さんから会いたいといわれたんです。私は正直言って北洋銀行という名前ぐらいしか知らなかったし、武井正直という人も知らなかった。私の方から伺いますと言って行ったんですが、そうしたらいきなり武井さんが「佐高さんは中国の作家の魯迅が好きなんですよね。私も魯迅が好きなんです」と、1時間魯迅の話をしたんです。銀行の頭取と魯迅の話をするとは思わなかった。
 大体私を呼ぶ頭取なんていないんです。私が取材を申し込んでもみんな逃げるんだから。その武井さんは端的に言えば、長谷川慶太郎というのは財テクをしない経営者は化石人間だと言ったんでしょう。だから武井さんは長谷川とか竹中などに鼻もひっかけないんです。武井さんが東京に出てきた時には城山さんと一緒に食事をしたりしたんです。


小泉、竹中の「改革」は信号機を壊した

 小泉、竹中って、小泉はまさに慶応の福沢精神を全く学んでなかったんだと思いますが、あれを新自由主義って言うのは全くのほめ過ぎです。あれは旧自由主義です。ジャングルの自由に戻せと言うんだから。
 競争のための前提というものはいろいろあるでしょう。経済というものが競争を逃れられないと。競争をエンジンとするならば、それは当然、弱者と強者、勝者と敗者というものが生ずるわけです。その格差を縮めるのが政治の役目です。ところが小泉、竹中時代というのは格差を広げる方向に走ったわけだから小泉時代というのは、政治はなかったんです政治不在だったんです。そういうふうに私は断じているわけです。
 そして、その政治不在の中でジャングルの自由にお墨付けを与えたわけでしょう。競争のための規制とか、ルールは全部取っ払えというのが小泉、竹中だったわけですから。そしてさすがにそれがやり過ぎていろいろちょっとまずいことになって来たということがおととしの正月ぐらいにようやく分かってきた。
 そして小泉、竹中のカッコ付きの「改革」というのは何を壊したのか。私は信号機を壊したんだと言っているんです。信号機を壊したから今は滅茶苦茶です。規制緩和、民営化という名の会社化によって信号機を壊してしまったんです。それで格差がさらに広がるということになっているんです。
 信号機の問題ですが、ホリエモンがフジテレビを支配したいためにニッポン放送株を買うわけでしょう。ここに皆さん、リーマンが出てくるわけです。この間、破産したリーマンが金を出して儲けたんです。ニッポン放送株を堀江がマーケットの外、つまり市場外取引をやったとか、あるいは株価を吊り上げるために株を細かく分割したとかというふうなことが後で問題になるけれども、あれをやっていた時にそれを問題だと言っていた人は誰もいないんです。それどころか当時の金融担当大臣の伊藤達也はわざわざ記者会見を開いて、堀江のやっていることはセーフだと言ったんです。ということは、信号は青だったんですよ、黄色でも赤でもなくて青だったんです。
 それで堀江が通った。他の人も通った。それを白バイに乗って追っかけて行って堀江だけを捕まえて来たということです。私は堀江を捕まえるべきではなかったと言っているんではないんです。堀江の前に捕まえるべきKが未だにのうのうとしているということです。信号機が、例えば青だけになるとか、赤が出ないとか、そういうふうに壊されていったのは、小泉内閣になってからの2001年です。東京証券取引所という、いわばアンパイヤーを、株式会社にしてしまったわけです。民営化という名の会社化してしまったわけです。
 それで審査がゆるゆるになるわけです。だから堀江のような行為が通ってしまう。必要でないもの、ある意味ではしてはならないものまで会社にしてしまったのが、小泉、竹中です。


政治家が力がないと官僚が力を得る

 よく小泉内閣と麻生内閣は違うんだなんて言うんだけれども、大蔵省の掌に乗っかっているのは同じで、全く変わりがない。小泉という人は官僚政治を改革したように錯覚されているけれども、官僚の中の官僚の大蔵省には一切手を付けていないんです。なんでか。小泉というのは典型的な大蔵族なんです。頭が大蔵でつくられているわけです。大蔵省には手向かいできなくて、何段階か下の郵政省は敵に回したということでしょう。
 大蔵省というのは巨大な権限を持ち過ぎている。財政と金融を分離しなければならないと。税金まで持っているんでしょう。保守の政治家で大蔵省に手向かいしたら首相になれないと言われているんです。今まで少しまともな人で保守で大蔵に反抗したのは野中広務とさきがけの田中秀征ぐらいです。あとは新人の頃から大蔵の頭で規制されているから自分は自分の行動をとっていると思うけれども、これが全部大蔵の言いなりなわけです。
 それをもっとひどくしたのが今の麻生です。大蔵官僚から査察するぞと脅されながら、私が大蔵省分割論を書いて自社さ政権で大蔵省が一番嫌がる財政と金融の分離というのにようやく手をつけたわけですが、財政と金融の分離を完全に元の黙阿弥に戻したのは麻生です。中川昭一に財政大臣と金融大臣を兼務させたんでしょう。これは分離を全く元の木阿弥にしたということです。だから今政権を担当するのに、民主党はマシだとは思わないけれども変えるということが必要だと。より大蔵にしがらみのない野党にしないと、と思うわけです。政治家が力がないと官僚が力を得るわけです。中でも大蔵省が一番力を得る。


