地域活性化というのは今に始まった話ではありません。歴史をひも解くと、戦後いろいろな形での地域開発がありました。全国総合開発計画で各地域に拠点をつくるとか、工業団地をつくるとかが高度経済成長の時代に盛んに行われてきました。1980年代にはリゾート構想、リゾート開発があり、90年代とその前後は、いわゆる地方の時代といわれる中で、ふるさと創生基金1億円とか、地域づくり、ふるさとづくりで箱物行政が行われてきたことは記憶に新しいかと思います。
私はそのころまさに箱物行政の一端を担っていました。片棒を担ぐという言葉がいいのかどうか分かりませんが。今は組織も名前も変わりましたが、自治省の地方債課の係長でした。収益事業係長というあやしげな名前ですが、収益事業というのは宝くじとか公営ギャンブルとかの担当です。もう一つの仕事として地域総合整備事業債といいますが、箱物に関する財源措置をする地方債、この担当もしていました。まさにバブル絶頂のころでした。たまたま同じ地方債課にいて私の1年後輩で実質的に私の仕事を代わりにやってくれたのが現在、静岡県の副知事をされている大村さんです。
ハードはもちろんのこと、いろいろな事業がありました。「こういう文化ホールをつくりたい」「こういうテーマパークをつくりたい」と全国各地から金太郎あめのようなものがいっぱい出てきました。当時の流れは「基本的には認めてやれ」で、地域から出てきたものは基本的にゴーサインということでイケイケの時代でもありました。
私は「いくら立派なものをつくっても中身がなければただの箱じゃないか」と当時から疑問を感じていました。どうしてもう少し地域の歴史とか文化とか、地域らしさが出ないのかなと思っていました。もう大学に転進して10年も経ちますから、霞ヶ関の話は昔話ですが、疑問を感じたような地域の実情は新潟に来てからもさまざまに見てきました。その当時と今と変わっていないところもあるし、変わっているところもあります。
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