赤字、黒字で計ってはいけないものがある

 強いものには弱く、弱い者には強いという男の風上にも置けないのが田原総一朗で、この田原も私と付き合っているころはまともだった。田原が国鉄分割民営化ならぬ分割会社化には反対だったんです。北海道のある町長が「田原さん、国鉄が赤字だ、赤字だというけれども、じゃあ消防署が赤字だといいますか。警察が赤字だというか」と言われたという。田原総一朗はそのころはまともだったから、「その通りだと思う」と20年前は本で書いているんです。
 つまり赤字、黒字で計ってはいけないものがあるわけです。それをパブリックというんでしょう。それを竹中は全部、赤字、黒字で計るようにしてしまったわけです。そこにはパブリックというものはなくなるんです。
 郵政会社化がまさにそうです。郵政会社化というのは、日本の中に日本人が住めないところを増やしてしまったんです。じっちゃん、ばっちゃんにとっては郵便局というのは命綱です。命綱をボンボン切ってしまった。小泉単純一郎は。
 日本のまともな保守の人は外交においてアメリカと中国を両天秤にかけながらやってきたんです。アメリカと仲良くすることによって中国をけん制し、中国と仲良くすることでアメリカをけん制する。これが外交のある種の基本なのです。小泉はアメリカ向いたらアメリカだけなわけです。つまり二次方程式が解けないわけです。ついでに申し上げれば安倍晋三というのは一次方程式も解けない。福田に至っては解く気がなかったというんです。


公共というのをふっ飛ばした

 日本という国が大事だというなら、やはり過疎を進めてはいけない。進めるのは政治の貧困以外の何物でもないわけです。私なんか山形県の出身だからよく分かるんですが、郵政会社化で何も切り捨ては致しませんと言っても会社になってしまえば、採算が合わないところは会社の論理でどんどん切り捨てます。それでじっちゃん、ばっちゃんの住めないところが増えているわけです。
 国鉄の分割会社化も一緒です。JRになってJR東日本と西日本で、事故のすごいのが起こったでしょう。あれだって明らかに会社化による事故です。JR東日本の事故というのは私の郷里の酒田で起きたんです。あの時のトップが何と言ったか。「突風が原因だ」といったんです。本当に私も怒りました。突風なんて私が生まれる前から吹いている。それを分からないでやっているのかということでしょう。
 JR東日本の松田というのが事故の前に書いた本がある。会社化になってコストを低くしなければならない。それには車両を軽くするという車両の軽量化に挑んだというわけです。軽くしたらコストが安くなったと。国鉄時代だったら技術陣がうるさくてできなかっただろうとはっきり書いています。なぜうるさいんですか。つまり安全ということを考えるからでしょう。これ以上軽くしたらだめですよというのを取っ払って軽くしてしまったんです。素人だってわかりますよね。軽くしすぎたら風が吹けば倒れるでしょう。そんなことも分からない奴らが、ともかく安くすればいいんだと。黒字、赤字だと。
 公共の輸送という、公共という文字をすっ飛ばしたんです。小泉、竹中というのは公共というのを全部ふっ飛ばした。信号機を壊すと同時に公共というのを吹っ飛ばしたんです。本人たちに公共、パブリックという観念がないからということなんだろうと私は思うわけです。


嘉田滋賀県知事誕生は地方の保守の反乱

 小泉のやった郵政民営化というのがいいことのように言われるけれど、本当にそうなのか。2年前ぐらいになりますか。滋賀県知事に嘉田由紀子という人が当選した。この人は環境社会学の学者です。相手は現職知事です。一番強いといわれる現職2期目で、自民党、公明党、民主党が推したんです。自公民の大連立で推したわけです。共産党は別の人を立てた。嘉田由紀子を応援したのは社民党だけだったんです。
 勝てるわけがない嘉田がどうして勝ったか。嘉田由紀子が掲げた政策は、簡単に言えば2つです。1つはあんなところに新幹線駅を造るのはもったいないということ、もう1つは琵琶湖のダム化反対。どういう訴え方をしたのか。琵琶湖がダム化されてモロコがいなくなった。タナゴがいなくなった。ビワマスがいなくなったと訴えるんです。魚の固有名詞をずっと挙げるわけです。これでじっちゃん、ばっちゃんのハートをぐっと掴んだんです。
 実際小さい頃それを取って育った人たちでしょう。だから選挙が始まったらじっちゃんが寄って来て「嘉田はん、いなくなったものをいろいろ挙げていたけど、その中にシジミも加えてくれ」と。あるところではばっちゃんが寄って来て「嘉田はん、このきゅうりを食ってくれ。私は新幹線の駅はもったいないと思う。私はいままでじっちゃんに言われるまま自民党さ、投票してきた。今度はあんたさ入れる」と。つまり嘉田由紀子を当選させたのは、保守の票なんです。
 何で保守の票が嘉田由紀子を当選させたか。郵政会社化というのが地方の保守はいらないという政策なんです。小泉は自民党の支持層を都市浮動層に移したわけです。地方の保守はいらないと。それが郵政会社化です。だから保守でも地方の人は、例えば広島の亀井静香とか佐賀の保利耕輔とか、そういう人たちはあれに反対したでしょう。地方のことを考えれば当然反対です。
 つまりいらないと言われた地方の保守が反乱したのが滋賀県知事選挙だったんです。


今度の選挙で問われているもの

 地方の保守はいらないと明らかに小泉が宣言した。それが郵政会社化であって、次にバトンタッチした安倍晋三は山口の人だから心情的には郵政反対なわけで、だから復党問題を起こすわけです。反対した方に友達が多いわけですから。
 捨てられた地方保守が今度はどうするのかというのが、今度の選挙で問われているんです。私たちを捨てるはずがないと思うのか、もう未練はないと、小泉、竹中では日本は良くならないと覚悟を決めるのかというふうなことが、私は問われているのではないかと思うわけです。
 かなり過激な発言もしたかもしれませんが、その辺のところで異議のある方は私の方ではなく、岡野さんの方に言っていただきたいと思います。どうも失礼しました。



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